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おせん、賭けにでる
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帰ってきた物音で、おせんは縫いものを傍らにおき出迎えた。
「ごめんよ、あたしときたら時を間違えちまって――あれ、どうしたんだい」
てっきり腹をたてて戻ってきたと思いきや、そうではない、どこか切迫した表情の勝五郎は、
「誰も来てねえか」
そう戸口から覗き込んで、すぐに入ろうとはしなかった。
「誰もいないよ。ねえ、どうしたんだい」
勝五郎はこたえず、なおも振り返って確認してから、やっと自分が棲んでいる九尺二間に這い込んできた。
「ねえってば。言ってれなくちゃわからないじゃないか。いったい何があったんだい」
「でけえ声を出すんじゃねえ」
勝五郎は血走った目で女房をひと睨みしてから、まだ湿っている革製の財布を取り出した。
「あんた――」
「拾ったんだ。勘違いするな」
勝五郎が財布を広げると、拾両の墨書こそ海水に洗われ消えているが、そこには紛れもない享保大判が七枚。
目を剥くような大金であった。
太閤秀吉が規格化した大判金は、主に武家の恩賞にもちいられ、一般に流通する貨幣ではない。
つまり勝五郎のような町人が遣えばそれだけで、
(おや)
と首を傾げる程度に不自然なのだが、
「なあに、ちゃんと考えがある」
勝五郎はにやりとした。
「考えがあるって、あんた、これ届けないのかい」
「馬鹿。流れに逆らうやつがあるもんか」
「流れ?」
「ツキとも言わあな。いいか、こういう時はな、流れに乗っかったほうがいいんだ。無理に逆らうと、かえってろくなことにならねえ。流れをせなに前へ出るのよ」
おせんは今の勝五郎と同じような顔を知っている。
(あ、これはいけない)
うますぎる話に目が眩んだ男を、いったいどれほど見たことか。
まさしく、そんな顔だった。
「なあに、心配にゃ及ばねえ。昔の連れに両替屋がいるんだ。そいつに小判の二、三枚ばかし握らしときゃ大丈夫だろうよ。造作もねえこった」
おせんの心に不安がひろがっていく。
しかし、こういう状態のときに道理を説いても、むきになるのが普通で、そうなればなるほど引き返すのが難しくなる。
どうする。どうする。
「あんた!」
おせんは、ぽん、と手をうった。
「やったじゃないか。あたしは、いつかこんな日がくると思ってたんだよ」
勝五郎は驚いたように見返したが、
「へへ、調子のいいことを言うじゃねえか」
「世の中って捨てたもんじゃないねえ。こんなことも、あるんだねえ」
「おうよ」
「それもこれも、あんたが目端のきく人だったからだと、あたしは思うねえ。だって普通は気づかないもんじゃないのかい、財布なんか落ちてたってさ。よく見逃さなかったもんだねえ」
「そこは、お前――まあ、あれだ。これでも商売人の端くれよ」
「そうだ!こんないいことがあったんだからさ、ちょっとお祝いでもしたらどうかねえ」
「お祝い?」
「そうだよ、ほんとの大盤振る舞いと洒落込もうよ」
「うん――まあ、そいつは両替したブツを拝んでからでも、遅くねえんじゃねえか」
「そうねえ。それもいいけど、大判なんかがウチにあるって一生に何度もないんだからさ、一晩くらい畳のしたに敷き並べて、その上で大騒ぎってのも洒落てていいんじゃないかねえ」
「ふむ――悪くねえ」
(しめた!)
というのが顔が出ないように、おせんは必死にはしゃいでみせて、
「じゃあさ。あたしはこれからひとっ走り行って、お酒を買ってくるから、あんたは皆を呼んでおいでよ」
「よしきた」
「おっとその前に、大判を隠しておかなくちゃ――そうだね、このあたりがいいんじゃなかねえ」
そして――。
おせんの目論見どおり、その晩は呑めや歌えの騒ぎになった。
辰だの源だのといった馴染みはもとより、おちおち寝ていられない隣近所も巻き込んで、見回りにきた火の用心、通りかかった夜泣き蕎麦、小言をしにきた大家まで、およそ視界に入るものは、何でもかんでも引っ張ってこないと気が済まない。
まったく、はた迷惑な連中であった。
「ごめんよ、あたしときたら時を間違えちまって――あれ、どうしたんだい」
てっきり腹をたてて戻ってきたと思いきや、そうではない、どこか切迫した表情の勝五郎は、
「誰も来てねえか」
そう戸口から覗き込んで、すぐに入ろうとはしなかった。
「誰もいないよ。ねえ、どうしたんだい」
勝五郎はこたえず、なおも振り返って確認してから、やっと自分が棲んでいる九尺二間に這い込んできた。
「ねえってば。言ってれなくちゃわからないじゃないか。いったい何があったんだい」
「でけえ声を出すんじゃねえ」
勝五郎は血走った目で女房をひと睨みしてから、まだ湿っている革製の財布を取り出した。
「あんた――」
「拾ったんだ。勘違いするな」
勝五郎が財布を広げると、拾両の墨書こそ海水に洗われ消えているが、そこには紛れもない享保大判が七枚。
目を剥くような大金であった。
太閤秀吉が規格化した大判金は、主に武家の恩賞にもちいられ、一般に流通する貨幣ではない。
つまり勝五郎のような町人が遣えばそれだけで、
(おや)
と首を傾げる程度に不自然なのだが、
「なあに、ちゃんと考えがある」
勝五郎はにやりとした。
「考えがあるって、あんた、これ届けないのかい」
「馬鹿。流れに逆らうやつがあるもんか」
「流れ?」
「ツキとも言わあな。いいか、こういう時はな、流れに乗っかったほうがいいんだ。無理に逆らうと、かえってろくなことにならねえ。流れをせなに前へ出るのよ」
おせんは今の勝五郎と同じような顔を知っている。
(あ、これはいけない)
うますぎる話に目が眩んだ男を、いったいどれほど見たことか。
まさしく、そんな顔だった。
「なあに、心配にゃ及ばねえ。昔の連れに両替屋がいるんだ。そいつに小判の二、三枚ばかし握らしときゃ大丈夫だろうよ。造作もねえこった」
おせんの心に不安がひろがっていく。
しかし、こういう状態のときに道理を説いても、むきになるのが普通で、そうなればなるほど引き返すのが難しくなる。
どうする。どうする。
「あんた!」
おせんは、ぽん、と手をうった。
「やったじゃないか。あたしは、いつかこんな日がくると思ってたんだよ」
勝五郎は驚いたように見返したが、
「へへ、調子のいいことを言うじゃねえか」
「世の中って捨てたもんじゃないねえ。こんなことも、あるんだねえ」
「おうよ」
「それもこれも、あんたが目端のきく人だったからだと、あたしは思うねえ。だって普通は気づかないもんじゃないのかい、財布なんか落ちてたってさ。よく見逃さなかったもんだねえ」
「そこは、お前――まあ、あれだ。これでも商売人の端くれよ」
「そうだ!こんないいことがあったんだからさ、ちょっとお祝いでもしたらどうかねえ」
「お祝い?」
「そうだよ、ほんとの大盤振る舞いと洒落込もうよ」
「うん――まあ、そいつは両替したブツを拝んでからでも、遅くねえんじゃねえか」
「そうねえ。それもいいけど、大判なんかがウチにあるって一生に何度もないんだからさ、一晩くらい畳のしたに敷き並べて、その上で大騒ぎってのも洒落てていいんじゃないかねえ」
「ふむ――悪くねえ」
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というのが顔が出ないように、おせんは必死にはしゃいでみせて、
「じゃあさ。あたしはこれからひとっ走り行って、お酒を買ってくるから、あんたは皆を呼んでおいでよ」
「よしきた」
「おっとその前に、大判を隠しておかなくちゃ――そうだね、このあたりがいいんじゃなかねえ」
そして――。
おせんの目論見どおり、その晩は呑めや歌えの騒ぎになった。
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まったく、はた迷惑な連中であった。
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