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○2章 クエストへ行こう

 -9 『異世界生活は続いていく』

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「ごっくろーさまー。依頼主からの報酬は後で受け渡しになるから、後日この換金チケットと一緒に引き換えにきてねー」

 旅人のきまぐれ亭の、はずれにひっそりと開かれた窓口。
 追いやられたようなその片隅で、エマは大層ご機嫌に笑顔を浮かべてボクに紙切れを手渡してきた。

 それを確かに受け取る。
 きまぐれ亭の印章が押された紙に三万ゴールドの文字。

 間違いなく、俺たちが稼いだお金だ。まだ引換券だが。

「これで借金も少しは減らせられる……」

 まだまだ額は大きいが、返済への一歩目を踏み出して真人間になれたようで、俺の心は清々しい気持ちだった。

「それにしても、おにーさんたちすごいねー。まさかあっという間にクリアして戻ってくるなんて思わなかったよー」
「まあ、想像と違ってビックリはしたけどな。特に問題なかったよ」
「へえー。このクエスト、すでに五人は受けて失敗して行方不明になってたんだよねー。何度も期限切れで困ってたんだー」

 おい、今なんて言った。

 朗らかな顔でさらりとえぐいことを言ったぞ。
 この少女――の見た目をした謎の受付嬢、そんなクエストを拒否権も無しに押し付けるとは。こいつは鬼か悪魔か。

 きまぐれ亭に居合わせた他の冒険者たちが、俺たちを奇異の目で、それもどこか畏怖を交えたように見てくる。

「あの新入り、エマ姉さんのクエストをこなしたとか、マジかよ。やべぇぜ」
「ああ、マジやべぇな」
「っべーよ。っべーって」

 やはり、誰も近づかないのは訳ありだったらしい。
 しかしおかげで報酬のいいクエストを受けられたのだから、結果からすれば悪くない。

「それじゃ、また来てねー」
「おう。ありがとな」

 窓口で見送るエマに手を振り、待合の椅子で待っていたミュンの元へ戻る。

 俺がぐっと親指を立てると、ミュンは笑顔を弾ませて迎えてくれた。

「よかったですね。明日にはお金も用意されていると思います。これでゴッゴリアちゃんのご飯も買えるねー」

 ミュンが、膝の上に乗せた犬の毛を撫でる。
 ふかふかな灰色の毛並みが柔らかく弛み、ゴッゴリアと呼ばれたその犬が欠伸をしながら顔を持ち上げた。

 ミュンの膝上に乗るほどの大きさしかないが、これでもこいつは、あのファッシール邸で対峙したケルベロスだ。

 ようやっと気合を入れたヴェーナたちの総攻撃を受け、ケルベロスは過剰すぎるほどのダメージによって瞬く間に倒れこんだ。

 しかし減ったのはHPではなく耐久値。

 後になってわかったことだが、どうやらそれは、ケルベロスの首につけられた首輪は『従属の輪』というものらしい。装着した魔獣を洗脳し、意のままに操るという魔法をかけられていたようだ。

 その拘束具の耐久値がなくなり破壊されたことによって魔法から解放されたケルベロスは、途端に手の平に乗りそうなサイズの姿へと変わってしまったのだった。

 おそらく理屈で言えば、力を封印されて若い少女の姿に戻ってしまったスクーデリアと同じようなものなのだろう。

 巨大な姿を維持する魔力をなくし、小さな体躯になってしまったというわけだ。もしかすると以前のはドーピングのように増強された姿で、これが本来のものなのかもしれない。

 首も一つとなり、ケルベロスというよりは、もはやただの犬だ。

 従属が解かれ、自由となったケルベロスは、俺に懐くように後をついてきてしまったのだった。それからというものミュンが世話をしてくれている。

「勝手にあの屋敷から逃げてきたけど大丈夫なのか、そいつ」
「いいんじゃないでしょうか。この子も喜んでいるみたいですし。それにかわいいですしねぇ」

 もふもふの毛並みに顔を埋めるミュンを見て、俺は一人と一匹の小動物がたわむれるような優しい光景に心癒される気分になっていた。

 ああ、お前のほうが可愛いよ。
 可愛いというのも、下心のあるものじゃない。
 小動物を見るような、そんな朗らかな気持ちからくる可愛さだ。

 つい頬が緩む。
 ここにビデオカメラがあればホームビデオとして残したいくらいだ。DVD、いやブルーレイに録画して、老後に毎日鑑賞して和みたいほどに。

「スマホがあればよかったのに。財布も何もかもなくなってたからな……」
「すまほ? なんですか、それ」
「いや、まあいろいろできる便利道具だよ。遠くの人と会話したりね」
「ああ、魔法具なのですね」

 やはりこちらの世界は魔法が一般的なようだ。

 剣と魔法の世界。
 来た途端に借金まみれでどうなるかと思ったが、こうして無事に金を稼ぐ手段も手に入れた。

「よし。このまま老後まで遊んで暮らせるくらいの金を手に入れて、念願のまったり異世界スローライフを実現させるぞ!」

 天井高く拳を突き上げ、決意を新たにする。
 しかしその掲げた拳に、ちくりと痛みが走った。

  『ダメージ1  残りHP9』

 やはりというか、ヴェーナの吹き矢である。

「おぉまぁえぇぇぇ!」

 慌てて逃げ出したヴェーナの激しく揺れる白髪を、俺はケルベロスよりも恐ろしい形相で追いかけたのだった。

 ――拝啓、田舎の母さん。持病の腰痛はよくなりましたか。

 俺はこの新しい世界で、命を狙われながらもなんとかやってます。
 世界の壁的に孫の顔は見せられそうにありませんが、なんだかんだで楽しい毎日です。

 こうして健やかに、そして真人間に育ててくれたこと、心の底から感謝します。

「ヴェェェェナァァァ! 晩飯は泥団子決定だぁぁぁぁ!」
「ちょっと待ちたまえ、友よ」
「マルコム。止めるな」

「いいや止めるさ。なぜなら、私は可愛い少女の味方だからだ! 事情は知らないが、どうしても彼女を追いかけたければこの私を倒して――ふごぉ?!」

 マルコムの顔がいきなり炎に包まれる。
 おっとりとした笑顔を浮かべたスクーデリアが、たわわな胸を彼に押し付けながら擦り寄る。

「あらぁ、ごめんなさい勇者様。手が滑って、炎の初級魔法がつい手から出てしまいましたわぁ」

  『ダメージ400  スキル発動。のこりHP1』

「あ、危ない。女神の加護がなければ即死だった」
「ごめんなさい、勇者様ぁ」

「なあに、人間、誰だってドジはあるものさ。現に私は死んでいないのだから問題なしなのだよ。私は魔王を打ち倒すまでは死ねないのだからね」
「まあ、なんて心が広い御方なのかしらぁ…………ちぇ、ざんねん」

 油断をすれば命を狙う奴ばかり。
 パーティとしてはひどく歪で、仲間とも言いづらいこの面子。

 けれどもなんだかんだ、俺はこの生活に慣れ始めているのだった。
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