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巣ごもりオメガと運命の騎妃
17.会議のあとで
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背後で扉が閉められたとたん、肩の力を抜いたのはミシュアルだけではなかった。
深く大きなため息をついたイズディハールは彼らしくなく荒い所作でベッドに体を放るように座り、またため息を吐いた。
「陛下……イズディハール様、お水を」
「……ああ、すまない」
ミシュアルも緊張と疲労で喉がカラカラだ。テーブルの上に用意されていた水差しから水をもらってゴブレットを差し出すと、イズディハールはそれを一気に飲み干し、小さな声で唸った。
「タルハめ……」
ふたりきりとは言え、イズディハールが悪態をつくなど珍しいことだ。
よほど腹に据えかねたのだろう。イズディハールの怒りは怒りは燃え尽きず燻ぶったままだった。
「国庫がひっ迫するたびにドマルサーニの援助を受けておきながら、あの言い分……人身売買についても、何度言えばわかるのか。やはりあの場でもっと突いておくべきだったか」
「まだなにかあったんですか?」
会議に慣れていないミシュアルからすれば、ひどく緊迫した時間に思えたし、これほどまでに責めるのかと驚きもした。しかしイズディハールは怒り冷めやらぬといった様子でゴブレットに手ずから水をそそいでまたもや一気に飲むと、疲れたように深く息を吐いた。
「ああ。……本当はこんなことはしたくなかったが……今回、ミシュアルを臨席させたのは、タルハ大公に圧を加えたかったんだ」
「圧?」
「同盟主であるナハルベルカの王の王伴となるオメガや、同じようにオメガであるドマルサーニ皇太子妃を前に、オメガの売買組織への関与をほのめかすようなことは言えないだろう……と思ったんだがな。見通しが甘かった」
「売買に公国が関与してるんですか!?」
突然のきな臭い話に思わず声を上げたミシュアルは、あわてて扉の方を見た。
室内にはふたりしかいないが、外には護衛が控えている。ここがナハルベルカでない以上、友好国のドマルサーニ国内であってもあまり大きな声で話していい内容ではない。
思わず自分の手のひらで口を覆ったミシュアルに、イズディハールは少しばかり怒りの温度を下げたようだった。苦笑してゴブレットをテーブルに置くと、ミシュアルの肩にもたれた。
「……会議でも触れたが、サマネヤッド同盟領内での人身売買の現状は知っているか?」
「歴史上のものだと思っていました。今でもそんなに大々的に行われているんですか? ……申し訳ありません、あまり……そういうことを知らずに育ったので」
ミシュアルは貴族の出身で、生まれた時から家には護衛や召使いがいるような恵まれた生活をしている。オメガだとわかってからはなおさら家に引きこもっていたので、家の外で起きていることに気付かなかったと自分の無知を恥じたが、いいやとイズディハールは首を振った。
「サマネヤッド同盟領内ではもうだいぶ前から規制する動きが広まっていて、ロカム公国以外では人身売買自体を取り締まる法律もある。ナハルベルカは特に規制を強めてきた。だから、人身売買自体を知らない国民がいることは、我が国がその脅威から遠いということでもある。誇らしいことだ。……だが、同盟領内で売買自体がないわけではない。大きいところだと、ナハラの手という組織もある」
「ナハラの手……」
まるで知らないことばかりだ。
イズディハールは脅威を知らずにいたことを喜んでくれたが、このままではいけないと、ミシュアルの胸には焦りが浮かんだ。
守られる国民の一人ではなく、王の隣に立つ者にならなければならない。そのためには、知識も経験も足りなさすぎる。
(本当なら、ナハルベルカでも会議に参加したり見学させてもらうべきだった。きっと、王伴はそうあるべきだ。今日のような会議でも、サリム殿も場慣れていたようだったし……)
厳密にはまだ王妃と同地位である王伴ではないが、イズディハールと将来を誓い合った仲だ。いずれその地位にあるべき言動を求められる。そのために今からでも動かねばと決意していると、黙り込んだミシュアルに何を思ったのか、腰に回した手でぽんと叩かれた。
「心配はいらない。ナハルベルカでやドマルサーニでは重罪が課せられるし、今回の会議で他の国にも援助することを明言した。公国もこれ以上悪あがきはしないだろう。ナハラの手は本拠地を持たずに一つ所にとどまらないのが厄介だが、同盟で団結して囲い込めば、撲滅の日はやがて来る」
ミシュアルの懸念は違う場所にもあったが、イズディハールがそう言ってくれるならこれほど心強いことはない。
「そうですね。同盟が手を取り合ったなら、きっと成されると思います」
王伴としてのあるべき姿は自分自身が日ごろから心がけていくとして、オメガの売買がなくなることは当事者であるミシュアルとしても嬉しいことだ。
ミシュアルが破顔すると、イズディハールの眉間に深く刻まれていた皺もやわらぐ。どこかピリピリとしていた空気もゆるんで、そうだとイズディハールの声も明るく切り替わった。
「会議は今日で終わったんだ。明後日は少し会議が入っているが、明日はまとまった時間がとれる。一緒に街をまわろう。サリム殿と色々出かけたんだろう? 案内してくれないか」
「なら、布市場に行きませんか。出来たばかりの市場で、すごく綺麗だったんです」
イズディハールの笑顔で、ミシュアルの心もぱっと明るくなる。
課題は山積しているし、あれこれ悩むことや焦ることもあるが、それらは一気に片づけられるような簡単な問題でもない。
今までならひとりで抱え込み、どうしようもないと諦め嘆いていたかもしれない。けれど今は、イズディハールが隣にいる。彼の隣で日々を重ね、悩みも不安も少しずつ解いていけばいいのだ。
胸の奥につかえていたものが溶けていくのを感じながら、ミシュアルは明日の予定を立てるべく、乾いた喉を潤す一杯をゴブレットに注いだ。
深く大きなため息をついたイズディハールは彼らしくなく荒い所作でベッドに体を放るように座り、またため息を吐いた。
「陛下……イズディハール様、お水を」
「……ああ、すまない」
ミシュアルも緊張と疲労で喉がカラカラだ。テーブルの上に用意されていた水差しから水をもらってゴブレットを差し出すと、イズディハールはそれを一気に飲み干し、小さな声で唸った。
「タルハめ……」
ふたりきりとは言え、イズディハールが悪態をつくなど珍しいことだ。
よほど腹に据えかねたのだろう。イズディハールの怒りは怒りは燃え尽きず燻ぶったままだった。
「国庫がひっ迫するたびにドマルサーニの援助を受けておきながら、あの言い分……人身売買についても、何度言えばわかるのか。やはりあの場でもっと突いておくべきだったか」
「まだなにかあったんですか?」
会議に慣れていないミシュアルからすれば、ひどく緊迫した時間に思えたし、これほどまでに責めるのかと驚きもした。しかしイズディハールは怒り冷めやらぬといった様子でゴブレットに手ずから水をそそいでまたもや一気に飲むと、疲れたように深く息を吐いた。
「ああ。……本当はこんなことはしたくなかったが……今回、ミシュアルを臨席させたのは、タルハ大公に圧を加えたかったんだ」
「圧?」
「同盟主であるナハルベルカの王の王伴となるオメガや、同じようにオメガであるドマルサーニ皇太子妃を前に、オメガの売買組織への関与をほのめかすようなことは言えないだろう……と思ったんだがな。見通しが甘かった」
「売買に公国が関与してるんですか!?」
突然のきな臭い話に思わず声を上げたミシュアルは、あわてて扉の方を見た。
室内にはふたりしかいないが、外には護衛が控えている。ここがナハルベルカでない以上、友好国のドマルサーニ国内であってもあまり大きな声で話していい内容ではない。
思わず自分の手のひらで口を覆ったミシュアルに、イズディハールは少しばかり怒りの温度を下げたようだった。苦笑してゴブレットをテーブルに置くと、ミシュアルの肩にもたれた。
「……会議でも触れたが、サマネヤッド同盟領内での人身売買の現状は知っているか?」
「歴史上のものだと思っていました。今でもそんなに大々的に行われているんですか? ……申し訳ありません、あまり……そういうことを知らずに育ったので」
ミシュアルは貴族の出身で、生まれた時から家には護衛や召使いがいるような恵まれた生活をしている。オメガだとわかってからはなおさら家に引きこもっていたので、家の外で起きていることに気付かなかったと自分の無知を恥じたが、いいやとイズディハールは首を振った。
「サマネヤッド同盟領内ではもうだいぶ前から規制する動きが広まっていて、ロカム公国以外では人身売買自体を取り締まる法律もある。ナハルベルカは特に規制を強めてきた。だから、人身売買自体を知らない国民がいることは、我が国がその脅威から遠いということでもある。誇らしいことだ。……だが、同盟領内で売買自体がないわけではない。大きいところだと、ナハラの手という組織もある」
「ナハラの手……」
まるで知らないことばかりだ。
イズディハールは脅威を知らずにいたことを喜んでくれたが、このままではいけないと、ミシュアルの胸には焦りが浮かんだ。
守られる国民の一人ではなく、王の隣に立つ者にならなければならない。そのためには、知識も経験も足りなさすぎる。
(本当なら、ナハルベルカでも会議に参加したり見学させてもらうべきだった。きっと、王伴はそうあるべきだ。今日のような会議でも、サリム殿も場慣れていたようだったし……)
厳密にはまだ王妃と同地位である王伴ではないが、イズディハールと将来を誓い合った仲だ。いずれその地位にあるべき言動を求められる。そのために今からでも動かねばと決意していると、黙り込んだミシュアルに何を思ったのか、腰に回した手でぽんと叩かれた。
「心配はいらない。ナハルベルカでやドマルサーニでは重罪が課せられるし、今回の会議で他の国にも援助することを明言した。公国もこれ以上悪あがきはしないだろう。ナハラの手は本拠地を持たずに一つ所にとどまらないのが厄介だが、同盟で団結して囲い込めば、撲滅の日はやがて来る」
ミシュアルの懸念は違う場所にもあったが、イズディハールがそう言ってくれるならこれほど心強いことはない。
「そうですね。同盟が手を取り合ったなら、きっと成されると思います」
王伴としてのあるべき姿は自分自身が日ごろから心がけていくとして、オメガの売買がなくなることは当事者であるミシュアルとしても嬉しいことだ。
ミシュアルが破顔すると、イズディハールの眉間に深く刻まれていた皺もやわらぐ。どこかピリピリとしていた空気もゆるんで、そうだとイズディハールの声も明るく切り替わった。
「会議は今日で終わったんだ。明後日は少し会議が入っているが、明日はまとまった時間がとれる。一緒に街をまわろう。サリム殿と色々出かけたんだろう? 案内してくれないか」
「なら、布市場に行きませんか。出来たばかりの市場で、すごく綺麗だったんです」
イズディハールの笑顔で、ミシュアルの心もぱっと明るくなる。
課題は山積しているし、あれこれ悩むことや焦ることもあるが、それらは一気に片づけられるような簡単な問題でもない。
今までならひとりで抱え込み、どうしようもないと諦め嘆いていたかもしれない。けれど今は、イズディハールが隣にいる。彼の隣で日々を重ね、悩みも不安も少しずつ解いていけばいいのだ。
胸の奥につかえていたものが溶けていくのを感じながら、ミシュアルは明日の予定を立てるべく、乾いた喉を潤す一杯をゴブレットに注いだ。
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