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Third Chapter
消せないもの
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「昨夜、貧民街の地獄横町一帯が焼けたそうです」
フォートンと向かい合って、これから行われる会議の大綱が記された書類を確認していたロクブは――ピタリと手を止めた。フォートンはいつもの無表情であったが、ロクブを見つめている目だけには何かの思いがあった。
「最近、何者かに乗っ取られた違法カジノとかなり揉めていた様なのですが、先手を打たれたらしいですよ」
「……そう、か」
それだけ言って、ロクブは再び書面に目を落として手を動かす。
「ロクブさん……これからの会議で、また貴方を侮辱される可能性が高まったんです」
無感情のふりをしているフォートンの本心が分かって、ロクブはいつものような丸っこい笑顔で言う。
「いや、まあ、それなら別に良いさ、覚悟は出来ているもの」
「私が、悔しくてたまらないのです」
「天下の『賢梟』に悔しがって貰えるなんて、私は何て恵まれているんだろうねえ」
「侮辱されているのに恵まれているも何もあったものか。この現実をご覧なさい、ロクブさん!」
「いや、ねえ、それがね、今の私には愛しい家族がいて、立派な上司がいて、口煩いけれど理解のある同僚までいるんだ。これが恵まれていなくて何だと言うんだい、フォートン君」
「それでも!」
「フォートン君、君は確かに優秀だ。間違いなく帝国で君ほど頭が回る人間はいないだろう。でもね、君は如何せんまだ若い、若すぎる。物事を頭だけで考えすぎているんだ。
いや、いや、皆誰でも若いと『そう』なんだ、私もニチカさんに出会う前の君くらいの年頃は『そう』だったから分かるんだ。それは若さ故の頑なさであったり、驕りであったり、純粋さだったりする。それはとても羨ましい、本当に素晴らしいものなんだよ。
だけどね人間の一生ってのは意外と長くてね、その時々で感じ方や考え方、色々と変わっていくものなんだ。そうやって常に年老いていく中で今を生きている事を楽しむものなんだ。
――まあ、まあ、今は私が何を言っているのかは、君でもちっとも分からないだろうさ。でも、いつか私の今言った事が分かる時が来るとも」
そう言いながら鷹揚に笑っていたロクブだったが、フォートンはまだ納得できていない様だった。
ただ、お得意の弁舌でロクブを責め立てて黙らせないのは、このロクブを彼が長らく尊敬して、慕っているからである。
「もし、もしも……何らかの形で地獄横町とロクブさんが、もう一度関わる必要が生まれたら……」
ロクブの目から光が消えた。しばしの沈黙の後、答えがあった。
「その時は……部下の誰かに任せる事になるだろうね」
「そうして下さい。私もそうなるように努めますから」
「済まない」
「いいえ、お互い様です」
「あらまあ、二人そろって辛気くさい顔をしていますわね!まあ、会議前ですしね」
そこにやって来たのは第三皇女モリエサだった。これでも一応は皇女だと言うのに、汚れの付いた料理人の服を着て、手からは変な匂いをさせている。
フォートンらは立ち上がって恭しく一礼すると、
「皇女殿下、これはご機嫌麗しゅう!」
「本日も食品の開発に勤しまれておいでのご様子ですね」
私に礼なんて要らないですわ、とパタパタと手を振りながら、彼女はケラケラと陽気に笑った。
それから持ってきた皿の覆いを取って、二人に差し出す。
「ねえ、もの凄く匂うでしょう?実は新しい食品についてまた投げ文があって、試していたですわ」
「おや……どのような内容だったのでしょうか?」
「これよ、これ。何でも『ぬか漬け』って言うらしいの。『ぬか床』を作るのに慣れなくて2回もカビを生やしてしまったけれど、これが中々に美味しいのですわよ!」
差し出された皿の上には、細かく切られた野菜に爪楊枝が刺さっていた。
「それじゃ後で味の感想をよろしく頼みますわね!会議も頑張って下さいな」
と彼女は手を洗いに行ってしまった。
「激励感謝致します」
とロクブ達は恭しく見送った後で、一切れずつ口に入れて目を見張る。
「ああ、ああ、こりゃ良い!塩気があって味わいが深くて……面白い味だ!」
フォートンも頷いて、
「漬物の一種のようですね。最初は匂いにこそ驚きますが……確かに絶妙で後を引く奥ゆかしさがあります。いずれはこれも万人受けするでしょう」
「いやあ、元気が出た!」とロクブは愉快そうに笑った。「さて、残りの仕事もやっつけて、会議に挑もうじゃあないか」
フォートンと向かい合って、これから行われる会議の大綱が記された書類を確認していたロクブは――ピタリと手を止めた。フォートンはいつもの無表情であったが、ロクブを見つめている目だけには何かの思いがあった。
「最近、何者かに乗っ取られた違法カジノとかなり揉めていた様なのですが、先手を打たれたらしいですよ」
「……そう、か」
それだけ言って、ロクブは再び書面に目を落として手を動かす。
「ロクブさん……これからの会議で、また貴方を侮辱される可能性が高まったんです」
無感情のふりをしているフォートンの本心が分かって、ロクブはいつものような丸っこい笑顔で言う。
「いや、まあ、それなら別に良いさ、覚悟は出来ているもの」
「私が、悔しくてたまらないのです」
「天下の『賢梟』に悔しがって貰えるなんて、私は何て恵まれているんだろうねえ」
「侮辱されているのに恵まれているも何もあったものか。この現実をご覧なさい、ロクブさん!」
「いや、ねえ、それがね、今の私には愛しい家族がいて、立派な上司がいて、口煩いけれど理解のある同僚までいるんだ。これが恵まれていなくて何だと言うんだい、フォートン君」
「それでも!」
「フォートン君、君は確かに優秀だ。間違いなく帝国で君ほど頭が回る人間はいないだろう。でもね、君は如何せんまだ若い、若すぎる。物事を頭だけで考えすぎているんだ。
いや、いや、皆誰でも若いと『そう』なんだ、私もニチカさんに出会う前の君くらいの年頃は『そう』だったから分かるんだ。それは若さ故の頑なさであったり、驕りであったり、純粋さだったりする。それはとても羨ましい、本当に素晴らしいものなんだよ。
だけどね人間の一生ってのは意外と長くてね、その時々で感じ方や考え方、色々と変わっていくものなんだ。そうやって常に年老いていく中で今を生きている事を楽しむものなんだ。
――まあ、まあ、今は私が何を言っているのかは、君でもちっとも分からないだろうさ。でも、いつか私の今言った事が分かる時が来るとも」
そう言いながら鷹揚に笑っていたロクブだったが、フォートンはまだ納得できていない様だった。
ただ、お得意の弁舌でロクブを責め立てて黙らせないのは、このロクブを彼が長らく尊敬して、慕っているからである。
「もし、もしも……何らかの形で地獄横町とロクブさんが、もう一度関わる必要が生まれたら……」
ロクブの目から光が消えた。しばしの沈黙の後、答えがあった。
「その時は……部下の誰かに任せる事になるだろうね」
「そうして下さい。私もそうなるように努めますから」
「済まない」
「いいえ、お互い様です」
「あらまあ、二人そろって辛気くさい顔をしていますわね!まあ、会議前ですしね」
そこにやって来たのは第三皇女モリエサだった。これでも一応は皇女だと言うのに、汚れの付いた料理人の服を着て、手からは変な匂いをさせている。
フォートンらは立ち上がって恭しく一礼すると、
「皇女殿下、これはご機嫌麗しゅう!」
「本日も食品の開発に勤しまれておいでのご様子ですね」
私に礼なんて要らないですわ、とパタパタと手を振りながら、彼女はケラケラと陽気に笑った。
それから持ってきた皿の覆いを取って、二人に差し出す。
「ねえ、もの凄く匂うでしょう?実は新しい食品についてまた投げ文があって、試していたですわ」
「おや……どのような内容だったのでしょうか?」
「これよ、これ。何でも『ぬか漬け』って言うらしいの。『ぬか床』を作るのに慣れなくて2回もカビを生やしてしまったけれど、これが中々に美味しいのですわよ!」
差し出された皿の上には、細かく切られた野菜に爪楊枝が刺さっていた。
「それじゃ後で味の感想をよろしく頼みますわね!会議も頑張って下さいな」
と彼女は手を洗いに行ってしまった。
「激励感謝致します」
とロクブ達は恭しく見送った後で、一切れずつ口に入れて目を見張る。
「ああ、ああ、こりゃ良い!塩気があって味わいが深くて……面白い味だ!」
フォートンも頷いて、
「漬物の一種のようですね。最初は匂いにこそ驚きますが……確かに絶妙で後を引く奥ゆかしさがあります。いずれはこれも万人受けするでしょう」
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