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シーズン1 いざMIH(メイド・イン・ヘブン)学園へ

001 まだまだ引退するには早いよ

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「おお!! メビウスさんじゃないっすか!! お疲れっす!!」

 ジョン・プレイヤーは気さくに……気さくすぎるほどの挨拶をしてきた。

 きょうは特別な日だ。メビウスの退役日だからだ。祖国『ロスト・エンジェルス連邦共和国』の軍人として国家に尽くし続けてきたが、70歳を過ぎてしまった老兵は消え去ったほうが良い。後進に母国の未来を託すべきだ。

「ああ、お疲れ様。もう知っているのだろう? わしが退役することは」

「えーッ!? メビウスさん軍人辞めちゃうの!? まだまだメビウスさん闘えるって!!」

「知らなかったのか……。まあそのほうがオマエらしいよ。ジョン」

「クールの野郎にも許可取ったんすか? アイツこそ、泣き落とししてでもメビウスさんのこと止めそうだけど」

「ああ。散々泣き落としされた。だが老兵がのさばっていたらこの国は前へは進めない」

「マジっすか……。残念です」

 ジョンとクール。ふたりはいまやロスト・エンジェルス最強の魔術師として名高い。ジョンは軍人の道を進み、クールに至ってはこの国の最高指導者に成り上がった。

 そのふたりを育てたのは、メビウスだ。彼らが高校生のとき、膨大な才能を持っていることを知ったメビウスがふたりを徹底的に育成したのだ。

 それが故、ジョンはすこし落ち込んでいるようだった。そしてそれはクールも同様だった。

「なに。今生こんじょうの別れというわけではない。だから落ち込むな、ジョン」

「でも職人気質のヒトが退職すると一気に老けるっていうし、アルツハイマーになった恩師を見たくないっすよ……」

「……。そうだな。それだけが気がかりだ」

「ボケないでくださいよ? メビウスさん」

「オマエたちの顔を思い出せばボケもしない」

「どういう意味っすか!!」

 ジョンは笑い、なんとか涙を堪えているようだった。

「ところで、引退後はどうするおつもりなんですか?」

「そうだな……。気ままにロスト・エンジェルス一周旅行でもしてみるよ。考えてみれば、まだまだ行ったことのない街ばかりだしな」

「良い老後の過ごし方っすね! おれなんて老後の楽しみ女の子と大運動会することくらいしかないんすよ。EDになったらなんにも楽しみがなくなっちゃう」

「オマエもクールも女遊びが好きだからな。ま、ほどほどにしておけ」

 それから数十分間くらい話し込み、ようやくメビウスはジョンから解放された。退役届けを出しに来ただけなのにずいぶんと時間がかかってしまった。だがまあ、彼らもメビウスのことを慕っている。それだけは確かだ。

「……。ただいま」

 一方、家内に先立たれたメビウスの自宅は空虚そのものだ。遠征に出て行き数年単位で帰ってこなかったこともあるメビウスをずっと支えてくれた素晴らしい妻であったが、死んでしまった者は蘇らない。

 子どもは長男と長女がいたものの、ふたりともメビウスのように軍人になってしまい戦地で死んでいった。

 いまのメビウスに残されたのは、奇妙な研究に勤しむ孫娘だけだ。

「モア。いるのか?」

 孫娘モアの部屋の前まで来てみたが、まるで反応がない。
 昼夜逆転を起こして寝ているのだろうと部屋の前から離れようとした瞬間だった。

「おじいちゃん!! ついに性別変換剤ができたよ!!」

 ぐるぐるメガネをかけて白衣を着ている金髪のモアは、そういう変なものを創り出すことに執念を燃やす気質だ。

「面白いものを創ったみたいだな。だが、具体的にどんな用途に活かせるのだ?」

「分かってないなぁおじいちゃん! 世の中おカネ払ってでも女の子になりたいヒトだっているんだよ?」

「分からないなぁ。そんなヒトたちの気持ちなど」

「でさぁ!! このお薬若返り効果もあるんだよね~! だからおじいちゃんみたいなヒトにも使えるよ!! むしろオススメ!!」

「別に若返りたいなどとは思っていないが」

「えーっ!? 若返りたくないの?」

「ここまで来たことに満足しているからな。再評価は望まん」

「ちェッ!! つまんないこと言う~。でもさぁ──」

 長々と話し込んでしまった。なぜあの孫娘はメビウスを女にしたがるのだろうか。あの子は長女の娘だから、ひょっとしたら母親がいなくて寂しいのかもしれない。

 そう考えると最後の孫孝行として『性別変換剤』を飲んでやっても良い気がするものの、若返る効果までついているのが気に食わない。

 というわけで夜の10時になった。そろそろ薬を飲んで寝る時間だ。

「人類最強、ロスト・エンジェルスの英雄、そうりゅうのメビウスと呼ばれていても、老いにはどうしても勝てんな」

 どんなに健康へ気を使っていても、7個薬を飲まないといけないと医者に口酸っぱく言われている。それこそ仕方のない話ではあるが、同時に退役することの後押しにもなってしまった。

「……。本当は生涯現役でいたかったがな」

 薬を取り出し、コップ半分ほどの水で流し込む。それから1時間後、メビウスはベッドに入って眠り始めた。

 *

「おじいちゃん……老いたねぇ。どんなときでも細心の注意を払わないといけないのにねぇ」

 モアの嫌味ったらしい声とともに目を覚ます。仰向けに眠っていたメビウスの目の前には、手鏡が配置されていた。

「……。モア。わしが衰えたことを知っていた君の作戦勝ちだよ」

 白い髪には紫のグラデーションが入っている。目鼻口すべてがケチのつけようのないほどに整っており、長女が子どもだった頃を彷彿とさせる。小顔で目の色は青い。最前発した声は聖歌隊の少年のように美しいものであった。

「きのう飲んだ薬の中に、その性別変換剤とやらを入れたのだろう? まったく、いたずら好きなのもほどほどにしておけよ?」

「ありゃ。怒らないの?」

「注意しなかったわしが悪い。気づいていたら君を鉄拳制裁していただろうがな」

 メビウスは立ち上がり、かつて180センチほどあった身長が160センチくらいに縮んでいることを確認する。体型はスマートであるものの、筋力が特別あるようには感じない。もう戦闘はやめておけ、ということなのだろうか。

「ねえ、おじいちゃん」

「なんだ?」

「まだまだ引退するには早いよ。母ちゃん父ちゃん、おじさんの分まで働かないと!」

 メビウスは微笑を浮かべ、「そうかもな……」と返事したのだった。
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