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後編
33.危険ではないこと-2
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「思い返して、理解する……」
めちゃくちゃになっていた、先ほどの出来事の記憶を、順番に整理していく。
そしてアルヴィドが教えてくれたように、丹念に最初から記憶へ立ち戻った。本来は誰かに話して訓練するので上手くいくかわからないが、自分の中で言葉にする。
アルヴィドはセムラクを使っていた。イリスはそれを詰って、術が破れた。そして彼は正気を失いイリスへ襲い掛かった。最後に正気を取り戻して、本心を暴露し、謝罪して去っていった。
セムラクは、本人の実力を超える精神的負荷を受けると、破れてしまう。その際先送りにしていた感情が反作用として増幅されて戻ってくるため、あまりの衝撃に正気を失う場合がある。
アルヴィドは精神魔術の適性が低い。その彼のセムラクでは、たやすく破れてしまうことを本人もわかっていたはずだ。それでも、イリスに感情を隠したかった。
『すまない……。君を、愛しているんだ……』
セムラクへ頼ってでも隠さなくてはならない、激しい慕情。それがイリスにまつわるものだったから、本人からの感情的な詰問は彼に多大な負荷を与えた。
術を破り、少しの間、正気を失わせてしまうほどに。
では、正気を失った途端イリスへ意に染まない行為を強いた、あれがアルヴィドの本性なのだろうか。
冷静さを取り戻したイリスは、自らが授業で語った知識を思い出し、現状に当てはめて考えることができた。
セムラクの破れた警察官は、近くにいた、幼いころからの友である同僚を殺した。そして正気に戻った後、罪の意識に耐え兼ね自殺した。もしかすると知られざる怨恨があったのかもしれないが、少なくとも、外から見て殺したいと思うであろう程のことはなかった。
誰にも確かめられることではないが、イリスは人の頭の中には、本能、感情、理性、記憶などが、正気という箍によって均衡を保たれつつ存在しているのだと思っている。この箍を失えば、例えば本能だけ、感情だけ、というように、いずれかが極端に前へ出て頭を支配してしまう。
だから警察官は、記憶に従って任務を遂行しようとして、物理的に邪魔だった同僚を、感情や理性で一考しないまま殺してしまったのだ。
アルヴィドの場合は、セムラクで正気の箍を外された結果、本能にある欲求か、イリスへの感情のいずれかが突出してしまった。
それをしてはならないという理性や記憶が顔を出すことはなく、振り切れたまま、どうやって遂行するかだけ考える。
セムラクを使うことにしたのは彼の意思だ。
しかし、イリスに襲い掛かったことは、違う。
また、アルヴィドはセムラクが破れた場合の最悪の状況を、おそらく知らなかった。なぜなら、彼は精神魔術の適性の低さから、学生時代に授業を選択していなかった。
従ってアルヴィドは、イリスにしたことの、行動の仕組みを理解していない。自分の中の狂気の発露だと思っている。
(これは、昔のことに似ているけど、違う。似ているけど、危険ではないこと……)
アルヴィドが教えてくれた。
今回のことは、かつてのアルヴィドの所業と似ている。だが、決定的に違う。
愛情、性的欲求、性行為の知識。いずれもアルヴィドの中に存在する要素ではある。一方でそれを強いてもよいという概念は、今の彼は持っていない。
ここにアルヴィドの意思決定はなかった。セムラクが破れ、人としての正気の箍が外れる状況にさえなければ、彼は危険ではない。
そしてそれは、アルヴィド本人が理解できていない。自分が昔と変わらず惨いことをできる人格だと思って出ていった。
ようやく立ち上がったイリスは、壁にかかった鏡を見て、服が乱れたままだったことに気付いた。もう冷静で、落ち着いてボタンも留められる。
身なりを整えたイリスは、研究室を後にした。
めちゃくちゃになっていた、先ほどの出来事の記憶を、順番に整理していく。
そしてアルヴィドが教えてくれたように、丹念に最初から記憶へ立ち戻った。本来は誰かに話して訓練するので上手くいくかわからないが、自分の中で言葉にする。
アルヴィドはセムラクを使っていた。イリスはそれを詰って、術が破れた。そして彼は正気を失いイリスへ襲い掛かった。最後に正気を取り戻して、本心を暴露し、謝罪して去っていった。
セムラクは、本人の実力を超える精神的負荷を受けると、破れてしまう。その際先送りにしていた感情が反作用として増幅されて戻ってくるため、あまりの衝撃に正気を失う場合がある。
アルヴィドは精神魔術の適性が低い。その彼のセムラクでは、たやすく破れてしまうことを本人もわかっていたはずだ。それでも、イリスに感情を隠したかった。
『すまない……。君を、愛しているんだ……』
セムラクへ頼ってでも隠さなくてはならない、激しい慕情。それがイリスにまつわるものだったから、本人からの感情的な詰問は彼に多大な負荷を与えた。
術を破り、少しの間、正気を失わせてしまうほどに。
では、正気を失った途端イリスへ意に染まない行為を強いた、あれがアルヴィドの本性なのだろうか。
冷静さを取り戻したイリスは、自らが授業で語った知識を思い出し、現状に当てはめて考えることができた。
セムラクの破れた警察官は、近くにいた、幼いころからの友である同僚を殺した。そして正気に戻った後、罪の意識に耐え兼ね自殺した。もしかすると知られざる怨恨があったのかもしれないが、少なくとも、外から見て殺したいと思うであろう程のことはなかった。
誰にも確かめられることではないが、イリスは人の頭の中には、本能、感情、理性、記憶などが、正気という箍によって均衡を保たれつつ存在しているのだと思っている。この箍を失えば、例えば本能だけ、感情だけ、というように、いずれかが極端に前へ出て頭を支配してしまう。
だから警察官は、記憶に従って任務を遂行しようとして、物理的に邪魔だった同僚を、感情や理性で一考しないまま殺してしまったのだ。
アルヴィドの場合は、セムラクで正気の箍を外された結果、本能にある欲求か、イリスへの感情のいずれかが突出してしまった。
それをしてはならないという理性や記憶が顔を出すことはなく、振り切れたまま、どうやって遂行するかだけ考える。
セムラクを使うことにしたのは彼の意思だ。
しかし、イリスに襲い掛かったことは、違う。
また、アルヴィドはセムラクが破れた場合の最悪の状況を、おそらく知らなかった。なぜなら、彼は精神魔術の適性の低さから、学生時代に授業を選択していなかった。
従ってアルヴィドは、イリスにしたことの、行動の仕組みを理解していない。自分の中の狂気の発露だと思っている。
(これは、昔のことに似ているけど、違う。似ているけど、危険ではないこと……)
アルヴィドが教えてくれた。
今回のことは、かつてのアルヴィドの所業と似ている。だが、決定的に違う。
愛情、性的欲求、性行為の知識。いずれもアルヴィドの中に存在する要素ではある。一方でそれを強いてもよいという概念は、今の彼は持っていない。
ここにアルヴィドの意思決定はなかった。セムラクが破れ、人としての正気の箍が外れる状況にさえなければ、彼は危険ではない。
そしてそれは、アルヴィド本人が理解できていない。自分が昔と変わらず惨いことをできる人格だと思って出ていった。
ようやく立ち上がったイリスは、壁にかかった鏡を見て、服が乱れたままだったことに気付いた。もう冷静で、落ち着いてボタンも留められる。
身なりを整えたイリスは、研究室を後にした。
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