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しおりを挟むつい先月も訪れた祠は目立った汚れもなく、いつも通り周囲を掃き清めると、すぐに芹は降ろされた。
祠参りではないのでとくに供え物はない。これからどうやって八尋の神域まで行くのだろうと、包みを抱えたまま芹が立っていると、清三が近くにやってきて、これを、と布に包んだものを差し出した。
「妙から、お前にと預かったんだ」
「母さまから……」
ごく小さなそれはとても軽い。なんだろうかと開くと、中には薄黄緑の布地で作られた小袋があった。
「お前の生母……さちの小袖が残っていて、それをほどいて妙が作ったそうだ」
「……ありがとうございますと、伝えてください」
もう十年も前に分かれてしまって以来、顔も見ることは出来ずにいるが、注いでもらった愛情を忘れたことはない。芹が幽閉されてから二人の弟妹を産んだと聞いていたので、そちらの世話が忙しく、自分のことなどきっと忘れてしまっているだろうと思っていたが、今でもこうして自分を案じてくれているのかと思うと、蘇芳から借りた手拭いで拭ったばかりの目頭が、また熱くなるような気がした。
手のひらに握ってしまえば見えなくなるほどのそれを大切に自分の包みの中にしまっていると、おもむろに回ってきた腕が芹を抱きしめた。
「父さ……」
「すまない、芹……お前には…お前には、辛抱ばかりさせた」
これから自分の目の及ばない場所へ旅立つ我が子を抱きしめて、清三は泣いているようだった。
「さちに、お前を頼むと言われていたのに……すまない、本当にすまない……」
清三の愛妻だったさちの忘れ形見でもある芹は、小さな頃は、よく抱っこしてもらっていた。お前は母さんによく似ていると、何度も何度も頭を撫でてもらった。そんな記憶があるから、あの家に閉じ込められても父を憎むことは出来なかった。それどころか、別れの間際に抱きしめられて、芹は安堵さえしていた。
生まれが特殊すぎて離れて暮らさなければならなかったけれど、自分は確かに愛されていた。それだけで、この十年は報われる。
「謝らないでください、父さま。この歳まで育ててもらって、俺は感謝しています」
自分までまた泣きそうになりながら絞り出した言葉は、偽りのない本心だ。
生まれてすぐ、神気が強いからという理由で鬼に襲われた芹を、放り出さずにいてくれた。もしあの時蘇芳を家に入れ、芹を護りながら育てるという選択をしてくれなければ、芹はきっと物心つくより先に、悲惨な最期を迎えていたかもしれない。それなのに、この歳まで大切に育ててもらった。おかげで芹はこうして今も生きている。なによりも感謝すべきことだ。
胸を詰まらせる感情に声を奪われてしまいそうになりながら、ありがとうございますと呟く。尚更清三の腕は強く芹を抱きしめて、苦しささえ覚えるほどだったが、それさえも最後になってしまうのだと思うと、痛みは感じなかった。
しばらく抱き合って、互いに呼吸が落ち着いた頃、ようやく腕が離れ、芹は目尻を濡らしながら、父と向かい合った。
「…あちらへ行っても、元気で過ごすんだぞ」
「はい。父様も、お元気で」
最後の言葉は短かった。
深く深く礼をして、さっと背を向けた。振り返らず、戸の前で芹を待っている蘇芳に歩み寄る。赤くなった目元を見ると蘇芳は痛ましげに目を細めたが、なにも言わず、祠の戸を引いて、芹を促した。
「百数える間、何人たりともこの戸を開けませぬよう」
「わかった。……蘇芳、芹を頼んだぞ」
芹のあとについで祠に入ってきた蘇芳の声に、少し擦れた清三の声が応じる。振り返ってしまいそうなのを堪えていると、ばたんと戸が閉まる音がして、祠の中がほの暗くなった。
祠には窓が一切ないが、奥に設置された御神体が奉納されている扉の左右には、すでに油が入れられ、火が燈る灯台が置かれている。その炎をぼんやりと見ていると、突然その日がすうと細く長くなったかと思うと、今度はぶわりと丸くなり、もう一度細くなり、ゆらりと揺らめいて、普段通りの人差し指程度の大きさに戻った。
「準備が出来たようです。行きましょうか」
「ここから、行くの?」
「そうです」
蘇芳の手が、観音開きの扉を左右に開く。すると、そこには段の上に乗った皿のような御神体が見えた。
芹が七つになった歳、いつお迎えが来るかもわからないから心構えのためにもお前にも見せた方がいいかもしれないと、祠参りの時に一度だけ、御神体を見せてもらったことがあった。
専用にあつらえたという木の台座に乗り、神棚に奉納されているのは皿のような円状のものだった。
半透明の薄い青が美しいそれを渡され、落とさないようにと気を付けて手に持つと、それはいっそうきらきらと光り輝いていた。上等な鏡か、磨き上げた皿か、それとも玻璃を薄くしたものか。正体はわからず、清三も知らないようだったが、その美しさは今でもよく覚えている。
あの日のまま美しいそれは、自ら光を放ってぼんやりと輝いていた。
「行きましょうか」
「ど、どうやって?」
扉の奥には御神体しかない。その向こうに抜け穴などないし、御神体の向こうは真っ暗な壁だ。
「この奥です。…荷物を落とさないように、しっかり抱いていてください」
「えっ、わっ」
荷物を抱えたままの芹を軽く抱き上げて、蘇芳は体をかがて神棚への段を登ったかと思うと、御神体を跨いで、その背後の壁にずいと寄った。
ぶつかる、と芹が思ったのは一瞬だった。慌てて目をつぶる。
思わず体を竦めた芹の体を蘇芳のしっかりとした腕が抱きなおして、二人は壁の闇の中に溶けるようにするりと消えた。
あとには、穏やかに揺らめく灯台の小さな炎が二つと、光を放つのをやめてなお、闇の中できらきらと輝く御神体だけが残された。
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