11 / 44
○2章 仲居娘たちの日常
-6 『旅館一の問題児』
しおりを挟む
ほんのちょっとした親切心から困っているクウを助けるつもりだったのに、とんだハプニングを起こしてしまったものだ。
思えばこの旅館に来てからと言うもの、賑やかさには事欠かないほど騒がしい時間ばかり過ぎている。
三食のご飯が用意され、夜には洗濯されたふかふかな布団で眠ることができる。
小さな仲居たちが身の回りの世話などをしてくれたりするが、ふと独りになると、まるでぬるま湯に浸かり続けているような停滞感に襲われた。
いつまでここにいるのだろか。
いつまでここにいていいのだろうか。
旅館に来てからスマホは一度も鳴っていない。
誰に帰って来いと急かされることもなく、俺はただ、山の向こうに依然として存在する『現実世界』に身を背けているばかりだった。
いつかは帰らなければならないのだろう。
だが、その「いつか」のことを考えないようにしていた。
「うわわ、どいてどいてーー!」
突然、くぐもったようなけたたましい声が聞こえたかと思うと、廊下を歩いていた俺の横腹目掛けてサチが飛び出してきた。
そこは厨房に繋がる出入り口で、何故か彼女の口には焼き魚が咥えられていた。
ラグビー選手ばりの見事なタックルを受け、俺の身体はそのまま廊下へと倒されてしまう。
「いったーい」と、俺の腹の上に乗っかって倒れたサチが呻く。
彼女の口から焼き魚が落ち、粉々になった身が俺の顔に降りかかった。
「うわ、汚い」
「ああ、もったいない」
かかった焼き魚の身を振り払おうとする俺の手をすぐさまサチが制す。
そしておもむろに顔を近づけると、舌を伸ばして俺の上に落ちた焼き魚をすくい始めた。更には首元、肌蹴た浴衣の隙間に落ちた胸元まで。俺の肌に落ちた焼き魚を、小さな舌を使って舐め取っていった。
「いっぱい落ちちゃった」とサチは執拗に舐め取ってくる。
しかしこの状況はまずい。
俺の上にサチが跨り、身体をむさぼるように舐め回しているのだ。
これを誰かに見られれば変な誤解を与えかねないだろう。
――ダメだ。これはいろいろとダメだ。倫理的に、人間として、男として!
肌を這う舌先のぬるぬる感に、くすぐったさといやらしさを感じてしまう。
サチのような可愛い女の子に舐められていると言う事実に妙な興奮を覚えそうになった。
「サチ、いいからまずはどいてくれ」
「ええー。床に落ちたらもう食べられないよ」
「そういう問題じゃないだろ」
聞く耳持たないといった風にサチはやめなてくれない。
いよいよ焦り、俺の背筋に冷や汗が流れ始めた時だった。
横たわった視界の隅にすっと人影が現れる。
その人影は俺たちを見下ろし、凍りつきそうなほどに冷めた目つきで淡々と言い放った。
「……なにをしているのですか、お二人とも」
「ち、違うんです、女将さん」
鋭い目で見下ろしてきた女将さんに、俺はそう返すだけで精一杯だった。
◇
「……事情はわかりました。つまりはまたこの子が盗み食いをしていたんですね」
「また、ですか」
「これで五度目です」
眉間にしわを寄せて頭を抱える女将さんに、俺は哀れむ思いで苦笑を浮かべた。
どうやらサチは昼食の準備をしていた厨房に潜り込み、従業員に見つかって逃げ出していたところだったらしい。
あの後、サチを追うように出てきた厨房の従業員たちにも俺の痴態を目撃され、恥ずかしさで穴に隠れたい気分になった。
厨房の従業員たちも、例に漏れず妖怪だった。
真四角の体型をしたぬりかべの男。彼がここの板前だという。
いや、板前と言うかただの板のようだが。
他にも、長い首を伸ばして、献立の指示出しや試食を顔だけで駆け回っているろくろ首の女。紙切れのように薄い一反木綿が食材に身体を巻きつけて物を運んだりしている。洗い場で皿をひたすら洗い続けている老人は小豆洗いだろうか。
ここが妖怪旅館なのだと改めて思わされる。
彼らのような裏方の妖怪たちは変装もせずに仕事をしていることが多いらしい。人の視線に敏感で普段は表に出ないが、事情を知っている俺の前だからこそ今は姿を現しているのだという。
あまりに非現実な光景を前にして、少しずつ慣れ始めている自分がいた。
「いいですか、サチ。罰として下の川まで洗濯に行ってもらいます」
「ええー、やだー」
まったく悪びれる様子もなく頬を膨らませるサチのお尻を女将さんが引っぱたいた。いたっ、と声を漏らして、やっとサチは頭を垂らす。
「悠斗さんもよければご一緒にどうですか」
「え、洗濯ですか」
「いえいえ。その……」
珍しく女将さんが言いよどむ。
俺に向けていた視線を逸らし、頬を紅潮させながら口許を隠すようにして彼女は言った。
「お身体の方も、ずいぶんと汚れてしまっているようですし。水浴びでもどうかと思いまして」
そう言われ、俺は自分の胸元に視線を落とした。
先ほどのどさくさの内にいつの間にか浴衣の胸元がはだけていて、広い胸板があられもなく曝されてしまっていた。しかもサチの唾液と焼き魚のカスでひどく汚れている。
「あ、あはは。じゃあ行ってきます」
慌てて襟を正した俺は、乾いた笑いで誤魔化しながらそそくさとその場から逃げ出したのだった。
思えばこの旅館に来てからと言うもの、賑やかさには事欠かないほど騒がしい時間ばかり過ぎている。
三食のご飯が用意され、夜には洗濯されたふかふかな布団で眠ることができる。
小さな仲居たちが身の回りの世話などをしてくれたりするが、ふと独りになると、まるでぬるま湯に浸かり続けているような停滞感に襲われた。
いつまでここにいるのだろか。
いつまでここにいていいのだろうか。
旅館に来てからスマホは一度も鳴っていない。
誰に帰って来いと急かされることもなく、俺はただ、山の向こうに依然として存在する『現実世界』に身を背けているばかりだった。
いつかは帰らなければならないのだろう。
だが、その「いつか」のことを考えないようにしていた。
「うわわ、どいてどいてーー!」
突然、くぐもったようなけたたましい声が聞こえたかと思うと、廊下を歩いていた俺の横腹目掛けてサチが飛び出してきた。
そこは厨房に繋がる出入り口で、何故か彼女の口には焼き魚が咥えられていた。
ラグビー選手ばりの見事なタックルを受け、俺の身体はそのまま廊下へと倒されてしまう。
「いったーい」と、俺の腹の上に乗っかって倒れたサチが呻く。
彼女の口から焼き魚が落ち、粉々になった身が俺の顔に降りかかった。
「うわ、汚い」
「ああ、もったいない」
かかった焼き魚の身を振り払おうとする俺の手をすぐさまサチが制す。
そしておもむろに顔を近づけると、舌を伸ばして俺の上に落ちた焼き魚をすくい始めた。更には首元、肌蹴た浴衣の隙間に落ちた胸元まで。俺の肌に落ちた焼き魚を、小さな舌を使って舐め取っていった。
「いっぱい落ちちゃった」とサチは執拗に舐め取ってくる。
しかしこの状況はまずい。
俺の上にサチが跨り、身体をむさぼるように舐め回しているのだ。
これを誰かに見られれば変な誤解を与えかねないだろう。
――ダメだ。これはいろいろとダメだ。倫理的に、人間として、男として!
肌を這う舌先のぬるぬる感に、くすぐったさといやらしさを感じてしまう。
サチのような可愛い女の子に舐められていると言う事実に妙な興奮を覚えそうになった。
「サチ、いいからまずはどいてくれ」
「ええー。床に落ちたらもう食べられないよ」
「そういう問題じゃないだろ」
聞く耳持たないといった風にサチはやめなてくれない。
いよいよ焦り、俺の背筋に冷や汗が流れ始めた時だった。
横たわった視界の隅にすっと人影が現れる。
その人影は俺たちを見下ろし、凍りつきそうなほどに冷めた目つきで淡々と言い放った。
「……なにをしているのですか、お二人とも」
「ち、違うんです、女将さん」
鋭い目で見下ろしてきた女将さんに、俺はそう返すだけで精一杯だった。
◇
「……事情はわかりました。つまりはまたこの子が盗み食いをしていたんですね」
「また、ですか」
「これで五度目です」
眉間にしわを寄せて頭を抱える女将さんに、俺は哀れむ思いで苦笑を浮かべた。
どうやらサチは昼食の準備をしていた厨房に潜り込み、従業員に見つかって逃げ出していたところだったらしい。
あの後、サチを追うように出てきた厨房の従業員たちにも俺の痴態を目撃され、恥ずかしさで穴に隠れたい気分になった。
厨房の従業員たちも、例に漏れず妖怪だった。
真四角の体型をしたぬりかべの男。彼がここの板前だという。
いや、板前と言うかただの板のようだが。
他にも、長い首を伸ばして、献立の指示出しや試食を顔だけで駆け回っているろくろ首の女。紙切れのように薄い一反木綿が食材に身体を巻きつけて物を運んだりしている。洗い場で皿をひたすら洗い続けている老人は小豆洗いだろうか。
ここが妖怪旅館なのだと改めて思わされる。
彼らのような裏方の妖怪たちは変装もせずに仕事をしていることが多いらしい。人の視線に敏感で普段は表に出ないが、事情を知っている俺の前だからこそ今は姿を現しているのだという。
あまりに非現実な光景を前にして、少しずつ慣れ始めている自分がいた。
「いいですか、サチ。罰として下の川まで洗濯に行ってもらいます」
「ええー、やだー」
まったく悪びれる様子もなく頬を膨らませるサチのお尻を女将さんが引っぱたいた。いたっ、と声を漏らして、やっとサチは頭を垂らす。
「悠斗さんもよければご一緒にどうですか」
「え、洗濯ですか」
「いえいえ。その……」
珍しく女将さんが言いよどむ。
俺に向けていた視線を逸らし、頬を紅潮させながら口許を隠すようにして彼女は言った。
「お身体の方も、ずいぶんと汚れてしまっているようですし。水浴びでもどうかと思いまして」
そう言われ、俺は自分の胸元に視線を落とした。
先ほどのどさくさの内にいつの間にか浴衣の胸元がはだけていて、広い胸板があられもなく曝されてしまっていた。しかもサチの唾液と焼き魚のカスでひどく汚れている。
「あ、あはは。じゃあ行ってきます」
慌てて襟を正した俺は、乾いた笑いで誤魔化しながらそそくさとその場から逃げ出したのだった。
0
あなたにおすすめの小説
趣味で人助けをしていたギルマス、気付いたら愛の重い最強メンバーに囲まれていた
歩く魚
ファンタジー
働きたくない元社畜、異世界で見つけた最適解は――「助成金で生きる」ことだった。
剣と魔法の世界に転生したシンは、冒険者として下積みを積み、ついに夢を叶える。
それは、国家公認の助成金付き制度――ギルド経営によって、働かずに暮らすこと。
そして、その傍で自らの歪んだ性癖を満たすため、誰に頼まれたわけでもない人助けを続けていたがーー
「ご命令と解釈しました、シン様」
「……あなたの命、私に預けてくれるんでしょ?」
次第にギルドには、主人公に執着するメンバーたちが集まり始め、気がつけばギルドは、愛の重い最強集団になっていた。
扱いの悪い勇者パーティを啖呵切って離脱した俺、辺境で美女たちと国を作ったらいつの間にか国もハーレムも大陸最強になっていた。
みにぶた🐽
ファンタジー
いいねありがとうございます!反応あるも励みになります。
勇者パーティから“手柄横取り”でパーティ離脱した俺に残ったのは、地球の本を召喚し、読み終えた物語を魔法として再現できるチートスキル《幻想書庫》だけ。
辺境の獣人少女を助けた俺は、物語魔法で水を引き、結界を張り、知恵と技術で開拓村を発展させていく。やがてエルフや元貴族も加わり、村は多種族共和国へ――そして、旧王国と勇者が再び迫る。
だが俺には『三国志』も『孫子』も『トロイの木馬』もある。折伏し、仲間に変える――物語で世界をひっくり返す成り上がり建国譚、開幕!
S級クラフトスキルを盗られた上にパーティから追放されたけど、実はスキルがなくても生産力最強なので追放仲間の美少女たちと工房やります
内田ヨシキ
ファンタジー
[第5回ドラゴンノベルス小説コンテスト 最終選考作品]
冒険者シオンは、なんでも作れる【クラフト】スキルを奪われた上に、S級パーティから追放された。しかしシオンには【クラフト】のために培った知識や技術がまだ残されていた!
物作りを通して、新たな仲間を得た彼は、世界初の技術の開発へ着手していく。
職人ギルドから追放された美少女ソフィア。
逃亡中の魔法使いノエル。
騎士職を剥奪された没落貴族のアリシア。
彼女らもまた、一度は奪われ、失ったものを、物作りを通して取り戻していく。
カクヨムにて完結済み。
( https://kakuyomu.jp/works/16817330656544103806 )
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
魔道具は歌う~パーティ追放後に最高ランクになった俺を幼馴染は信じない。後で気づいてももう遅い、今まで支えてくれた人達がいるから~
喰寝丸太
ファンタジー
異世界転生者シナグルのスキルは傾聴。
音が良く聞こえるだけの取り柄のないものだった、
幼馴染と加入したパーティを追放され、魔道具に出会うまでは。
魔道具の秘密を解き明かしたシナグルは、魔道具職人と冒険者でSSSランクに登り詰めるのだった。
そして再び出会う幼馴染。
彼女は俺がSSSランクだとは信じなかった。
もういい。
密かにやってた支援も打ち切る。
俺以外にも魔道具職人はいるさ。
落ちぶれて行く追放したパーティ。
俺は客とほのぼのとした良い関係を築きながら、成長していくのだった。
Sランク昇進を記念して追放された俺は、追放サイドの令嬢を助けたことがきっかけで、彼女が押しかけ女房のようになって困る!
仁徳
ファンタジー
シロウ・オルダーは、Sランク昇進をきっかけに赤いバラという冒険者チームから『スキル非所持の無能』とを侮蔑され、パーティーから追放される。
しかし彼は、異世界の知識を利用して新な魔法を生み出すスキル【魔学者】を使用できるが、彼はそのスキルを隠し、無能を演じていただけだった。
そうとは知らずに、彼を追放した赤いバラは、今までシロウのサポートのお陰で強くなっていたことを知らずに、ダンジョンに挑む。だが、初めての敗北を経験したり、その後借金を背負ったり地位と名声を失っていく。
一方自由になったシロウは、新な町での冒険者活動で活躍し、一目置かれる存在となりながら、追放したマリーを助けたことで惚れられてしまう。手料理を振る舞ったり、背中を流したり、それはまるで押しかけ女房だった!
これは、チート能力を手に入れてしまったことで、無能を演じたシロウがパーティーを追放され、その後ソロとして活躍して無双すると、他のパーティーから追放されたエルフや魔族といった様々な追放少女が集まり、いつの間にかハーレムパーティーを結成している物語!
転生貴族の領地経営〜現代日本の知識で異世界を豊かにする
初
ファンタジー
ローラシア王国の北のエルラント辺境伯家には天才的な少年、リーゼンしかしその少年は現代日本から転生してきた転生者だった。
リーゼンが洗礼をしたさい、圧倒的な量の加護やスキルが与えられた。その力を見込んだ父の辺境伯は12歳のリーゼンを辺境伯家の領地の北を治める代官とした。
これはそんなリーゼンが異世界の領地を経営し、豊かにしていく物語である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる