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○3章 温泉へ行こう

3-1 『見慣れた日常』

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「おにーさん、どおー? 今ならこのクエスト、仲介金も手数料も無料! 出血大サービスの大盤振る舞いだよ!」

「仲介金も手数料も普段から無料です」
「しゃらああああああああっぷ! このちんちくりーん!」
「ひゃあっ?!」

 斡旋所の窓口で俺と一緒に手続きをしていたミュンの呟きに、エマが大袈裟な怒鳴り声を上げた。

 驚いて涙目になるミュン。
 年齢はともかく外見だけならエマも相当に幼く見えるせいもあって、二人並ぶとまるで同級生みたいだ。

「お前、また面倒そうなクエスト押し付けてくるつもりだろ」
「ええー、そんなことないってー。信用ないなー」
「しょっぱなが無理やりだったからな」

「でもちゃんとクリアできたしょー」
「まあ、それはそうだけど」

 信用しろと言うほうが無理な話だ。

 確かにケルベロスはいま、ただの子犬のようになってミュンの胸元で抱かれているのだが、次も簡単に終えられる保障はどこにもない。また途方もないクエストをふっかけてこないかとイヤでも敏感になってしまっている。

「ちぇー。いいクエストだと思ったのになー」

「今度持ってくるときはもっと平和なやつにしろ。この前だって『放牧中に逃げた牛の捕獲』って言われて行ってみたら、巨人に角が生えたみたいなミノタウロスだったじゃねえか。他にも、『軒下に巣を作ったアリの駆除』っていう建前で、人間よりも馬鹿でかい怪物アリの巣の駆除をさせられたのもあったぞ」

「あー、あれすごかったねー。家の下にあった巣が百メートルくらいになってたんだっけー」
「良いように口車に乗せられて出向かされる俺たちの気持ちにもなれってんだ」

 毎度引っかかる俺も俺だが。

 俺がこの世界に来てから早くも一月が経っていた。

 いきなり作ってしまった莫大な借金を返済するため、エマの用意してくれたクエストをこなしていく日々。

 今ではすっかり、クエスト斡旋所、旅人のきまぐれ亭の常連客となってしまっていた。

「よう、にーちゃん。昨日はスライム退治だったらしいな」

 強面の大柄男が、酒を片手に鼻先を赤くして寄ってくる。気前よくげらげら笑い、俺に無理やり酒を飲ましてくる。

「ちょ、おい。やめろって」
「いいじゃねえか。俺たちの仲だろう」
「野郎とキスして喜ぶような趣味はねえよ」

 はじめこそ俺たちを敵視していた常連の彼らだが、自分たちの縄張りを荒らされないとわかったとか、尖った目を向けることはなくなっていた。

 おまけに前回のクエスト報酬の一部を使って、彼らを誘った大宴会の開いた。

 俺がここに来る前にいた会社の同僚たちは「飲みニケーションなんて古い。今時親睦に酒なんておかしい」とはよく言っていたものだ。俺だって、無駄に金がかかるし、それをするくらいなら睡眠に費やしたいと思う。

 だがい実際、酒を組み合うというのは、わかりやすく端的に、お互いの距離をつめるのに便利なのである。
 いかにも酒好きそうな大男たちなら尚更だ。

 その結果、今ではまるで弟分とでもいうように気に入られている。

「がーっはっはっ。振られちまったか」
「当然だ。彼の隣に相応しいのは私だからな」

 ふと、マルコムが俺を庇うように割り込んでくる。

「おまえ。あのクエストが終わったら次の町に行くんじゃなかったのかよ」

 クエストをひとつ終わらせて路銀を手に入れたら、すぐにでも次の女性に会いに行く。なんて言っていたが。

「いや、私は気付かされたのだ。私は勇者であることに甘えていた。敵を選り好みし、真に守らなければならないものを見失っていた。だからしばらくはキミとともにこの町で精進しようと思ったのだよ」

 鼻を高くし、いかにももっともらしい言い方だ。

 だが、俺はこそりと彼の耳に手をかけ、囁く。

「本音は?」
「キミばかり美少女に囲まれてズルいぞぉ!」
「正直で結構」

 必死に声を噛み殺して本気で羨ましそうに言ってくるマルコムの悲痛さは、なんとも俺を物悲しい気持ちにさせた。

 英雄色好むとは言うけれど。
 いいのか、こんなのが勇者で。

「いやぁ。私たちは本当にいい仲間だとは思わないか。息も合っているし、なあ」
「なあ、って言われてもな」
「私ほどではないがキミも実力は悪くない。キミが魔法で道を切り開いてくれるおかげで、私の自慢の剣が格好良く敵を薙ぐ姿を見せつけられて心地良いよ」

 実際はステータス的に俺の方が圧倒的に上だし――そもそもカンストしているのだから俺に勝ちようがない。お膳立てに至っては、あまり目立ちたくない性分もあってマルコムに働かせているだけだ。

 おだてると調子に乗って励んでくれるので、功績を与えられるしマルコムもやる気になるし、一石二鳥である。

「昨日のスライム百匹討伐は心躍ったぞ。キミの魔法での牽制によって行き場を失ったスライムどもを、私がぎったんばったん、斬っては千切り斬っては千切りと薙ぎ倒していく。あの快感は忘れられないものだ」
「それはよかったな」

「スライムなど、勇者の敵ではないわ。ふーっはっはっはっ」
「いい威勢だぜあんちゃん!」
「そうだろうそうだろう。なにせ私は勇者だからな。もう一回言おう。なにせ、私は、勇者、だからな!」

 周囲の男たちから拍手と喝采が飛び、謎に場が盛り上がる。
 強面の男がマルコムに酒を手渡し、それを一気に煽る。すぐさま顔を真っ赤に火照らせたマルコムは、更に上機嫌にけらけら笑っていた。


 少しでも調子付かせて働いてもらって、俺が楽できるようにお膳立てし続けていたら、マルコムにも変に気に入られてしまった。

 友好的なのは男ばかり。
 友好的な華があまりないのも哀しいものだ。ミュンくらいだろうか。

 そんなむさい暑苦しさを鬱陶しく思いながら、ふと俺は呟く。

「そういや、こっちの世界のスライムは普通に弱かったな。だいたい、俺が最近知ってるのはめちゃくちゃ強いか、女の子の服だけを溶かす汚れ役だったけど」
「なにっ、それ詳しく」

 マルコムが真顔に戻って迫ってくる。

「詳しく。はよ」
「お前、本当に勇者か」
「勇者であるが、なにか?」
「……いや、別にいいけど」

 それよりもはよ、と肩を組んで顔を押し付けてくるマルコムに嫌気が差していると、ケルベロスを膝に乗せたまま、ミュンがこちらを眺めていることに気付いた。

 心なしか目を輝かせ、火照ったように顔を赤らめている。

「ミュン、どうした?」
「ふぇっ?! あ、いえ。お気になさらず、ごゆっくり」
「なにをだよ」

 そう言ったミュンは、俺がマルコムを無理やり引き離すと、どこか残念そうにしていたのだった。
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