うら若き魔女の王女が恋をして、魔王になるまでの日々

ハムえっぐ

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第10話 ヒイラギの実力

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 ビオレール公国のキース公子がリュンカーラに到着するまで、あと1週間ほど。
 王都全体が、どこか落ち着かない、ソワソワした空気に包まれていた。
 賓客を迎える準備や、それに伴う警備の強化、何より第一王女アリス様の婚儀が近いという噂で、人々の間にも期待と不安が入り混じっているようだ。

 そんな中、俺、ヒイラギは使いの途中でザックス殿の教会に立ち寄っていた。
 境内では以前の騒動で世話になった元ならず者のササスが、黙々と落ち葉を掃いている。
 すっかり教会の仕事にも慣れた様子だ。

「よう、ヒイラギの旦那。今日はアリス様のお付きは休みですかい? それとも、また姫様は王宮で礼儀作法の特訓とか?」

 ササスが箒を持つ手を止め、にやついた顔で軽口を叩いてくる。

「……まあ、そんなところだ。正直、あの方に淑女の作法は似合わんと思うがな」

 俺が素直に同意すると、ササスは「ヘヘ、やっぱり旦那もそう思いますか!」と声を上げて笑った。

「しっかし、気の毒なこった。俺みてえな女と縁のない人生もどうかと思うが、お偉いさんってのは、会ったこともねえ相手といきなり結婚が決まっちまうんでしょ? たまらねえなあ」

「……それも、同意だな」

 思わず苦笑いが漏れる。
 こんな下世話な話で、元ならず者とここまで意気投合するとは、俺にも案外ゴロツキの才能があったのかもしれない。

「ときにヒイラギの旦那も、キルア族じゃ族長の息子だったって聞きましたぜ。やっぱり、許嫁みてえな人はいたんですかい?」

「族長といっても、数百人程度の小さな部族だ。大したもんじゃない。馬や羊を追って暮らす、のどかな遊牧民だったさ」

 俺はぶっきらぼうに答えたが、ササスの言葉は心の奥底に仕舞い込んでいた何かを揺さぶった気がした。
 故郷のこと、家族のこと……普段は考えないようにしているのだが。

「へえ? そうでしたかい。でも、旦那があんなに強いとはねえ。いやあ、この間の市場での一件、ありゃあスカッとしましたぜ! 旦那、普段はぬぼっとしてるのに、いざって時はおっかねえ。あの両姫様たちが駆けつける前に、あっという間に悪党どもの剣を叩き折っちまうんだから! 暴れたくてウズウズしてるアニス姫と、旦那を誇らしげに見てるアリス姫の対照的な顔ったらなかったですよ」

 ササスの言葉に、俺は数日前の市場での出来事を思い返していた。
 楽しげだったはずの朝が、一転して血生臭い空気に包まれた瞬間を。

(あの時、俺の判断は正しかったのか……? 下手すれば、アリス様たちを危険に巻き込んでいたかもしれない……)

 思い出すと、背筋に冷たいものが走る。

 あれはアリス姫が「とこしえの森で採れる秋のキノコが食べたい!」と言い出したのが始まりだった。
 エルフの商隊がちょうど市場に来る日だとかで、まだ他の側近たちが寝静まっている早朝に叩き起こされ、アリス姫、アニス姫、俺とマツバの4人で市場へ向かったのだ。

 市場に着くと、アリス姫たちの友人だというエルフの姉妹、エレミアとエレノアも合流し、一行は賑やかな朝の市場をルンルン気分で歩き回った。
 色とりどりの野菜、焼きたてのパンの匂い、活気ある人々の声。
 アニス姫とマツバは甘栗の屋台にはしゃぎ、アリス姫とエルフ姉妹は野菜を吟味しながら店主と楽しげに値段交渉をしている。
 あちこち引っ張り回されて少々疲れたが、姫様や妹、エルフたちが屈託なく笑っているのを見ると、まあ、悪くない、と思えた時だった。
 人々の陽気な喧騒の中に、不意に異質なものが混じったのを感じた。
 研ぎ澄まされた刃のような、冷たい殺意。血の匂いを渇望する、粘つくような憎悪の気配。
 長年、厳しい自然と対峙し、時には獣や敵対部族と戦ってきたキルアの戦士としての勘が、警鐘を鳴らしていた。

(この気配は……!)

 アリス姫もアニス姫も、魔女としては桁外れの力を持つ。
 純粋な戦闘力なら、俺など足元にも及ばないだろう。
 だが彼女たちはディンレルの太陽の下で、人々の愛情に包まれて育ってきた。
 こんな、他者の命を蹂躙することに何の躊躇いもない、ドス黒い悪意に直接晒された経験は少ないはずだ。
 気配に気づく前に、凶刃が彼女たちに向けられる可能性もある。

(俺がやるしかない。俺が、この人たちを守る。……これから、ずっと)

 理由はうまく説明できない。だが、そう強く思った。俺はマツバに「姫様たちを頼む」と短く告げ、殺気の源へと駆け出した。

 案の定、市場の隅でエルフの商隊が数人の屈強な旅人風の男たちに絡まれていた。
 商品に難癖をつけ、威嚇している。
 どうやら商談を断られた腹いせのようだが、男たちの目にはエルフという異種族に対する侮蔑と憎悪の色が隠しようもなく浮かんでいた。
 人間至上主義、西から流れてきた、あの歪んだ思想にかぶれた連中だ。

「エルフ風情が、人間の指図を断るとはどういう了見だ!」

 1人が罵声を浴びせて腰の剣に手をかける。振り下ろされる白刃。だが、それがエルフに届くことはなかった。

 キィン! という甲高い金属音と共に、旅人の剣が半ばからへし折れる。
 俺が先日クレマンティーヌ殿から託された剣で弾き返したのだ。

 あれは模擬戦の後だった。
 俺が剣での手合わせを申し込むと、クレマンティーヌ殿は「その心意気や良し」と頷き、どこからか一本の剣を取り出した。

「これはドワーフの王、シュタインが鍛えた業物さね。今の君には過ぎたものかもしれんが、使いこなせるよう励むといい」

 そう言って、この漆黒の剣を俺に与えてくれたのだ。
 まさか、これほど早く実戦で使うことになるとは思わなかったが。

「な、何奴だ!」

「黒髪……キルアの蛮族か! でしゃばるな!」

 旅人たちが驚き、次いで怒りを露わにする。
 だが彼らが俺に襲いかかる前に、状況は一変した。

「そこで何をしているのです!」

 アリス姫の凛とした声が響き渡る。
 隣ではアニス姫が、すでに手のひらにバスケットボール大の炎の塊を作り出し、ニヤリと笑っている。
 エルフ姉妹も弓に矢をつがえ、マツバも静かに闇のオーラを纏い、いつでも魔法を放てる体勢をとっていた。

 騒ぎを聞きつけた市場の人々、特に屈強なドワーフたちが、あっという間に旅人たちを取り囲む。
 多勢に無勢、それと王女たちの威光を前に、旅人たちは悪態をつきながらも、すごすごと退散していった。
 連中の背中には屈辱と、いずれ報復してやるというような憎悪が滲んでいたが。

「後で聞きましたが、陛下はエルフの商隊を襲おうとした旅人どもを、見せしめに処刑しようとしたらしいですぜ。まあ、死人が出なかったんで、宰相様が間に入って、国外追放ってことで落ち着いたそうですが」

 ササスは掃き掃除を再開しながら、やれやれと肩をすくめた。

「いやあ、俺もまあ、若い頃は色々やらかしましたし、喧嘩もしましたがね、人間だから、エルフだから、ドワーフだからって理由で殺し合いみてえな騒ぎになるのはこのリュンカーラじゃ初めて見ましたよ。ザックス様の話じゃ、南や西の方じゃ、もうそれが当たり前になってるって話ですが……嫌な世の中になったもんだ。みんな、女神フェロニア様の『命は等しく尊い』って教えを忘れちまったんですかねえ。人間が一番偉いなんて、同じ人間として恥ずかしい限りでさあ」

 ササスの目には以前のささくれた光はなく、どこか憐れむような、穏やかな色が浮かんでいるように見えた。
 教会での地道な仕事や、ザックス殿の影響が、彼の心を少しずつ変えているのかもしれない。

「……まあ、この国は大丈夫だろう」

 俺はリュンカーラの空を見上げながら呟いた。

「アリス姫が国を継ぎ、アニス姫もいる。マツバや、他の姫様たちを慕う強い魔女たちも大勢いる。クレマンティーヌ殿や、ザックス殿のような傑出した方々もいるからな」

「へへ、そうですねえ。それに、ヒイラギの旦那みてえな頼りになる人もいる。天才といえば旦那もそうですよ。期待してますぜ。俺たちみてえな、市井の人間の希望ですから」

 ササスが屈託なく笑う。希望、か。柄じゃないが、悪い気はしない。俺もつられて、わずかに口元を緩めた。

「おや、何やら楽しそうな話ですねえ? ヒック。俺も混ぜてくださいよ。ヒック」

 不意に教会の門が開き、赤い顔をしたザックス殿が、千鳥足で現れた。
 どうやら朝っぱらから、近所の誰かと一杯やっていたらしい。

「ザックス殿……朝からそれは……」

「ザックス様、またですか……あっしの分は?」

 俺とササスは顔を見合わせて、思わず苦笑いを漏らすのだった。
 この国の平和は案外、こういう人たちの存在によって保たれているのかもしれない。
 
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