【完結】ガン=カタ皇子、夜に踊る

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Second Chapter

我が子を奪われた母親の、②

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 道ばたに蹲るその男を見つけた時、当初、マージェッテも哀れな物乞いだと思って、施しをくれてやろうと供回りの一人に銀貨一枚を渡したのだった。
「いや。……オレは、物乞いじゃあないよ」
しかしその男は項垂れたまま施しを拒んだ。
供回り達も不愉快そうな顔をしたが、男は彼女達には目にもくれず、地べたを這うようにして、その場を去ろうとした。
「暗闇……そうだな、『パペティアー』よ、人の心は、暗闇、暗闇……。所詮、この世の邪悪が煮詰まった地獄の釜底でしか無かったのだ……」
哀れだな、ととうとう供回り達の不愉快さを同情が上回った。
この男は相当に辛い事情があって、心が壊れてしまったに違いない。
「……大奥様、参りましょう」
「ええ……」
「そうだ!」男は突如として立ち上がった。通行人達が後ずさった。まるで道化のような、凄まじい狂喜の表情をしていたから。「既にこの世は無間地獄、ならばオレが一切を呪った所で何も変わらん!」
そのまま男は飛ぶように走り去って行った。

 何だったのかしら、とマージェッテは少し考えたが、劇場に付いた直後、見目の良い貧乏役者の選別に夢中になって忘れてしまった。


 ――しばらくして、ガルヴァリナ帝国を揺るがす一大政変が起きる。皇帝、皇太子、更にその幼い皇太子の子まで呪い殺され、皇太子の同母弟である第二皇子が即位したのだ。
後の『乱詛帝』である。
「この世は始まりから終わりまで地獄ぞ!地獄ぞ!朕は全てを呪い恨んでやろうぞ!」

 当初は、それでも『乱詛帝』に同情的な貴族や官僚が多かった。
第二皇子だった時、彼には妻と幼い息子がいた。政略結婚ではあったが、妻以外には目もくれぬ男で有名だった。顔こそ美しくは無かったが、彼女の優しくて穏やかな気性を誰よりも愛していたと聞く。幼い息子相手に大人げなくも妻の取り合いをしては、妻にたしなめられていたそうだ。
その――彼が誰よりも愛して信じて頼って慕っていた妻が、よりにもよって好色で有名な皇帝と皇太子に揃って手を出された。辱められ虐げられた絶望に耐えられず、彼女は自ら旅立ってしまった。
それ以来、彼は廃人同然だったのだから……。

 ちっぽけなその同情などすぐさま消し飛ぶ。『乱詛帝』が後宮を大きくするために、美しいと噂の貴族の未婚の娘を――成人も子供も問わずに、片っ端から召し出したのだ。

 召される事が告げられた娘の中には、あと数日で華々しく式を挙げる予定だったリビウもいた。


 ジェラームはすぐさま賄賂を引っさげて帝国の要人に会い、リビウを見逃してくれるよう交渉に当たった。フィビウは親戚の娘の中でリビウの代わりとなる者を探すために躍起になった。マージェッテは要人の夫人や皇族の女性達に宝石を携えて面会し、涙と同情を誘う話をしてリビウを望んだ相手の元へ嫁がせようと必死に動いた。
だが、叶わなかった。
リビウは明日が式だと言う時に、帝国城から派遣された宦官達の手によって連れて行かれる事となった。
「母御前、母御前、どうかあの方にこれを……」
マージェッテは最後にリビウから詩集を渡されて、フィビウ共々、泣き崩れた。
「よくお聞き、リビウ。体を大事にするのよ、何があっても……!」
それでも気力を振り絞って、リビウを抱きしめる。
「……」
リビウは悲しそうに微笑んだだけだった。

 「私にも息子達だけでなく娘が産まれた。あんなにも可愛らしいものだとは思わなかった。それを……!」
――それから一週間。
溺れるように酒をあおりながらジェラームは嘆いてばかりいる。
「リビウは大丈夫かしら……」
フィビウは酒を飲む事さえ出来ないで、震えている。娘を励ますようにマージェッテは抱きしめた。
「妾達ピシュトーナ一族が後ろ盾なのよ。仮令、伏魔殿の後宮であろうと手を出させは……」
召使いが蒼白の顔色をして走ってきた。
「旦那様!旦那様、一大事でございまする!」
「何事だ!」
「リビウお嬢様が、お戻りになりました……」
思わずジェラームが酒を捨てて走り出し、それにマージェッテとフィビウが続いた。
「リビウ!」
「リビウ、良かった――」


 帰ってきたリビウは、棺の中にいた。


 「リビウお嬢様は……一昨日、陛下に召された時、許嫁だった御方の、その首の前で……」
嘘だ。
「…………以来塞ぎ込んでおられて、今朝方……見つけた、と」
嘘だ。
「こちらが、遺書にて、ございまする……」
嘘だ。
マージェッテは棺に触れる事も出来ず、へたへたとその場にうずくまった。
震える召使いから差し出された遺書をジェラームは奪い取る。
鬼のような形相をして文面を目で追っていたが、やがて握りつぶして血を吐くような雄叫びを上げた。
「兄御前、遺書には何と……!」
棺に取りすがって泣いていたフィビウが続いて読もうと手を伸ばしたのを、ジェラームは乱暴に突き飛ばした。
「女が読むべき内容では無い!」
そう言って遺書を粉々に破り捨て、更に召使いに命じて完全に焼くように告げる。
欠片も、灰一つも残すなと厳命して。

 「どうして……」
マージェッテは何がどうしてこうなったのか、完全に理解が出来なかった。
どうしてもどうやっても何一つ分からなかった。

 彼女の可愛い娘は幸せになるはずだった。
 世界一幸せになるものだと信じていたのだ。
 もうすぐだったのに、どうして、どうしてこの子が……こんな目に?

 マージェッテの心の中で最も気高く、最も愛おしく、最も温かみのあったものが粉々に壊れたのはその瞬間だった。


 位の高く力のある貴族であればあるほど、陰謀詭計について上手なものである。地位と財産を守るためには真っ先に清廉潔白とは絶縁する必要があるのだ。
ピシュトーナ家もその例外では無かった。
その日までも、血まみれの手で地位と財産と一族を守り、長く繁栄させ続けてきた。
――しかし、リビウの死が告げられたその日のその瞬間までは、皇帝及び皇統に対して不倶戴天の怨恨を抱くような事は無かったのである。


 人には弱点がある。そこは酷く痛みを感じやすくてか弱くて愚かしくて、分厚い装甲で守らねば一時も世の中の残酷さには耐えられぬが、代わりに慈悲や愛情や涙の源となっている。
ピシュトーナの面々にとってその弱点は、『リビウ』と言う形をしていた。


 その弱点を靴底で踏みにじられた者はどうするか?
ピシュトーナ家の場合は、弱点を棄てて末代までの復讐心を抱いた。
マージェッテは、幼い一族の子孫に皇統への深い憎しみを教え込み、復讐のためだけに育て上げた。
復讐のためだけに謀略を巡らし、静かに計画を練り上げていったのだった。
反対させなどしなかった。反対する者もいなかった。
彼女達はその日から涙を棄てたのだから。

 ――そうして、孫の一人のカノーがとても美しく育った時、これは千載一遇の好機だとマージェッテ達は理解した。

 皇統は憎い。しかしその血には信じられぬほどの利用価値がある。
 かの『精霊獣』を従える可能性のある唯一の血統。

 「カノーや」
その頃には、ジェラームもフィビウも亡き人となっていたが、マージェッテは健在であった。
名実ともにピシュトーナ家の女主となっていた彼女は、孫のカノーを呼び出して、優しい声で告げた。
あえて目が悪いのを放置し、無学に無知に性悪に育てたが、美しさだけは国でも指折りに磨いた女孫を。
「何とも名誉な事に、『赤斧帝』様がお前の噂を聞いて後宮へと召し上げたいとお考えだそうじゃ。真心から尽くして子を産むように励むのであるぞよ」
「はい、太母様。わたくしは帝国一美しいので、一番の寵姫になって見せますわ!」
これで良い。
ほほほ、とマージェッテは穏やかに微笑んだ。

 既にアーリヤカが皇子を産んだ女に対して苛烈に攻撃している事は、到底黙認できぬ有様になっている。
諸々の貴族が娘や皇子を救うべく密かに動いている中で、ピシュトーナ家までもが動けば、皇后アマディナが『赤斧帝』に強く掛け合い、身ごもった寵姫を実家に下がらせる事を認めさせる事は、目に見えていた。

 そうなればようやく長年の悲願に手が届く。
 『精霊獣』の力を手中に収めるための、大事な実験と研究を開始できるのだ。
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