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○4章 手汗魔王と繋いだ手

 -15『たどり着いた宿命です』

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 天使の増援もあり、ボクたちは一息つく暇を得ていた。

 ずっと走り続けながら死人兵を倒してきた。
 城の広さも相まって、リリオたちの疲労は相当に溜まってしまっていた。

 彼らに守ってもらいながら、ほんの束の間の休憩を取る。

 これからどういった道のりで玉座を目指すか。どう進めば死人兵が少ないか。城の内部に最も詳しいエイミを中心に考えていく。

「私は王位継承の争いに巻き込まれないようにほとんど王族としては育てられてこなかったから、あまりお城の内部にも詳しくはないの」

 そう話すエイミだが、彼女の記憶は正確で、ボクたちは着実に玉座へと近づけているようだった。

 けれども天使の増援があれど、数はいまだに死人兵が多い。確実に仕留めない限り無限に復活してくるのだ。いつまでも付き合っていられる場合ではない。

 そんな中、打開策として提案したのはリリオだった。

「アンセル様。どうか、私たちがここを抑えますですので、先に。お二人だけなら、死人兵の合間を縫って駆け抜けることも可能でございましょうです」
「えっ」

「アンセル様がとても強大なお力を持っていることはわかっていますです。そしてそれを使うために、私たちが邪魔になってしまうことも。だからそれを抑えようとしていることも――」

 リリオの視線が、ボクとエイミの手へと向けられる。

 ボクの力のこと、何故手を繋いでいるかすら、彼女には話したことがない。ボクが森の魔王と呼ばれるほどの力を持っていることも。

 けれどもその不自然さからやはり勘付いていたのだろう。

 実際、リリオの前では二度も魔獣を倒している。
 パーシェルの監視の件だってある。わからないはずがない。

「さっさとあの優男を止めてくるのじゃ」

 ミレーナもそう鼻で笑って言う。

「これほど用意周到な謀反、見逃すわけにはいきません! 悪を淘汰し、美味しいお菓子をご褒美にいっぱいもらいましょー!」

 パーシェルの馬鹿みたいに明るい声に、ボクは自然と表情が緩んだ。

 みんながボクの背中を押してくれている。そんな気がした。
 彼女たちの優しさが、献身が、ボクに道を開いてくれている。

「……わかった。エイミ、行こう」
「ええ。あの傲慢な男に灸をすえてあげなくちゃいけないわ」

 エイミが頷いてくれる。

 繋いだ手を、ボクはもう一度強く握りなおした。
 この手がここまで導いてくれたのだ。その感触を確かめるように。

   ◇

 王の座する間へと続く、山を登るような長い通路に繋がる広々とした部屋。そこに聳え立つ、獅子を模した彫刻の施された巨大な扉の手前で、ボクとエイミはやっとワドルドに追いついた。

「へえ、びっくりだ。まだ来るのか。随分と一生懸命なことで」

 言葉に反して驚いた様子は微塵も見せず、ワドルドは余裕の笑みを浮かべる。

 彼の傍にはやはり、近衛兵とみられる死体が転がっている。また遠慮のない殺戮が行われたのだ。最低の非道を悪びれる様子もなく平然と行うワドルドに、苛立ちが込み上げてくる。

「エイミ。力を使うよ」
「ええ」

 エイミと手を離す。
 力を誇示し、何の罪悪感もなく他人の命をむしりとる悪漢。

 容赦をするつもりはない。

 身体の中から力を湧きあがらせる様に心を昂ぶらせる。全身から靄が立ち始め、ボクの周りを黒く覆っていく。やはり力を制御できているのか、漏れ出る靄は控え目だ。けれど、体内の魔力が減った感じはしない。

 いける。

「俺をやるつもりか?」
「どうなったって知らないよ。これだけの非道。手加減するつもりはないから」
「そいつは恐いな」

 まだ余裕を残して笑むワドルドに、ボクは脚に魔法を乗せて高速で近づいた。そのまま彼の腕を取り、黒い靄に体を蝕まれて気を失わせる。ドールゼの時に使ったように。

 しかしボクがそう思い描いていた通りにはならなかった。

 腕は掴んだものの、ボクと目の前に相対したワドルドがその表情を苦痛に歪ませることはなかった。まるで何も受けていないかのように平然としている。

「てめぇなんかが気安く触れてんじゃねえよ!」

 みぞおちを蹴り飛ばされ、ボクは体を後方へと倒れこませた。

 力を制御しすぎていたのだろうか。まるで効いていない。

「だったら直接魔法でっ」
 手に力を込め、心の中で呪文を詠唱する。
 無詠唱の上位魔法。ボクの全力なら、ドールゼの魔法よりも更に威力は上回る。

「くらえっ!」

 突き出した手の先端から、黒く太い一筋の魔法が放たれる。
 それはワドルドを直撃し、姿を隠すほどの砂埃を舞わせた。

 今度こそやった。そう確信できるほどに力を込めた。

 だが。

「なんだよ。そんなもんかよ」

 砂煙が晴れたそこに立っていたのは、まるで傷一つ負っていない余裕を見せたワドルドの姿だった。

「そんな」

 間違いなく全力の攻撃だった。
 それなのに、ワドルドはそこから一歩も動かずにけろりとしている。

「今度はこっちから行くぞ」

 ワドルドが指を鳴らす。
 途端、ボクの足元から風船のような膨らみが生まれた。それが泡のようにはじけたかと思った瞬間、激しい爆発となって襲い掛かってきた。

 まともに懐でくらった衝撃に、ボクの体は数メートルと飛ばされ、壁に打ち付けられた。

 これも無詠唱魔法。それに、おそらく相当な上位魔法だ。

「アンセル、右よ!」

 エイミの叫びに、死角から死人兵が切りかかっていることに気付き、咄嗟に身を投げてかわす。

 魔法を撃ちつけて死人兵を頭ごと吹き飛ばそうとしたが、しかしまるでガス欠したような弱々しい魔法しか出ず、死人兵を仰け反らせる程度に留まった。

 まただ。

 自分では思い切り力を込めているつもりなのに、まったくその通りじゃない。

「なんで力が出ないんだ」

 仕方なく、立ち上がって死人兵から離れる。しかし歩を進めたその先に、また風船のような膨らみができ、破裂した。猛烈な爆発に、またしても体が吹き飛ばされる。

 魔法で守ってどうにか衝撃は和らげたが、立ち上がるのも苦痛なほどに体は悲鳴を上げ始めていた、

「どうした。お前の力はそんなもんかよ」

 更に足元へ風船が現れ、ボクは力を振り絞って地を蹴った。爆風が巻き起こり、衝撃に背中を押される。その先にも風船が設置され、爆発がボクを包み込んだ。

 殴打されるような衝撃が横腹に、背中に襲い、口から僅かに血が漏れる。

 痛みを食いしばり、無詠唱で光線の攻撃魔法を放つ。
 しかしワドルドはそれを、まるで虫を払うように容易く打ち消した。

 ならば近距離で打ち消す暇なくぶつければ。

 力の限りに足を踏み出して詰め寄る。

「まだそれだけの元気があるか」

 ワドルドは多少の驚きを顔色に浮かべる。ほぼゼロ距離にまで接近してもう一度、魔法を一閃、放出させる。しかしそれでも、やはり最初の一撃然り、ワドルドに傷一つ与えるに至らなかった。

 更にはその攻撃の隙をついて、中空に風船が浮かんでいることにボクは気づけなかった。それは空中の浮いた機雷のように漂い、魔法を放ったばかりの無防備なボクの傍で爆発した。

 度重なる被弾に、ついにボクは膝を地につけてしまう。
 それは、明確な強弱の格付けが示されたようなものだった。

 圧倒的な力の差。
 どうしてここまでの差があるのかわからないほどに。

 ボクは誰にも止められない最強の力を持っていると思っていた。実際、ボクを倒しに森までやって来た連中は、いかなる名を馳せた強者ですら、赤子の手を捻るように返り討ちにしてきた。

 人々が恐れる魔獣だってボクの敵ではない。
 けれどどうしてか、ただの青年然とした目の前の彼にまったく歯が立たない。

「もう終わりか? ここにいた近衛兵のほうが、馬鹿みたいにでかい断末魔の叫びが聞けただけ面白かったってもんだぜ」

 玩具で遊ぶ少年のような陽気さでワドルドが言う。
 その容赦のなさが、果たしてボクと彼の違いなのか。

「どうしてこんなことを。罪のない人たちを殺すんだ」
「この国の連中は俺よりも弱かったってことさ。弱者は虐げられて当然だろう」

 ひどい暴論だ。

 この前に見た、夢の中でいじめられ続けていた昔の非力なボクを思い出し、胸糞が悪くなる。

「強い者が上に立つ。人間だけでなく、生き物全てにおける理だ。世の中的にも、俺がこの国を統べたほうが良いのさ」
「傲慢ね」

 離れて見ていたエイミが静かに怒りを込めた声で言う。

「力というものは存在主張の一つでしかないわ。それだけで人間の全てが構築されているわけじゃない。貴方が圧倒的な力を持ったとしても、民心が貴方にひれ伏すわけがないわ。力がなくても、人々を治めることは可能よ」

 力強いその声に、しかしワドルドはあざけ笑うように頭を抱えた。

「力も持たずに、お前は守れたのか? そう……例えば、そこの親無しをよぉ!」

 そうして指をさしたその先は、ボクへと向けられていた。
 いや、それよりも。どうして彼はボクに親がいないことを知っているのか。

 それに、その言い方――。

 何かが胸の奥から吐き気のようにこみ上げてくるようで、その気持ち悪さに眩暈を覚える。

 エイミは、さっきまでの強い調子を失ったように震えて、強張った表情を浮かべていた。

「どうしたの、エイミ」とボクが声を投げかけても、彼女の見開いた瞳はまったく動かない。

 そんなエイミを面白おかしく眺めながらワドルドは言葉を続ける。

「せっかくの優しさを持って弱者に手を差し伸べたってのに、帰ってきたのは痛いしっぺ返しだもんな。あれだけ痛い目にあって、お前はまだそんな友達ごっこみたいな御手手繋ぎを続けられるのか」
「……どういう、こと?」

「ああ、そうか。森の魔王様には、そこらの餓鬼のことなんて力もない羽虫も同然。眼中にないよな」
「なんでボクのことを」
「なんで……?」

 ワドルドの眉間が深くしわ寄る。
 そしておもむろに服の裾を取り出すと、脇腹をめくって見せた。

 そこには、まるで大鎌にでも裂かれたかのような深い傷跡があった。

「それって……」
「ああ、そうさ。お前からの熱いプレゼントだよ」

 見覚えがある傷跡。
 夢の中で思い出した、あの……。

 心臓が飛び出しそうなほどの衝撃がボクを襲った。
 つまり彼は、幼少期にボクをいじめていたあのガキ大将、ということなのか。

 だったら、今の話からして、ボクの隣にいるエイミは――。

「ねえ。エイミは、ボクを昔から知ってたの……?」
「…………ええ」

 か細い頷いた彼女の言葉に、ボクは耳を疑いたくて仕方がなかった。
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