きぼうダイアリー  ~三つ目看板猫の平凡で優雅な日常~

矢立まほろ

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○第3話 三つ目看板猫とあったかクリスマス

 -2 『眩しい日常』

 美咲が喫茶店のバイトのために友達と別れた後。

 ソルテは彼女に抱きかかえられながら流れていく景色をのんびり眺めていると、前方に見覚えのある白髪を見つけた。

「あら、こんにちは」

 その白髪の女性がこちらに気付く。
 年寄りの腰の曲がった身体から首を持ち上げてソルテと美咲を見上げる。

 彼女は以前に市民センターでおじいさんの絵画教室に通うことになった、あのおばあさんだ。傍には今も、おじいさんが少し後ろで見守るように佇んでいる。

「こんにちは。また宝くじですか」

 ちょうどこの前の宝くじ売り場のすぐ近くということもあり、美咲がそんなことを尋ねた。

「いいえ、今日はただスーパーに買い物に来ただけよ。でも、結局買うことにしたわ。あの人といつも買っている宝くじを。もう老い先短い人生だもの。こうやって夢の一つや二つでもないと、気が抜けてぽっくりおじいさんの所に行っちゃいかねないものね」

「いやいや、そんな」

 反応に困ったとばかりに美咲が苦笑を浮かべる。

 老人特有の、高齢をネタにした自虐話。マスターも同じような高齢の客にそんな話をされて、困り顔を浮かべているのをよく見かける。

 肯定して茶化してもいいのか謙遜して否定しなければならないのかわからない繊細なラインである。その時は決まって「独身のままこの歳になってしまった僕なんて老後が心配で」と自虐を上塗りして話に乗るのがマスターのいつもの逃げ方だ。

 気を遣わなければならないなど、人間の文化は面倒極まりないものだ。ソルテであれば素っ気なく鼻で笑って返しているであろう。

「だってしばらくは死ねないものね。この歳になって新しい生きがいもできたし」

 ふふっとおばあさんは微笑み、肩に提げたバッグを揺らした。中には数冊の本が入っていて、どうやらどれもが絵を描くための初心者入門書のようだった。

「ふふっ。おじいさんがいなくなってからなんとなく日々を過ごしていたけれど。おじいさんの絵を続けて描くようになってから、なんだかついこの間よりもずっと心が軽くなったように思うわ。新しい夢というか、目標ができたおかげかしらね」

「目標、ですか。素敵ですね」
「ありがとう」

 それからおばあさんは優しく会釈をしてスーパーのある方へと歩いていった。

 美咲は彼女の丸まった小さな後姿が見えなくなるまで見送っていた。やがてその背が駐車場の車の群れに隠れた頃、

「行こっか」と美咲はソルテに声をかけ、ようやくもう一度歩き始めたのだった。


   ◇


 ――とりあえず頼んでみるよ。

 そう言ったのが美咲の運の尽きである。

 あれから喫茶店に戻ってマスターとその話をして返ってきた第一声が、やや食い気味の、
「いいね、やろう!」だった。

 それほど乗り気でもなかった美咲に対して物凄い温度差だ。

 その反応を見て、美咲も、ソルテすらも言葉が見つからないくらい驚きに口をぽっかり開けて呆けてしまっていた。

 しばらくして昼過ぎの休憩にやって来た沙織が店に入ってから開口一番に「なにがあったの」と美咲に尋ねるくらい、マスターは随分とご機嫌の様子だった。

 どんな料理を用意しようか。飲み物はどういったもので、なによりメインのクリスマスケーキをどんなものにするべきだろうか。

 そんなことをマスターは口許を緩めながらずっと口に漏らしていた。あまりにも乗り気すぎて、美咲は申し訳なさそうに苦笑を浮かべているばかりだった。

「まるで遠足前の子どもね」

 沙織の呆れた言葉が非常に的を射ている。

「お友達は苦手な食べ物とかはあるのかな」
「えっと、どうでしょう。あまり好き嫌いは多くないと思いますけど」

「ケーキはスポンジケーキがいいかな。最近はタルトにも挑戦してるんだけど。どっちがいいと思うかい」
「いやあ、みんなどれでも好きですよ。たぶん」

 これほど興奮した様子のマスターは初めてだ。

 まがいなりにもマスターが一人で趣味で始めた喫茶店である。そんな場所で女の子たちがクリスマスパーティーを楽しみにしてくれているとなって、それがよほど嬉しかったのだろう。

 鼻歌でも聞こえてきそうなほどに心が弾んでいるのがよくわかる。実際に楽しみにしているのは友達だけで、困った風に乾いた笑みで受け答えをする美咲を見るのも新鮮味があって面白い。

 今日は奇妙な光景ばかり見れて、それはそれで楽しい日だ。とソルテは梁の上で高みの見物をしていた。

 騒がしくなるのは勘弁してほしいが、真新しい興味には惹かれるものだ。

 それは生物の性である。
 浮き足立ったような店の雰囲気に、ソルテも悪い気分ではなかった。マスターが楽しそうでなによりである。

「ねえねえ美咲ちゃん」
「なんですか沙織さん」

「マスターずっとこの調子なの?」
「はい、ずっとです」
「まったく。もういい歳なんだから」

 途方にくれた呆れ顔の沙織に目もくれず、マスターは彼女の珈琲をサイフォンで淹れながら、揺れるバーナーの火を眺めて朗らか微笑んでいたのだった。
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