イセリック/クワイエット・テラー

@etheric

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クワイエット・テラー

作倉暦 Ⅴ

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 マイカは我に返ると、まだ廊下でへたり込んでいたままだった。体のだるさと頭痛が再びじわじわと襲ってくる。マイカは現実に戻って来たのを嫌というほど実感させられた。

「大丈夫か?」作倉が目の前に立っていた。「自分で起きれるな」

「はい、すいません」

 マイカはスカートについたほこりを払いながらゆっくりと立ち上がった。

「先生、今のはいったい……?」

「今の……とは?」作倉が顔色一つ変えず聞き返す。

「あの、先生の手に触れた瞬間、あの……その……」

 マイカはその先を言うのをためらった。

「……どうしたんだ?」作倉が少し待って、その言葉の先を促す。

「すごく高い建物の屋上みたいなところに行きました。先生といっしょに……」マイカは思い切って、作倉から視線を外しながらそう言った。傍から見ればいったい何を言っているんだと思われるだろうが、マイカにとっては確かめずにはいられなかった。

「何を言っているんだ?」作倉は眉をしかめて言った。

――やっぱりそうなるか……!

 マイカは、作倉がそんな反応をしたからといって簡単に諦めるわけにはいかない。ここまで来たら、なんとしてでも食い下がらねば!

「部室で先生と目が合ったときも、そこに行ったんです。一瞬だったけど……。でもさっき、先生の手に触れたら、けっこう長く、その……すごく高い建物の屋上にいたんです。10分とか15分とかそのぐらいいた気がしたんですけど……」

 マイカは目でも訴えかけつつ、そう言った。しかし、作倉は小さくため息をついてマイカの頭に手を触れようとした。マイカはとっさに身構えたが、観念して目をつむる。

 作倉の右手が、マイカの頭の上に優しく置かれた。マイカは少しその手のひらが湿っているような感じがした。

「どうだ?そのすごく高い建物の屋上に行けそうか?」

 マイカは数秒ほど待ってみたが、そのような感覚はやってこなかった。

「いえ。」マイカがボソッと言った。「さっきはすぐに行ったのに……」

 頭にクエスチョンマークを浮かべるマイカを見て、作倉は優しく「そうだろう」と言った。マイカがおかしなことを言っていることに対して、何も気にしていない様子だ。マイカはあまり納得できなかったが、それで少し救われた。

「やはり体調が悪いんだな?それで、今少しだけ頭の中が混乱しているんだ。呼びだしておいてこう言うのもなんだが、今日は早く帰って休みなさい」

 作倉はそう言って、マイカをその場に残して去って行った。マイカはそれ以上何も言い返せずに、黙って作倉の背中を目で追うだけだった。

 作倉の姿が見えなくなると、マイカはトボトボと部室にカバンをとりに戻った。部室に入ると、小宮山が顔面蒼白でマイカを迎え入れた。

「ちょっと!マイカさん」小宮山が慌てて言った。「何があったの!?」

「何がって?」マイカは、小宮山がただならぬ様子で迫ってくるので驚いた。

「マイカさんがさっき急いで作倉先生を追うから!」と小宮山が早口で言う。「ドアからのぞいてみたんだ……」

 そう言って、小宮山は何か恐ろしいものを思い出したかのように怯えた。

 マイカは、ピンときた。あの夢の世界に行っている間の様子を小宮山が見ていたのだと判断した。ここに証人がいた!

「何があったんですか!?」マイカが小宮山に詰め寄る。

 小宮山が唾をごくりと飲んで、答えた。

「マイカさんが、先生の前で力が抜けたように座り込んでいて……、そんなマイカさんを先生がとても恐い表情で見下ろしていたんだよ!」

 マイカは絶句した。少しの沈黙の後、マイカが小宮山に訊いた。

「それって……どのくらいですか?」

「それが……、恐くてすぐドアをしめちゃったんだ」

 小宮山はオドオドしながらそう答えた。

 期待はずれの返答に、溜まっていた疲れがマイカにどっと押し寄せて来た。マイカは小宮山に背を向けて、机の上に置かれたかばんを手に取った。部室に来た時は床に置いたはずだが、小宮山が親切で机の上に置いてくれたのだろう。

 小宮山はそんなマイカの態度にうろたえた。マイカを失望させまいと、小宮山はなんとか有益な情報を提供しようと頭を巡らせる。

「そうだ!マイカさんが戻って来たのは、それから10分ぐらい経った後だよ!」

「え?」マイカは小宮山の方に向き直して言った。「今……、10分って?」

 小宮山がすかさず、「うんうん」と頭を縦に振る。

マイカは愕然とした。やっぱり、あの夢の世界にいたときの時間の感覚は間違ってなかったんだ!

――じゃあ、先生が知らないフリをしていたってこと?

マイカは「やられた!?」と心の中で叫んだ。同時に、マイカの顔は悔しさでいっぱいになる。

「いったい何があったの!?まさか先生に何かされたわけじゃないよね!?」

 考え込むマイカに懸命に話しかける小宮山であったが、マイカにその声は届かない。マイカは頭の中を整理するのに必死だ。

――先生は私が夢の世界に行っている間、私を見ていた?先生もあの場所にいたのに。

「マイカさん!」小宮山がマイカの華奢な両肩をつかみ揺さぶる。マイカは思わず「キャッ」と声が出た。その声に驚き、小宮山が慌ててマイカの両肩から手を離す。

「ご、ごめん!でも心配だったんだ。どう見ても様子がおかしかったから……」

「だ、大丈夫です。ご心配かけてすいません……」

 マイカはとりあえずひとりになって考えたかった。カバンを持ち上げて、右肩にかける。

――今日はとにかく、もう帰ろう。

 マイカが、部室を出ようとすると、部室に向かって、誰かが廊下を歩いてくる音がした。

「やな予感」小宮山がつぶやいた。

 小宮山のその予感は当たった。部室にひとりの男が入ってきた。

「都、チース!」その男は、キザにポーズを決めてマイカに近寄ってくる。

 サッカー部のエースの桐原だ。桐原は小宮山と同じく2年生で、クラスも小宮山と同じだという。髪はスポーツマンであるわりに色は明るい茶色で、肩までかかるくらいの長髪である。制服もだらしなく着崩している。いわゆる典型的なチャラ男の風貌だ。

 桐原は、マイカに一目惚れして以来、部活の定休日にわざわざマイカに会いにこの部室にやってくる。この日も、サッカー部は定休日であった。なぜかサッカー部の定休日と哲学思想研究部の活動する日は重なることが多いため、これまでたびたび哲学思想研究部の活動を妨害し、桐原は広美先生に叱られていた。

 しかし、桐原にとってそんなことは関係なく、マイカを除いて部員皆がこの男を恐れていた。中でも小宮山は桐原を忌み嫌っている。

「ちょっと!」ズカズカと部室に入ってくる桐原に対して、小宮山が苦言を呈する。「き、君はいつも勝手に入ってくるね。こ、困るんだよ!」

 小宮山は、おどおどとしていて、とても頼りない。桐原が哲研の活動を邪魔するのは毎度のことであるのに、全く毅然とした態度をとれるようにならない。

「チッ!」と桐原が舌打ちをする。「てめーもいんのかよ。ゴミヤマ!どけっ!」

 桐原が小宮山の肩をぐいっと押した。小宮山は簡単に部室の壁まですっとんだ。今までは反抗することなどなく白旗を上げていた小宮山だったが、この日は少しだけ違うようだ。体勢をすぐさま立て直し、桐原に向かって言った。

「桐原くん!これからはもう来ないでくれないか!?この部は今日新しいスタートを切ったんだ!迷惑なんだよ!」いかにも勇気を振り絞って言ったというような甲高い叫び声だった。

「なに言ってんだ、こいつ。うるさいな。」桐原が面倒くさそうに言う。「暇そうじゃねーかよ。俺は都に用があるんだよ。お前は黙っとけ。……ていうか帰っていいぞ」

「ふざけるな……」小宮山はか細く頼りない腕で桐原に喰いかかり、桐原のブレザーの襟をつかんだ。「今日から作倉先生が顧問になったんだ。もうお前の自由にはさせないぞ。おまえのことはもう作倉先生に言ってあるんだからな!」

小宮山の精一杯の反抗も、全く効いていないようで、桐原は涼しい顔をしている。

「へぇーこよみちゃんが顧問になるのか。てか、テメー、チクってんじゃねえぞ!」

 桐原はブレザーの襟をつかんでいる小宮山の手を振りほどいた。小宮山はいとも簡単にふらふらとよろめき、壁によりかかった。

 マイカは2人の言い争いを黙って見ていたが、小宮山が不憫に思えてきた。

「桐原先輩、あんまり乱暴は…」

「いやいや!」と桐原はマイカに必死に弁明を始めた。「こいつが俺に喰いかかってきたから振りほどいただけだろ?それに都、こんなやつの味方するのか?そりゃあんまりだよ!」

 マイカはため息をついて言う。「とにかく、喧嘩はやめてください。」

「まぁ、都がそう言うなら……。こんなやつどうでもいいし」桐原はマイカに媚びへつらうように言った。桐原は、よれたブレザーの襟を整えながら小宮山を睨みつけた。小宮山もバツが悪そうに黙っていた。

「先輩、今日……私調子が悪いんです。なので、もう帰ります」

 マイカはガンガンする頭をおさえながら桐原に言った。

「なんだ、やっぱり調子悪いのか?」桐原はあっけらかんとしている。

「やっぱりって?」マイカが聞き返した。

「いや、さっきそこの青空廊下に俺のクラスメイトの女子がいてさ。そしたらその女子が、さっき都が廊下の床に倒れこんでて、しばらくしたら何事もなかったように起き上がってこの部室に戻っていったって言うからさ。なんだよそれって感じでさ?まるでホラーじゃん!」

 桐原は軽い口調でそう言ったが、マイカがやや怒りを含んだような暗い表情をして黙り込んでいるので、驚いた。

「え?マジ?」桐原が真顔でマイカに言った。

「いえ、そんなことはありません。その人の見間違えじゃないですか?」マイカは無表情を装って言ったが、桐原にもマイカが負の感情を抱いているのは見てとれた。桐原は慌ててその場を取り繕おうとする。

「まぁ、そうだよな?全く何言ってんだか、アイツ。こよみちゃんもいて、なんかすごく汗かいてるようだったとかワケのわからないこと言いだすしさ……」

「汗?」マイカはその言葉がひっかかった。マイカは、ついさっき、自分の頭に置かれた作倉の手が湿っていた感じがしたのを思い出した。

「いや、たぶんその女子の見間違いだよ!きっと。」桐原は余計なことを言ってしまったと思った。

 2人のやり取りを聞いていて、小宮山は自分が見た状況とかなり似ていると分かっていたので、マイカに目でそれを訴えた。マイカも小宮山のその視線に気づいて、一瞬目を合わせたが、すぐに俯いて肩にかけたカバンのとってを握りしめた。

 そして、下唇を噛みしめ、かすかに聞き取れるぐらいの声で「帰ります」とだけ言って、2人を置いて部室を出ていった。
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