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11.揺れる三日月
しおりを挟む日はとうに沈み、手付かずの空に満点の星々が輝く。
昼間に囀っていた鳥たちは眠りにつき、代わりとばかりに響く虫たちの鳴き声。
風に騒めく木々の影に、星々が点滅する。
その暗闇の中にある、少し開けた河原。
その真ん中で、パチパチと焚き木が音を立てて燃える。
強い光は夜闇を切り裂き、黒に染められた景色の輪郭を、はっきりと映し出していく。
ぱきり
火のそば、一際大きな音が響く。
火のはじける音じゃない。
もっと大きく、重く、鈍い音。
飛び跳ねた火の粉が、その音の正体を照らし出す。
黒々とした深茶色の太い毛に、岩のように大柄な巨躯。
着いた手は丸太かのように太く大きく、毛で覆われながらその内に秘めた質量を、まじまじと表している。
その深茶の影の中心で、歪む大きな白い三日月。
見開く、4つの赤い瞳。
「グルルゥ…」
唸り声と共に、こぼれる白濁した涎。
黄ばんだ歯の間から垂れる白銀の糸が、薪へと落ちる。
じゅうと煙がたち、燃え盛る火をわずかに揺らす。
獣はそれを気に求めず、ぎょろりと見開いた4つのの目をある1点へと向けている。
ブツブツ……ブツブツ……
獣の視線の先。
揺れた光の中で、蹲る影がひとつ。
年齢は20代程。短く切りそろえられた茶髪に、鈍い深紫の瞳。
ところどころ赤黒く汚れた古い外套を纏い、腰には少し短めの片刃の剣が見える。
しかし彼女はその剣を獣へ向けることなく、ただ怯えるように、ブツブツと何かを呟きながら蹲る。
「大丈夫…大丈夫だから…
か、必ず、ウェル、ちゃんが助け、を呼んできて、くれるから…」
そう必死に語りかけるも、それに返答する声はない。
周りにあるのは、亡骸となった仲間たちだったものだけ。
1人は長髪の男性。
大岩で持たれかかった体勢のまま、ピクリとも動こうとしない。
手に握る弓は半ばで折れ、もはや武器としての役割を果たすことはできないだろう。
外傷こそほとんどないが、伏せた顔に生気はなく、口角と長耳から血を垂らしている。
もう1人は黒鎧の大男。
うつ伏せの姿勢で、石塊だらけの地面に横たわる。
彼の武器であったであろう大斧は先が欠け、もはや材木を斬ることすら叶わぬ代物となっている。
彼には既に、頭部がない。
下顎から上を全て失い、零れた舌からぴちゃりぴちやりと鮮血が滴り落ちている。
「ねぇ、ダルニス…
あと、もう少し…あともう少し、だから……」
茶髪の女は、そのもげた頭部を抱えて泣く。
目は虚ろ、体は震え、言葉は途切れ途切れ。
明らかに正気の形相ではない。
しかし獲物の正気など、獣には関係ない。
「グゥ、グゥヴ……!!」
血の匂いに興奮したのか、獣の息が荒くなる。
目は血走り、絶え間なく涎が零れ落ちる。
「だっ、大丈夫、…!きっと…、きっと…!!」
女はただ喚く。
まるで泣く赤子を、必死にあやす母のように。
まるで迫るくる恐怖から、目を逸らすかのように。
縋るように、逃げるように
ただ、無力に。
その時だった
ヒュッ
コッ
「グッ…ルル゛ッ…?」
突然、暗闇の中から何かが飛ぶ。
それは、瞳のほどの大きさの小石。
獣の頭へぶつかるそれは、軽い音を立てたあと地面を転がる。
獣は不愉快そうに顔を歪めたあと、飛んできた方向を睨む。
そこには、小さな影がいた。
いや、影と見間違うほど、黒い獣。
草丈にも満たない小さな背。
埃と土にまみれた、ボロボロの汚れた毛並。
痩せ細り、肋が浮き彫りになった体。
毛は抜け、足は震え、今にも死んでしまいそうなほど弱々しい。
しかしその影の中で爛々と輝く、黄金色の双眸。
弱々しい身体とは違い、瞳には確かな知性と意思が灯る。
縦に裂けた瞳孔は鋭く、反射する焚き木の光が金色をより一層強めている。
口には黒い剣を咥え、真っ直ぐとその視線を四つ目の獣へと向けている。
「グル゛ル゛ル゛ゥ゛ヴゥ…!!!」
「ガルルゥ…!!」
2頭と獣が唸り合う。
地を響かせるような重く恐ろしい唸り声。
それに対する、弱々しいながらも強い覚悟を持った声。
空には一筋の三日月が、ただ微笑んでいた。
― ― ― ― ― ―
荒い息を吐く、四つ目の熊。
大岩のような巨躯に、重機のような双腕。
相対しているだけで、恐怖で体が震える程の威圧感。
生物としての、圧倒的な格の違い。
(くそぉ…!なんで俺、飛び出しちまったんだ…!?)
心中で、激しく後悔する。
穴罠蜘蛛の巣からなんとか抜け出し、寝床へと帰ろうとしていた頃。
先程いた河原に、火の明かりがあるのが見えた。
火を使える生物は、この世に数種類しかいない。
それも、意図的に炎を付けられるのは人間だけだ。
彼らと接触すれば、様々な情報が得られるはず…
もしかしたら、残飯でも貰えるかも…!
そう思い、近寄ってみれば…
(久しぶりだな…4日ぶりぐらいか…?)
「グル゛ル゛ル゛ゥ゛……!!!」
地を這うような、低く重い唸り声。
背筋を震わせるような威圧感に、もはや懐かしささえ覚える。
まさか彼らが、コイツに襲われている最中だったとは…。
『コ、コイツは…!!』
(…!ラウル、知ってるのか…!?)
『うん…ほんのちょっとだけ、だけど…。
コイツは四ツ目月輪熊…ここら辺の森を住処にする、大型の熊だよ。
小さな村程度だったら四ツ目月輪熊1匹で壊滅させられるぐらいの危険なヤツさ…!』
“四ツ目月輪熊”、か…。
思っていた以上に、見たまんまの名前だ。
しかし、名前など今はどうだっていい。
問題は、村を単体で滅ぼすような猛獣が、俺の目の前にいるということ。
そいつに対して、喧嘩を売ってしまったという事実だ。
(くそっ、俺の馬鹿野郎…!!)
襲われているの見て、つい身体が動いてしまった。
そう言うと聞こえはいいが、要はただの考え無し。
無謀にも程がある、バカの所業だ。
だが、今更どうしたって過ぎたこと。
今は、この場をどう凌ぐかを考えるしかない。
見たところ、人影は3つ。
ひとつは大岩のそばにいる、弓のような物を握った薄緑の長髪の人。
ひとつは四ツ目月輪熊のそばで倒れる、黒い鎧に身を包む大柄の人。
ひとつはその近くで蹲っている、僅かに震える茶髪の人。
意識がありそうなのはそのうち茶髪の1人だけ。
他はピクリとも動かない。
辺りに赤黒いものが散らばっているのを見るに、既に事切れてしまっている可能性が高い。
間に合わなかったのは口惜しいが、生きている人を逃がす方が先だ。
(ラウル、ちょっとお願いがあるんだけど…あの人に、ここから逃げるよう伝えてくれないか?)
『えっ!?で、でも、すぐに追いつかれちゃうと思うよ…?
あの人も腰抜かしちゃって、ろくに走れないと思うし…』
(いや、逃がすのは彼女だけだ)
『え。
…てことはもしや、君が囮になるつもりかい…!!?』
ラウルが驚きの声を上げる。
だが、今はこれしかない。
俺だって、アイツに勝てるとは到底思っちゃいない。だが、彼女を逃がすための時間稼ぎ程度ならできるはず。
一度は逃げきれたのだ。
彼女が逃げた後に、またこの間のような“鬼ごっこ”で逃げれきればいい。
この前は怪我をしていたせいで追いつかれそうになったが、今はこの体にも相当慣れている。
そう簡単には捕まらないはずだ。
それに、もしかしたら彼らがほかの仲間を呼んで来てくれる可能性もある。
そうなれば勝機も…
『ちょっ、ちょっと待ってよ!ご主人!?
なんで、わざわざご主人が、あの人らの為に命を張るのさ!!?』
(…)
『そもそも、あの人らを助ける意味なんて、ご主人にはほとんどないんだよ??
確かに、助ければ多少の恩を売ることはできるだろうさ。だけど…、命を賭けるには、あまりに危険すぎるよ!!
死んでしまったら、元も子もないんだよ!!??
あの人達には悪いけど…彼女らを囮にして、ここら離れる方がよっぽど安全さ!!
まだ四ツ目月輪熊からは距離があるし、今からでも逃げれば間に合うはず…!!』
ガキンッ
『っ……!?』
(…、ごめん…)
思わず口に力が籠る。
咥えていた黒剣に歯が擦れ、鈍い金属音が口内に響く。
確かに、ラウルの言う通りだ。
彼らを助けても、俺が助かる確率はかなり低い。
例え彼らを逃がせたとして、それまでに俺が耐えられる保証もない。
それなら彼等を見捨て、ここから逃げた方がよっぽど安全だ。
非情だが、合理的で、正しい。
しかし、
《気持ち悪い》
(ッ……!)
倒れている彼らの姿が、重なるのだ。
弱く、何も出来なかった、かつての自分と。
呻くことしか出来なかった、昔の俺と。
あの時、俺は誰かに助けて欲しかった。
ほんの少しでもいい。
話を聞いてくれるだけでもいい。
手を差し伸べてくれる誰かを
(…意味は、無いさ)
『っ…、だ、だろ!?なら…』
(…だけど、ここで引いたら…
俺は、俺を…許せなくなっちまうんだよ…!!)
『…え、はぁ…??』
わからなくたっていい。
理解されなくても構わない。
これは俺の、醜い醜い
ただのちっぽけな我儘だ。
『~~~ッ、もう!!
どうなっても知らないからね!!?』
(ありがとう、ラウル)
『…ったく!!
おーーーーいッ!!そこの人!!早く逃げろおぉーーー!!!!
私達が時間を稼ぐから、早く逃げなよーー!!気が変わらないうちに、早くーーーーー!!!!』
「…ッ!?!?」
ラウルの大声に、茶髪の人の肩が大きく跳ねる。
そりゃそうだ。いきなり猫が喋りかけてきたら、俺だってビビるだろう。
さて、意図は伝えた。
あとは彼女がどうするか、だが…
「グル゛ル゛ル゛ゥヴゥ゛…!!!」
(まぁ…そう簡単には、逃がしてくれないよなぁ…)
四ツ目月輪熊が、1歩踏み出す。
あの歩幅なら、4~5歩程度でこちらまで辿り着くだろう。
(かかってこいよ…クマ野郎…!!)
再戦が、始まる。
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