12 / 15
11:『神の創りし物語』の始まり≫≫
しおりを挟む
眼下に広がる白銀の世界。それは山と呼ぶよりはもはや断崖であり、私はその頂に立っていた。勢いよく吹き上げてきた突風が私の髪を後ろへと跳ね上げる。
傾斜40度、いや、それ以上あるだろうか、上級者でも躊躇してしまいそうなそのコースを私は見下ろす。足元には私が装着しているはずのスキー板の先が見える。隣に並んで立っている井戸部くんも私と同じその風景を見ているはずだ。
「やばいよ、これ。マジやばいって」
「男でしょー? 一緒に行くよーっ」
「いや俺、高いとこダメなんだってば」
「後ろつかえてるんだから、早く! せーの」
最新の仮想現実を体験できるアミューズメント施設。そんなものが半年間、期間限定で開催されていると聞いて私たちはここお台場に来ていた。二人きりで……つまり、これは、いわゆる……その……デートというやつなのだ。初めての。
U字型のヘッド・マウント・ディスプレイを装着すると映像がスタートし、首を動かせば横左右は180度、縦上下は90度まで視界で捉える画像がついてくる仕組みになっている。驚くことに自分の吐く白い息までが映像に映り込み、その場にいる雰囲気を醸し出していた。
両手でスキーのポールに見立てたサイドブレーキのようなものを握り、方向転換すればゴーグル内の映像もそれに伴いちゃんとついてくる。私と井戸部くんは二人並んでそのVRを楽しんでいた。
パーク内には高層ビルの屋上から突き出た板の上にいる子犬を救出したり、巨大ロボットを操縦している気分が味わえたりとさまざまなVRアトラクションがあったが、まず私たちは一番並びが少なかった『プロスキーヤーの目線』が楽しめるヴァーチャルから試してみることにしたのだ。
――ここまでVRは進化したのか。
と、一瞬驚きはしたものの、すぐに『いや、違うだろ。だってこれは仮想世界の中で見ている仮想現実なわけで……』というややこしい事実に気がつく。そう考えてみると本当の意味で凄いのは私の本体が見ている、150年後に造られるはずの〈REM〉というマシンの方なのだ。
「うわぁっ」だの「ひょえっ!」だの、井戸部くんが柄にもなく奇声を発しているので私は可笑しくなった。
今、私たちの目の前には40度の傾斜を物凄いスピードで滑走していく映像が映し出されている。
まるでスパイ映画などのアクション俳優になった気分だ。ヘッドフォンからは臨場感に溢れた雪をかく音までが聞こえてくるし、顔に当たる冷たい風や空気までもが映像に合わせて配慮されている。
凄い。確かに凄い。大興奮である……はずなのに。
私は以前100mのタイムを計る時、学校のグラウンドで感じたあの鳥肌の立つような感覚を思い起こしていた。
この世界が本物でないと知り、改めて頬で風を感じたあの瞬間……その衝撃に比べればまるでこんなことなど子供騙しのようにも思えてくる。
今、私の目の前で展開されているスキーの映像は間違いなく偽物だ。むしろ「偽物だとわかっているからこそ」声を上げ、笑い、安心してはしゃぐことができる。
けれどそれが偽物だということすら感じさせない精巧な仮想現実だったとしたら?
カミジョウによれば、VR、AR、そしてMRにSR、そういったものは全部ひっくるめてXRと総称するらしい。
難しいことや正式名称のことなんてよくわからない。わからないけど……。ただ――
私は〈REM〉というマシンが造り出しているこの仮想世界というものに対し、少し空恐ろしささえ感じ始めていた。
「ねえ、見て見て」
「ん?」
私は井戸部くんのシャツの袖を引っ張り、観覧車の前で記念撮影サービスをしてもらっている父娘連れをそっと指差した。女の子は車椅子に乗っており、撮影が終わると父親は車椅子を押しそのまま六角形のゴンドラに乗せる。
「へえ、すごいね。乗降口がバリアフリーになってるから車椅子ごと乗れるんだな。いいサービスだね」
「そ、そうじゃなくって、私たちも……撮ってもらわない? 写真」
「そりゃいいけど……一枚1100円? 高!」
「私が出すから」
「バ、バカ言うなよ。俺が、出すよ。一応これでも、その……デートのつもりなんだから」
『デート』。口に出して言ってもらった。やっぱり嬉しい。
「……ありがとう。どうしても撮っておきたいの」
腕を組むまではいかないものの、私は井戸部くんの腕にちょっとだけ手をかけた。赤いスタッフジャンパーを着た専門カメラマンが素早くシャッターを切る。そう、それは決してもとの世界に持って帰ることなどできない写真だ。だけど――
偽りでも何でもいい。私はただ、この“今”が『作られた記憶』ではないというそんな証が欲しかった。だから私は自分自身がカメラになったつもりでこの瞬間を必死に脳裏に焼き付けようとした。
――忘れませんように。忘れませんように。忘れたくない……。
はじめは向い合わせで座っていた私たちだったがゴンドラが上昇するにつれ、どちらからというでもなく立ち上がっていた。窓に手を当て、私と井戸部くんは眼下に広がるレインボープリッジやスカイツリーにしばし見とれた。
辺りは夕景に染まり、ネオンやLEDライトがその存在を主張し始めてきている。その反対に、きっと外側からは今頃私たちの乗った観覧車がまるでこの街のそよ風を作り出している虹色の巨大な扇風機のように見えていることだろう。
「ねえ、もしも……」
私がそう口を開くと井戸部くんは私の顔を見てプッと吹き出した。
「な、何?」
「いや、麗美ちゃんってけっこう空想癖があるんだなって。ほら、こないだも言ってたじゃん、世界一うまいもんじゃ焼きマシンがどうのとか」
「そ、そんなこと……」
「で、今度はどんな〈If〉なの?」
「井戸部くんは、もしも、もしもだよ、この世界が――ほら、さっきのヴァーチャルみたいにね、偽物だったらとか考えたことない? 自分以外。ぜぇ~んぶ」
「それはつまり、俺もニセモノだってこと?」
「まあ、その場合……そうなるのかな」
「ひどいなぁ」
ゴンドラが一番高い所まで昇りつめた時、井戸部くんは私の手をそっと握った。私はドキリとした。
「でも、結局ヴァーチャルも現実も似たようなもんじゃないのかな。自分以外のものなんて不確かなもんばっかだし。ましてや気持ちなんて、他の人が何をどう考えてるのかとかさ、俺、さっぱりわかんないし」
温かい手だった。そういえばさっき高いところが苦手だって叫んでたっけ。少し汗ばんでいるのはそのせいなんだろうか、それとも――
「井戸部くん?」
「ごめん。ちゃんと繋いどかないと、なんかさ、麗美ちゃんどっか行っちゃいそうじゃん? だから」
「な、なんかって?」
「なんかはなんかさ。さっきの写真撮る時だってちょっとそんな感じがしたし。まさか、引っ越しするとか転校するとか、そんなんじゃ……ないよね?」
私、そんな顔してたのかな。デートの最中なのに……。なんだか申し訳なくなってきた私は「さあ? 実は余命幾ばくもない白血病だったりするかもよ」と冗談ぽく微笑んでみせた。
「白血病の子は100mの都内ベストタイム近くなんかで走れません~」と井戸部くんも笑う。
「なんだ。よかった……ホッとしたよ」
束の間、沈黙があった。観覧車の動く機械的な音だけが響いている。
「……どこにもいかないよ」
私は井戸部くんに対して初めての嘘をついた。おそらくは最初で最後の、そして一番大きな嘘を。偽りの世界の中で口に出した偽りの言葉を。
「そういえば、コンタクトにしたんだね? 最近は眼鏡かけてるとこあんまり見ないけど」と井戸部くんは私の瞳の中を見つめてきた。
(眼鏡外すとけっこう可愛いんだねーー)
すべては、そこから始まった。いや、違う。始まらない物語を私が始めた。ちょっとだけ──ほんの少しだけ勇気を出せば、世界はこんなにも大きく変わることだってある。それがわかった。
幸せだった。いつまでもこうして井戸部くんと見つめあってもいたかった。身体からだの真ん中辺りにある源泉から『私というもの』を突き動かすための潤滑油がコポコポと湧わきだし、廻っていくようだった。
まるで母親の胎内にいるようなその音に耳を傾けながら私の目は自然に閉じていく。一周がわずか十六分しかない観覧車はもうほんのあと数分で地上に辿り着いてしまうだろう。この私の物語と同じように。
井戸部くんの唇がゆっくり私のもとに近付いてくるのを感じた……。
ハッピー・エンド。
エンド……?
(イグジステンス=レベル――)
急にチャンネルが切り替えられたようにBGMがカミジョウの声に変わった気がした。
(まあ、君の存在価値的満足度を表すレベルってとこかな。ドーパミンやアドレナリンなんかの脳内物質と密接な関係があって…… )
――いや……。
(それがMAXになった時、君は自動的にこの世界からイジェクトされ――)
「やだ…………」
私は井戸部くんから身を引くと、ゆっくり後退りした。瞬きをすることさえ忘れ、へたりと椅子に座り込んだ。
「麗美ちゃん……?」
――もしも。ああ……また〈If〉だ。もしも、これがこの物語の最後ラストシーンだとしたら……? もしも……。
「来こないで!」
最初で最後のはずだったのに、私はまた嘘をつく。
「ご、ごめん……そんなつもりじゃ」
震える私を見て狼狽する井戸部くんの姿が涙で滲み、歪んだ。
「ごめんなさい……違うの。そうじゃないの……」
本当は抱きしめてほしい。本当はキスしてほしい。もっともっと一緒にいたい。だからこそ――来こないで。
終わらせたくなんてない。
戻れなくたって構わない!
本当の私って、なに?
ずるいよ――
だって……私だって本当の私なのに!!!
私は意識がすうと遠退いていくのを感じた。
▼ ▲ ▼ ▲ ▼ ▲
『レミ=オクダのイグジステンス=レベルは満潮に達するはずだった。いつでもイジェクトできる状態だったってのに──』
「へえ……なるほどね 」
『おい、上条。聞いてんのか? おい?――』
「榎本、彼女の海馬からのメモリ、確かに受け取った。すまんな、無理をさせて」
『奢れよ。それより、よかったのか? 終わらせなくて――』
「いい。……はずだ。聞こえただろ? 彼女もまだ終わらせたくないってな。伏線だって回収しなきゃならない。それに、まだ演じ切ってない役者が一人いる」
『役者ねぇ――』
「何にしろ嫌われ役ってのは、あまりいい気分じゃあないもんだな」
『まあ“嫌われる”くらいで済すめばいいがな……伏線? 伏線って、何のことだ?――』
「偶然の産物さ。はじめは何の意味もない場面かと思ったが――どうにもそういうわけにはいかんらしい。ホントによくできてやがるよ。神の創りし物語ってやつはな」
傾斜40度、いや、それ以上あるだろうか、上級者でも躊躇してしまいそうなそのコースを私は見下ろす。足元には私が装着しているはずのスキー板の先が見える。隣に並んで立っている井戸部くんも私と同じその風景を見ているはずだ。
「やばいよ、これ。マジやばいって」
「男でしょー? 一緒に行くよーっ」
「いや俺、高いとこダメなんだってば」
「後ろつかえてるんだから、早く! せーの」
最新の仮想現実を体験できるアミューズメント施設。そんなものが半年間、期間限定で開催されていると聞いて私たちはここお台場に来ていた。二人きりで……つまり、これは、いわゆる……その……デートというやつなのだ。初めての。
U字型のヘッド・マウント・ディスプレイを装着すると映像がスタートし、首を動かせば横左右は180度、縦上下は90度まで視界で捉える画像がついてくる仕組みになっている。驚くことに自分の吐く白い息までが映像に映り込み、その場にいる雰囲気を醸し出していた。
両手でスキーのポールに見立てたサイドブレーキのようなものを握り、方向転換すればゴーグル内の映像もそれに伴いちゃんとついてくる。私と井戸部くんは二人並んでそのVRを楽しんでいた。
パーク内には高層ビルの屋上から突き出た板の上にいる子犬を救出したり、巨大ロボットを操縦している気分が味わえたりとさまざまなVRアトラクションがあったが、まず私たちは一番並びが少なかった『プロスキーヤーの目線』が楽しめるヴァーチャルから試してみることにしたのだ。
――ここまでVRは進化したのか。
と、一瞬驚きはしたものの、すぐに『いや、違うだろ。だってこれは仮想世界の中で見ている仮想現実なわけで……』というややこしい事実に気がつく。そう考えてみると本当の意味で凄いのは私の本体が見ている、150年後に造られるはずの〈REM〉というマシンの方なのだ。
「うわぁっ」だの「ひょえっ!」だの、井戸部くんが柄にもなく奇声を発しているので私は可笑しくなった。
今、私たちの目の前には40度の傾斜を物凄いスピードで滑走していく映像が映し出されている。
まるでスパイ映画などのアクション俳優になった気分だ。ヘッドフォンからは臨場感に溢れた雪をかく音までが聞こえてくるし、顔に当たる冷たい風や空気までもが映像に合わせて配慮されている。
凄い。確かに凄い。大興奮である……はずなのに。
私は以前100mのタイムを計る時、学校のグラウンドで感じたあの鳥肌の立つような感覚を思い起こしていた。
この世界が本物でないと知り、改めて頬で風を感じたあの瞬間……その衝撃に比べればまるでこんなことなど子供騙しのようにも思えてくる。
今、私の目の前で展開されているスキーの映像は間違いなく偽物だ。むしろ「偽物だとわかっているからこそ」声を上げ、笑い、安心してはしゃぐことができる。
けれどそれが偽物だということすら感じさせない精巧な仮想現実だったとしたら?
カミジョウによれば、VR、AR、そしてMRにSR、そういったものは全部ひっくるめてXRと総称するらしい。
難しいことや正式名称のことなんてよくわからない。わからないけど……。ただ――
私は〈REM〉というマシンが造り出しているこの仮想世界というものに対し、少し空恐ろしささえ感じ始めていた。
「ねえ、見て見て」
「ん?」
私は井戸部くんのシャツの袖を引っ張り、観覧車の前で記念撮影サービスをしてもらっている父娘連れをそっと指差した。女の子は車椅子に乗っており、撮影が終わると父親は車椅子を押しそのまま六角形のゴンドラに乗せる。
「へえ、すごいね。乗降口がバリアフリーになってるから車椅子ごと乗れるんだな。いいサービスだね」
「そ、そうじゃなくって、私たちも……撮ってもらわない? 写真」
「そりゃいいけど……一枚1100円? 高!」
「私が出すから」
「バ、バカ言うなよ。俺が、出すよ。一応これでも、その……デートのつもりなんだから」
『デート』。口に出して言ってもらった。やっぱり嬉しい。
「……ありがとう。どうしても撮っておきたいの」
腕を組むまではいかないものの、私は井戸部くんの腕にちょっとだけ手をかけた。赤いスタッフジャンパーを着た専門カメラマンが素早くシャッターを切る。そう、それは決してもとの世界に持って帰ることなどできない写真だ。だけど――
偽りでも何でもいい。私はただ、この“今”が『作られた記憶』ではないというそんな証が欲しかった。だから私は自分自身がカメラになったつもりでこの瞬間を必死に脳裏に焼き付けようとした。
――忘れませんように。忘れませんように。忘れたくない……。
はじめは向い合わせで座っていた私たちだったがゴンドラが上昇するにつれ、どちらからというでもなく立ち上がっていた。窓に手を当て、私と井戸部くんは眼下に広がるレインボープリッジやスカイツリーにしばし見とれた。
辺りは夕景に染まり、ネオンやLEDライトがその存在を主張し始めてきている。その反対に、きっと外側からは今頃私たちの乗った観覧車がまるでこの街のそよ風を作り出している虹色の巨大な扇風機のように見えていることだろう。
「ねえ、もしも……」
私がそう口を開くと井戸部くんは私の顔を見てプッと吹き出した。
「な、何?」
「いや、麗美ちゃんってけっこう空想癖があるんだなって。ほら、こないだも言ってたじゃん、世界一うまいもんじゃ焼きマシンがどうのとか」
「そ、そんなこと……」
「で、今度はどんな〈If〉なの?」
「井戸部くんは、もしも、もしもだよ、この世界が――ほら、さっきのヴァーチャルみたいにね、偽物だったらとか考えたことない? 自分以外。ぜぇ~んぶ」
「それはつまり、俺もニセモノだってこと?」
「まあ、その場合……そうなるのかな」
「ひどいなぁ」
ゴンドラが一番高い所まで昇りつめた時、井戸部くんは私の手をそっと握った。私はドキリとした。
「でも、結局ヴァーチャルも現実も似たようなもんじゃないのかな。自分以外のものなんて不確かなもんばっかだし。ましてや気持ちなんて、他の人が何をどう考えてるのかとかさ、俺、さっぱりわかんないし」
温かい手だった。そういえばさっき高いところが苦手だって叫んでたっけ。少し汗ばんでいるのはそのせいなんだろうか、それとも――
「井戸部くん?」
「ごめん。ちゃんと繋いどかないと、なんかさ、麗美ちゃんどっか行っちゃいそうじゃん? だから」
「な、なんかって?」
「なんかはなんかさ。さっきの写真撮る時だってちょっとそんな感じがしたし。まさか、引っ越しするとか転校するとか、そんなんじゃ……ないよね?」
私、そんな顔してたのかな。デートの最中なのに……。なんだか申し訳なくなってきた私は「さあ? 実は余命幾ばくもない白血病だったりするかもよ」と冗談ぽく微笑んでみせた。
「白血病の子は100mの都内ベストタイム近くなんかで走れません~」と井戸部くんも笑う。
「なんだ。よかった……ホッとしたよ」
束の間、沈黙があった。観覧車の動く機械的な音だけが響いている。
「……どこにもいかないよ」
私は井戸部くんに対して初めての嘘をついた。おそらくは最初で最後の、そして一番大きな嘘を。偽りの世界の中で口に出した偽りの言葉を。
「そういえば、コンタクトにしたんだね? 最近は眼鏡かけてるとこあんまり見ないけど」と井戸部くんは私の瞳の中を見つめてきた。
(眼鏡外すとけっこう可愛いんだねーー)
すべては、そこから始まった。いや、違う。始まらない物語を私が始めた。ちょっとだけ──ほんの少しだけ勇気を出せば、世界はこんなにも大きく変わることだってある。それがわかった。
幸せだった。いつまでもこうして井戸部くんと見つめあってもいたかった。身体からだの真ん中辺りにある源泉から『私というもの』を突き動かすための潤滑油がコポコポと湧わきだし、廻っていくようだった。
まるで母親の胎内にいるようなその音に耳を傾けながら私の目は自然に閉じていく。一周がわずか十六分しかない観覧車はもうほんのあと数分で地上に辿り着いてしまうだろう。この私の物語と同じように。
井戸部くんの唇がゆっくり私のもとに近付いてくるのを感じた……。
ハッピー・エンド。
エンド……?
(イグジステンス=レベル――)
急にチャンネルが切り替えられたようにBGMがカミジョウの声に変わった気がした。
(まあ、君の存在価値的満足度を表すレベルってとこかな。ドーパミンやアドレナリンなんかの脳内物質と密接な関係があって…… )
――いや……。
(それがMAXになった時、君は自動的にこの世界からイジェクトされ――)
「やだ…………」
私は井戸部くんから身を引くと、ゆっくり後退りした。瞬きをすることさえ忘れ、へたりと椅子に座り込んだ。
「麗美ちゃん……?」
――もしも。ああ……また〈If〉だ。もしも、これがこの物語の最後ラストシーンだとしたら……? もしも……。
「来こないで!」
最初で最後のはずだったのに、私はまた嘘をつく。
「ご、ごめん……そんなつもりじゃ」
震える私を見て狼狽する井戸部くんの姿が涙で滲み、歪んだ。
「ごめんなさい……違うの。そうじゃないの……」
本当は抱きしめてほしい。本当はキスしてほしい。もっともっと一緒にいたい。だからこそ――来こないで。
終わらせたくなんてない。
戻れなくたって構わない!
本当の私って、なに?
ずるいよ――
だって……私だって本当の私なのに!!!
私は意識がすうと遠退いていくのを感じた。
▼ ▲ ▼ ▲ ▼ ▲
『レミ=オクダのイグジステンス=レベルは満潮に達するはずだった。いつでもイジェクトできる状態だったってのに──』
「へえ……なるほどね 」
『おい、上条。聞いてんのか? おい?――』
「榎本、彼女の海馬からのメモリ、確かに受け取った。すまんな、無理をさせて」
『奢れよ。それより、よかったのか? 終わらせなくて――』
「いい。……はずだ。聞こえただろ? 彼女もまだ終わらせたくないってな。伏線だって回収しなきゃならない。それに、まだ演じ切ってない役者が一人いる」
『役者ねぇ――』
「何にしろ嫌われ役ってのは、あまりいい気分じゃあないもんだな」
『まあ“嫌われる”くらいで済すめばいいがな……伏線? 伏線って、何のことだ?――』
「偶然の産物さ。はじめは何の意味もない場面かと思ったが――どうにもそういうわけにはいかんらしい。ホントによくできてやがるよ。神の創りし物語ってやつはな」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
古書館に眠る手記
猫戸針子
歴史・時代
革命前夜、帝室図書館の地下で、一人の官僚は“禁書”を守ろうとしていた。
十九世紀オーストリア、静寂を破ったのは一冊の古手記。
そこに記されたのは、遠い宮廷と一人の王女の物語。
寓話のように綴られたその記録は、やがて現実の思想へとつながってゆく。
“読む者の想像が物語を完成させる”記録文学。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
この世界、イケメンが迫害されてるってマジ!?〜アホの子による無自覚救済物語〜
具なっしー
恋愛
※この表紙は前世基準。本編では美醜逆転してます。AIです
転生先は──美醜逆転、男女比20:1の世界!?
肌は真っ白、顔のパーツは小さければ小さいほど美しい!?
その結果、地球基準の超絶イケメンたちは “醜男(キメオ)” と呼ばれ、迫害されていた。
そんな世界に爆誕したのは、脳みそふわふわアホの子・ミーミ。
前世で「喋らなければ可愛い」と言われ続けた彼女に同情した神様は、
「この子は救済が必要だ…!」と世界一の美少女に転生させてしまった。
「ひきわり納豆顔じゃん!これが美しいの??」
己の欲望のために押せ押せ行動するアホの子が、
結果的にイケメン達を救い、世界を変えていく──!
「すきーー♡結婚してください!私が幸せにしますぅ〜♡♡♡」
でも、気づけば彼らが全方向から迫ってくる逆ハーレム状態に……!
アホの子が無自覚に世界を救う、
価値観バグりまくりご都合主義100%ファンタジーラブコメ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
