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6 気がかり
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「朝まであそこにいたら凍え死んでたよ」
巣沼は野菜と豆腐だけの煮える鍋をつついた。動物性食品を口にしない僕に配慮して,不要となった肉も魚も蒲鉾も炬燵脇の大皿に放置されたままだ。
「君も無茶な奴だな」あちこちへ汁を飛ばし,ポン酢の入った僕の碗に白菜や春菊を天こ盛りにする。
「仕事ですから」
「仕事だったら命もかけるのか!」
「そうするべきだと思っています」
「ばっかもん! 間違ってるぞ!――」酒臭い息を吐く。随分酔いがまわっているようだ。「命より大切なもんなんか,この世にあるもんか!」
「心配には及びません。氷壁で囲まれる滝壺に浸かって夜明かししたり,薄氷の張る湖面を白衣一枚で千往復するのに比較すれば,今日の仕事は大した負担ではありません」
「きさまは修験者か――」赤ら顔で酒を勧める。
「済みません。お神酒のおさがり以外はいただきません」
「けっ……酒も飲めねぇてか!――そんなだと僕よりつまらん人生を送るぞ!」徳利を傾けて直に口をつけてのんだ。「食え,食え――せめて今夜は足るほど食え――」饂飩を鍋に放りこんでから,手もとの小さな俎板へ野菜を載せると,切断器具でどんどん切っていく――珍しい器具だった。
よく見れば,木像の下部から複数の刃が滑りでる仕組みになっているのだ。正方形の帽子を被った垂れ目の褌童が万歳すれば 蹠 から刃が流れおち,逆立ちすれば沈みこむ趣向が凝らされてある。
「面白い道具ですね」
「ああ――雲母は包丁使うの,下手でね。しょっちゅう怪我して危なっかしいから,これを拵えてやったんだよ――真骨頂はここからさ」吃逆しつつ木製の人形を右手に摑み,飛びだしてきた複数枚の刃に左指を押しあてた。
「危ない!――」
刃が一斉にはねあがった。カラカラという音がして刃の数々が花形を模りながらやがては一つに重なりあって人形の内部にすっかり収納されてしまった。巣沼の指は無傷だった。
「外部から加わる力を感知すれば刃のひっこむ構造にしてあんのさ。特殊なセンサーを組みこんでさ,刃が人体に触れる前に,一瞬で刃の傾斜をかえて皮膚を傷つけないよう仕こんである。雲母も喜んで使ってくれたけど,これももう用なしだな……」炬燵台に横顔をつけた。「雲母が地元と縁を切れって言うの……当然なんだよ」
巣沼と雲母は同じ村の出身者だった。村では住人同士の結束が強く,政治や商売においても法律に触れるような互助の関係が依然罷りとおっているらしい。15年前に教師だった雲母の母親は,市議会議員に立候補する村長から,金銭とひきかえに票のとりまとめを依頼されたものの,拒絶した。雲母親子に対する嫌がらせは凄惨を極め,親子は村を逃げだし,街へ来たのだ。その後母親は心労が祟り,半年で亡くなったという……
「雲母を愛してる。でも僕が地元と縁を切れば,家族だって,親戚だって,友人だって無事では済まない。僕には為す術が何一つない……」
「……巣沼さん……風邪をひきますよ」
眠ってしまったらしい。
瘦せた体を横たえ,埃っぽい座布団を二つ折りにして白髪の目だつ頭にはませてから,皮脂のにおいの染みこんだ炬燵布団の一面を長めにひきよせて薄い肩をおおう。
10年前に他界した父を思いだし目頭が熱くなる。
呼び鈴が鳴る。夜中の3時過ぎだ。
ドアをあければ伽藍堂が立っていた。
「やっぱりここかよ――あのまま辞めちまったんじゃねぇかってノブ代さんが心配してさ。まだデッフェに残ったまんまだ。荷物があるから大丈夫だって言ったけど,捜しにいけって聞かねぇから――」
火の後始末と食品の保存と食器類の片づけを済ませて声をかけたが,巣沼は起きなかった。足音を忍ばせてアパートの部屋を出る。
しばらくデッフェに寝泊まりしてよいという許可を得た。
積もった雪は少量だったが,路面が凍結していた。群れた若者たちが滑っては腹を抱えて高笑いする傍らを欠伸しながら通りすぎる伽藍堂の隣で僕はアパートを振りかえった。
その気がかりは翌朝大きな後悔へと転じた。巣沼が轢死したという知らせを受けたのだった……
巣沼は野菜と豆腐だけの煮える鍋をつついた。動物性食品を口にしない僕に配慮して,不要となった肉も魚も蒲鉾も炬燵脇の大皿に放置されたままだ。
「君も無茶な奴だな」あちこちへ汁を飛ばし,ポン酢の入った僕の碗に白菜や春菊を天こ盛りにする。
「仕事ですから」
「仕事だったら命もかけるのか!」
「そうするべきだと思っています」
「ばっかもん! 間違ってるぞ!――」酒臭い息を吐く。随分酔いがまわっているようだ。「命より大切なもんなんか,この世にあるもんか!」
「心配には及びません。氷壁で囲まれる滝壺に浸かって夜明かししたり,薄氷の張る湖面を白衣一枚で千往復するのに比較すれば,今日の仕事は大した負担ではありません」
「きさまは修験者か――」赤ら顔で酒を勧める。
「済みません。お神酒のおさがり以外はいただきません」
「けっ……酒も飲めねぇてか!――そんなだと僕よりつまらん人生を送るぞ!」徳利を傾けて直に口をつけてのんだ。「食え,食え――せめて今夜は足るほど食え――」饂飩を鍋に放りこんでから,手もとの小さな俎板へ野菜を載せると,切断器具でどんどん切っていく――珍しい器具だった。
よく見れば,木像の下部から複数の刃が滑りでる仕組みになっているのだ。正方形の帽子を被った垂れ目の褌童が万歳すれば 蹠 から刃が流れおち,逆立ちすれば沈みこむ趣向が凝らされてある。
「面白い道具ですね」
「ああ――雲母は包丁使うの,下手でね。しょっちゅう怪我して危なっかしいから,これを拵えてやったんだよ――真骨頂はここからさ」吃逆しつつ木製の人形を右手に摑み,飛びだしてきた複数枚の刃に左指を押しあてた。
「危ない!――」
刃が一斉にはねあがった。カラカラという音がして刃の数々が花形を模りながらやがては一つに重なりあって人形の内部にすっかり収納されてしまった。巣沼の指は無傷だった。
「外部から加わる力を感知すれば刃のひっこむ構造にしてあんのさ。特殊なセンサーを組みこんでさ,刃が人体に触れる前に,一瞬で刃の傾斜をかえて皮膚を傷つけないよう仕こんである。雲母も喜んで使ってくれたけど,これももう用なしだな……」炬燵台に横顔をつけた。「雲母が地元と縁を切れって言うの……当然なんだよ」
巣沼と雲母は同じ村の出身者だった。村では住人同士の結束が強く,政治や商売においても法律に触れるような互助の関係が依然罷りとおっているらしい。15年前に教師だった雲母の母親は,市議会議員に立候補する村長から,金銭とひきかえに票のとりまとめを依頼されたものの,拒絶した。雲母親子に対する嫌がらせは凄惨を極め,親子は村を逃げだし,街へ来たのだ。その後母親は心労が祟り,半年で亡くなったという……
「雲母を愛してる。でも僕が地元と縁を切れば,家族だって,親戚だって,友人だって無事では済まない。僕には為す術が何一つない……」
「……巣沼さん……風邪をひきますよ」
眠ってしまったらしい。
瘦せた体を横たえ,埃っぽい座布団を二つ折りにして白髪の目だつ頭にはませてから,皮脂のにおいの染みこんだ炬燵布団の一面を長めにひきよせて薄い肩をおおう。
10年前に他界した父を思いだし目頭が熱くなる。
呼び鈴が鳴る。夜中の3時過ぎだ。
ドアをあければ伽藍堂が立っていた。
「やっぱりここかよ――あのまま辞めちまったんじゃねぇかってノブ代さんが心配してさ。まだデッフェに残ったまんまだ。荷物があるから大丈夫だって言ったけど,捜しにいけって聞かねぇから――」
火の後始末と食品の保存と食器類の片づけを済ませて声をかけたが,巣沼は起きなかった。足音を忍ばせてアパートの部屋を出る。
しばらくデッフェに寝泊まりしてよいという許可を得た。
積もった雪は少量だったが,路面が凍結していた。群れた若者たちが滑っては腹を抱えて高笑いする傍らを欠伸しながら通りすぎる伽藍堂の隣で僕はアパートを振りかえった。
その気がかりは翌朝大きな後悔へと転じた。巣沼が轢死したという知らせを受けたのだった……
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