あなたの命がこおるまで

晦リリ

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5.天耀

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 温め鳥は、その体質ゆえに涼しい場所をよく知っていることで有名だ。
 体温が常人よりも高い彼らは一年の半分ほどを気温が低い場所を探して過ごす。森深くの巨木の洞に、滝壺近くの小さなくぼみ、冷水が絶えず溢れる湧き水のそば。洞窟や氷穴もそうで、日和は村の近くにある山の中腹にある氷穴を根城にしていた。
 幼い頃は母と通い、数年前からは一人で過ごすようになった氷穴には、生活しやすいように工夫がされている。岩壁に添って棚が作りつけられ、元はデコボコで座ることも出来なかった地面は父が丁寧に削って磨いてくれたため、平たんになっている。その上に寝台と机、椅子があり、ここが日和が一年の半分を過ごす居住空間だった。
 南季でもひんやりとした空気があがってくる氷穴なので、まだ雪が残る今は非常に寒い場所だ。さすがの日和もまだ村で過ごしている時期だが、今年は早くも布団を運び入れる算段をしている。
 残念ながら、今年は氷穴にこもらずに済むかもと思った日和の喜びも束の間、その考えはあっという間に却下されていた。
「で……では、屋敷はこちらで建てますので……それまではぜひ我が家に」
 ほとんどが都や街など拓けた場所で保護されて丁重に扱われることも出来る氷鷹が、こんな辺鄙な村に落ち着いてくれるとは思ってもみなかったのだろう。しどろもどろになりながらもとりあえずと切り出した村長に、氷鷹は首を振った。
「さっきの氷穴に行きます」
「あそこに? でも氷鷹なら、もっとあったかい場所がいいんじゃないの?」
 東季のなかばほどになれば日和にとって過ごしやすい場所になるが、今はまだ、温め鳥でさえ少し寒いと感じるほど冷え込む場所だ。ただでさえ冷えに侵されている体には過酷な場所にならないかと思ったが、氷鷹は頷かなかった。
「日和がいるなら大丈夫だ」
「そう? あ、でもほとんど引き揚げてあるから、色々運ばないと……」
 家具はあるが、布団や食器類は去年の西季の終わりに自宅に持ち帰っている。氷穴で暮らすには準備が足りない。すぐには無理ではと思ったが、村長が声をあげた。
「日和、それならこっちから荷物を運ばせる。布団と、食器と、あとはなんだ」
「鍋と杓子と火打石と薪と……そうだ、あんた、着替え持ってる?」
「今着ているのが全部だ」
「それで着ぶくれてたんだな……村長、氷鷹の着替えも欲しいな。俺のは自分の家から持ってくるから」
「わかった」
 とんとん拍子に話は進む。そうして、物が揃ったら持って行くという村長に別れを告げ、日和と氷鷹は氷穴に戻っていた。
 相変わらず氷鷹は日和を離さない。まだ寒い時期ではあるが、自分の体温を少し上げていれば耐えきれないほどではないし、暑さでぐったりすることに比べれば、多少涼しすぎるくらいは我慢が出来る。
 抱き上げられたまま再び氷穴に訪れた日和は、まず氷穴の入り口で氷鷹に待っているように伝えた。
「南季ならまだしも、今はまだ北季が終わったばっかりだから、奥はとにかく寒いんだ。入り口の掃除をするまで、ここにいて」
 ぼんやりと佇む氷鷹は、わかったと頷くと氷穴の入り口に座りこんだ。もこもこと着ぶくれた彼が膝を抱えて縮こまると、やはり遠目に見て小熊のようだった。
(地上よりずっと寒いのに、なんで氷穴を選んだんだ?)
 温め鳥ならまだしも、氷鷹がより寒い場所を選ぶなど聞いたことがない。それでも彼がここで過ごすことを選んだのだ。それなら別に構わないけど、と日和は数ヶ月ぶりに訪れる氷穴の家の出入り口に設置していた柵を取り外した。
 柵の向こうには、これもまた父が作ってくれた扉が付いている。その向こうが、日和が北季を中心に半年を過ごす氷穴の家だ。
 出る前に掃除はしていたし、扉の前に柵を設置していたので、誰かが入ることもない室内は、出た時と同じようにがらんとしていた。
 今は運び出すのが面倒な家具しかなくてがらんどうだが、ここに生活雑貨を持ち込んでいけば、日和には見慣れた避暑地が出来上がる。
 いない間に壁や地面にひび割れが出来ていないか、季節柄もあって霜が降りてないかを確認した日和は、出入り口に立てかけて置いた箒で軽く室内を掃いた。それほど広さもない洞内だ。あっという間に終わって外に出ると、次は厨がわりに使っていた他の洞の確認だ。
「日和」
「うん?」
 居住場所として使っている氷穴に食べ物を持ち込むと、野生動物がここに食べ物があると覚えてしまうので、厨がわりに使っているのは氷穴から見える位置にある他の洞だ。そこも確認しに行こうと、氷鷹の傍を通った時だった。
 下から呼ばれて視線を落とすと、氷鷹がこちらを見上げている。伸び放題の髪がぼさぼさで眉よりも伸びていたが、その隙間から金色の双眸が見え隠れしていた。
「俺にも手伝えることはあるか」
「手伝えること? うーん……」
 まだ家財道具などは運ばれてきていないし、頼めることは特に思い当たらない。かと言って厨も氷穴の家と同じように柵を外して周囲を掃除するだけだ。
 なにかなかったっけ、と考えた日和は、ああと声をあげた。
「水を汲んできてほしい。ほら、あんた汚れてるから、まずは体を綺麗にしなきゃ。村長の家で風呂をもらえばよかったな。水を汲んできてくれたら湯を沸かすから、それで体を洗おう」
 あの時、村長も動揺していたのだろう。座敷に通した氷鷹に火鉢を差し出したりお茶を出したりはしてくれたが、湯を貸そうとしたり、新しい服をすぐに都合したりはしなかった。おかげで未だに氷鷹はぼろきれのような服を幾重にもまとった布のかたまりに近い状態だ。
 きっと今頃気付いて慌ててるだろうと可笑しくなりながら提案すると、氷鷹はすっくと立ち上がった。
「わかった。汲んでくる」
「湖が近いけど、多分まだ凍ってるから、あっちの川が……」
 日和が言い終わる前に、氷鷹の大きな翼が広がる。ぶわりと大きく風が巻き起こり、氷鷹は飛び立った。
「桶も持ってないのに……」
 上空から見れば水場は見当たるだろうが、汲んでくるものがなければどうしようもない。
「……まあ、戻ってきたら渡せばいいか」
 同じように翼の小さな鳥人相手ならば日和も飛んで追いつけたかもしれないが、鷹の一族である氷鷹に追いつくことなど到底無理だ。早々に諦めて厨として使っている洞に向かった日和は、居住場所と同じように柵を取り外し、扉を開けた。
 厨代わりと言っても、中で煮炊きをするわけではない。入り口付近には食器や調理に使うものをしまっていて、そこから少し下った奥の方は食材を保管する氷室代わりに使っていた。
「かまど、もう一個作った方がいいかな……」
 外で煮炊きするために使う陶器の簡易かまどを引きずり出し、軽く埃を払う。これも父が作ってくれたものだった。
 氷穴にこもる時、日和はひとりだ。食事は一人分だし、それほど量を食べるわけでもないので、かまどは一つあれば事足りる。体を洗うのだって近くの湖や川で水浴びをする程度で、湯を沸かすことはほとんどない。
 けれど、どうやらこれからは二人になるようなのだ。それに相手は暖を求める氷鷹だ。こんなことになるなんて、今朝起きた時には考えもつかなかった。どうしてこうなった、と今更ながらに思うが、自らの発熱で年の半分以上も暑さに辟易している日和にとっては、氷鷹と暮らすと言うのは悪い話ではない。
(それに、俺がちょうどよかっただけだろうし)
 氷鷹と温め鳥は、一緒にいれば互いに利点がある。
 熱に喘ぐ温め鳥は、氷鷹が傍にいれば涼を得られる。それは彼らの生命にも関わる病、干涸症の予防や改善にもつながっていた。
 干涸症は、あまりに発熱する力を使い過ぎたり、そもそもの体温が高すぎたり、加齢による体力の低下などで発症する温め鳥特有の病だ。一度発症してしまえば完治は難しく、徐々に体が水分を貯めておけなくなる。進行すれば肌が乾燥してひび割れ、眼球が乾き、喉は自分の熱で徐々に爛れ始める。そうしてやがて慢性的な脱水症状、もしくは自らの熱に体が耐え切れずに死を迎えることとなる。しかし氷鷹と一緒にいる限り、彼らのまとう冷気によって体温が下がり、まだ発症していなければ予防に、発症していても進行の鈍化が期待できた。
 同じように、生きている限り凍え続ける氷鷹は、温め鳥が傍にいれば簡単に暖をとれた。
 氷鷹には温め鳥にとっての干涸症のような特有の病とされるものはないが、彼らも力を酷使し続ければ、冷えによる衰弱と凍死を避けられない。そのうえ年を取れば力の抑制も難しくなった。けれど、温め鳥がいれば冷えから逃れられる。また、氷鷹の卵は宿った時から既に冷気を発するため常人の腹では育たず、温め鳥しか生むことが出来ないと言われていた。
 そういった利点が両者の間には存在しているうえ、圧倒的に数が少ないながら、人々の暮らしを大きく助ける氷鷹は重宝される。しかし温め鳥は氷鷹に比べて数も多く、特に恩恵などはもたらすことはない。それもあって、氷鷹が決めたことならば温め鳥に拒否権はほとんどなかった。
 見たところ、あの氷鷹は日和と同じくらいか、二つ三つ年上といったところだ。まだ子を作りたいわけではないので、卵を生まない日和を選んだ可能性が高い。そう考えると、ここもやがてどこかへ行くまでの逗留地でしかないだろう。そんな彼のために家財を増やす必要があるだろうかと考えていた日和の背後で、羽ばたきの音がした。
「日和」
「おかえ……うわ、なにそれ!」
 氷鷹だろうと振り返った日和の目に映ったのは、大きな翼を畳んでいる氷鷹と、その頭上に浮かぶ水の球だった。昼下がりの陽射しを浴びてきらきらと輝いている水球は大きい。作り出す影が地面に美しい紋様を描いているのが、なんとも現実感がなかった。
「それ、水?」
「汲んでこいって言ったから」
「言ったけど……氷鷹ってそういうことも出来るの?」
 聞いたこともないと日和は目を丸くしたが、当の氷鷹は水球を低い位置まで下ろしながら、たんたんと呟いた。
「できる者もいる」
「そうなんだ。あ、ちょっと待って、水がめ洗ってから……それ、手突っ込んだら壊れたりする?」
「大丈夫だ」
「じゃあ、少し水ちょうだい」
 ここに、と水がめの底をくるくると回転させて、厨の外に運ぶ。相変わらず水の球は散ったり零れたりせず浮いていたが、かめを傍に置くと、まるで樽に穴をあけたように一か所から水が迸った。
「本当に水だ……」
 手が切れそうなほどに冷たい水が、ジャバジャバと水球から流れていく。それなのに水球は壊れる様子もなく浮かんでいて、その傍らの氷鷹も、こともなげに佇んでいた。
 氷鷹は水と氷と雪の神の眷属と言われている。冷気を操り、水脈を探し当てたりするとは聞いていたが、まさか水球を作り出すなど聞いたことがない。もしかせずともこんな田舎ではなく国都に仕えるべき氷鷹なのではと思いながら水がめを洗っていた日和は、そうだ、と顔をあげた。
 行き倒れていたり、いきなり温め鳥として指名をしてきたり、水球を作ったりと驚くことばかりですっかり忘れていたが、大切なことを聞いていなかった。
「あんた、名前なんていうの?」
 見上げた先で、琥珀色の双眸がきらきらと輝いている。瞬きを一つして、さっきよりも小さな声で氷鷹は返事をした。
「天耀」


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