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本編
毒花姫は竜公爵の本心を知る
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エメラティーナが公爵家ですることといっても、さほどない。
しかしレキュロスが自宅で仕事をするときのみ、必ず執務室のソファで待機することが決まっていた。
曰く、「そばにいないと落ち着かない」ということらしい。
エメラティーナとしてはやることもないし、レキュロスがいなかったとしても部屋で本を読んだり刺繍をしたりしているだけなので、行動は別に変わらないのだ。そのため、レキュロスの言うことを二つ返事で了承した。
何より、執務中のレキュロスを眺めているのが幸せなのだ。
執務中は眼鏡をかけているのだが、それがまたかっこいい。髪を時々耳にかける瞬間とか、視線が文字を追っているのだとか、そう言うのを見ていると、言い知れず幸せになるのである。
思えばエメラティーナは、離宮にこもっていたときから何かをじっと眺めるのが好きだった。それしかすることがなかったというのもある。
されどじいっと見つめていると、小さな変化が見えて楽しいのだ。
それはたとえば、植物だったり、虫だったり。月日を重ねるごとにじわじわと成長していく姿を見ていると、なんだか心が和んだ。
それは大抵エメラティーナにとって害を与えないものであり、彼女が好きなもの。それ以外を見つめていると嫌がられることは知っているため、そういうときは目を逸らすのだ。
ユリアのことも眺めたりするが、彼女は本当にくるくると動き回るため忙しなく、エメラティーナの心も楽しくなった。
レキュロスはユリアほどではないが、小さな変化がある。
エメラティーナはそれを眺めながら、レキュロスの手伝いをする時間が好きだ。
エメラティーナはふと本から顔を上げ、レキュロスを見る。そしてハッと気づいた。
(あ、レキュロス様の珈琲がなくなってる……新しく淹れてもらわないと)
エメラティーナはそっと呼び鈴を鳴らした。数分せずやってきたユリアに、レキュロスの珈琲とエメラティーナの紅茶を頼んだ。
頼み終えると、再びソファに座る。
その後もエメラティーナは、溜まったゴミを捨てたりインクを足したり、小さな雑務を読書の合間におこなっていった。そのたびに、レキュロスは微笑みながら「ありがとう」と言ってくれるのである。
こんな些細なことなのに、そうやって気を遣ってくれるレキュロスは、エメラティーナにはもったいないほど良い旦那様だった。少なくともエメラティーナはそう思う。
普段ならばこのままお昼に入り、またレキュロスとともに昼食を取るのだが、今回は違った。
レキュロスの執事が「お客様がいらっしゃいました」と告げてきたのである。
「……客ですか?」
そして当のレキュロスも、その客が誰なのか分かっていないようだった。
しかし名前を聞くと、瞬時に顔を歪める。
「……なんできたんだあいつは」
そして、エメラティーナが聞いたことがないほどドスの効いた声でそうつぶやいた。エメラティーナは思わずびっくりしてしまう。
(え、レキュロス様?)
エメラティーナがレキュロスを見ると、彼はハッとし直ぐに破顔する。
「エメラティーナ、すみません。今日の昼食は、わたしの友人と一緒でも良いですか?」
「え……あ、の……」
「ああ、大丈夫です。相手も竜人ですから。あなたに触れたとしても、問題ありませんよ」
「は、はい。ならば……大丈夫です」
エメラティーナは不安になりながらも、こくりと頷いた。ここの家主はレキュロスだ。彼が決めたことなら、従う義務が妻にはある。
ただ本音を言うと、あまり会いたくなかった。相手がレキュロスの友人だと言うのだから、エメラティーナのことを蔑ろにしたりはしないだろうが。
不安がっていたのがレキュロスには伝わったのだろう。彼は苦笑し、エメラティーナの頭を撫でた。
「エメラティーナ、大丈夫です。わたしがいますから」
「……はい」
「だから、笑って。エメラティーナには笑顔が似合う」
「……はいっ」
エメラティーナは、不安な気持ちを打ち消すように笑みを浮かべた。それはとても拙い笑みだったろう。しかしレキュロスはそんなエメラティーナを抱き締め、ポンポンと頭を撫でてくれた。
少し落ち着いてから、レキュロスに連れられエメラティーナはダイニングルームに降りる。
ダイニングルームの椅子に座っていたのは、赤い髪をした男だった。
長く伸びた赤い髪は特に整えているわけでもなさそうなのに、なんだか似合っている。
顔も中性的なのだが、態度のせいか男らしく見えた。
しかも、座っている態度がなかなかひどい。膝に片足を乗せ、半分あぐらをかくような、そんな座り方をしていた。体も大きいため、その姿は余計に威圧めいている。
しかし彼は見た目に反して、にっと歯を見せて笑った。そしてひらひらと手を振る。
「よ、レキュロス。そっちがお前の花嫁さん?」
「……ええ、そうです。イェレク」
「……初めまして、イェレク様。エメラティーナと申します」
エメラティーナは、スカートの裾を摘まみ上げると礼を取った。
するとイェレクは、からりと笑う。それはなんとも言えずさっぱりとしたものだった。少なくともそこには、エメラティーナに対する嫌悪も彼女を嘲笑う意味もこもっていない。
「あはは! こりゃ上玉だ! レキュロスが夢中になっちまうのも仕方ないな」
「……何しに来たんですかほんと」
「何って、レキュロスが大事に大事に愛でてるお姫様を見に来たんだよ。お前ほどのやつが囲ってんだ。気にもなるだろ?」
「あ、あの……?」
エメラティーナは困惑した。言っていることがよく分からなかったのだ。
しかしレキュロスはイェレクの言葉を聞くと、ため息を漏らす。
「うちの妻は、外も人も苦手なんです。彼女の祖国での扱いくらい、お前も知っているでしょう。そんなエメラティーナを無理強いするのは嫌なのですよ。彼女は見せ物じゃありませんから」
「はいはい、分かった分かった。お前が花嫁さんのことをすごく考えていることは分かった。王が見たらぶったまげるだろうなー」
「……これ以上アホなことを言うようなら、外に放り投げますが?」
「ごめんなさいご飯食べさせてください」
レキュロスは、昼食の催促をするイェレクを見てため息をもらした。
一方のエメラティーナは、困惑してしまう。
「ええっと?」
そんなエメラティーナを見たレキュロスは、彼女を席までエスコートしてくれた。席は、イェレクの斜め向かい側だ。
椅子に腰掛けたエメラティーナは、食事ができるのを待つ間レキュロスからの説明を聞いた。
どうやらイェレクは第二騎士団の団長で、レキュロスとは同期であるらしい。
竜人族独特の風習が嫌いだったレキュロスは今まで、妻を娶ることはなかったという。
それをイェレクから聞き、エメラティーナは少なからず驚いた。
(つまりそれは、わたしが初めての妻だと言うこと?)
イェレクがそのことを言うと、レキュロスは嫌な顔をする。
「お前はどうして、無駄なことばかりを言うのですか……」
「無駄なんかじゃねーだろ。お嬢ちゃんだって、夫のことは知りたいだろうしな。だろ?」
「は、はい。できればもっと知りたいと……そう、思っています……」
エメラティーナはそこまで言ってから、恥ずかしくなった。何を言っているのだろうと、そう思ってしまったのである。
気恥ずかしさのあまり俯くと、イェレクが何やらつぶやくのが聞こえる。
「ごめん、レキュロス。今まで「なんで見せねーんだよ!」って思ってたわ……だけど、これはダメだ。お前が隠そうとする理由も分かる……」
「うるさいですよイェレク。だから見せたくなかったのに……彼女を見つけたのはわたしですから、それだけは覚えておいてくださいね? もしも手を出せば、地獄の烈火よりもつらい方法であぶりますから」
「すいませんやめてください。そして俺にも一応、夫いるからな? 伴侶いるやつが裏切ることはないから、そこは安心しろよ」
何やら物騒な言葉が飛び交っているが、エメラティーナにはどういう意味かさっぱり分からなかった。
ただ分かるのは、レキュロスに迷惑をかけるかもしれないということ。
(わたしのような者を娶ってくれただけでも、かなりの負担をかけてしまっているはずなのに……これ以上、レキュロス様に迷惑かけたくはない)
エメラティーナは顔を上げ、そっとレキュロスを見つめた。
「あの、レキュロス様……もしご迷惑でしたら、わたしのような者など早々に殺してくださっても構いませんよ?」
「……何を言っているのです? エメラティーナ」
「え、いや、その……わたしがいると、レキュロス様に迷惑をかけてしまうというお話かと……」
エメラティーナがそう言うと、レキュロスは無表情のままイェレクを見つめた。その目は若干据わっている。
一方のイェレクは、そっと目を逸らした。
「いや、違うんだ。そう言う話じゃないんだ、お嬢ちゃん」
「は、はあ……」
「それにお嬢ちゃん、レキュロスはいいやつだろ? お前がいても迷惑そうな顔したことないだろ? つまりは、そういうことだよ。お嬢ちゃんのこと、花嫁として大事にしてんだからさ」
「……え、あ、の……確かに、レキュロス様はとてもお優しいのですが……わたしてっきり、レキュロス様はわたしを人形のようだと考えていらっしゃるのかと、そう思っていました……」
「……え」
レキュロスが動揺する声が聞こえる。
それを聞き、エメラティーナもびくりと震えた。どうやら、何かいらないことを言ってしまったようだ。
エメラティーナとレキュロスとの間に、なんとも言えない微妙な空気が流れる。
イェレクはそれを見て、頬をぽりぽりと掻いた。
「えーっととりあえず。……お嬢ちゃん。お嬢ちゃんはどうして、レキュロスにそう思われていると思ったのか、言っとこうぜ……?」
「は……はい……」
どうやら、イェレクが仲介してくれるらしい。
その優しさに感謝しつつ、エメラティーナはたどたどしく口を開いた。
「あ、の……会った当初、顔が好みだと、おっしゃられて……わ、わたし、祖国では、鑑賞することぐらいしか、価値のない毒花姫と呼ばれて、いたので……てっきり、人形や愛玩動物程度の扱いなのでは、ないかと……」
震え声でそう言えば、イェレクは目元に手を当てた。そしてレキュロスに言う。
「レキュロス。これはお前が悪い」
「……そうですね」
「お嬢ちゃんの卑屈の根っこはかなり深いんだから、もっとこう溺死するほどの愛をだな! 与えてやらんとな!」
「そうですね。今後は手加減せず、たくさん甘やかすことにします」
「え、あの、その、もう十分よくしてくださっています、よ……?」
レキュロスはエメラティーナに、満面の笑みを浮かべた。
「いえ。足りていないようなので、これからはもっと分かりやすく伝えようと思います。そうですね……たとえば、愛しているとか」
「あ、え……」
「好きだとか、可愛いだとか、宝石がかすむほどの美しさだとか」
「えっと……っ」
「リスのように愛らしく食事をするとか、嬉しいことがあると下を向きながらはにかむところが可愛いとか」
「え、え、え……っ!?」
エメラティーナは、赤くなった両方の頬を押さえ、首を横に振った。
笑顔でとんでもないことをつぶやいていくレキュロスに、もう何を言っていいのか分からない。
そんなふたりのやり取りを見たイェレクは、どこか別の場所を見ながらつぶやいた。
「やっべ……昼食食う前なのに、胸焼けしそうなほど甘い……なんだここ……もうお腹いっぱいだわ……」
そんなイェレクに対し、レキュロスは冷ややかに告げる。
「ならばさっさと帰ってください。わたしはエメラティーナとだけ食事をしていたいので」
「えーやだわーここまできておいて昼食食べずに帰る選択は、かけらたりともない!!」
「ほんと、とことんわたしの邪魔をしますね。イェレク。邪魔ばかりすると、金輪際書類整理手伝いませんよ」
「やめて。書類整理苦手なんだやめて。手伝ってくれなきゃお嬢ちゃんの見目を王にバラす。そして王とガチンコバトルしてもらう」
「は?」
「ごめんなさい」
レキュロスとイェレクが何やら不穏なやり取りを繰り広げている中、エメラティーナは恥ずかしさに悶えている。
それからやってきた食事は、今までとは別の意味で味のしないものになってしまった。
ふたりきりになった後、一体何をされてしまうのだろうか。
(これ以上何かされたら、心臓が保たないわ……!)
内心そう悲鳴をあげながら。
エメラティーナは黙々と食事を口に運んでいったのである。
しかしレキュロスが自宅で仕事をするときのみ、必ず執務室のソファで待機することが決まっていた。
曰く、「そばにいないと落ち着かない」ということらしい。
エメラティーナとしてはやることもないし、レキュロスがいなかったとしても部屋で本を読んだり刺繍をしたりしているだけなので、行動は別に変わらないのだ。そのため、レキュロスの言うことを二つ返事で了承した。
何より、執務中のレキュロスを眺めているのが幸せなのだ。
執務中は眼鏡をかけているのだが、それがまたかっこいい。髪を時々耳にかける瞬間とか、視線が文字を追っているのだとか、そう言うのを見ていると、言い知れず幸せになるのである。
思えばエメラティーナは、離宮にこもっていたときから何かをじっと眺めるのが好きだった。それしかすることがなかったというのもある。
されどじいっと見つめていると、小さな変化が見えて楽しいのだ。
それはたとえば、植物だったり、虫だったり。月日を重ねるごとにじわじわと成長していく姿を見ていると、なんだか心が和んだ。
それは大抵エメラティーナにとって害を与えないものであり、彼女が好きなもの。それ以外を見つめていると嫌がられることは知っているため、そういうときは目を逸らすのだ。
ユリアのことも眺めたりするが、彼女は本当にくるくると動き回るため忙しなく、エメラティーナの心も楽しくなった。
レキュロスはユリアほどではないが、小さな変化がある。
エメラティーナはそれを眺めながら、レキュロスの手伝いをする時間が好きだ。
エメラティーナはふと本から顔を上げ、レキュロスを見る。そしてハッと気づいた。
(あ、レキュロス様の珈琲がなくなってる……新しく淹れてもらわないと)
エメラティーナはそっと呼び鈴を鳴らした。数分せずやってきたユリアに、レキュロスの珈琲とエメラティーナの紅茶を頼んだ。
頼み終えると、再びソファに座る。
その後もエメラティーナは、溜まったゴミを捨てたりインクを足したり、小さな雑務を読書の合間におこなっていった。そのたびに、レキュロスは微笑みながら「ありがとう」と言ってくれるのである。
こんな些細なことなのに、そうやって気を遣ってくれるレキュロスは、エメラティーナにはもったいないほど良い旦那様だった。少なくともエメラティーナはそう思う。
普段ならばこのままお昼に入り、またレキュロスとともに昼食を取るのだが、今回は違った。
レキュロスの執事が「お客様がいらっしゃいました」と告げてきたのである。
「……客ですか?」
そして当のレキュロスも、その客が誰なのか分かっていないようだった。
しかし名前を聞くと、瞬時に顔を歪める。
「……なんできたんだあいつは」
そして、エメラティーナが聞いたことがないほどドスの効いた声でそうつぶやいた。エメラティーナは思わずびっくりしてしまう。
(え、レキュロス様?)
エメラティーナがレキュロスを見ると、彼はハッとし直ぐに破顔する。
「エメラティーナ、すみません。今日の昼食は、わたしの友人と一緒でも良いですか?」
「え……あ、の……」
「ああ、大丈夫です。相手も竜人ですから。あなたに触れたとしても、問題ありませんよ」
「は、はい。ならば……大丈夫です」
エメラティーナは不安になりながらも、こくりと頷いた。ここの家主はレキュロスだ。彼が決めたことなら、従う義務が妻にはある。
ただ本音を言うと、あまり会いたくなかった。相手がレキュロスの友人だと言うのだから、エメラティーナのことを蔑ろにしたりはしないだろうが。
不安がっていたのがレキュロスには伝わったのだろう。彼は苦笑し、エメラティーナの頭を撫でた。
「エメラティーナ、大丈夫です。わたしがいますから」
「……はい」
「だから、笑って。エメラティーナには笑顔が似合う」
「……はいっ」
エメラティーナは、不安な気持ちを打ち消すように笑みを浮かべた。それはとても拙い笑みだったろう。しかしレキュロスはそんなエメラティーナを抱き締め、ポンポンと頭を撫でてくれた。
少し落ち着いてから、レキュロスに連れられエメラティーナはダイニングルームに降りる。
ダイニングルームの椅子に座っていたのは、赤い髪をした男だった。
長く伸びた赤い髪は特に整えているわけでもなさそうなのに、なんだか似合っている。
顔も中性的なのだが、態度のせいか男らしく見えた。
しかも、座っている態度がなかなかひどい。膝に片足を乗せ、半分あぐらをかくような、そんな座り方をしていた。体も大きいため、その姿は余計に威圧めいている。
しかし彼は見た目に反して、にっと歯を見せて笑った。そしてひらひらと手を振る。
「よ、レキュロス。そっちがお前の花嫁さん?」
「……ええ、そうです。イェレク」
「……初めまして、イェレク様。エメラティーナと申します」
エメラティーナは、スカートの裾を摘まみ上げると礼を取った。
するとイェレクは、からりと笑う。それはなんとも言えずさっぱりとしたものだった。少なくともそこには、エメラティーナに対する嫌悪も彼女を嘲笑う意味もこもっていない。
「あはは! こりゃ上玉だ! レキュロスが夢中になっちまうのも仕方ないな」
「……何しに来たんですかほんと」
「何って、レキュロスが大事に大事に愛でてるお姫様を見に来たんだよ。お前ほどのやつが囲ってんだ。気にもなるだろ?」
「あ、あの……?」
エメラティーナは困惑した。言っていることがよく分からなかったのだ。
しかしレキュロスはイェレクの言葉を聞くと、ため息を漏らす。
「うちの妻は、外も人も苦手なんです。彼女の祖国での扱いくらい、お前も知っているでしょう。そんなエメラティーナを無理強いするのは嫌なのですよ。彼女は見せ物じゃありませんから」
「はいはい、分かった分かった。お前が花嫁さんのことをすごく考えていることは分かった。王が見たらぶったまげるだろうなー」
「……これ以上アホなことを言うようなら、外に放り投げますが?」
「ごめんなさいご飯食べさせてください」
レキュロスは、昼食の催促をするイェレクを見てため息をもらした。
一方のエメラティーナは、困惑してしまう。
「ええっと?」
そんなエメラティーナを見たレキュロスは、彼女を席までエスコートしてくれた。席は、イェレクの斜め向かい側だ。
椅子に腰掛けたエメラティーナは、食事ができるのを待つ間レキュロスからの説明を聞いた。
どうやらイェレクは第二騎士団の団長で、レキュロスとは同期であるらしい。
竜人族独特の風習が嫌いだったレキュロスは今まで、妻を娶ることはなかったという。
それをイェレクから聞き、エメラティーナは少なからず驚いた。
(つまりそれは、わたしが初めての妻だと言うこと?)
イェレクがそのことを言うと、レキュロスは嫌な顔をする。
「お前はどうして、無駄なことばかりを言うのですか……」
「無駄なんかじゃねーだろ。お嬢ちゃんだって、夫のことは知りたいだろうしな。だろ?」
「は、はい。できればもっと知りたいと……そう、思っています……」
エメラティーナはそこまで言ってから、恥ずかしくなった。何を言っているのだろうと、そう思ってしまったのである。
気恥ずかしさのあまり俯くと、イェレクが何やらつぶやくのが聞こえる。
「ごめん、レキュロス。今まで「なんで見せねーんだよ!」って思ってたわ……だけど、これはダメだ。お前が隠そうとする理由も分かる……」
「うるさいですよイェレク。だから見せたくなかったのに……彼女を見つけたのはわたしですから、それだけは覚えておいてくださいね? もしも手を出せば、地獄の烈火よりもつらい方法であぶりますから」
「すいませんやめてください。そして俺にも一応、夫いるからな? 伴侶いるやつが裏切ることはないから、そこは安心しろよ」
何やら物騒な言葉が飛び交っているが、エメラティーナにはどういう意味かさっぱり分からなかった。
ただ分かるのは、レキュロスに迷惑をかけるかもしれないということ。
(わたしのような者を娶ってくれただけでも、かなりの負担をかけてしまっているはずなのに……これ以上、レキュロス様に迷惑かけたくはない)
エメラティーナは顔を上げ、そっとレキュロスを見つめた。
「あの、レキュロス様……もしご迷惑でしたら、わたしのような者など早々に殺してくださっても構いませんよ?」
「……何を言っているのです? エメラティーナ」
「え、いや、その……わたしがいると、レキュロス様に迷惑をかけてしまうというお話かと……」
エメラティーナがそう言うと、レキュロスは無表情のままイェレクを見つめた。その目は若干据わっている。
一方のイェレクは、そっと目を逸らした。
「いや、違うんだ。そう言う話じゃないんだ、お嬢ちゃん」
「は、はあ……」
「それにお嬢ちゃん、レキュロスはいいやつだろ? お前がいても迷惑そうな顔したことないだろ? つまりは、そういうことだよ。お嬢ちゃんのこと、花嫁として大事にしてんだからさ」
「……え、あ、の……確かに、レキュロス様はとてもお優しいのですが……わたしてっきり、レキュロス様はわたしを人形のようだと考えていらっしゃるのかと、そう思っていました……」
「……え」
レキュロスが動揺する声が聞こえる。
それを聞き、エメラティーナもびくりと震えた。どうやら、何かいらないことを言ってしまったようだ。
エメラティーナとレキュロスとの間に、なんとも言えない微妙な空気が流れる。
イェレクはそれを見て、頬をぽりぽりと掻いた。
「えーっととりあえず。……お嬢ちゃん。お嬢ちゃんはどうして、レキュロスにそう思われていると思ったのか、言っとこうぜ……?」
「は……はい……」
どうやら、イェレクが仲介してくれるらしい。
その優しさに感謝しつつ、エメラティーナはたどたどしく口を開いた。
「あ、の……会った当初、顔が好みだと、おっしゃられて……わ、わたし、祖国では、鑑賞することぐらいしか、価値のない毒花姫と呼ばれて、いたので……てっきり、人形や愛玩動物程度の扱いなのでは、ないかと……」
震え声でそう言えば、イェレクは目元に手を当てた。そしてレキュロスに言う。
「レキュロス。これはお前が悪い」
「……そうですね」
「お嬢ちゃんの卑屈の根っこはかなり深いんだから、もっとこう溺死するほどの愛をだな! 与えてやらんとな!」
「そうですね。今後は手加減せず、たくさん甘やかすことにします」
「え、あの、その、もう十分よくしてくださっています、よ……?」
レキュロスはエメラティーナに、満面の笑みを浮かべた。
「いえ。足りていないようなので、これからはもっと分かりやすく伝えようと思います。そうですね……たとえば、愛しているとか」
「あ、え……」
「好きだとか、可愛いだとか、宝石がかすむほどの美しさだとか」
「えっと……っ」
「リスのように愛らしく食事をするとか、嬉しいことがあると下を向きながらはにかむところが可愛いとか」
「え、え、え……っ!?」
エメラティーナは、赤くなった両方の頬を押さえ、首を横に振った。
笑顔でとんでもないことをつぶやいていくレキュロスに、もう何を言っていいのか分からない。
そんなふたりのやり取りを見たイェレクは、どこか別の場所を見ながらつぶやいた。
「やっべ……昼食食う前なのに、胸焼けしそうなほど甘い……なんだここ……もうお腹いっぱいだわ……」
そんなイェレクに対し、レキュロスは冷ややかに告げる。
「ならばさっさと帰ってください。わたしはエメラティーナとだけ食事をしていたいので」
「えーやだわーここまできておいて昼食食べずに帰る選択は、かけらたりともない!!」
「ほんと、とことんわたしの邪魔をしますね。イェレク。邪魔ばかりすると、金輪際書類整理手伝いませんよ」
「やめて。書類整理苦手なんだやめて。手伝ってくれなきゃお嬢ちゃんの見目を王にバラす。そして王とガチンコバトルしてもらう」
「は?」
「ごめんなさい」
レキュロスとイェレクが何やら不穏なやり取りを繰り広げている中、エメラティーナは恥ずかしさに悶えている。
それからやってきた食事は、今までとは別の意味で味のしないものになってしまった。
ふたりきりになった後、一体何をされてしまうのだろうか。
(これ以上何かされたら、心臓が保たないわ……!)
内心そう悲鳴をあげながら。
エメラティーナは黙々と食事を口に運んでいったのである。
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