デッフェでお逢いしましょう――デッフェコレクション1――

せとかぜ染鞠

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8 帰郷

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 伽藍堂のスマホに連絡が入った。
 ノブ代からだ。雲母が巣沼をホームから突きおとしたと証言した3人の身元を調べてもらっていたのだ。
「驚かないでね。3人とも足曳村あしびきむらの出身なの――雲母ちゃんと巣沼さんの郷里よ」
 僕たちはシルバーのコンバーチブルに飛びのった。
「無理をしないでちょうだいね! 絶対に無事で帰ってきて!」
「はい――お仕事を終えたら,ノブ代さんに淹れていただいたコーヒーを飲みたいです」
「勿論よ。何杯でも淹れてあげるわ――社長が何と言おうとも無料で飲ませてあげるからね」
 通信が切れてもしばらく柔らかな声の余韻に浸っていた。運転席の視線に気づき,スマホを返す。
「斎薔薇ってさ――マジで熟女好きなんだな」
「熟女も若女じゃくじょも大好きです。女の人は優しいから」
「……もしかして母親がいねぇとか?」
「はい,いません。父はいましたが,血は繫がっていないのかもしれません。聞いたことがないので分からないのです」
「……へぇ,そうなんだ……なら俺と一緒かもな。俺には,血のつながった親も,そうじゃねぇ親もいねぇ。世間じゃ,俺らを憐れんでるけど,俺から言わせりゃ,親とか子とか家とかもってる一般人のほうがよっぽど憐れだよ。しがらみに囚われて不自由じゃねぇか――」アクセルを踏みこんで高速へのった。
 街を出たときには快晴だった天空が打ってかわって一切の憂欝を封じこめたみたいなオーカーの領域におおいかくされ,アメーバ状に流動する小糠雨が降っていた。
 1時間ぐらい伽藍堂は押しだまっていた――僕が何か話せばよかったのかもしれない。高速をおりて,沼かと見紛いそうな田畑の連なる一帯に簡素な家々の点在する集落を走っていく。
「昼間なのに誰も戸外にいませんね」
「天気が悪いってだけの理由じゃなさそうだ。不気味な村だぜ」
「――あっ,人がいます。話を聞きましょう」
「よせよせ,やめとけ――」伽藍堂が小声で言って車を素通りさせる。
 ぽつねんと佇む高齢女性の背後には,閉ざされたシャッターに「巣沼工務店」という看板が逆さまに立てかけられてあった。
「とめてください」
「やっぱりそうきたか――いやだね」
「社長とスタッフの関係を解消していただいて構いません」
「あのな!」急ブレーキがかかる。「それ,俺の立場が使う脅し文句だからな――」
「……」
「ああぁ……」
 車がもと来た道をバックして巣沼の実家の前でとまった。助手席からおりて女性に話しかける。
 ぼんやりとした瞳が俄かに生気をとりもどした。「貢義? 貢義やないかえ! 正月でもないのに帰ってきてくれた!――」雨にじっとり濡れた体で僕に絡みつき強く抱きしめる。
「お母さん……ですか」
「ほうだよ,お母さんだよ――やっと戻ってきてくれた」
 巣沼の母親は涙を流しながら僕の頭や背を撫でた。掃きだし窓から初老の男性が裸足のまま飛びだして僕たちの間にわってはいる。母親は息子の帰ってきたことを浮きうきと報告する。男性は巣沼の父親だ。
「あんたら,何処のマスコミじゃ! うちには二度とかかわるなゆうたじゃろ!」
「僕たちは,巣沼さんの入会していたデッフェという集まりの人間です」
「デッフェ!――星雲母の関係者か!」
「そうです――」
 父親が殴りかかってきた。
「乱暴はよしましょうよ」伽藍堂が父親の腕と肩とを押さえつけていた。「星雲母の行方を御存じありませんか? 早急に探しださないとまずいことになる」
「貢義の死んだんは,あの女のせいじゃ!」顔だけ振りむけて怒鳴りちらす。「どうにでもなればええ! あんな女,とっとと死んでしまえ!」
「なるほど――」伽藍堂は父親を突きはなした。「雲母はかなりヤベェ状況に置かれてる。けど,まだ生きてるってことだな」
 泥濘ぬかった地面に倒れこんだ父親が肩で息をしながら立ちあがり,母親の腕をひく。「さあ,お母さん,家のなかに入ろう。こんな奴ら,相手にしちゃいかん」
 母親が僕の胸に縋りついた。項で結束した団子状のまとまりから解れる幾筋もの髪を伝い,水滴が流れおちていた。
「お母さん!――」父親が叱りつけるも母親は首を左右に振った。
 皮膚の緩んだ手に触れた。すると握りかえしてくる。
「お鍋を御馳走になりました。僕の食べられないお肉とお魚を除いたお鍋です。ぶり大根が食べたい――そう言っていました」
 父親の体が崩れおち泥水が散った。母親の視線が僕から逸れて家のほうへとふわりと飛んだ――「貢義ちゃん――足を拭いてあがらんといかんよ。いっつも言うておるでしょうが――」いそいそと玄関へ駆けていく。「お父さん,畑から大根を抜いてきて! 早う,はよ!」
「お母さん……」父親があとを追った。
 みなさまに平穏が訪れますように。全身全霊でお祈り申しあげます――僕は両膝をつき両手をあわせた。
「もう放っておいてください」父親が懇願するように言った。そして玄関戸を閉める寸前に,入母屋屋根のかかる巨大な腕木門が守る日本家屋を指差した。
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