あなたの命がこおるまで

晦リリ

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10.二人の毎朝

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 日和の一日は、唐突な目覚めから始まる。特に外で鶏が鳴いたりする声を聴いたりするわけではないが、陽が昇ると瞼が上がるのだ。
 今日もひんやりと冷たい氷穴でぱっと目を開けた日和は、むくりと起き上がると伸びをした。ついでに翼も開いて、寝ている間に背中にこもった熱を逃す。少し湿った背中を冷気で冷やしながら寝床から這い出た日和は、翼を畳みながら氷穴を出た。寝覚めのいい日和と違い、声をかけるまで眠っている天耀を起こすためだ。
 日中はほとんどべったりくっついている日和と天耀だが、就寝時は大丈夫だと言われ、日和は氷穴で、天耀は物置き代わりに使っていた洞穴で別々に寝ている。けれど天耀は自分からは絶対に起きてこないので、日和が起こしに行く必要があった。
「天耀、起きて」
 氷穴から出て出入り口に向けて登って行くと、やがて布がかけられた壁が見えてくる。その向こうは空間になっていて、冷気が流れ込まないようにと出入り口にかけた扉代わりの布をぱさりと開くと、洞穴の隅で毛皮や分厚い布にまみれた小山がもぞりと動いた。
「……」
 ああともううともつかない声が細く聞こえた気がしたが、小山は崩れる気配がない。まあいいかと先に氷穴を出た日和は水がめの水で顔を洗い、厨に使っている洞窟の前まで行くと火を熾した。
 今までは一人だったので、食事はおざなりだった。挽いた小麦を水で練って焼いた麦餅を数口食べることもあれば、森を散策しながら見つけた果物を食べることもあった。なんとなく食べない日もあった。けれど今は天耀がいる。昨日の菜汁の残りを氷室から出して温めながら傍らで麦餅を焼き、朝食の準備を終えたところでくるりと氷穴の方を向いた日和は、はあとため息をついた。
「天耀、ご飯だよ」
 木の盆に焼き立ての麦餅と菜汁を入れた椀を載せ、温めたばかりの鍋を持って天耀が寝起きしている穴蔵に滑り込んだ日和は、木箱をひっくり返しただけの台にそれらを置くと、そろりと小山に近寄った。
 仕事をこなすことで得られる金で天耀が真っ先に買い求めたのは、眠る時に必要な大量の布製品だった。
 とにかく寒がりな天耀だ。藁を敷き詰めた上に毛皮を置き、その上に二重三重と分厚い布をかぶせて保温性を高めた場所を寝床としており、羊毛を叩いて作られた毛布を何枚も被った中にこもるようにして眠っていた。
「天耀ー……」
 傍にしゃがみこんでそっと声をかけてみるが、小山はわずかに上下しているだけで、寝息さえも聞こえない。これだけ布をかけて保温に努めているというのに、布の山からはひんやりとした冷気が漂っていた。
(寝るときは大丈夫って言ってたけど、本当に大丈夫なのか?)
 もともとこの物置き部屋は、氷穴よりは洞窟の入り口にだいぶ近い位置にある。それなりに涼しい場所ではあるものの外気温とそれほど差があるわけでなかったのだが、天耀が寝起きしているせいか、部屋全体の気温が以前より低くなっていた。 本人がいいと言うなら無理に一緒に眠るつもりはないが、本当に大丈夫なのだろうかと考えながら、日和は分厚い毛布の端からそろりと手を差し入れた。
 ひんやりと冷たい空気をまとった毛布は心地よい。日和の体温ではすぐに熱がこもってしまうので毛布で寝ることなど滅多にないが、これに包まって寝たらさぞかし涼しくやわらかで気持ちいいだろう。束の間の冷感にうっとりしながら、もうちょっと、もうちょっとと手を奥へ進ませた日和は、やがてなにかに指先が当たったのを感じた。
「あ――うわっ」
 少しやわらかくて、冷たいもの。それが小山の主であると気付いた時には、指どころか手ごと掴まれ、同時にばさりと毛布が上がって、そのまま中にずるりと引きずり込まれた。
 カエルが瞬時に伸ばした舌で獲物を捕獲し、ぱくんと食べる映像が日和の脳裏に浮かぶ。瞬きをした一瞬のあと、目の前には薄暗い中で光る金色の双眸があった。
「おはよう」
「……」
 ほぼ全身を布団の中に引きずり込まれながらも日和は起床の挨拶をしたが、天耀は応えずにまた深く目を閉じながら、日和を腕の中にしまい込もうとした。二度寝をしようとしているのは明白だった。
「朝だよ。起きて」
「……もう少し」
「もう少しってどのくらい? 汁物もあっためたし、麦餅も焼いたのに、冷めちゃうだろ」
「…………もう少し」
「だから、どのくらいなんだってば!」
 もぞもぞと日和はもがいてみるが、腕の長さも力の強さも天耀には敵わない。温め鳥を抱き込んで暖を取り始めた氷鷹に、もう!と声を上げてみても無駄だ。天耀はすぐに寝息を立て始め、日和も冷ややかな腕に包まれている涼しさからうとうとしてしまう。
 結局二人して眠ってしまい、はっとした日和が目覚めた頃には、菜汁も麦餅もすっかり冷めきっていた。
「天耀、火焚きなおして。汁物あっためるから」
「うん――……」
 いい加減に起きろと日和が腕の中で散々喚き、ようやく起きた天耀はまだ眠そうにしている。それでも毛布を剥がして寝床から引きあげると、もそもそと動き出した。
 世間では氷鷹様などと尊敬を集めているが、毎朝がこんな風だ。特に仕事の翌日はいつまでも眠ろうとするので、無理やりにでも起こさなければならなかった。
「天耀さ、疲れてる?」
 焼きなおしたせいでもそもそと食感の悪い麦餅をちぎって菜汁につけながら、日和は思い切って聞いてみた。
 日和も天耀も、普通の鳥人とは違う体質を持っている。けれど日和は温め鳥で、出来ることと言えば自分の体温を上げることだけだ。しかし天耀は氷鷹で、その能力は自分だけでなく自然現象に干渉できる。それゆえに出来ることも多く、力の用途は幅広い。
 日和では考えつかないような疲労が蓄積しているのではと思っての質問だったが、椀を両手で持って暖を取っていた天耀は少し間を置いた後、首を横に振った。
「……大丈夫だ」
「本当に? 能力使うって疲れると思うし、仕事の量減らしてもいいと思うけど……辛くなったら言って」
「………………うん」
「おかわりいる?」
「うん」
 こんな時だけは返事が早い。はいどうぞ、と椀に温かな汁をよそってやると、天耀は湯気を立てるそれに、ふうふうと息を吹いて冷ましてから飲み始めた。温かいものが好きなのに猫舌なんだなと日和は思ったが、口には出さず、汁物の熱気と天耀の呼気の温度差でもうもうと立ち上る湯気に少し笑った。
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