NEVER ENDING STORY WRITER≫≫

ペイザンヌ

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11:『神の創りし物語』の始まり≫≫

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 眼下に広がる白銀の世界。それは山と呼ぶよりはもはや断崖であり、私はその頂に立っていた。勢いよく吹き上げてきた突風が私の髪を後ろへと跳ね上げる。

 傾斜40度、いや、それ以上あるだろうか、上級者でも躊躇してしまいそうなそのコースを私は見下ろす。足元には私が装着しているはずのスキー板の先が見える。隣に並んで立っている井戸部いとべくんも私と同じその風景を見ているはずだ。

「やばいよ、これ。マジやばいって」
「男でしょー? 一緒に行くよーっ」
「いや俺、高いとこダメなんだってば」
「後ろつかえてるんだから、早く! せーの」

 最新の仮想現実ヴァーチャル・リアリティを体験できるアミューズメント施設。そんなものが半年間、期間限定で開催されていると聞いて私たちはここお台場に来ていた。二人きりで……つまり、これは、いわゆる……その……デートというやつなのだ。初めての。

 U字型のヘッド・マウント・ディスプレイを装着すると映像がスタートし、首を動かせば横左右は180度、縦上下は90度まで視界で捉える画像がついてくる仕組みになっている。驚くことに自分の吐く白い息までが映像に映り込み、その場にいる雰囲気を醸し出していた。

 両手でスキーのポールに見立てたサイドブレーキのようなものを握り、方向転換すればゴーグル内の映像もそれに伴いちゃんとついてくる。私と井戸部くんは二人並んでそのVRを楽しんでいた。

 パーク内には高層ビルの屋上から突き出た板の上にいる子犬を救出したり、巨大ロボットを操縦している気分が味わえたりとさまざまなVRアトラクションがあったが、まず私たちは一番並びが少なかった『プロスキーヤーの目線』が楽しめるヴァーチャルから試してみることにしたのだ。

 ――ここまでVRは進化したのか。

 と、一瞬驚きはしたものの、すぐに『いや、違うだろ。だってこれは仮想世界ヴァーチャルの中で見ている仮想現実ヴァーチャルなわけで……』というややこしい事実に気がつく。そう考えてみると本当の意味で凄いのは私の本体が見ている、150年後に造られるはずの〈REM〉というマシンの方なのだ。

「うわぁっ」だの「ひょえっ!」だの、井戸部くんが柄にもなく奇声を発しているので私は可笑しくなった。

 今、私たちの目の前には40度の傾斜を物凄いスピードで滑走していく映像が映し出されている。
 まるでスパイ映画などのアクション俳優になった気分だ。ヘッドフォンからは臨場感に溢れた雪をかく音までが聞こえてくるし、顔に当たる冷たい風や空気までもが映像に合わせて配慮されている。

 凄い。確かに凄い。大興奮である……はずなのに。

 私は以前100mのタイムを計る時、学校のグラウンドで感じたあの鳥肌の立つような感覚を思い起こしていた。

 この世界が本物でないと知り、改めて頬で風を感じたあの瞬間……その衝撃に比べればまるでこんなことなど子供騙しのようにも思えてくる。

 今、私の目の前で展開されているスキーの映像は間違いなく偽物だ。むしろ「偽物だとわかっているからこそ」声を上げ、笑い、安心してはしゃぐことができる。

 けれどそれが偽物だということすら感じさせない精巧な仮想現実ヴァーチャルだったとしたら?

 カミジョウによれば、VR、AR、そしてMRにSR、そういったものは全部ひっくるめてXRクロス・リアリティと総称するらしい。

 難しいことや正式名称のことなんてよくわからない。わからないけど……。ただ――

 私は〈REM〉というマシンが造り出しているこの仮想世界というものに対し、少し空恐そらおそろしささえ感じ始めていた。



「ねえ、見て見て」
「ん?」

 私は井戸部くんのシャツの袖を引っ張り、観覧車の前で記念撮影サービスをしてもらっている父娘おやこ連れをそっと指差した。女の子は車椅子に乗っており、撮影が終わると父親は車椅子を押しそのまま六角形のゴンドラに乗せる。

「へえ、すごいね。乗降口がバリアフリーになってるから車椅子ごと乗れるんだな。いいサービスだね」
「そ、そうじゃなくって、私たちも……撮ってもらわない? 写真」
「そりゃいいけど……一枚1100円? たっか!」
「私が出すから」
「バ、バカ言うなよ。俺が、出すよ。一応これでも、その……デートのつもりなんだから」

『デート』。口に出して言ってもらった。やっぱり嬉しい。

「……ありがとう。どうしても撮っておきたいの」


 腕を組むまではいかないものの、私は井戸部くんの腕にちょっとだけ手をかけた。赤いスタッフジャンパーを着た専門カメラマンが素早くシャッターを切る。そう、それは決してもとの世界に持って帰ることなどできない写真だ。だけど――

 偽りでも何でもいい。私はただ、この“今”が『作られた記憶』ではないというそんなあかしが欲しかった。だから私は自分自身がカメラになったつもりでこの瞬間を必死に脳裏に焼き付けようとした。

 ――忘れませんように。忘れませんように。忘れたくない……。

 はじめは向い合わせで座っていた私たちだったがゴンドラが上昇するにつれ、どちらからというでもなく立ち上がっていた。窓に手を当て、私と井戸部くんは眼下に広がるレインボープリッジやスカイツリーにしばし見とれた。

 辺りは夕景に染まり、ネオンやLEDライトがその存在を主張し始めてきている。その反対に、きっと外側からは今頃私たちの乗った観覧車がまるでこの街のそよ風を作り出している虹色の巨大な扇風機のように見えていることだろう。

「ねえ、もしも……」

 私がそう口を開くと井戸部くんは私の顔を見てプッと吹き出した。

「な、何?」
「いや、麗美ちゃんってけっこう空想癖があるんだなって。ほら、こないだも言ってたじゃん、世界一うまいもんじゃ焼きマシンがどうのとか」
「そ、そんなこと……」
「で、今度はどんな〈If〉なの?」
「井戸部くんは、もしも、もしもだよ、この世界が――ほら、さっきのヴァーチャルみたいにね、偽物だったらとか考えたことない? 自分以外。ぜぇ~んぶ」
「それはつまり、俺もニセモノだってこと?」
「まあ、その場合……そうなるのかな」
「ひどいなぁ」

 ゴンドラが一番高い所まで昇りつめた時、井戸部くんは私の手をそっと握った。私はドキリとした。

「でも、結局ヴァーチャルも現実も似たようなもんじゃないのかな。自分以外のものなんて不確かなもんばっかだし。ましてや気持ちなんて、他の人が何をどう考えてるのかとかさ、俺、さっぱりわかんないし」

 温かい手だった。そういえばさっき高いところが苦手だって叫んでたっけ。少し汗ばんでいるのはそのせいなんだろうか、それとも――

「井戸部くん?」
「ごめん。ちゃんとつないどかないと、なんかさ、麗美ちゃんどっか行っちゃいそうじゃん? だから」
「な、なんかって?」
「なんかはなんかさ。さっきの写真撮る時だってちょっとそんな感じがしたし。まさか、引っ越しするとか転校するとか、そんなんじゃ……ないよね?」

 私、そんな顔してたのかな。デートの最中なのに……。なんだか申し訳なくなってきた私は「さあ? 実は余命いくばくもない白血病だったりするかもよ」と冗談ぽく微笑んでみせた。
「白血病の子は100mの都内ベストタイム近くなんかで走れません~」と井戸部くんも笑う。

「なんだ。よかった……ホッとしたよ」

 束の間、沈黙があった。観覧車の動く機械的な音だけが響いている。

「……どこにもいかないよ」

 私は井戸部くんに対して初めての嘘をついた。おそらくは最初で最後の、そして一番大きな嘘を。偽りの世界の中で口に出した偽りの言葉を。

「そういえば、コンタクトにしたんだね? 最近は眼鏡かけてるとこあんまり見ないけど」と井戸部くんは私の瞳の中を見つめてきた。

(眼鏡外すとけっこう可愛いんだねーー)

 すべては、そこから始まった。いや、違う。始まらない物語を私が始めた。ちょっとだけ──ほんの少しだけ勇気を出せば、世界はこんなにも大きく変わることだってある。それがわかった。

 幸せだった。いつまでもこうして井戸部くんと見つめあってもいたかった。身体からだの真ん中辺りにある源泉から『私というもの』を突き動かすための潤滑油がコポコポと湧わきだし、めぐっていくようだった。

 まるで母親の胎内にいるようなその音に耳を傾けながら私の目は自然に閉じていく。一周がわずか十六分しかない観覧車はもうほんのあと数分で地上に辿り着いてしまうだろう。この私の物語と同じように。

 井戸部くんの唇がゆっくり私のもとに近付いてくるのを感じた……。

 ハッピー・エンド。

 エンド……?



(イグジステンス=レベル――)



 急にチャンネルが切り替えられたようにBGMがカミジョウの声に変わった気がした。

(まあ、君の存在価値的満足度を表すレベルってとこかな。ドーパミンやアドレナリンなんかの脳内物質と密接な関係があって…… )

 ――いや……。

(それがMAXになった時、君は自動的にこの世界からイジェクトされ――)

「やだ…………」

 私は井戸部くんから身を引くと、ゆっくり後退あとずさりした。まばたきをすることさえ忘れ、へたりと椅子に座り込んだ。

「麗美ちゃん……?」

 ――もしも。ああ……また〈If〉だ。もしも、これがこの物語の最後ラストシーンだとしたら……? もしも……。

「来こないで!」

 最初で最後のはずだったのに、私はまた嘘をつく。

「ご、ごめん……そんなつもりじゃ」

 震える私を見て狼狽ろうばいする井戸部くんの姿が涙で滲み、歪んだ。

「ごめんなさい……違うの。そうじゃないの……」

 本当は抱きしめてほしい。本当はキスしてほしい。もっともっと一緒にいたい。だからこそ――来こないで。

 終わらせたくなんてない。
 戻れなくたって構わない!
 本当の私って、なに?
 ずるいよ――
 だって……私だって本当の私なのに!!!

 私は意識がすうと遠退いていくのを感じた。

 ▼ ▲ ▼ ▲ ▼ ▲

『レミ=オクダのイグジステンス=レベルは満潮フルに達するはずだった。いつでもイジェクトできる状態だったってのに──』

「へえ……なるほどね 」

『おい、上条かみじょう。聞いてんのか? おい?――』

榎本えのもと彼女ターゲット海馬カイバからのメモリ、確かに受け取った。すまんな、無理をさせて」

おごれよ。それより、よかったのか? 終わらせなくて――』

「いい。……はずだ。聞こえただろ? 彼女もまだ終わらせたくないってな。伏線だって回収しなきゃならない。それに、まだ演じ切ってないが一人いる」

『役者ねぇ――』

なんにしろ嫌われ役ってのは、あまりいい気分じゃあないもんだな」

『まあ“嫌われる”くらいで済すめばいいがな……伏線? 伏線って、何のことだ?――』

「偶然の産物さ。はじめは何の意味もない場面シーンかと思ったが――どうにもそういうわけにはいかんらしい。ホントによくできてやがるよ。神の創りし物語ストーリーってやつはな」

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