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12.始まり-3
しおりを挟む今回のことでイザークに傷つけられたヴィオラは、離れることを選んだ。薬酒で正気を失っていたとはいえ、そんなことは彼女に関係がない。自分を凌辱した男と毎日のように顔を合わせなくてはならないなど、地獄のような職場だ。
急いで休暇を取って伯爵領へ戻ったのは、秘書官を辞めた後のことを相談するためだと考えられた。父の公爵に後継者並みの教育を施されている彼女であれば、伯爵家の運営する商会の経営等、できることは山ほどある。元から夫である伯爵の傍を離れて働いていること自体が、世間的に見れば珍しいことだったのだ。戻ると言えば、ベラーネク伯爵は一も二もなく受け入れることだろう。
秘書官たちの人員の差配に、退職後の身の振り方など、ヴィオラは着々と辞めるための準備を進めている。
(ヴィオラが、私の元を去るのか……)
そんな日が来るとは、考えたこともなかった。少年の頃は、ヴィオラは自分の妻になってくれるものだと思っていた。それはあり得ないと知った後も、彼女は官僚の道を望んでいたから、引き続き繋がりが切れることはなかった。そして彼女は結婚しても秘書官の職を手放さず、むしろ幼いころより密に、毎日のように顔を合わせていた。
ヴィオラは常にイザークの傍にいてくれた。だからこれからも、共にあってくれるものだと、漫然と思い描いていたのだ。
何の拘束力もない、他人の妻を。
失う事態に直面して、心のどこかへ亀裂が走った。出してはいけない、飼いならしていると思っていたものが、滲み出てくる。
(違う。ヴィオラは、私の……)
イザークの胸の内から湧き出でたのは、喪失感ではなく、どす黒い独占欲だった。彼女へしたことの罪悪感が、塗りつぶされていく。
ヴィオラに恋をして、自分の妻になると信じて疑わなかった。それが叶わないと分かっても、思いは捨てられなかった。誰かのものになってしまえば、消えてくれたのかもしれない。
だがヴィオラは結局変わらず傍にいてくれて、結婚しても夫に触れられてすらいなかった。彼女を思い続け、長い時間隣にいて、そして肌を重ねているのはイザークただ一人だ。
(私のものだ……!)
ずっと知らずにいて、たった今自覚してしまった考え。ヴィオラは自分のもの。イザークの根底にあるのは、その誤った認識だった。
ただ視線を向けているだけだった窓枠に手をかける。
いつだったか、ベラーネク伯爵の三男、ヴィオラの義理の息子が、彼女を迎えに来たことがあった。イザークはその時、庭園で待っていた彼をこの場所から見下ろしていた。彼はヴィオラに懸想しているようだった。そんな男の待つ伯爵家へ戻ろうなどと、許せるはずがない。
絶対に、どこへも行かせない。
現実的に、退職の準備を進めるヴィオラをどうやって留まらせるか。
彼女は全ての後始末を済ませてから出ていくだろう。では逆に、自分の所為で問題が起きていれば、離れてはいけない。
「グィリクスで――」
イザークは、立ちすくむ近衛兵へ振り返った。妙に、心が凪いでいるように感じる。
「かの国の王から贈られたあの薬酒……、どこに保管してある?」
彼はイザークの心境の変化を感じ取ったのか、顔をひきつらせた。
イザークの、捨てるべき時に捨てずに済んできてしまったヴィオラへの思いは、いつの間にか変質し、取り返しのつかない形で道を踏み外させてしまうのだった。
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