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四章
加害者と被害者
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「………は?」
聖女の言う言葉が、上手く理解できなかった。
日本に帰る?……帰還する?聖女が?
なぜ?
だって、だって聖女は『氷の騎士と常春の聖女』の物語のヒロインで──。
あまりにも私が狼狽えているからか、聖女がぷっと吹き出した。悪意を感じない笑い方だった。
「そんなに驚く?だってお役目は終わったんだよ。もうこの世界にいる意味もないから」
「……で、もあなたは……」
「ミュチュスカさんが好きなのに、って?」
私の言葉を、聖女が引き継いだ。
図星を突かれて言葉につまる私に、聖女が笑う。
はぁ、と大きく息を吐いて、背を伸ばしていた。
「好きだよ。今も、大好き。……でも、この恋だけで生きていけるほど、私は強くない。私は、この世界で生きていけない。……誰も彼もが私を聖女と呼ぶ。お父さんもお母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、学校の友達も、バイト先の友達も、この世界にはいない。……あのね、この世界には私を茜って呼んでくれる人はいないんだよ」
「………」
「自分の名前を呼ばれなくなって、代わりに称号で呼ばれて。ロディアス王子とか、アレン王子とか、生まれつき高貴な身分のひとはそれでいいんだろうね。でも、私はただの一般人だよ。ただの平民で、一国民に過ぎない。……突然名前を取り上げられて、記号に過ぎない『聖女』なんて大仰な肩書きを渡されても……私には、重すぎる」
聖女は静かに話し出した。
思えば、彼女がこの世界に、この国に来たことに対して負の意見を口にするところを私は見たことがなかった。
能天気に見えたし、何より彼女は物語のヒロインだから。あっさり順応して、受け入れて、生きていけるのだと思った。
……だけど、違ったのだ。
聖女は笑みを浮かべようとして、失敗したような顔になった。
手を膝の上で握る。
「聖女になんて、なりたくなかった。ずっと、ずっと考えてた。どうして私が選ばれたんだろうって。どうして、私だったんだろうって」
それは、聖女という称号を拒絶する言葉だった。聖女──アカネは、ふう、と息を吐いた。
泣きそうになるのを堪えたような、そんな吐息だ。
「帰りたかったよ。ずっと、ずっと。突然知らない国に連れてこられて、訳分からないのに儀式をやれって言われて、知らない人に囲まれて、安全かも分からなくて。普通に毎日を過ごして、普通に学校に行って、バイトに行く。もう少しで期末試験だーって。赤点取ったらやばいなーって。そう思って、ただ暮らしていただけなのに。全部全部、取り上げられた。……早く返して欲しかったし、私を必要としてるくせに私の気持ちなんて一切気にしないこの国を恨んだよ」
「………そう」
何を言えばいいか分からなかった。
なぜ、アカネが突然その話を私にする気になったのかは分からない。でも、最後だから話そうと思ったのだろう。彼女が考えていることを。思っていること。
彼女はただの『聖女』の偶像ではなく、十六歳の少女であることを、伝えようとしたのだろう。
十六歳。
日本なら、まだ高校一年生か二年生の年頃。
その歳で社会に出る子は少ないだろう。
未成年で、保護者に庇護される年齢。
「……メリューエルはさ、多分、この国では評価されるんだろうね。その性格とか、考え方とか。でも、私には、それができない」
アカネが何を指しているのか、私にはわからなかった。聖女の身代わりになったことか、それともまた、別のことを言っているのか。
聖女は俯いたまま、言葉を続けた。
「この国では十五歳で成人とされるんでしょ?平民はもっと幼く働きに出るとも聞いた。すごいよ。大変なことだと思う。でも私は、平和な日本で育った。大人としての自覚を持てと言われても、そんなの出来ないよ。突然ここに連れてきて、いきなりこの国の『常識』を押し付けられても……そんなの、勝手すぎる。いきなり連れてきて、いきなりそんなこと押し付けて……私をなんだと思ってるの!?」
アカネは声を荒らげた。
顔を上げて、私を睨みつける。
──いや、私ではない。
私の背後に、この国の人間、全てを見ていた。
アカネはずっと黙っていたのだろう。
ずっと、感情を押し殺していたのだろう。
ただの天真爛漫で無邪気な少女だと思っていた。
何も考えていない、何も思っていないと。
聖女としての表面だけを見ていた。
私──いや、きっと、私たちは。
アカネは拳を握りしめて言った。
「私は道具じゃない!人形でもない!感情のある……人間なんだよ!……人間、なの。聖女じゃ……ない。わたしは……聖女になんか、なりたくなかった……!!」
聖女の言う言葉が、上手く理解できなかった。
日本に帰る?……帰還する?聖女が?
なぜ?
だって、だって聖女は『氷の騎士と常春の聖女』の物語のヒロインで──。
あまりにも私が狼狽えているからか、聖女がぷっと吹き出した。悪意を感じない笑い方だった。
「そんなに驚く?だってお役目は終わったんだよ。もうこの世界にいる意味もないから」
「……で、もあなたは……」
「ミュチュスカさんが好きなのに、って?」
私の言葉を、聖女が引き継いだ。
図星を突かれて言葉につまる私に、聖女が笑う。
はぁ、と大きく息を吐いて、背を伸ばしていた。
「好きだよ。今も、大好き。……でも、この恋だけで生きていけるほど、私は強くない。私は、この世界で生きていけない。……誰も彼もが私を聖女と呼ぶ。お父さんもお母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、学校の友達も、バイト先の友達も、この世界にはいない。……あのね、この世界には私を茜って呼んでくれる人はいないんだよ」
「………」
「自分の名前を呼ばれなくなって、代わりに称号で呼ばれて。ロディアス王子とか、アレン王子とか、生まれつき高貴な身分のひとはそれでいいんだろうね。でも、私はただの一般人だよ。ただの平民で、一国民に過ぎない。……突然名前を取り上げられて、記号に過ぎない『聖女』なんて大仰な肩書きを渡されても……私には、重すぎる」
聖女は静かに話し出した。
思えば、彼女がこの世界に、この国に来たことに対して負の意見を口にするところを私は見たことがなかった。
能天気に見えたし、何より彼女は物語のヒロインだから。あっさり順応して、受け入れて、生きていけるのだと思った。
……だけど、違ったのだ。
聖女は笑みを浮かべようとして、失敗したような顔になった。
手を膝の上で握る。
「聖女になんて、なりたくなかった。ずっと、ずっと考えてた。どうして私が選ばれたんだろうって。どうして、私だったんだろうって」
それは、聖女という称号を拒絶する言葉だった。聖女──アカネは、ふう、と息を吐いた。
泣きそうになるのを堪えたような、そんな吐息だ。
「帰りたかったよ。ずっと、ずっと。突然知らない国に連れてこられて、訳分からないのに儀式をやれって言われて、知らない人に囲まれて、安全かも分からなくて。普通に毎日を過ごして、普通に学校に行って、バイトに行く。もう少しで期末試験だーって。赤点取ったらやばいなーって。そう思って、ただ暮らしていただけなのに。全部全部、取り上げられた。……早く返して欲しかったし、私を必要としてるくせに私の気持ちなんて一切気にしないこの国を恨んだよ」
「………そう」
何を言えばいいか分からなかった。
なぜ、アカネが突然その話を私にする気になったのかは分からない。でも、最後だから話そうと思ったのだろう。彼女が考えていることを。思っていること。
彼女はただの『聖女』の偶像ではなく、十六歳の少女であることを、伝えようとしたのだろう。
十六歳。
日本なら、まだ高校一年生か二年生の年頃。
その歳で社会に出る子は少ないだろう。
未成年で、保護者に庇護される年齢。
「……メリューエルはさ、多分、この国では評価されるんだろうね。その性格とか、考え方とか。でも、私には、それができない」
アカネが何を指しているのか、私にはわからなかった。聖女の身代わりになったことか、それともまた、別のことを言っているのか。
聖女は俯いたまま、言葉を続けた。
「この国では十五歳で成人とされるんでしょ?平民はもっと幼く働きに出るとも聞いた。すごいよ。大変なことだと思う。でも私は、平和な日本で育った。大人としての自覚を持てと言われても、そんなの出来ないよ。突然ここに連れてきて、いきなりこの国の『常識』を押し付けられても……そんなの、勝手すぎる。いきなり連れてきて、いきなりそんなこと押し付けて……私をなんだと思ってるの!?」
アカネは声を荒らげた。
顔を上げて、私を睨みつける。
──いや、私ではない。
私の背後に、この国の人間、全てを見ていた。
アカネはずっと黙っていたのだろう。
ずっと、感情を押し殺していたのだろう。
ただの天真爛漫で無邪気な少女だと思っていた。
何も考えていない、何も思っていないと。
聖女としての表面だけを見ていた。
私──いや、きっと、私たちは。
アカネは拳を握りしめて言った。
「私は道具じゃない!人形でもない!感情のある……人間なんだよ!……人間、なの。聖女じゃ……ない。わたしは……聖女になんか、なりたくなかった……!!」
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