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第三章・傾国の王女
201,5.ある兄弟の休日
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「ふんふふん、ふんふふ~ん」
トポポ、トプン。とティーカップに紅茶が並々と注がれる。
熱々のティーカップに続いて投入されるは果汁と蜂蜜。くるくるとカトラリーでそれはかき混ぜられ、その紅茶は完成した。
「はい、イリオーデ。お待たせいたしましたぁ」
その紅茶を入れた男、アランバルトは鼻歌混じりにそれを運び、目の前の客人に提供した。イリオーデは無言で紅茶を飲み、ボソリと呟いた。
「七十四点」
「うーむ、七十五点の壁が高いな………」
突然の評価。しかし、アランバルトはそれに腹を立てるどころか悔しがる様子だった。
(ここの所、イリオーデは決まって七十一から七十四の間の点数しか出してくれないからな……一体どうすれば七十五点の壁を越えられるのか)
この兄弟、中々に仲が良かった。誤解とすれ違いで離れ離れになっていたのだが、再会して一度腹を割って話した結果、幼少期のように仲のいい兄弟へと戻りつつあったのだ。
「それで、今日は何の用だ。お前の所為で私は王女殿下のお傍を離れなくてはならなくなったんだぞ」
カチャリとティーカップを置いて、怒りを蓄えた声音でイリオーデが切り出す。
「お前に話があったんだよ。流石に俺の独断で決める訳にはいかない事だったから、こうして王女殿下にお頼みしてお前を呼び出したという訳だ」
「余計な真似を………」
「あのな、別にこっちで勝手に進める事だって出来たんだからな? お前の為を思ってこうして呼び出したんだからな?」
苦虫を噛み潰したような表情を作るイリオーデに向けて、アランバルトが当然の主張をする。
ハァ………とため息をつき、その鍛え上げられたしなやかな脚を組んで、険しい顔つきでイリオーデは話を聞く体勢に移った。主の目が無いからか、はたまた身内の前だからか…いつもの彼からは予想がつかない態度であった。
アランバルトはそれに少し呆れつつも、真剣な顔で話に臨む。
「イリオーデ、お前に縁談が来てるんだが」
「断る」
即答だった。イリオーデは食い気味にそれを拒否した。
「早すぎるだろう、もうちょっと話を聞け」
「断る」
(こいつ……っ、本当に面倒臭いな!!)
そんな気はしてたけども! と悲しき心の叫びが上げられる。アランバルトはどうせこうなる事を予測していた。
はぁぁぁぁぁぁ………と肺の空気が全てなくなってしまいそうな程にため息をついて、項垂れる。しかしアランバルトは諦めの悪い男だった。
アランバルトは意を決して、めげる事無く話を再開する。
「お前が王女殿下のパートナーとしてパーティーに出てからというもの、『ランディグランジュの神童』への社交界の注目が凄まじい。皇太子妃は無理でも、ランディグランジュ家の嫁にならなれるかも……なんて失礼な考えの家門が多いようでな」
一度紅茶で喉を潤してから、アランバルトは更に続けた。
「特にお前は淑女受けの顔だからか、縁談の申し込みやお見合いの誘いが数ヶ月間ひっきりなしに来ている。全部とりあえず保留…というか断ってきたが、一応、お前の希望も聞いておこうと思ったんだ」
「断る。私は女になど興味無い」
「言い方……で、じゃあ本当に全て断ってしまうからな?」
「あぁ、そうしてくれ。私の総てはとうに王女殿下に捧げた。他の人間に与える分など微塵もない」
何やかんやで弟に激甘なアランバルトは、イリオーデの発言に辟易しつつもその意思を尊重する方針で動く。
(本当にこいつは………昔っから、王女殿下の事となると異様に頑固になるなぁ…)
膝で頬杖をつき、呆れながらも、アランバルトは昔と変わらないイリオーデの姿に安心感を覚えていた。
「縁談と言えば…お前はしないのか、結婚」
「え?」
「いい歳して初恋だなんだと言ってるんだろう、どうせ。悪い事は言わないから若いうちにさっさと身を固めておけ」
「何でそんな急に口悪いのお前……」
当主でもある歳上の兄にまだ相手がいない事を自分なりに気にかけているのだが、正直に伝えられないイリオーデ。その所為か、やたらと辛辣な言葉になってしまった。
「まぁ、そろそろ誰か相手を見つけないとな。とは思ってる。今までは領地の運営で忙しくて、結婚しても相手を蔑ろにしてしまう可能性が高くて結婚しようとも思えなかった。借金もかなりあったからな」
「誠実なんだな、見かけによらず」
「そうだよ、俺はこう見えて誠実なんだ。結婚する相手には、俺に用意出来る最大限の幸福を享受させてあげたいからな。蔑ろになんてしたくない。俺と結婚して良かったって、少しでも思ってもらいたいしな」
勿論、産まれてくる子供にも幸せになって欲しいしな。と照れ臭そうに語るアランバルトの脳裏には、在りし日の幸せそうな両親の姿が思い浮かんでいた。
無能な自分の所為で崩れてしまった幸せ。かつて自分の手で殺してしまい、その先の幸せの可能性すらをも奪ってしまったから。
だからこそアランバルトはいずれ出来る家族を必ずや幸せにしようと決めていた。そうでなければ死んだ両親に顔向け出来ないと彼は考えているのだ。
彼は己の初恋が叶わない事だけは確信していた。だから、当主になった時から彼なりに結婚について考えていた。ただ暫くの間はアランバルトにその余裕がなくて、縁談の類はそもそも受け付けていなかったのだが。
しかし、今や領地の運営は安定しており借金も完済。初恋の人と再会したり行方不明の弟が見つかったりと色々あったが、寧ろそれによってアランバルトの精神状態はとても良好になった。
なので、そろそろランディグランジュ家当主として跡継ぎを残す役目に移らねばならないと、彼もぼんやりと考えてはいたのだ。そこにたまたま、イリオーデへの縁談等の申し込みが殺到して自分は後回しになってしまったが。
「候補はいるのか?」
「そんなに選べる立場じゃないさ、俺は。俺みたいな最低な男の所にも嫁いでくれるっていう心優しい人がいたらいいな、ってレベルだぞ?」
「女に言い寄られた事はないのか」
「残念ながら、俺はお前ほど淑女受けする容姿じゃないんでね」
さも当然かのように、女に言い寄られないのかと問うイリオーデに若干の苛立ちを覚えつつ、アランバルトは自虐的に呟いた。
そうは言いつつも、実の所アランバルトもかなりモテる。イリオーデ程では無いものの、アランバルトの容姿もそれなりに整っている。しかし彼のランディグランジュ侯爵家当主という立場故か、陰から熱烈な視線を送られるパターンが大半だったのだ。
当主業に全力を賭していたアランバルトに、奥手なレディ達の密かな思慕に気づく事など不可能だった。
そして……帝国の剣としての名誉は放棄したものの、帝国建国時より続くランディグランジュ侯爵家の血統は確かなもの。それを狙うレディ達もまた、多くいる。
現在二十五歳で顔も整っており、騎士の家系故か逞しい肉体を持ち、浮いた話一つ聞かない領民に慕われる現ランディグランジュ侯爵家当主──そんな肩書きを持つ男が、レディにモテない訳がなかった。
ただ本人からすれば、実の弟が文武両道の天才肌でこの美丈夫っぷり。そんな周りの環境から己を過小評価してしまい、モテる自覚が全く無いようだが。
縁談を受け付けるようになったならば、自分が相当選べる立場になるという事を、この男はイマイチ理解していない。
「私が誰か紹介など出来れば良かったんだが、生憎と私に女の知り合いは全くいないのでな。自力で頑張れ」
「はいはい、最初からそのつもりですよ」
紅茶のおかわりはいるか? とアランバルトが聞くと、イリオーデは「……あぁ」と短く答えた。
のそりと立ち上がり、もう一度紅茶を入れながらアランバルトは「あ」と何かを思い出したように声を漏らした。
「そうだそうだ。これを踏まえて、今日一番聞いておかないといけなかった事があるんだよ」
カチャリ、と並々紅茶を注いだティーカップをソーサーに置きながらアランバルトは切り出す。
イリオーデが興味無さげにティーカップを手に取った瞬間、アランバルトがサラリと爆弾を落とした──。
「王女殿下の婚約者候補にお前の事を推薦してもいいか?」
驚愕のあまり、イリオーデは紅茶の入ったティーカップをその手から落としてしまう。ガシャンッ! と音を立ててそれは床に落ちて砕けてしまった。
「……っ!? ぁ……、え……ッ?!」
近年稀に見る取り乱しっぷりである。イリオーデは目を白黒とさせて、魚のように口元をパクパクとさせている。その頬には冷や汗がじわじわと滲む。
「何かよく分からないんだが、ケイリオル卿が『せっかくですから王女殿下にも婚約者をご用意しましょうかー』みたいな事を以前、有力貴族の臨時集会で言っててな。とりあえず推薦だけしてみようかと思っ……」
「きっ、聞いてないぞそんな事!?!?」
「ま、まぁ……多分またケイリオル卿の思い付きだろうし…」
血相を変え、机を乗り越えて掴みかかって来たイリオーデに少し怯むアランバルト。あの人いつもそうだから、とケイリオルの自由っぷりと特権っぷりについて軽く補足するも、イリオーデの表情は依然として険しいままだった。
「流石に伯爵家以上の高位家門にしかこの話はしていないらしいが、それでも結構な数の男がいるからな。こうして推薦形式に……」
「王女殿下がご婚約される…だと……? そんな……」
「王女殿下が結婚されるのなら降嫁になるだろうなって」
「でも王女殿下は………しかし…」
「話聞いてる??」
俯き、ぶつぶつと血の気の引いた顔で言葉を紡いでは、更に顔色を悪くする。
イリオーデはある事を考えていた。主の口から聞いた、あの言葉を。
「王女殿下は結婚願望が無いと、そうはっきり仰った。それなのに婚約者だと……? ケイリオル卿も突然何を考えているんだ? 確かに、皇族である王女殿下に婚約者がいない事の方がおかしい話ではあるが、だとしても…何故今? 皇太子妃選定が始まったからか………?」
それが全て、僅かに震える己の口から漏れ出ているとも知らずに、イリオーデは必死に頭を働かせる。
ケイリオルが突然、思い付きでそのような提案をした事の理由は何か。それを考えた結果、皇太子妃の選定が絡んでいるのではないかとイリオーデは推察した。
まさにその通り。ケイリオルは皇太子たるフリードルの婚約者──即ち皇太子妃の選定が始まったので、これを機にアミレスにも本来あるべき婚約者をと動き出した。
だがそれだけではない。ケイリオルにはもう一つの思惑があった。
『……──いくら、陛下と言えども。公にどこかの良家との婚約を認めたならば、彼女を戦争の理由にする事は出来ないでしょう』
いつか視た、エリドルのぼんやりとした計画。そこではアミレスを利用して戦争を起こそうかと考えられていて、ケイリオルはそれを自然に阻止する方法を、密かに探していた。
ケイリオルはエリドルを裏切れない。それだけは絶対に出来ない。だからこそ、せめてもの助力を……エリドルを裏切らない程度の暗躍を繰り返すしかなかったのだ。
それ故に、ケイリオルは婚約という簡単でありながら重い契約方法を選んだ。加えて、本来皇族に与えられるべき権利として『影』を配属する事にした。
『影』とはその皇族にのみ忠誠を誓う事になる。つまり──国ではなく皇族個人にのみ従う存在。皇帝たるエリドルの影響下から外れる存在となるのだ。
だからケイリオルはそれをもアミレスに与える事にした。可能な限り、彼女の傍で彼女を守ってくれる者を増やそうと。
エリドルは無情の皇帝だが、決して暴君では無い。
王として相応しくない選択はしない。そのエリドルの在り方を信じて、ケイリオルはこの作戦に乗り出したのだ。
「マリエ……ごほん、ララルス侯爵もお前ならまだ一応認められなくもない気がすると言っていたから、とりあえず我が家からはお前を推薦しようかと思ったんだ。縁談を断るのなら、推薦してもいいか?」
「それはほとんど認めるつもりが無いという事だろう。それに、私が王女殿下の婚約者だと? 身の程知らずも甚だしい……」
ようやく落ち着いてきたイリオーデが自嘲気味に呟くと、
「じゃあ王女殿下の隣に全然知らない男が立っていてもいいんだな? パーティーでお前がパートナーとして傍にいられなくなっても、いいんだな?」
アランバルトがイリオーデの本音に問い掛けた。それにピクリ、と反応してイリオーデは押し黙る。
(──私、は……かつて、王女殿下の平凡な幸せを願っていた筈なんだ。家庭を持ち、愛する旦那と子供に囲まれて幸せそうに生きる王女殿下を、傍でお守りしたいと思っていた、筈だ)
呆然としながら、イリオーデは青い顔で思案する。
「………はぁ。とりあえず婚約者候補に推薦だけはしておくからな。ただ、こればかりは慎重な話だから途中で流れる可能性も十分にあるとの事だ」
アランバルトはそれだけ言い残して、イリオーデを一人にしてあげようと静かに部屋を出た。そして一人で部屋に取り残されたイリオーデは──、
(どうして、王女殿下が家庭を築く姿を想像する事を、私の頭は拒否し続けるんだ? どうして、私の心臓はこんなにも傷むんだ?)
初めての事態に我を失いそうになっていた。
トポポ、トプン。とティーカップに紅茶が並々と注がれる。
熱々のティーカップに続いて投入されるは果汁と蜂蜜。くるくるとカトラリーでそれはかき混ぜられ、その紅茶は完成した。
「はい、イリオーデ。お待たせいたしましたぁ」
その紅茶を入れた男、アランバルトは鼻歌混じりにそれを運び、目の前の客人に提供した。イリオーデは無言で紅茶を飲み、ボソリと呟いた。
「七十四点」
「うーむ、七十五点の壁が高いな………」
突然の評価。しかし、アランバルトはそれに腹を立てるどころか悔しがる様子だった。
(ここの所、イリオーデは決まって七十一から七十四の間の点数しか出してくれないからな……一体どうすれば七十五点の壁を越えられるのか)
この兄弟、中々に仲が良かった。誤解とすれ違いで離れ離れになっていたのだが、再会して一度腹を割って話した結果、幼少期のように仲のいい兄弟へと戻りつつあったのだ。
「それで、今日は何の用だ。お前の所為で私は王女殿下のお傍を離れなくてはならなくなったんだぞ」
カチャリとティーカップを置いて、怒りを蓄えた声音でイリオーデが切り出す。
「お前に話があったんだよ。流石に俺の独断で決める訳にはいかない事だったから、こうして王女殿下にお頼みしてお前を呼び出したという訳だ」
「余計な真似を………」
「あのな、別にこっちで勝手に進める事だって出来たんだからな? お前の為を思ってこうして呼び出したんだからな?」
苦虫を噛み潰したような表情を作るイリオーデに向けて、アランバルトが当然の主張をする。
ハァ………とため息をつき、その鍛え上げられたしなやかな脚を組んで、険しい顔つきでイリオーデは話を聞く体勢に移った。主の目が無いからか、はたまた身内の前だからか…いつもの彼からは予想がつかない態度であった。
アランバルトはそれに少し呆れつつも、真剣な顔で話に臨む。
「イリオーデ、お前に縁談が来てるんだが」
「断る」
即答だった。イリオーデは食い気味にそれを拒否した。
「早すぎるだろう、もうちょっと話を聞け」
「断る」
(こいつ……っ、本当に面倒臭いな!!)
そんな気はしてたけども! と悲しき心の叫びが上げられる。アランバルトはどうせこうなる事を予測していた。
はぁぁぁぁぁぁ………と肺の空気が全てなくなってしまいそうな程にため息をついて、項垂れる。しかしアランバルトは諦めの悪い男だった。
アランバルトは意を決して、めげる事無く話を再開する。
「お前が王女殿下のパートナーとしてパーティーに出てからというもの、『ランディグランジュの神童』への社交界の注目が凄まじい。皇太子妃は無理でも、ランディグランジュ家の嫁にならなれるかも……なんて失礼な考えの家門が多いようでな」
一度紅茶で喉を潤してから、アランバルトは更に続けた。
「特にお前は淑女受けの顔だからか、縁談の申し込みやお見合いの誘いが数ヶ月間ひっきりなしに来ている。全部とりあえず保留…というか断ってきたが、一応、お前の希望も聞いておこうと思ったんだ」
「断る。私は女になど興味無い」
「言い方……で、じゃあ本当に全て断ってしまうからな?」
「あぁ、そうしてくれ。私の総てはとうに王女殿下に捧げた。他の人間に与える分など微塵もない」
何やかんやで弟に激甘なアランバルトは、イリオーデの発言に辟易しつつもその意思を尊重する方針で動く。
(本当にこいつは………昔っから、王女殿下の事となると異様に頑固になるなぁ…)
膝で頬杖をつき、呆れながらも、アランバルトは昔と変わらないイリオーデの姿に安心感を覚えていた。
「縁談と言えば…お前はしないのか、結婚」
「え?」
「いい歳して初恋だなんだと言ってるんだろう、どうせ。悪い事は言わないから若いうちにさっさと身を固めておけ」
「何でそんな急に口悪いのお前……」
当主でもある歳上の兄にまだ相手がいない事を自分なりに気にかけているのだが、正直に伝えられないイリオーデ。その所為か、やたらと辛辣な言葉になってしまった。
「まぁ、そろそろ誰か相手を見つけないとな。とは思ってる。今までは領地の運営で忙しくて、結婚しても相手を蔑ろにしてしまう可能性が高くて結婚しようとも思えなかった。借金もかなりあったからな」
「誠実なんだな、見かけによらず」
「そうだよ、俺はこう見えて誠実なんだ。結婚する相手には、俺に用意出来る最大限の幸福を享受させてあげたいからな。蔑ろになんてしたくない。俺と結婚して良かったって、少しでも思ってもらいたいしな」
勿論、産まれてくる子供にも幸せになって欲しいしな。と照れ臭そうに語るアランバルトの脳裏には、在りし日の幸せそうな両親の姿が思い浮かんでいた。
無能な自分の所為で崩れてしまった幸せ。かつて自分の手で殺してしまい、その先の幸せの可能性すらをも奪ってしまったから。
だからこそアランバルトはいずれ出来る家族を必ずや幸せにしようと決めていた。そうでなければ死んだ両親に顔向け出来ないと彼は考えているのだ。
彼は己の初恋が叶わない事だけは確信していた。だから、当主になった時から彼なりに結婚について考えていた。ただ暫くの間はアランバルトにその余裕がなくて、縁談の類はそもそも受け付けていなかったのだが。
しかし、今や領地の運営は安定しており借金も完済。初恋の人と再会したり行方不明の弟が見つかったりと色々あったが、寧ろそれによってアランバルトの精神状態はとても良好になった。
なので、そろそろランディグランジュ家当主として跡継ぎを残す役目に移らねばならないと、彼もぼんやりと考えてはいたのだ。そこにたまたま、イリオーデへの縁談等の申し込みが殺到して自分は後回しになってしまったが。
「候補はいるのか?」
「そんなに選べる立場じゃないさ、俺は。俺みたいな最低な男の所にも嫁いでくれるっていう心優しい人がいたらいいな、ってレベルだぞ?」
「女に言い寄られた事はないのか」
「残念ながら、俺はお前ほど淑女受けする容姿じゃないんでね」
さも当然かのように、女に言い寄られないのかと問うイリオーデに若干の苛立ちを覚えつつ、アランバルトは自虐的に呟いた。
そうは言いつつも、実の所アランバルトもかなりモテる。イリオーデ程では無いものの、アランバルトの容姿もそれなりに整っている。しかし彼のランディグランジュ侯爵家当主という立場故か、陰から熱烈な視線を送られるパターンが大半だったのだ。
当主業に全力を賭していたアランバルトに、奥手なレディ達の密かな思慕に気づく事など不可能だった。
そして……帝国の剣としての名誉は放棄したものの、帝国建国時より続くランディグランジュ侯爵家の血統は確かなもの。それを狙うレディ達もまた、多くいる。
現在二十五歳で顔も整っており、騎士の家系故か逞しい肉体を持ち、浮いた話一つ聞かない領民に慕われる現ランディグランジュ侯爵家当主──そんな肩書きを持つ男が、レディにモテない訳がなかった。
ただ本人からすれば、実の弟が文武両道の天才肌でこの美丈夫っぷり。そんな周りの環境から己を過小評価してしまい、モテる自覚が全く無いようだが。
縁談を受け付けるようになったならば、自分が相当選べる立場になるという事を、この男はイマイチ理解していない。
「私が誰か紹介など出来れば良かったんだが、生憎と私に女の知り合いは全くいないのでな。自力で頑張れ」
「はいはい、最初からそのつもりですよ」
紅茶のおかわりはいるか? とアランバルトが聞くと、イリオーデは「……あぁ」と短く答えた。
のそりと立ち上がり、もう一度紅茶を入れながらアランバルトは「あ」と何かを思い出したように声を漏らした。
「そうだそうだ。これを踏まえて、今日一番聞いておかないといけなかった事があるんだよ」
カチャリ、と並々紅茶を注いだティーカップをソーサーに置きながらアランバルトは切り出す。
イリオーデが興味無さげにティーカップを手に取った瞬間、アランバルトがサラリと爆弾を落とした──。
「王女殿下の婚約者候補にお前の事を推薦してもいいか?」
驚愕のあまり、イリオーデは紅茶の入ったティーカップをその手から落としてしまう。ガシャンッ! と音を立ててそれは床に落ちて砕けてしまった。
「……っ!? ぁ……、え……ッ?!」
近年稀に見る取り乱しっぷりである。イリオーデは目を白黒とさせて、魚のように口元をパクパクとさせている。その頬には冷や汗がじわじわと滲む。
「何かよく分からないんだが、ケイリオル卿が『せっかくですから王女殿下にも婚約者をご用意しましょうかー』みたいな事を以前、有力貴族の臨時集会で言っててな。とりあえず推薦だけしてみようかと思っ……」
「きっ、聞いてないぞそんな事!?!?」
「ま、まぁ……多分またケイリオル卿の思い付きだろうし…」
血相を変え、机を乗り越えて掴みかかって来たイリオーデに少し怯むアランバルト。あの人いつもそうだから、とケイリオルの自由っぷりと特権っぷりについて軽く補足するも、イリオーデの表情は依然として険しいままだった。
「流石に伯爵家以上の高位家門にしかこの話はしていないらしいが、それでも結構な数の男がいるからな。こうして推薦形式に……」
「王女殿下がご婚約される…だと……? そんな……」
「王女殿下が結婚されるのなら降嫁になるだろうなって」
「でも王女殿下は………しかし…」
「話聞いてる??」
俯き、ぶつぶつと血の気の引いた顔で言葉を紡いでは、更に顔色を悪くする。
イリオーデはある事を考えていた。主の口から聞いた、あの言葉を。
「王女殿下は結婚願望が無いと、そうはっきり仰った。それなのに婚約者だと……? ケイリオル卿も突然何を考えているんだ? 確かに、皇族である王女殿下に婚約者がいない事の方がおかしい話ではあるが、だとしても…何故今? 皇太子妃選定が始まったからか………?」
それが全て、僅かに震える己の口から漏れ出ているとも知らずに、イリオーデは必死に頭を働かせる。
ケイリオルが突然、思い付きでそのような提案をした事の理由は何か。それを考えた結果、皇太子妃の選定が絡んでいるのではないかとイリオーデは推察した。
まさにその通り。ケイリオルは皇太子たるフリードルの婚約者──即ち皇太子妃の選定が始まったので、これを機にアミレスにも本来あるべき婚約者をと動き出した。
だがそれだけではない。ケイリオルにはもう一つの思惑があった。
『……──いくら、陛下と言えども。公にどこかの良家との婚約を認めたならば、彼女を戦争の理由にする事は出来ないでしょう』
いつか視た、エリドルのぼんやりとした計画。そこではアミレスを利用して戦争を起こそうかと考えられていて、ケイリオルはそれを自然に阻止する方法を、密かに探していた。
ケイリオルはエリドルを裏切れない。それだけは絶対に出来ない。だからこそ、せめてもの助力を……エリドルを裏切らない程度の暗躍を繰り返すしかなかったのだ。
それ故に、ケイリオルは婚約という簡単でありながら重い契約方法を選んだ。加えて、本来皇族に与えられるべき権利として『影』を配属する事にした。
『影』とはその皇族にのみ忠誠を誓う事になる。つまり──国ではなく皇族個人にのみ従う存在。皇帝たるエリドルの影響下から外れる存在となるのだ。
だからケイリオルはそれをもアミレスに与える事にした。可能な限り、彼女の傍で彼女を守ってくれる者を増やそうと。
エリドルは無情の皇帝だが、決して暴君では無い。
王として相応しくない選択はしない。そのエリドルの在り方を信じて、ケイリオルはこの作戦に乗り出したのだ。
「マリエ……ごほん、ララルス侯爵もお前ならまだ一応認められなくもない気がすると言っていたから、とりあえず我が家からはお前を推薦しようかと思ったんだ。縁談を断るのなら、推薦してもいいか?」
「それはほとんど認めるつもりが無いという事だろう。それに、私が王女殿下の婚約者だと? 身の程知らずも甚だしい……」
ようやく落ち着いてきたイリオーデが自嘲気味に呟くと、
「じゃあ王女殿下の隣に全然知らない男が立っていてもいいんだな? パーティーでお前がパートナーとして傍にいられなくなっても、いいんだな?」
アランバルトがイリオーデの本音に問い掛けた。それにピクリ、と反応してイリオーデは押し黙る。
(──私、は……かつて、王女殿下の平凡な幸せを願っていた筈なんだ。家庭を持ち、愛する旦那と子供に囲まれて幸せそうに生きる王女殿下を、傍でお守りしたいと思っていた、筈だ)
呆然としながら、イリオーデは青い顔で思案する。
「………はぁ。とりあえず婚約者候補に推薦だけはしておくからな。ただ、こればかりは慎重な話だから途中で流れる可能性も十分にあるとの事だ」
アランバルトはそれだけ言い残して、イリオーデを一人にしてあげようと静かに部屋を出た。そして一人で部屋に取り残されたイリオーデは──、
(どうして、王女殿下が家庭を築く姿を想像する事を、私の頭は拒否し続けるんだ? どうして、私の心臓はこんなにも傷むんだ?)
初めての事態に我を失いそうになっていた。
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