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12 殺しの奴隷と穢れの形代
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ノブ代の忍耐強い要望に根負けしたらしく警察が動いた。1台のセダンでのらりくらりと遣ってきた刑事たちは惨状を呈する現場を目のあたりにして応援を呼んだ。窪元邸はあっという間にパトカーと救急車でごったがえした。どちらが被害者か分からないと責める刑事も多く,過剰防衛の可能性もあるとして伽藍堂は微妙な立場に置かれた。到着したばかりの雲母の担当弁護士に自分の面倒も見てくれないかと伽藍堂が交渉している。
その傍らを,僕たちを窮地に陥れた淀池が連行されていく。
「淀池さん――」駆けより,腕へ触れようとすれば,あからさまに拒絶された。「余所もんのいらんことしぃがぁ!」吐きすてるみたいに罵ってからパトカーへ乗せられた。そのパトカーが走りさる。
両膝をつき,両手をあわせ,祈りを捧げようとしたとき,強風に煽られた腕木門の門扉が独りでに閉じた。パトカーは回避できずにそのまま直進した。フロントガラスをわって飛びだした人間が門扉と衝突する。制服姿の警官たちが運転席と後部座席を駆けおりて血塗れの女に声をかけたが,やがて口を噤んだ。
「帰ろうぜ」伽藍堂がそばへ寄った。
「先に帰ってください」
「駄目だ。今すぐ帰る。仕事が溜まってんだよ」
「……」
「また――例の脅し文句を使うのか? 雇用関係を解消していいってやつ――」
窪元親子と使用人たちが救急車に乗せられていく。
「放っておけよ」
「穢れを祓わないと――」言いおわらないうちに言葉をかぶせられる。「医者に任せておけばいい」
「済みません。僕は行きます」お辞儀をして背を返せば,行く手を遮られた。
「金をもらうってのは甘っちょろいもんじゃねぇんだよ。俺が使用者で,おまえは労務者だ。おまえは金をもらう限り,俺の命令に服従しろ」
「いただいたコーヒーとケーキの代金は今回の働きでお支払いできるはずです」
「デッフェの宿泊料は? 朝昼晩の飯代は?――全然足りねぇよ」
「請求書を作成してください。よその会社で働いてお返しします」
「金が必要なんだろ! 生活費を稼がなきゃなんねぇから仕事を探してたんだろ!」
「そのとおりです」
「だったら人の言うこと聞け!――そんなんじゃ何処だって雇わねぇよ!」
「そうですか。では物乞いします」
「野垂れ死ぬぞ」
「仕方ありません」
「おっまえ,一体何なんだ!――大体何で他人の厄を吸いとるみてぇなことしてんだよ! しかも自分の命と引きかえに――身命を賭してお祈り申しあげますって? あれ,何だ! 普通じゃねぇよ!」
「普通でないのが駄目ですか!」荒ぶった声だった。
空が搔き曇り,雷鳴が轟いた。大粒の雨が降りはじめた。
「最高だ,震えがきた……」濡れた顔面を一拭いしてニヤリと笑う。「殺しの奴隷をはじめたときの感覚だ――殺すか殺されるかの世界さ。死ぬのが恐くて最初はスリルもあったが,死への恐れはすぐに消えた。誰もが俺の相手にならねぇからだ。飼い主も持てあまし,大金を渡して俺を捨てたよ」
横降りの雨が激しさを増していく。整髪料の溶けて落ちる大量の髪が骨張った顔にかかり,垣間見える両眼が異様な光を帯びていた。「斎薔薇がデッフェにはじめて来た日,若い女を見たろ? おまえを雇う前に働いてた子だよ」
真っ直ぐに前髪を切りそろえ,長い黒髪を一纏めにした銀フレーム眼鏡の娘を思いだした。
「大学院で超常現象を研究してんだが,彼女が言ったのさ――おまえにウヨウヨ憑いてるって。それもいいもんじゃなく,醜悪で嫉妬深くて凶暴なやつが――だから俺はおまえを雇うことに決めた」
「超常現象を体験したいのですか」
「恐いって感覚をとりもどしてぇだけだ。俺は誰も恐くねぇ。どいつもこいつも金と力でどうにでもなるからな。だが怨霊とか妖怪とかいうのは違うだろ。そういう奴らがいるんなら――俺は恐がれる。斎薔薇のそばにいればスリルを味わえる。巨大剣山のバケモノを見たときスリルの快感を得られたように思うよ」
「悪趣味です」
「そうじゃねぇ。多分,普通に戻ろうとしてんだ。誰しも感じる恐いって感覚をとりもどして普通の人間にかえろうとしてる――普通じゃねぇおまえには分かんねぇか? だって斎薔薇も死への恐怖が麻痺してるだろ?」
危険な修行を幾つも重ねた。恐いという次元とは切りはなされた修行の成果の試される至上幸福の一瞬として死を捉えてきた――
「僕は――僕は――」
試練を迎えることはなかった。衆人の穢れを受ける形代は死から拒絶されたのだ。形代の魂を彼岸へ誘う送人たちの放つ矢は――尽く的を逸れた。
僕を避ける人々のなかで唯一心置きなく付きあってきた守人の咲久良さえ,おまえは普通の人ではなくなったのだから山をおりろと言った。
普通の人間でない者は消滅することも存在することも許されないのか!――
暗黒の影が天空から落下する――いや,鳥だ――何処からともなく烏の大群が出現し,風雨を切りさき伽藍堂に襲いかかる――
駄目だ,彼は悪くない!――伽藍堂の体におおいかぶさった。烏の群れが飛びさっていく。
「痛ぇー! 眼球,抉られかけたわ」細めた右目が流血している。「斎薔薇,おまえ――マジ面白ーな」腹を抱えて笑う。
「済みません……」
伽藍堂が立ちあがる。「俺が飽きるまで,そばにいろや。心配すんな。おまえよかヤベェのが出たら,そっちに乗りかえてやっからよ」水溜まりに転がる僕へ指の少ない手をのばす。「ほいっ――先輩!」
眼前の手を摑んだ。
窪元親子と使用人たちの穢れを祓ってから,僕たちはコンバーチブルで帰途についた。
その傍らを,僕たちを窮地に陥れた淀池が連行されていく。
「淀池さん――」駆けより,腕へ触れようとすれば,あからさまに拒絶された。「余所もんのいらんことしぃがぁ!」吐きすてるみたいに罵ってからパトカーへ乗せられた。そのパトカーが走りさる。
両膝をつき,両手をあわせ,祈りを捧げようとしたとき,強風に煽られた腕木門の門扉が独りでに閉じた。パトカーは回避できずにそのまま直進した。フロントガラスをわって飛びだした人間が門扉と衝突する。制服姿の警官たちが運転席と後部座席を駆けおりて血塗れの女に声をかけたが,やがて口を噤んだ。
「帰ろうぜ」伽藍堂がそばへ寄った。
「先に帰ってください」
「駄目だ。今すぐ帰る。仕事が溜まってんだよ」
「……」
「また――例の脅し文句を使うのか? 雇用関係を解消していいってやつ――」
窪元親子と使用人たちが救急車に乗せられていく。
「放っておけよ」
「穢れを祓わないと――」言いおわらないうちに言葉をかぶせられる。「医者に任せておけばいい」
「済みません。僕は行きます」お辞儀をして背を返せば,行く手を遮られた。
「金をもらうってのは甘っちょろいもんじゃねぇんだよ。俺が使用者で,おまえは労務者だ。おまえは金をもらう限り,俺の命令に服従しろ」
「いただいたコーヒーとケーキの代金は今回の働きでお支払いできるはずです」
「デッフェの宿泊料は? 朝昼晩の飯代は?――全然足りねぇよ」
「請求書を作成してください。よその会社で働いてお返しします」
「金が必要なんだろ! 生活費を稼がなきゃなんねぇから仕事を探してたんだろ!」
「そのとおりです」
「だったら人の言うこと聞け!――そんなんじゃ何処だって雇わねぇよ!」
「そうですか。では物乞いします」
「野垂れ死ぬぞ」
「仕方ありません」
「おっまえ,一体何なんだ!――大体何で他人の厄を吸いとるみてぇなことしてんだよ! しかも自分の命と引きかえに――身命を賭してお祈り申しあげますって? あれ,何だ! 普通じゃねぇよ!」
「普通でないのが駄目ですか!」荒ぶった声だった。
空が搔き曇り,雷鳴が轟いた。大粒の雨が降りはじめた。
「最高だ,震えがきた……」濡れた顔面を一拭いしてニヤリと笑う。「殺しの奴隷をはじめたときの感覚だ――殺すか殺されるかの世界さ。死ぬのが恐くて最初はスリルもあったが,死への恐れはすぐに消えた。誰もが俺の相手にならねぇからだ。飼い主も持てあまし,大金を渡して俺を捨てたよ」
横降りの雨が激しさを増していく。整髪料の溶けて落ちる大量の髪が骨張った顔にかかり,垣間見える両眼が異様な光を帯びていた。「斎薔薇がデッフェにはじめて来た日,若い女を見たろ? おまえを雇う前に働いてた子だよ」
真っ直ぐに前髪を切りそろえ,長い黒髪を一纏めにした銀フレーム眼鏡の娘を思いだした。
「大学院で超常現象を研究してんだが,彼女が言ったのさ――おまえにウヨウヨ憑いてるって。それもいいもんじゃなく,醜悪で嫉妬深くて凶暴なやつが――だから俺はおまえを雇うことに決めた」
「超常現象を体験したいのですか」
「恐いって感覚をとりもどしてぇだけだ。俺は誰も恐くねぇ。どいつもこいつも金と力でどうにでもなるからな。だが怨霊とか妖怪とかいうのは違うだろ。そういう奴らがいるんなら――俺は恐がれる。斎薔薇のそばにいればスリルを味わえる。巨大剣山のバケモノを見たときスリルの快感を得られたように思うよ」
「悪趣味です」
「そうじゃねぇ。多分,普通に戻ろうとしてんだ。誰しも感じる恐いって感覚をとりもどして普通の人間にかえろうとしてる――普通じゃねぇおまえには分かんねぇか? だって斎薔薇も死への恐怖が麻痺してるだろ?」
危険な修行を幾つも重ねた。恐いという次元とは切りはなされた修行の成果の試される至上幸福の一瞬として死を捉えてきた――
「僕は――僕は――」
試練を迎えることはなかった。衆人の穢れを受ける形代は死から拒絶されたのだ。形代の魂を彼岸へ誘う送人たちの放つ矢は――尽く的を逸れた。
僕を避ける人々のなかで唯一心置きなく付きあってきた守人の咲久良さえ,おまえは普通の人ではなくなったのだから山をおりろと言った。
普通の人間でない者は消滅することも存在することも許されないのか!――
暗黒の影が天空から落下する――いや,鳥だ――何処からともなく烏の大群が出現し,風雨を切りさき伽藍堂に襲いかかる――
駄目だ,彼は悪くない!――伽藍堂の体におおいかぶさった。烏の群れが飛びさっていく。
「痛ぇー! 眼球,抉られかけたわ」細めた右目が流血している。「斎薔薇,おまえ――マジ面白ーな」腹を抱えて笑う。
「済みません……」
伽藍堂が立ちあがる。「俺が飽きるまで,そばにいろや。心配すんな。おまえよかヤベェのが出たら,そっちに乗りかえてやっからよ」水溜まりに転がる僕へ指の少ない手をのばす。「ほいっ――先輩!」
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