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27.ある秘書官-1
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翌朝。まだ外は薄暗く、空の端に暁の気配があるだけの早い時間。
イザークがまた温室を訪ねてきた。憔悴した顔で言葉少なに、付いてくるよう促された。
夜に彼を見送ってから、眠ることもなく気を張ってソファに座り続けていたヴィオラは、すぐさま立ち上がってイザークの背を追った。
温室の出入り口の扉をくぐると、両脇に立っていた近衛兵が息を呑んだ。イザークの後ろについて歩きつつ、その音を聞き取って振り返れば、彼らは胸に手を当て深く頭を下げていた。彼らも、ようやくヴィオラが解放されると知ったのだろう。
侍従や護衛を一切伴わず、イザークは黙ってヴィオラを先導する。ヴィオラも、彼に何か声をかけることはなかった。久々に味わう、温室の中とは違う湿気の少ない澄んだ朝の外気に、気が紛れることもない。
温室からの短い歩道を歩くと、緑の洞窟に入る。これは支柱に細い草木を絡ませ育成して作った、植物の隧道だ。高い密度で茂る草葉は陽光を遮り、加えて早朝の薄明かりもあって中はかなり暗い。
最初から足元が覚束なくなるほどではなかったが、徐々に朝焼けの光がもたらされたことで、隙間から日差しが入り、柔らかな明るさに変わっていく。
それと同時に、イザークが立ち止まった。
彼の視線の先にある、緑の洞窟の終点。外の方が明るいため、その向こうに何があるのか分からないほど、光り輝いて見える。
「あそこを抜けた先で、そなたを待っている」
誰がとは、言われずとも分かる。父たちがヴィオラの帰りを待ってくれているのだ。夜に別れたあと、公爵家へすぐに連絡を取ったのだろう。
もう行けということかと思い、ヴィオラはイザークの横を通り過ぎようと前へ出る。その時、手首を掴んで引かれた。
彼の長身に抱きすくめられる。
「すまなかった……」
抱き寄せられた彼の胸から重く響く声。
「国を統べるために与えられた王としての力を、そなたを穢すために使った。そなたを傍に置きたいという願いを……、せめてこの唯一の望みを叶えたいなどと、身の程知らずなことを……。これは私のための力ではないというのに」
絞り出すような声音と、強まる腕の力。この身一つで本当に叶う望みであれば、喜んでそうしただろう。だが、実際には犠牲になるものが多すぎる。
「私は……、この身の程知らずな心を、消してしまいたかったです。しかし、思いがけない形で、これは叶いました」
彼の背に回してしまいそうな手を必死にとどめ、代わりに、軽く胸を押し返す。イザークはそれに抵抗せず、ヴィオラを解放した。
一歩離れて、彼の瞳を見つめる。ヴィオラはまだ、堪える。
「何か、そなたに償えることはあるか」
「いいえ。私に償う必要などありません。……それでもまだ償いをと仰るのであれば、どうか、善き王のままで。これまでも……、これからも」
忘れてくれれば、それが最もよい。しかし理解していても、ヴィオラはそうは頼めなかった。
「もう、行くといい」
「……はい」
逸らされた緑の瞳の中の橙を心に焼き付けて、ヴィオラはイザークに背を向けた。
イザークがまた温室を訪ねてきた。憔悴した顔で言葉少なに、付いてくるよう促された。
夜に彼を見送ってから、眠ることもなく気を張ってソファに座り続けていたヴィオラは、すぐさま立ち上がってイザークの背を追った。
温室の出入り口の扉をくぐると、両脇に立っていた近衛兵が息を呑んだ。イザークの後ろについて歩きつつ、その音を聞き取って振り返れば、彼らは胸に手を当て深く頭を下げていた。彼らも、ようやくヴィオラが解放されると知ったのだろう。
侍従や護衛を一切伴わず、イザークは黙ってヴィオラを先導する。ヴィオラも、彼に何か声をかけることはなかった。久々に味わう、温室の中とは違う湿気の少ない澄んだ朝の外気に、気が紛れることもない。
温室からの短い歩道を歩くと、緑の洞窟に入る。これは支柱に細い草木を絡ませ育成して作った、植物の隧道だ。高い密度で茂る草葉は陽光を遮り、加えて早朝の薄明かりもあって中はかなり暗い。
最初から足元が覚束なくなるほどではなかったが、徐々に朝焼けの光がもたらされたことで、隙間から日差しが入り、柔らかな明るさに変わっていく。
それと同時に、イザークが立ち止まった。
彼の視線の先にある、緑の洞窟の終点。外の方が明るいため、その向こうに何があるのか分からないほど、光り輝いて見える。
「あそこを抜けた先で、そなたを待っている」
誰がとは、言われずとも分かる。父たちがヴィオラの帰りを待ってくれているのだ。夜に別れたあと、公爵家へすぐに連絡を取ったのだろう。
もう行けということかと思い、ヴィオラはイザークの横を通り過ぎようと前へ出る。その時、手首を掴んで引かれた。
彼の長身に抱きすくめられる。
「すまなかった……」
抱き寄せられた彼の胸から重く響く声。
「国を統べるために与えられた王としての力を、そなたを穢すために使った。そなたを傍に置きたいという願いを……、せめてこの唯一の望みを叶えたいなどと、身の程知らずなことを……。これは私のための力ではないというのに」
絞り出すような声音と、強まる腕の力。この身一つで本当に叶う望みであれば、喜んでそうしただろう。だが、実際には犠牲になるものが多すぎる。
「私は……、この身の程知らずな心を、消してしまいたかったです。しかし、思いがけない形で、これは叶いました」
彼の背に回してしまいそうな手を必死にとどめ、代わりに、軽く胸を押し返す。イザークはそれに抵抗せず、ヴィオラを解放した。
一歩離れて、彼の瞳を見つめる。ヴィオラはまだ、堪える。
「何か、そなたに償えることはあるか」
「いいえ。私に償う必要などありません。……それでもまだ償いをと仰るのであれば、どうか、善き王のままで。これまでも……、これからも」
忘れてくれれば、それが最もよい。しかし理解していても、ヴィオラはそうは頼めなかった。
「もう、行くといい」
「……はい」
逸らされた緑の瞳の中の橙を心に焼き付けて、ヴィオラはイザークに背を向けた。
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