あなたの命がこおるまで

晦リリ

文字の大きさ
上 下
11 / 14

11.本当は

しおりを挟む


「ありがとうございます、天耀様。やっぱり氷があると助かります。日和も、ありがとう」
「……はい」
「俺はついてきてるだけ、なにもしてないよ。あ、それより、氷室氷は熱のあるところからは離して保管してね。火鉢とかかまどの近くには置かないで、溶けやすくなるから。あと水につけたりするのもあんまりよくないから気を付けて。それじゃ、またなにかあったら村長に言付けて」
「ええ、そうする。ありがとう」
 今日も日和は、天耀と一緒に村を回っていた。すっかり天耀の能力は村中に伝わり、依頼も安定して寄せられる。近頃では村の外から来た依頼もちらほら見え始めていた。
 丁寧にもう一度礼をしてくれた今日の依頼人に愛想よく笑顔を向けて別れた後、日和は次の依頼を確認すべく、瀚がまとめてくれた一覧表に視線をやった。
「えーっと、洪安さんちは終わった、丁墨さんちも終わった、林姜さんちも……。うん、次は……畑の灌漑の相談かな」
 瀚から渡された一覧表には、ずらりと用件が並んでいる。ほとんどが氷室氷の作成だが、中には畑の灌漑設備の相談にのってほしいというものや、井戸の整備の手伝いをしてほしいというものもある。要望は多岐に渡り、件数も村に来たばかりの頃に比べてぐんと増えた。おかげで日和と天耀はほとんど毎日山を下りる、忙しない日々だ。
 既に三件の仕事を片付け、今日はあと二件の仕事を予定している。けれど、一覧表を畳んで胸元にしまった日和は依頼人の家がある方向ではなく、逆方向に足を向けた。
「行く前にいったん休憩しよう」
 こっちだよと日和が歩き出すと、天耀もその後を追う。しかし、隣に並ぶなりひょいと抱き上げられて、日和はえーっと声を上げた。
「今日あったかいだろ? 俺必要なくない?」
 近頃はめっきり暖かくなって、日和はすっかり半袖姿だ。しかしそれは彼が温め鳥だからであって、他の村人たちはまだ薄い長袖を着ているし、天耀は相変わらず毛皮でもこもことしている。それでも天耀自身が冷気を放っているので、くっついてもひんやりとしている毛皮は心地よい。文句を言いながらも腕に収まると、天耀はぶるりと大きく身震いした。
「まだ寒い」
「体温上げる?」
「いい。それより、どこに行くんだ」
「俺の実家。あ、そこの角曲がって」
 あっちと日和が指さすと天耀は歩きだす。長躯の氷鷹と、その腕に抱かれた温め鳥の組み合わせは村の中でもすっかり馴染み始めている。通りすがる誰も氷鷹という存在にも、抱きかかえられている日和にも驚かずに挨拶や笑顔を向けてくれる。けれど、その穏やかな雰囲気にそぐわない鳥人もいる。天耀だ。
 仕事に対して文句を言わず、もくもくと作業をこなしていく彼だが、愛想はまったくない。常にそっけなく、むしろ話しかけられても気まずげに目をそらし、抱きかかえている日和で視線を遮ることもある。おかげで日和は天耀の代わりに二倍喋り、二倍愛想を振りまいていた。
(俺には最初からべったりくっついてきたくせに、すっごい人見知り)
 皆は天耀様、氷鷹様と慕うが、仕事が終わってしまえば天耀は日和を抱いて無言で佇むだけだ。顔だちは整っているが、にこりともしないどころか、鋭く輝く鷹の目は小型の種族には恐ろしく感じるときもある。そのうえ上背もあり、寡黙でほとんど口を開かない。どこか遠巻きにされてしまうのは否めなかった。
 人見知りが悪いわけではないし、愛想を振りまけと無理強いをする必要もないが、天耀も勒芳村に腰を据えているのだ。せめて最低限の交流は持った方がいいんじゃないかと考えたところで、見慣れた赤い屋根が見えた。
「天耀、あの右の赤い屋根見える? あそこが俺の実家。この時間なら多分母さんがいるから、お昼貰おう」
「……う、ん」
 頷いた天耀の長い脚が、一瞬止まった。しかしすぐに歩き出す。けれど、尻の下で組まれた手がぐっと強くなったのを日和は感じた。
 天耀はまだ日和の両親に会ったことがない。もともと年の半分以上を氷穴で過ごす日和だ。突然「氷鷹に指名されたから、今日からまた氷穴で暮らす」と言っても特に驚かれることもなかった。
 日和としては同居人が増え、安定した仕事に就いたというだけの感覚だったので両親を紹介する必要性を感じていなかったが、天耀からすれば、自分が抱え込んでいる温め鳥の親だ。なにかしら思うところがあるのだろうかと考えているうちに、実家の前についた。
「天耀、寒い? できたら下ろしてほしいんだけど」
「……大丈夫だ」
「…………手、つなぐ?」
 震えてはいないようだが、寒いなら手だけでも触れていた方がいいだろうかと軽く手のひらを掲げると、日和のそれにくらべて二回り大きな手が、むんずと日和の手を掴んだ。
「掴んだまま手あげたりするなよ。俺、釣られたみたいになるから」
「うん」
 ただ手を繋いでいるだけでも、天耀の腕がまっすぐになっているのに対し、日和の肘は曲がっている。身長差がありすぎて、手をつないだままちょっとでも腕を上げられたら転びかねないのだ。
 気を付けてと念を押しながら実家の扉を開けると、奥から母が顔を出した。 
「あら、おかえり。どうしたの、隣、だれ……あ、もしかして氷鷹? 天耀様?」
 日和も口数が多い方だが、母はもっと多い。あっという間に近寄ってくると、息子と手を繋いでいる長躯の男を見上げた。
「氷鷹の天耀様よね? 初めまして、日和の母の明花です」
 日和と同じく母の明花も雀の鳥人であるため小柄だが、はるか頭上にある天耀の目線を見上げるとにこにこと笑みを見せた。
 ところが、天耀はつないでいる日和の手を軽くぐっと握り、ほんのわずかに会釈しただけだった。
「狭いとこだけどどうぞ、……って言っても、あなたたち氷穴に住んでるんだったわね。じゃあ同じくらいだわね」
 座って座って、と促され、とりあえず天耀の手を引いて家の中に入った。実家にいる時に狭いと感じたことはなかったが、氷穴に比べると天井が低い。天耀の頭がギリギリ天井を擦らないのを見ながら日和が椅子に座ると、天耀もその隣の椅子に座った。
「この時間にうちに寄ったってことは、お昼ご飯まだなの? 大したものは出せないけど」
 明花は口もよく回るが、行動もくるくると忙しない。朝食の残りなのか汁物を温め、あらかじめ作ってあったらしい麦餅をタネから焼きながらペラペラとしゃべり、火を見ながら林檎の皮を剥きだした。
「あっ、そうだそうだ、なんだったっけ、氷室氷だっけ。あれ、いいって言うじゃない。うちにも欲しいんだけど、村長に依頼すればいいの? あれっていくらくらいするの?」
「値段が決まってるから、村長に依頼してくれたら……」
「今作ります」
「えっ」
 思わず日和が見上げた時には、もう天耀は立ち上がっていた。日和の手から離れた手をぐっと握りしめ、なぜか強張った顔をしている天耀は大股で部屋を横切ると、あっという間に出て行ってしまった。
「えっ、天耀……」
 突飛な行動に日和が尻を椅子から浮かせた状態で呆然としていると、すぐに天耀は戻ってきた。片手には、庭で使っている木桶が霜が降りた状態でぶら下がっていた。
 目を見開く母子の前でしゃがむと木桶の底をバンバンと叩き、ゴドンと重い音を立てて氷を抜いた天耀は、ずいと氷塊を明花に差しだした。
「できました」
「え、あ……これが氷室氷? すごい、本当に氷だわ。ありがとう!」
 冷たい冷たいと騒ぐ明花を、しゃがんだままの天耀はじっと見上げていた。すると、ほんの一瞬だけその鋭い金眼がはまった両目がやわらぎ、引き結ばれた口の口角がわずかにあがった。
(笑った?)
 思わず日和は目を見張ったが、天耀の表情はあっという間にいつもの仏頂面に切り替わった。
「日和」
「あ……ああ、うん」
 椅子に座らず、天耀はそのまま床に座った。あぐらをかいて日和を見上げる。すぐに察してそこに下りると、冷え切った両腕が日和を抱きしめた。
 抱いても溶けない氷にひとしきり感動した明花は、とりあえずと空いている壺の中に氷室氷を入れると、息子にしがみついている氷鷹に笑みを向けた。
「本当にありがとう、天耀様。あなたにはお礼を言わなきゃいけないことがいっぱいね。そうそう、お代は……」
「い、いいです!」
「うわっ」
 いくらかしらね、と明花が呟きかけた言葉尻をかき消す勢いで唐突に天耀が吠えた。実際は大声を出しただけだったが、その声量はすさまじく、前から抱き着いて翼であっためようかなと思っていた日和の、ちょうど天耀の口元があたっていた鎖骨にまでびりびりと響いた。
「――いい、です。お、れは……おれの、……」
 そのままもごもごと天耀はなにか言ったようだったが、あまりに小さな声で日和にさえ聞こえない。そのうち黙ってしまって、笑う明花が温まった汁物と麦餅を目の前に並べるまで、日和の肩口に顔をうずめていた。
 結局天耀は、昼食中も一切話をしなかった。かと言って明花を無視しているのではなく、時折もの言いたげに彼女を見たかと思えば、視線を下に落とし、今度は日和を見て口を少し開いたものの、結局何も言わず、出された食事を完食してようやく「ごちそうさまでした」と小さな声で言った。
「本当にお代、いいの?」
 午後も仕事がある。一息ついて、そろそろ行こうと席を立った日和につられるように天耀も立ち上がると明花が言い、そういえばと日和は氷室氷の入った壺をちらりと見た。
 氷穴にある氷室は天耀の食料も保管するからと特に報酬を払ったりはしなかったが、家族だと言っても、日和と明花は離れて暮らしている。とてつもなく高額なものというわけでもないし、天耀に支払われる報酬の一部から割り出される日和への手当てから支払ってもいいなと思って天耀を見上げた時だった。
「…………天耀?」
 天耀は、顔を強張らせていた。まだ日和と繋いでいない手をぐっと握り締めたかと思うと、その手をもう片手で包んで腹のあたりでぐっとまとめ、はくはくと二度三度口を動かした。
「――……ひよ、りのお母さん」
「はい?」
「め……明花さん」
「はい」
 なにかしらと明花がきょとんとし、何を言い出すつもりかと隣の長躯を見上げた日和は思わず目を見開いた。
 腹の前で自分の手をぐっと握っている天耀の白い耳や頬は、うっすらと赤くなっている。いつの間にか、彼の白い顔は珍しく色付いていた。
「お――お代は本当に、いいです。俺のっ……俺の方、こそ、ありがとうございます……」
 一瞬見開かれた天耀の目はすぐにどこか自信なさげに伏せられ、声もそれと同じように語尾が窄まっていく。けれどその声は最後まで日和の耳に届き、明花にも聞こえたようだった。
「あら、こちらこそありがとうございます、よ」
 前掛けで拭いた手をおもむろに伸ばすと、明花は天耀の固く握られた手に軽く触れた。
「あなたが来てくれたことはもちろんそうだけど、日和の仕事が出来たでしょう。織物とかこの子も色々頑張ってやってるけど、やっぱり気温に影響されちゃうから。だから、こちらこそありがとう。それから、これからよろしくね、天耀様」
 また食べに来て、と明花が手をぽんぽんと叩いて離す。すると、天耀は返事をする前に隣でぽかんと口を開けて自分を見ている日和をひょいと抱き上げ、鎖骨の辺りに顔をうずめた。
「…………はい」
 茶色い髪の隙間から漏れる白い耳まで、いつの間にかほんのりと赤くなっている。それを見た日和は、もしかしてと目を瞬かせた。
 天耀が勒芳村にやってきてひと月は経っていないものの、毎日一緒にいる中で、彼は人見知りなのだと日和は思っていた。だから不愛想で温め鳥の日和以外の人と馴れ合わないのだろうと考えていたが、よくよく思い起こせば、天耀は仕事が終わって礼を言われ始めるとすぐに日和を抱き上げて顔を隠していた。仕事終わりなので日和は大体されるがままに抱きすくめられながら村人と話をしたりして天耀の様子を気にすることはなかったが、もしかせずとも天耀のあの行動は、日和の温もりを求めつつ顔を隠していたのだろう。
(もしかして天耀、……すごく照れてただけ?)
 日和に抱きついている天耀からはいつもと同じように冷気が漂う。それなのに防寒のために巻いた布の隙間から見える首まで赤くなっていて、それを見た日和は自分まで体温があがるのを感じた。
「……ひよ」
「に、二……じゃない、三!」
 ちらりとあがった視線の意図をとっさにくみ取った日和は慌てて言ったが、実際は自ら体温を操作したわけではない。それなのに、天耀にもわかるほど体温があがっている。それどころか、どういうわけかどきどきと鼓動まで高鳴りだした。
(え、なんで?)
 よくわからないが自分までなぜか顔が赤くなるのを感じた日和は、天耀のように顔を隠せない代わりに、胸元に埋まった茶色い頭を抱くように顔をうずめた。
 なぜだか強く抱き合っている息子と氷鷹を前にした明花があらまと呟いたのが聞こえたが、上がった体温はなかなか下がってくれない。結局天耀が能力を使って冷気を放つまで、日和は天耀の頭を抱いて妙にむずむずする胸に「治まれ」と念じていた。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

俺の幸せの為に

BL / 連載中 24h.ポイント:4,925pt お気に入り:212

男ふたなりな嫁は二人の夫に愛されています

BL / 連載中 24h.ポイント:390pt お気に入り:134

主神の祝福

BL / 完結 24h.ポイント:404pt お気に入り:251

最推しの義兄を愛でるため、長生きします!

BL / 連載中 24h.ポイント:28,116pt お気に入り:12,899

真柴さんちの野菜は美味い

BL / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:172

悪役は静かに退場したい

BL / 完結 24h.ポイント:2,499pt お気に入り:5,290

魔物のお嫁さん

BL / 完結 24h.ポイント:319pt お気に入り:750

七人の兄たちは末っ子妹を愛してやまない

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:17,984pt お気に入り:7,953

処理中です...