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Third Chapter
ふしあわせなもの
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ブォニートは誰よりも理解している。
己が誰よりも『不幸』で『悲惨』である事を、哀しいくらいに理解している。
……彼にとって最初の不幸は、彼が側妃ディユニの子として生まれた事だった。
当時の王太子よりも遙かに優秀で人望もあったのに、その所為で彼は王太子には選ばれなかったのだ。
故に、彼は己の出自を強くしつこく恨み、彼を産んだ母親ディユニを何よりも恨んだ。
――どうしてこんな立場に生んだのか、母上よ!
これでは私は永遠に不幸では無いか!
この数十年後に彼が母親ディユニを謀殺するにあたってそれほど躊躇しなかったのは、母を殺してでも、彼の生まれついての不幸から逃れたかったからでもある。
彼の次なる不幸は、実の妹ロデアナを一人の女として愛してしまった事である。ロデアナは誰よりも美しく優しい女に育った。彼は愛する女を誰にも渡したくないと思った彼は、ある日心を決めて、ロデアナを密かに襲って虐げた。
マーロウスントでは高貴な女であればある程、純潔を何よりも重要視するしきたりがある。そうでなくなれば同じ高貴な者の所へ嫁ぐ事など、決して社会から許されない。
……当然ながらロデアナの婚約も破棄された。その数日後にロデアナの元婚約者は川縁に靴だけ残して行方不明となったそうだ。
元婚約者の名を呼んで狂ったように泣きじゃくるロデアナを彼は優しく慰め、その一方で己が襲った事を知る者には皆、口封じして、表向きは不幸な目に遭った妹を真心から思いやる慈悲深い兄を演じた。
けれど、彼は己を本当に不幸だと思っていた。妹を女として愛してしまうなんて、何て己は不幸なのだろうと信じていた。妹が、己の命を捨てたいと幾度となく思い詰めるほどに苦しませてしまったのも、俗世を離れて婚約者の魂の安寧を一途に祈りたいと己に懇願する程に絶望したのも、全ては己の『不幸』が発端なのだ、と心から信じていた。
彼にとっての唯一の誤算は、ロデアナとの間にロサリータが出来てしまった事である。
――でも、それだって徹底的に彼の『不幸』の所為なのだ。決して彼自体の所為ではなく。
彼は王族として優秀だった。人当たりが良くて面倒見が良かったので、貴族達からの人望もあった。高貴で美しい妻を娶り、可愛い娘サレフィにも恵まれていた。養子ボレッテを貰い、いずれの女婿にするに相応しい教育をも受けさせた。
それでも、彼の自己認識としては、いつだって『不幸』で『悲惨』なままだった。
だって彼は実際に『不幸』で『悲惨』なのだ。産んだ母親の所為で生まれついて彼は望んだものを望んだようには手に入れられなかったし、真心を捧げた女ロデアナは実の妹で、彼女からの真心なんてもっと望めず、しかも不義の子ロサリータまで出来てしまったのだから。
無能な異母兄達の所為で国は弱る一方だし、隣国であるガルヴァリナ帝国ではまたもや暴君の『赤斧帝』が酷い政治を敷いていて、今にもこちらに攻めてこようとしていると言う。しかし異父兄達はろくな手を打てない。当然だった。後ろ盾が恐ろしく弱い、しかも若いだけの国王に何の力がある?
彼の愛する祖国のこの危機だって、不幸と悲惨の原因の一つなのだった。
さて、彼は己の上に降りかかった数多の不幸と悲惨をどうにかするため、精力的に動いた。無力な傀儡に近しい国王から己の方へ貴族の支持を取り付けてまとめあげ、いざ『赤斧帝』が攻め込んで来た時には果敢に戦ったものの――到底、力では及ばず、王都マーロウシーナーは陥落した。
国王は我先に投降して助命されたが、最後まで抵抗した彼は囚われて『赤斧帝』の前に引きずり出された。
屈辱と憤怒、そして少しの恐怖で顔を歪めていたブォニートを――マーロウスントの王座に腰掛けて精霊獣『タイラント』を従えながら、『赤斧帝』はじっくりと眺めやった。それから戯れに小刀を取り出した。
「……ふん。貴様、誰よりも『悲惨』な顔をしているな」
反論しようとしたがブォニートは話せなかった。口枷まではめられていたからだ。
「貴様は誰よりも『不幸』な男だ、特別に殺さないでやろう」
そう言って嗤いながら、彼の顔に大きな傷痕とそれ以上に大きな屈辱を刻み込んだのだった……。
……。
『赤斧帝』が撤退した後で、ブォニートは再び決起した。苦労を重ねて王国の各地から帝国軍を追い払い、どうにかマーロウスントの国土を取り戻した。
その頃には彼は幼い王太子の摂政の地位にまで上り詰めていたが、その心には暗く燃える炎が付いたままだった。
彼の哀しい『悲惨』と『不幸』を、『赤斧帝』は真面に嘲った。とても些末で下らぬものだと一笑に付したのだ!
それは、『赤斧帝』の血と死と絶望をもってしか贖えぬ――ブォニートにとっては最も忌まわしい『不幸』であった。
しかし『赤斧帝』は皇子ヴァンドリックのクーデターにより幽閉されてしまった上に、数年後に処刑されてしまった。
――となれば、その息子である皇帝ヴァンドリック共にこの報復の矛先を向けねばならない。
必ずや報復を遂げて、連中に苦痛と悲嘆によって思い知らさねばならない。
さもなくばだ、彼は未来永劫に『不幸』で『悲惨』なままなのだから!
己が誰よりも『不幸』で『悲惨』である事を、哀しいくらいに理解している。
……彼にとって最初の不幸は、彼が側妃ディユニの子として生まれた事だった。
当時の王太子よりも遙かに優秀で人望もあったのに、その所為で彼は王太子には選ばれなかったのだ。
故に、彼は己の出自を強くしつこく恨み、彼を産んだ母親ディユニを何よりも恨んだ。
――どうしてこんな立場に生んだのか、母上よ!
これでは私は永遠に不幸では無いか!
この数十年後に彼が母親ディユニを謀殺するにあたってそれほど躊躇しなかったのは、母を殺してでも、彼の生まれついての不幸から逃れたかったからでもある。
彼の次なる不幸は、実の妹ロデアナを一人の女として愛してしまった事である。ロデアナは誰よりも美しく優しい女に育った。彼は愛する女を誰にも渡したくないと思った彼は、ある日心を決めて、ロデアナを密かに襲って虐げた。
マーロウスントでは高貴な女であればある程、純潔を何よりも重要視するしきたりがある。そうでなくなれば同じ高貴な者の所へ嫁ぐ事など、決して社会から許されない。
……当然ながらロデアナの婚約も破棄された。その数日後にロデアナの元婚約者は川縁に靴だけ残して行方不明となったそうだ。
元婚約者の名を呼んで狂ったように泣きじゃくるロデアナを彼は優しく慰め、その一方で己が襲った事を知る者には皆、口封じして、表向きは不幸な目に遭った妹を真心から思いやる慈悲深い兄を演じた。
けれど、彼は己を本当に不幸だと思っていた。妹を女として愛してしまうなんて、何て己は不幸なのだろうと信じていた。妹が、己の命を捨てたいと幾度となく思い詰めるほどに苦しませてしまったのも、俗世を離れて婚約者の魂の安寧を一途に祈りたいと己に懇願する程に絶望したのも、全ては己の『不幸』が発端なのだ、と心から信じていた。
彼にとっての唯一の誤算は、ロデアナとの間にロサリータが出来てしまった事である。
――でも、それだって徹底的に彼の『不幸』の所為なのだ。決して彼自体の所為ではなく。
彼は王族として優秀だった。人当たりが良くて面倒見が良かったので、貴族達からの人望もあった。高貴で美しい妻を娶り、可愛い娘サレフィにも恵まれていた。養子ボレッテを貰い、いずれの女婿にするに相応しい教育をも受けさせた。
それでも、彼の自己認識としては、いつだって『不幸』で『悲惨』なままだった。
だって彼は実際に『不幸』で『悲惨』なのだ。産んだ母親の所為で生まれついて彼は望んだものを望んだようには手に入れられなかったし、真心を捧げた女ロデアナは実の妹で、彼女からの真心なんてもっと望めず、しかも不義の子ロサリータまで出来てしまったのだから。
無能な異母兄達の所為で国は弱る一方だし、隣国であるガルヴァリナ帝国ではまたもや暴君の『赤斧帝』が酷い政治を敷いていて、今にもこちらに攻めてこようとしていると言う。しかし異父兄達はろくな手を打てない。当然だった。後ろ盾が恐ろしく弱い、しかも若いだけの国王に何の力がある?
彼の愛する祖国のこの危機だって、不幸と悲惨の原因の一つなのだった。
さて、彼は己の上に降りかかった数多の不幸と悲惨をどうにかするため、精力的に動いた。無力な傀儡に近しい国王から己の方へ貴族の支持を取り付けてまとめあげ、いざ『赤斧帝』が攻め込んで来た時には果敢に戦ったものの――到底、力では及ばず、王都マーロウシーナーは陥落した。
国王は我先に投降して助命されたが、最後まで抵抗した彼は囚われて『赤斧帝』の前に引きずり出された。
屈辱と憤怒、そして少しの恐怖で顔を歪めていたブォニートを――マーロウスントの王座に腰掛けて精霊獣『タイラント』を従えながら、『赤斧帝』はじっくりと眺めやった。それから戯れに小刀を取り出した。
「……ふん。貴様、誰よりも『悲惨』な顔をしているな」
反論しようとしたがブォニートは話せなかった。口枷まではめられていたからだ。
「貴様は誰よりも『不幸』な男だ、特別に殺さないでやろう」
そう言って嗤いながら、彼の顔に大きな傷痕とそれ以上に大きな屈辱を刻み込んだのだった……。
……。
『赤斧帝』が撤退した後で、ブォニートは再び決起した。苦労を重ねて王国の各地から帝国軍を追い払い、どうにかマーロウスントの国土を取り戻した。
その頃には彼は幼い王太子の摂政の地位にまで上り詰めていたが、その心には暗く燃える炎が付いたままだった。
彼の哀しい『悲惨』と『不幸』を、『赤斧帝』は真面に嘲った。とても些末で下らぬものだと一笑に付したのだ!
それは、『赤斧帝』の血と死と絶望をもってしか贖えぬ――ブォニートにとっては最も忌まわしい『不幸』であった。
しかし『赤斧帝』は皇子ヴァンドリックのクーデターにより幽閉されてしまった上に、数年後に処刑されてしまった。
――となれば、その息子である皇帝ヴァンドリック共にこの報復の矛先を向けねばならない。
必ずや報復を遂げて、連中に苦痛と悲嘆によって思い知らさねばならない。
さもなくばだ、彼は未来永劫に『不幸』で『悲惨』なままなのだから!
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