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-6 『想定外の事態』
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翌日の朝がやって来た。
結局具体的な解決策は思いついていない。
けれど、今できる最大限のお持て成しをして、私達の旅館を見てもらう。
それを精一杯にやろうと、私は強く決意した。
今日は早く起きて、顔を洗って、しっかり歯を磨いて、万全の気合を入れた。昨日までの塞ぎこんだ私はもういない。
いつもは朝一番に事務所にいるはずのロロの姿はまだなかったけれど、代わりのようにフェスが早起きしてやってきた。
「がんばりましょうね」と鼻息荒く息巻いて元気一杯だ。
それから昨日からの宿泊客達の朝食は布団の片付けをフェス達がおこない、私は早めに帰られるお客様の出迎えなどをしていった。
そうして業務をしているうちにあっという間に昼前になり、時はやってきた。
「シェリーさん!」
大急ぎでやって来たフェスに、私はすぐに察して旅館の入り口へと向かった。
煌びやかな装飾の目立つ馬車を引っさげて、当様は執事のエヴァンスと共にやってきた。馬車から降りたお父様はその場に立ち止まり、じっくりと嘗め回すように旅館の外観を眺めていた。
見た目についた葉、私が来た当初は薄汚れていて手入れも行き届いていなかったが、今はしっかりと掃除され綺麗になっている。建物を取り囲む生垣もしっかり剪定され、庇の下には新調したての提灯も飾られ、普段より少しお化粧したように見栄えを良くしている。
お父様は並んで出迎える仲居達に紛れていた私に気付くと、厳しい表情を浮かべながら近づいてきた。
「久しいな、シェリー」
「……そうかしら」
気まずい。
良く見知った父の顔であるはずなのに、妙な威圧感がみしみしと伝わってくる。直視できず、私はつい視線を反らせた。
「随分見ないうちに大きくなったんじゃないか?」
「そんなこと。お父様こそ、お痩せになったんじゃないかしら」
「むしろ太ったんだがな」
「……うっ」
そんな父親の体型なんて覚えていない。
おだてて評価を緩くさせる作戦は失敗だ。
「シェリー」
改まってお父様が私へと見向く。
「私の縁談を蹴ってまで選んだお前の旅館、見せてもらうぞ」
「……はい」
凄みのあるお父様の言葉に、私は息を呑んで頷いた。
「ようこそお越しくださいました、クランク=アトワイト様。それでは手続きをしますので、ひとまず中へどうぞ」
「うむ」
ここからは親子ではなく従業員とお客様だ。
心の中で大きく深呼吸し、私は気持ちをきりっと入れ替えた。
お父様をロビーに案内し、執事のエヴァンスに受付で手続きを行ってもらう。
「こちらはフィルグの町の農家が作っている茶葉で淹れたお茶です。渋みの薄い滑らかな味わいとなっております。こちらの羊羹とご一緒にどうぞ」
ロビーの椅子に腰掛けたお父様に、私は腰を低くしながらお盆に乗せたそれを差し出す。お父様は私の一挙手一投足をじっくり観察するように眺めていた。
やはり視線が気まずい。
見られているだけで息苦しくなりそうだ。
お父様は領主という仕事柄、視察のために色々なところへと出かけている。書類だけでの把握ではなく、実地へ赴いて現状を理解するほうが早いというのが信条らしく、遠方へ出かけては、各地の様々な宿にも泊まっている。
生半可な接客では、それらの宿にひどく見劣りすると思われてしまうだろう。その緊張感が、無駄口を漏らさない寡黙さからじりじりと湧き上がらせた。
「ありがとう。いただこう」
お茶と菓子を手に取り、お父様が一服をつく。
特に良いとも悪いとも言いはしない。ただ静かに茶をすすっては、目の前に見える煌びやかな大時計を見て息を吐いていた。
「それでは準備が整いましたらすぐご案内いたしますので、しばらくお待ちください」
そう言ってお父様を残し、私は事務所へと戻っていった。
今日のお客様の入りは決して少なくはなかった。私がお父様の相手をしている時も数人ほど来客していたし、日帰り風呂に訪れた人も何人かはいた。しかし盛況と見栄を張るにはやはり、お父様と他数名しかいない広々としたロビーのがらんどうさが目立っていて人の少なさを感じさせてしまっている。
こうなれば接客で上手くやってお父様に満足してもらうしかない。
「クランク様をお部屋へ案内してちょうだい。部屋は確か……二号室よね」
用意できるうちの、一番広くて綺麗な部屋を手配していたはずだ。そこの鍵を取ろうと、事務所のロッカーに保管場所を開ける。
「……え?」
しかしそこに二号室の鍵はなかった。
――どうして。
おかしい。宿泊客に手渡していない限りここに保管されているはずなのに。どこか別の場所に間違って置かれているのだろうか。
そう考えて別の部屋のところも見たけれど、やはり目的に二号室の鍵は見当たらなかった。二号室は比較的他の部屋より大きく、六畳二部屋の作りになっている。中庭の庭園が見渡せ、その向こうには青々しい山並みを窺える景観の良い部屋だ。
他の空いている部屋はどれも狭く、やはり二号室には見劣りする。
どうしたものか。
鍵がなければお父様を部屋に通すことすらできない。
「シェリーさん?」
焦りの顔を浮かべる私の傍にフェスがやって来た。
「フェス。貴女、今日二号室の担当だったわよね。鍵がないんだけど」
「えっ?! フェスは今日は一号室と四号室のお客様の担当になりましたよ?!」
「え?」
おかしい。
お父様の接客はフェスがやると昨日から決めていたはず。
「それに、先ほどのお客様が急遽二号室に変更になったから、クランク様には五号室を使ってもらうことになったって……」
「どういうこと?! 何も聞いてないわよ!」
「ひゃっ!」
つい声を荒げてしまい、怯えたフェスに「ごめんなさい」と謝った。
「でも聞いてないわ、そんなこと。誰が言ってたの」
「あの……ミトさんが」
結局具体的な解決策は思いついていない。
けれど、今できる最大限のお持て成しをして、私達の旅館を見てもらう。
それを精一杯にやろうと、私は強く決意した。
今日は早く起きて、顔を洗って、しっかり歯を磨いて、万全の気合を入れた。昨日までの塞ぎこんだ私はもういない。
いつもは朝一番に事務所にいるはずのロロの姿はまだなかったけれど、代わりのようにフェスが早起きしてやってきた。
「がんばりましょうね」と鼻息荒く息巻いて元気一杯だ。
それから昨日からの宿泊客達の朝食は布団の片付けをフェス達がおこない、私は早めに帰られるお客様の出迎えなどをしていった。
そうして業務をしているうちにあっという間に昼前になり、時はやってきた。
「シェリーさん!」
大急ぎでやって来たフェスに、私はすぐに察して旅館の入り口へと向かった。
煌びやかな装飾の目立つ馬車を引っさげて、当様は執事のエヴァンスと共にやってきた。馬車から降りたお父様はその場に立ち止まり、じっくりと嘗め回すように旅館の外観を眺めていた。
見た目についた葉、私が来た当初は薄汚れていて手入れも行き届いていなかったが、今はしっかりと掃除され綺麗になっている。建物を取り囲む生垣もしっかり剪定され、庇の下には新調したての提灯も飾られ、普段より少しお化粧したように見栄えを良くしている。
お父様は並んで出迎える仲居達に紛れていた私に気付くと、厳しい表情を浮かべながら近づいてきた。
「久しいな、シェリー」
「……そうかしら」
気まずい。
良く見知った父の顔であるはずなのに、妙な威圧感がみしみしと伝わってくる。直視できず、私はつい視線を反らせた。
「随分見ないうちに大きくなったんじゃないか?」
「そんなこと。お父様こそ、お痩せになったんじゃないかしら」
「むしろ太ったんだがな」
「……うっ」
そんな父親の体型なんて覚えていない。
おだてて評価を緩くさせる作戦は失敗だ。
「シェリー」
改まってお父様が私へと見向く。
「私の縁談を蹴ってまで選んだお前の旅館、見せてもらうぞ」
「……はい」
凄みのあるお父様の言葉に、私は息を呑んで頷いた。
「ようこそお越しくださいました、クランク=アトワイト様。それでは手続きをしますので、ひとまず中へどうぞ」
「うむ」
ここからは親子ではなく従業員とお客様だ。
心の中で大きく深呼吸し、私は気持ちをきりっと入れ替えた。
お父様をロビーに案内し、執事のエヴァンスに受付で手続きを行ってもらう。
「こちらはフィルグの町の農家が作っている茶葉で淹れたお茶です。渋みの薄い滑らかな味わいとなっております。こちらの羊羹とご一緒にどうぞ」
ロビーの椅子に腰掛けたお父様に、私は腰を低くしながらお盆に乗せたそれを差し出す。お父様は私の一挙手一投足をじっくり観察するように眺めていた。
やはり視線が気まずい。
見られているだけで息苦しくなりそうだ。
お父様は領主という仕事柄、視察のために色々なところへと出かけている。書類だけでの把握ではなく、実地へ赴いて現状を理解するほうが早いというのが信条らしく、遠方へ出かけては、各地の様々な宿にも泊まっている。
生半可な接客では、それらの宿にひどく見劣りすると思われてしまうだろう。その緊張感が、無駄口を漏らさない寡黙さからじりじりと湧き上がらせた。
「ありがとう。いただこう」
お茶と菓子を手に取り、お父様が一服をつく。
特に良いとも悪いとも言いはしない。ただ静かに茶をすすっては、目の前に見える煌びやかな大時計を見て息を吐いていた。
「それでは準備が整いましたらすぐご案内いたしますので、しばらくお待ちください」
そう言ってお父様を残し、私は事務所へと戻っていった。
今日のお客様の入りは決して少なくはなかった。私がお父様の相手をしている時も数人ほど来客していたし、日帰り風呂に訪れた人も何人かはいた。しかし盛況と見栄を張るにはやはり、お父様と他数名しかいない広々としたロビーのがらんどうさが目立っていて人の少なさを感じさせてしまっている。
こうなれば接客で上手くやってお父様に満足してもらうしかない。
「クランク様をお部屋へ案内してちょうだい。部屋は確か……二号室よね」
用意できるうちの、一番広くて綺麗な部屋を手配していたはずだ。そこの鍵を取ろうと、事務所のロッカーに保管場所を開ける。
「……え?」
しかしそこに二号室の鍵はなかった。
――どうして。
おかしい。宿泊客に手渡していない限りここに保管されているはずなのに。どこか別の場所に間違って置かれているのだろうか。
そう考えて別の部屋のところも見たけれど、やはり目的に二号室の鍵は見当たらなかった。二号室は比較的他の部屋より大きく、六畳二部屋の作りになっている。中庭の庭園が見渡せ、その向こうには青々しい山並みを窺える景観の良い部屋だ。
他の空いている部屋はどれも狭く、やはり二号室には見劣りする。
どうしたものか。
鍵がなければお父様を部屋に通すことすらできない。
「シェリーさん?」
焦りの顔を浮かべる私の傍にフェスがやって来た。
「フェス。貴女、今日二号室の担当だったわよね。鍵がないんだけど」
「えっ?! フェスは今日は一号室と四号室のお客様の担当になりましたよ?!」
「え?」
おかしい。
お父様の接客はフェスがやると昨日から決めていたはず。
「それに、先ほどのお客様が急遽二号室に変更になったから、クランク様には五号室を使ってもらうことになったって……」
「どういうこと?! 何も聞いてないわよ!」
「ひゃっ!」
つい声を荒げてしまい、怯えたフェスに「ごめんなさい」と謝った。
「でも聞いてないわ、そんなこと。誰が言ってたの」
「あの……ミトさんが」
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