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巣ごもりオメガと運命の騎妃
57.出立
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ミシュアルとイズディハールがドマルサーニを発ったのは、サリム奪還を終え、メラに戻ってから三日後のことだった。
見送りに来たのはハイダルとディーマだけだったが、サリムとは昨日顔を合わせることができた。
ハイダルの私室で静養しているというので会いに行くと、サリムは寝台にいて、高く積んだクッションに背をもたれさせて座っていた。すっかり髪が短くなってしまった頭は枕に預けられたままだったが、微笑んでミシュアルたちを迎えてくれた。
「最後に会えてよかった」
少し話をしたあと、そう呟いた友人の姿にミシュアルは涙ぐんでしまったが、また手紙を送ると約束した。
(きっと体調もすぐに良くなる。ハイダル殿下とディーマ様との板挟みもどうにかなったようだし……)
今後、ハイダルが即位したあかつきにはサリムが皇妃になるということも聞いている。
まだ日程は決まっていないが、即位の時にはまた招待させてほしいと言われ、ミシュアルの涙腺は結局決壊した。
「お祖母様の理解は得られなかったが……時間をかけてでも、少しずつ歩み寄れたらと思う。それがお祖父様の遺言でもあるから」
すっかり迷いを捨てたような顔で言うハイダルに、ミシュアルはいつかそんな和解の日が来ればいいと心の底から願った。
何十年も頑なだったディーマの心を溶かすのは簡単なことではないはずだが、今はもうスハヤどころかシラージュもいない。そんな中で、ディーマの心がどう動いていくのか――歩み寄っていけるのか、生涯拒絶し続けるのか、今はまだ誰にもわからない。きっとディーマ自身にもわからないだろう。
(それでも、良い方向に向かってくれたらいい。長い時間がかかっても……)
選ぶ先のすべてが悪路なわけではないはずだ。ディーマがこれから選ぶ道が、良いものであることをミシュアルは祈った。
だからこそ翌日の出立時、ミシュアルは見送りに現れたディーマの行動に驚きを隠せなかった。
ハイダルとの別れの挨拶を終えた二人が馬車に乗り込み、窓を開けて別れを惜しもうとした時だった。
「ちょっと待ってちょうだい」
突然ディーマが見送りの一団から馬車へ歩み寄った。驚いたミシュアルは馬車から降りようとしたが、そのままでと制された。
いつも通り華奢な背中を凛とただした彼女は足早にやってくると、窓から顔を出したミシュアルを見上げた。
「ミシュアルさん」
「は、はい」
まさか声を掛けられると思っていなかったミシュアルは緊張に声を震わせたが、ディーマはふうと一息つくと、おもむろに話し始めた。
「出立前に、これだけ……。ハイダルにはまだ言っていないけれど、私はこれから隠居する予定です」
「妃殿下……」
突然の言葉に、頭が追い付かない。それでも頭を巡らせたが、どうしても考えは穿ったものになってしまう。
まさかサリムが皇妃になることをそこまで拒否したいのか。もしくはハイダルへの抗議のつもりなのか――そんなことを考えてしまったミシュアルは思わず呟いたが、反してディーマは穏やかな顔で軽く首を振った。
「悪い風には思わないでほしいの。……今回のことで、色々考えたわ。本当はどんな風に生きたかったか、これからどんな風に生きたいか。けれど、ここにいては他に考えなければいけないことも多い。だからここを……メラをしばらく離れようと思っています。もしかしたら、もう戻らないかもしれません。けれど、あなたたちはあの子と……あの子たちと、これからも仲良くしてほしいの。同じ境遇の友人を得るのはとても難しいことで、得難いものだから」
お願いできるかしら、とディーマは言った。いつも居丈高な彼女とは思えないほど、弱い声だった。
まさか懇願されるとは思っていなかったミシュアルはぼうっとしてしまったが、向かいに座ったイズディハールがうなずいたのが視界の端に映り、はっと我に返った。
「もちろんです。ハイダル殿下はイズディハール様の無二の親友です。サリム殿もおれ……私の友人になってくれました。お二方とも、かけがえのない友人です。今までも、これからも」
ディーマと同じように声を抑えてミシュアルが言うと、イズディハールも向かいで微笑んだ。
するとディーマはどこか眩しいものを見るように目を細めて二人を見上げた。
「ありがとう、そう言ってもらえると安心するわ。――……それから、最後になったけれど。……孫たちを助けてくれたこと、祖母として……深く感謝します。ぜひまたお越しになって。ドマルサーニは良き友人の来訪をいつでも歓迎します」
お辞儀をしたディーマは、礼法のお手本のように美しい所作で顔をあげた。年老いてなお若いころを思わせる美貌は相変わらず怜悧だったが、その表情に険はない。穏やかに微笑んで、ディーマはそっとハイダルたちのもとへ戻った。
角笛が鳴らされ、先頭の馬車の御者が鞭を振り上げる。手を振るハイダルと軽く手を掲げるディーマに目礼したところで、ミシュアルたちが乗った馬車も動き出した。
そうして、ミシュアルたちは長い滞在となったドマルサーニを発った。
見送りに来たのはハイダルとディーマだけだったが、サリムとは昨日顔を合わせることができた。
ハイダルの私室で静養しているというので会いに行くと、サリムは寝台にいて、高く積んだクッションに背をもたれさせて座っていた。すっかり髪が短くなってしまった頭は枕に預けられたままだったが、微笑んでミシュアルたちを迎えてくれた。
「最後に会えてよかった」
少し話をしたあと、そう呟いた友人の姿にミシュアルは涙ぐんでしまったが、また手紙を送ると約束した。
(きっと体調もすぐに良くなる。ハイダル殿下とディーマ様との板挟みもどうにかなったようだし……)
今後、ハイダルが即位したあかつきにはサリムが皇妃になるということも聞いている。
まだ日程は決まっていないが、即位の時にはまた招待させてほしいと言われ、ミシュアルの涙腺は結局決壊した。
「お祖母様の理解は得られなかったが……時間をかけてでも、少しずつ歩み寄れたらと思う。それがお祖父様の遺言でもあるから」
すっかり迷いを捨てたような顔で言うハイダルに、ミシュアルはいつかそんな和解の日が来ればいいと心の底から願った。
何十年も頑なだったディーマの心を溶かすのは簡単なことではないはずだが、今はもうスハヤどころかシラージュもいない。そんな中で、ディーマの心がどう動いていくのか――歩み寄っていけるのか、生涯拒絶し続けるのか、今はまだ誰にもわからない。きっとディーマ自身にもわからないだろう。
(それでも、良い方向に向かってくれたらいい。長い時間がかかっても……)
選ぶ先のすべてが悪路なわけではないはずだ。ディーマがこれから選ぶ道が、良いものであることをミシュアルは祈った。
だからこそ翌日の出立時、ミシュアルは見送りに現れたディーマの行動に驚きを隠せなかった。
ハイダルとの別れの挨拶を終えた二人が馬車に乗り込み、窓を開けて別れを惜しもうとした時だった。
「ちょっと待ってちょうだい」
突然ディーマが見送りの一団から馬車へ歩み寄った。驚いたミシュアルは馬車から降りようとしたが、そのままでと制された。
いつも通り華奢な背中を凛とただした彼女は足早にやってくると、窓から顔を出したミシュアルを見上げた。
「ミシュアルさん」
「は、はい」
まさか声を掛けられると思っていなかったミシュアルは緊張に声を震わせたが、ディーマはふうと一息つくと、おもむろに話し始めた。
「出立前に、これだけ……。ハイダルにはまだ言っていないけれど、私はこれから隠居する予定です」
「妃殿下……」
突然の言葉に、頭が追い付かない。それでも頭を巡らせたが、どうしても考えは穿ったものになってしまう。
まさかサリムが皇妃になることをそこまで拒否したいのか。もしくはハイダルへの抗議のつもりなのか――そんなことを考えてしまったミシュアルは思わず呟いたが、反してディーマは穏やかな顔で軽く首を振った。
「悪い風には思わないでほしいの。……今回のことで、色々考えたわ。本当はどんな風に生きたかったか、これからどんな風に生きたいか。けれど、ここにいては他に考えなければいけないことも多い。だからここを……メラをしばらく離れようと思っています。もしかしたら、もう戻らないかもしれません。けれど、あなたたちはあの子と……あの子たちと、これからも仲良くしてほしいの。同じ境遇の友人を得るのはとても難しいことで、得難いものだから」
お願いできるかしら、とディーマは言った。いつも居丈高な彼女とは思えないほど、弱い声だった。
まさか懇願されるとは思っていなかったミシュアルはぼうっとしてしまったが、向かいに座ったイズディハールがうなずいたのが視界の端に映り、はっと我に返った。
「もちろんです。ハイダル殿下はイズディハール様の無二の親友です。サリム殿もおれ……私の友人になってくれました。お二方とも、かけがえのない友人です。今までも、これからも」
ディーマと同じように声を抑えてミシュアルが言うと、イズディハールも向かいで微笑んだ。
するとディーマはどこか眩しいものを見るように目を細めて二人を見上げた。
「ありがとう、そう言ってもらえると安心するわ。――……それから、最後になったけれど。……孫たちを助けてくれたこと、祖母として……深く感謝します。ぜひまたお越しになって。ドマルサーニは良き友人の来訪をいつでも歓迎します」
お辞儀をしたディーマは、礼法のお手本のように美しい所作で顔をあげた。年老いてなお若いころを思わせる美貌は相変わらず怜悧だったが、その表情に険はない。穏やかに微笑んで、ディーマはそっとハイダルたちのもとへ戻った。
角笛が鳴らされ、先頭の馬車の御者が鞭を振り上げる。手を振るハイダルと軽く手を掲げるディーマに目礼したところで、ミシュアルたちが乗った馬車も動き出した。
そうして、ミシュアルたちは長い滞在となったドマルサーニを発った。
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