花と娶らば

晦リリ@9/10『死に戻りの神子~』発売

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 さやさやと風が吹くたびに、まくり上げた紗の裾がはたはたと揺れている。それを落ち着かない風情でちらちらと見上げては千茅の顔と見比べている小さな蛟を見ながら、芹は急遽持ってこられた脇息に肘を預けていた。
 千茅が大騒ぎで黒縒を呼びに行ってすぐうたた寝から目覚めた蘇芳は芹を抱きしめてしばらく離さずにいたが、苦しさに芹が小さく咳をすると、慌ててその腕を解いた。
 聞きたいことは山ほどあったが、すぐに黒縒がやってきて芹を検分し始めたため、それは叶わなかった。
 頭に触れ、目を覗き込み、脈を数え、じっと芹を見た黒縒は、首をひねりながら、もう大丈夫だと言った。そうして芹の左側には蘇芳、新たに紗を巻き上げた右側には黒縒と千茅が座った。
 誰もが口を利かない中、小さな青玻だけが元気に動き回り、キュイキュイと高い声で鳴きながら芹の周りを回ってみたり、千茅の腕に巻きついたりしていた。
「…あー……、まずはだな…。芹、違和感などはないか」
 うららかな昼下がりに似つかわしくない沈黙を破ったのは、黒縒だった。
「違和感は…」
 どれだけ眠っていたのかはわからないが、少しだけ喉が渇いていた。あとは特になにもない。ただ、ぐっと体を伸ばしたら、ぱきぱきといろんな箇所の骨が鳴りそうな感じはしていた。
「仔細でなくとも良い」
「…喉が少しからからする程度です」
「寝覚めだからな。よい、白湯を持ってこさせよう」
 黒縒が言うなり部屋の外に墨染でも控えていたのか、足音が遠ざかって行った。
「他にはないか」
「いえ、なにも…」
 本当に、違和感はない。もしや、一昼夜眠った程度なのではというほどだ。様子を問われて逆に困惑していると、助け舟が渡された。
「短い間だと、意外と違和感はないんだよ。さすがに何年も寝ていたらくらくらするから、しばらくは立てないけど…」
「そうなのか?」
「眠っていた僕が言うんだから信じて。それより、…初めまして、でいいのかな、芹さん。僕は千茅といいます。このたびは本当にご迷惑をおかけしました」
 腕に絡みついていた青玻を解いた千茅は、居住まいを正すと両手を床に付き、深々と頭を下げた。すると隣にいた黒縒も手を付きはしないまでも、胡坐をかいた膝の上に手を乗せ、頭を垂れた。
「俺からも深謝しよう。必死であったとはいえ……済まない事をした」
 寝起きで少しばかり頭がぼんやりしているとは言え、二人に頭を下げられた芹はさすがに慌てて脇息にもたれていた体を起こそうとしたが、すぐに顔をあげた千茅が、どうかそのままでと宥めた。
「芹さんには本当に悪いことをしたと思ってる。だから、許さなくてもいいです、……黒縒は、僕のためにそれだけのことをしてしまいまったから」
 すみません、ともう一度千茅は頭を下げた。
 本来ならば、芹は怒っていいのだろう。人の人生を何だと思っている、神ならば何をしてもいいのかと食ってかかっても許されたはずだ。
 けれど今は不思議と怒りはなく、ただ現状がわからないことだけが不安だった。
「それより……俺が眠って、どのくらい経ったんですか」
 体感的には、少し寝過ぎたかなという程度だ。それこそ、半日程度眠ってしまったような感じだった。
「お前が眠って、ああ…もうじき半年になるところだったか」
「そうだね、五か月と少しくらいだから」
「そんなに…」
 少し夢を見て、少し寝過ぎた程度で半年も経っていたとは思わず絶句する。これでは、三年でも四年でも、一瞬で過ぎてしまいそうだった。
「眠っていると一瞬だよね。僕もそうだった。ちょっと寝過ごした時なんて、四十年も経っててびっくりした」
 からからと千茅は笑うが、その間の黒縒の苦悩を聞かされているだけに笑えなかった。
「…でも、芹さんのおかげで、僕はどうしてもやりたかったことを達成できた。だから、すごく感謝もしてる。本当にありがとう、あなたのおかげで、僕は青玻を産んでやれた」
 そう言って千茅はキュウキュウと鳴きながら腕に絡みついてくる青玻の小さな頭を撫でた。その光景を見ていた黒縒も、さっきと同じようにまた頭を下げた。
「これについても、俺からも礼を言おう。隠されていたとはいえ、嫡子を授かることが出来たのは、お前の神気のおかげだ。それがなければ、千茅はもう百年は眠っていたかもしれない」
 深々と頭を下げる黒縒の真似をしてか、青玻もちょこんと頭を下げる。その様子は微笑ましかったが、同時に芹の首を傾げさせた。
「青玻、様? …を、千茅様が産んだんですか…?」
 どう見ても青玻は蛟で、千茅は少年だ。両性であるとは聞いていたが、まさか人間以外のものを産んだのかと驚いていると、なにを今更と黒縒が苦笑した。
「お前が親しくしている、志郎のところの穂摘もそうだろう。あれの子は蛙だ」
「あっ……」
 言われてみればそうだ。本格的に寝ぼけているなと恥ずかしくなったところで、墨染が不意に現れて、急須と湯呑みの載った盆を置いて行った。
「……どうぞ」
 それまで口を閉ざしていた蘇芳が茶を入れ、差し出してくる。受け取ったそれを傾けると、乾いた口腔に温かな茶が馥郁とした香りと共に染み渡った。飲み始めると思っていた以上に喉が渇いていたのか、あっという間に一杯を飲み干し、注いでもらった二杯目の半分までを飲むと、ようやくほっと息をついた。
「落ち着いたか」
「はい…」
 人心地ついた芹の手から湯呑みが取られ、盆の上にことりと置かれる。
 先ほどからほとんどしゃべらない蘇芳は、芹と一瞬視線が合うと、正座をした膝の上についている手をぎゅっと握り、顔を俯けた。
 不意にしんと落ちた沈黙が、妙な心地の悪さを連れてくる。きゅんきゅんと鳴いていた青玻も、いつのまにか千茅の懐に入り、襟ぐりから顔だけを出してうとうととしていた。
 咄嗟に声をあげたのは、千茅だった。
「ええと……芹さん。もしまだ起きていられそうなら、その……黒縒をかばうわけじゃないんだけど、今回の件は本当に僕が一番の発端で…、それを話させてほしいんだけど…体調は大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
 お茶を飲んだせいか、体の内側からじんわりと水が染み込んでいく感覚がする。それと同時に眠気が薄く漂っていた意識も明るくなり、先ほどまでは半ばもたれるようにしていた脇息にも、肘を置く程度で体勢を維持できるようになっていた。
 芹が頷くと、千茅はほっとしたように破顔する。そして、それじゃあと涼やかな声で語り始めた。
 二百年近くも前に遡る話を、本来ならば百年生きることが珍しい人間が話す。そんな不思議を目の当たりにしながら、芹は千茅の話に耳を傾けた。


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