あなたの命がこおるまで

晦リリ

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4.氷鷹

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 生まれてこの方、日和は氷鷹という存在に出会ったことがなかった。
 稀有な温め鳥として生まれたので、いつか出会うことがあればお前が温めてやるんだよと言われてはいたが、そもそも氷鷹自体の数が少ないのだ。そのうえ、氷鷹は能力の強さによっては国や都の保護を受ける対象でもあるため、ほとんど雲の上の存在だ。
 氷鷹が地域にもたらす異能は、地域の発展や生活の大きな助けになる。そのため、彼らはその能力を基盤とする独自の権威を持っていた。
 水と氷と雪の神の眷属と言われる彼らが作り出して管理する氷室は年中溶けることのない氷で出来ていた。通常の倉庫では備蓄できないような作物を蓄えておけたし、その近辺は大体気温が下がるために暑い南季の間は皆がそこに集まり、氷室を中心とした小さな市場が形成されるために、氷鷹が居を構えた地は栄えるとも言われていた。
 他にも水を操ることにも長けていたので、治水に関しての土地の選別や水脈の探索もした。能力が強い氷鷹にもなれば局地的に雨を降らせることも出来ると言われていたので、日照りや水不足に喘ぐ土地に水を与えに行くこともあった。また、主に暑い時期に能力を発揮することが多い彼らだが、北季の間も雪害や雹害を防ぐために上空の気温を一時的に操ったりもした。
 いなくても生活は出来るが、いれば格段に生活の役に立ち、努力や経験などでは得られない能力を揮う存在。それゆえに一部では信仰され、神のようにあがめられる殿上人。それが氷鷹だった。
(でもぼろぼろなんだよな……)
 村長の家の奥座敷に、日和は氷鷹と一緒に座っていた。
 結局山を下りても氷鷹は日和を離してはくれず、抱えられたまま村長の家までの道案内をさせられた日和は、氷鷹にしっかりと抱きすくめられたまま村長にあらましを伝えることになった。
 最初は日和を抱えた見知らぬ男を訝し気に見ていた村長だったが、氷鷹であることを伝えるなり慌てふためいて二人を座敷に通した。
「俺が戻るまで、しっかりおもてなしするんだぞ。すぐに戻るからな」
「おもてなしって……?」
 もてなせと言われても氷鷹は茶も菓子もなにも求めてこない。しかし腕に抱いた温め鳥を離すつもりはないらしく、日和はあぐらを掻いた氷鷹の膝の上にいた。
 おそらく村長は、近くの街に便りをやったのだろう。氷鷹の処遇については、本人を交えたうえで地域ごとに行う習わしになっている。勝手に話を進めてしまうと、不平等だと争いの種になるためだ。
 けれど、日和を抱えたまま離さない男がそう見えるかと言えば、首を横に振りたくはなる。
 薄汚れているし、じっとりと湿ってもいる。大きく立派な翼をしているが、それもばさばさで毛羽立っていて、異常なほどの体温の低さがなければ氷鷹とは思わなかったはずだ。
 国や都に定住せずに旅をしている氷鷹もいるとは聞いたことがあるが、能力が強ければ強いほど自らの冷気による冷えで弱りやすくなるため温め鳥が必要になり、結局はひとつどころに落ち着くのが大体だった。
(強い氷鷹じゃないのかな)
 旅をしているのなら、自らの冷気がそれほど強くなく氷鷹としての能力が比較的弱いのかもしれない。けれど日和を抱き込んだ男からは絶えず冷気が漂っている。
 そもそも比較するほど他の氷鷹を知らないので結局はわからないまま、自分の体温を少し上げて村長を待っていると、やがて火鉢を持った家僕を連れた村長がやって来た。
「お待たせいたしました。私は勒芳村の村長をやっております、瀚と申します」
 どこか落ち着かなくそわそわとしながら村長がつるりと丸い頭を下げる。いつもは村人に混じって畑仕事をしたり、やんちゃをする子どもたちをしかりつけたそばから菓子を与えたりと、村の重鎮というよりは気のいいおじさんといった風の瀚だ。丸々とした体を強張らせて緊張を露わにしているのが珍しく、日和が思わず口元を抑えて小さく笑うと、瀚はイッと歯を向いて小さい子を軽く叱るように威嚇したが、すぐに後ろに控えていた家僕にぽんと背中を押され、慌てて火鉢を氷鷹の前に押し出した。
「こちらをお使いください。……それで……その、氷鷹の一族の方とお聞きしましたが……」
「そうです」
「失礼ですが、その……ご両親のいずれかが氷鷹で……?」
「……父が絢州草将府の氷鷹でした」
「絢州の……それはそれは」
 村からほとんど出たことがない日和でも、思わず目を剥いた。国都でこそないが、絢州の草将府は貿易の拠点として有名な大都市だ。そこの氷鷹ともなれば相当な地位にいたのは確かで、その息子ともなればおそらく能力の強い氷鷹なのだろう。思わず見上げると金色の双眸がじっと見返してきた。
 血筋も確かな氷鷹なら、おそらくこの地域で一番の大きな街に案内されて、そこで居を構えることになるだろう。そうすれば日和よりももっと体温を高く出来たり、貴族の血を引く温め鳥をあてがわれる。こんなに近くで氷鷹を見るのは最初で最後になるかもしれなかった。
「見たところ、旅をして……なされていたようですが、その……ひとつどころに留まることは、お考えではないですか」
 村人全員が知り合いのような小さな村の長だ。偉ぶることなく誰とでも快活に笑う村長は、使い慣れない敬語に舌を噛みそうになりながらへらりと笑った。
「……それは」
 特に能力を使っているわけでもないはずの今でも、日和を抱えた氷鷹からは冷気が漂う。能力が高ければ高いほど冷えは強くなるので、その分温め鳥を必要とするのは明らかだったが、日和が見る限り、この氷鷹には専属の温め鳥がいないようだった。
(村長、街の温め鳥を紹介して定住してもらおうと思ってるな)
 勒芳村のある地域の氷鷹は、一昨年亡くなっている。そこに現れた新しい氷鷹だ。居着いてもらえれば地域全体が潤うが、氷鷹に対して定住の強制は固く禁止されている。村長の腰の低さは仕方のないことだった。
 なんにせよ、日和は選ばれないはずだ。温め鳥としてはそれほど能力が高い方ではないし、温め鳥の女性ならばまだしも、男としても選ばれない理由もあった。
「彼は、卵を産みますか」
「えっ?」
 思わず大きな声をあげてしまったのは、ちょうどその事を考えていたからだった。
 温め鳥は、思春期ごろから卵を産むようになる。これはもともと卵を産む女性の鳥人だけでなく、本来ならば卵を産むはずのない男性の鳥人にも起こる現象で、性交をすれば命を宿した有精卵になり、そうでなければ無精卵として廃棄されるだけのものを生んだ。
 けれど、全ての温め鳥がそうというわけではない。成人とされる十八歳を過ぎても卵を生まなければ、その温め鳥は卵を生まないとされていた。
 そして日和は現在十九歳であり、未だ卵を生んだことがなかった。
「それは……」
 ちらりと村長が日和を見る。ここで否と言えば、この氷鷹はまたどこかへ行くのかもしれない。けれど、日和が卵を生まないのは変えようのない事実だ。
「俺は生まないよ。いま十九だけど、生んだことないから」
「あっ、日和……」
 村長が慌てたような声を上げるが、事実は事実だ。
「わかった」
 見上げた先で、金色の目と視線があう。こんなに鋭く美しい瞳を見るのは、おそらく最後だろう。
 きっとこの氷鷹は次へ行く。村長は街に遣いをやって卵を生む温め鳥を用意させると言うだろうが、卵を欲しているなら、すぐにでもここを発つだろう。
(また今年も、氷鷹は見送りかあ)
 氷鷹がいたところで、どうせ街や都のほうへ行ってしまうのだから、片田舎のこの村に大きな恩恵はない。それでも居てくれれば水害や雪害時の手助けにはなる。残念なことだと思いながら、うん、と頷いた日和をじっと見たあと、氷鷹はそれならと村長に向き直った。
「ここに留まってもいいですか」
「もう少しお待ちいただければ街から温め鳥が……えっ」
「温め鳥なら、日和がいます」
「えっ、俺⁉」
 村長と日和の驚きを間に挟みながら、氷鷹は淡々としている。思わず見上げると、なにを考えているかわからない無表情が見下ろしてくる。
「いやか」
「いやっていうか……」
 日和にとってはありがたい話でしかない。温め鳥は体温を上げることは出来ても、下げることは出来ない。そのうえ平熱ですら、普通の鳥人の高熱ほどもある。北季以外は大概暑さに喘ぎ、太陽の神が一番地表に近づくと言われている南季などは、氷穴から出られないほどだ。
 けれど、氷鷹がいたらどうだろう。年中外にだって行けるし、暑さに苦しむこともなくなる。北季はそもそもの寒さと氷鷹の冷えでさすがに凍えるかもしれないが、着込めば済む話だ。
 だが、本当に日和でいいのだろうか。卵は生めないし、特に強い温め鳥というわけでもない。抱いていればそれなりに暖かいだろうが、少し待てば街からは他にもっと条件のいい温め鳥がやってくる。それはきっと卵が生めて、日和よりも熱をあげられる温め鳥だ。
「ちょっと待てば、俺よりもっといい温め鳥が来るよ。そっちにしなくていいの?」
「いい。日和さえいやじゃなければ」
「俺は……いやとかないけど」
 恰好は汚れていてみすぼらしいが、風体は悪くない。雪のように白い肌と琥珀色の瞳に目を奪われがちだが容貌も整っているし、見ていてうっとりするほどだ。なにより彼は氷鷹だ。これから来る暑さにうだる季節でも、傍にいてもらえれば氷穴にこもらずに済む。
 本当にいいのかなと思いながらも、日和にとっては利点しかない。頷くほかになかった。
「じゃあ……よろしく」
「うん」
 まだ太陽が中天には遠い時間に出会って、昼過ぎにはすべてが決まってしまった。
 村長は目を丸くさせたが、依然氷鷹の膝に抱き上げられたままの日和は、今年は氷穴に籠らなくて済むのかもと呑気なことを考えた。

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