NEVER ENDING STORY WRITER≫≫

ペイザンヌ

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12:≪≪『涙』

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 観覧車かんらんしゃの中で気を失った私は施設内にある従業員用の休憩室で目覚めた。

 ヘルメットを被った救急隊員が二人、こちらを覗き込み『大丈夫ですか?』と声をかけている。その後ろには井戸部いとべくんの姿も見えた。

 ――私は……まだ仮想世界こっちにいるんだ。

「だ、大丈夫です。たぶん、ただの貧血だと思いますんで」
「名前を言ってみてください」
奥田おくだ……麗美れみ

 ――そう、私はまだ『オクダレミ』のままだ。

 右や左を見て眼球の動きを確かめられたり片足で立たされたりした後、隊員たちはスタッフになにか呟いて去って行った、井戸部いとべくんが紙コップに入った水を差し出す。

「大丈夫? 急に倒れたんでびっくりしたよ」
「うん……本当にもう大丈夫だから……」
「……ごめん」
「……井戸部くんのせいじゃないよ」

 スタッフにお礼を言い、施設を出た後、井戸部くんはそのまま私を家まで送ると言って聞かなかった。辺りはすっかり暗くなり、ゆりかもめの中はカップルや家族連れで賑わっていたが、その間、私たちが口を開くことはほとんどなかった。

「ごめんね。ひどいデートにしちゃって」

 玄関の前で井戸部くんにそう謝った時、額にぽつりと水滴が落ちてきた。雨だ……。ただの雨。いつもと同じ雨。けれど私にはそれがまるでこの世界に初めて天から降り注ぐ雨のように思えた。いや、実際、仮想現実こっちにきてから初めて見る雨なのかもしれない。

 映画なんかで雨が降る時は悲しい場面シーンと相場が決まっている。これは……悲しい場面シーンなのだろうか? 映画のように、もし誰かが――観客のような誰かが、今の私たちをを覗き込んでいるとしたら、それはそう見えるのだろうか?

 今の私にはそんな自分の気持ちですら、客観的にうまくとらえることができなかった。

「傘、持ってくるね」
「いや、いいんだ。……たいした降りじゃないし」と、井戸部くんはパーカーのフードをぐいと被り、微笑む。
「また……学校で」

 ――そう。

 私は酷いことをしたのだ。井戸部くんだってきっと混乱しているだろう。おそらく傷付いてもいるだろう。だけど、それに対して私はどう言葉を紡いでいいのかよくわからなかった。

「井戸部くん……」

 私は目を瞑る。歯をぐっと食い縛った。

 井戸部くんは、まるで私の口から不吉な言葉が飛び出すと決めつけているかのように会話を手でさえぎった。

「また、誘うよ……じゃ、ゆっくり休んで……!」

 そう言うと、井戸部くんは次第に強まる雨の中を駅の方に向かって走っていく。途中で一度振り返り、笑顔でまた手を振ってくれた。

『最悪だ――』

 私は黒い雨雲を見上げた。顔に降りかかる雨を肌で感じながら井戸部くんと遊んだスキーのVRを思い出す。前方から顔に吹き突けてくる冷たい風の演出――そう、この雨もアレと同じでただの演出なのだ。



 部屋の中に入ると黒猫の姿をしたカミジョウがベッドの真ん中に鎮座していた。

「よお、おかえり。デートはどうだった? 楽しかった……うわっと!」

 私はレッサーパンダのぬいぐるみを投げ付けたが黒猫はひょいとベッドから飛び退いた。

「どうせ…… 全部知ってるんでしょ? 何よ、しらじらしい」

 そう言い捨てると私は黒猫と入れ替わるようにベッドにどっかりと倒れ込む。

「ハッピーエンドは嫌いか? まあ、俺もあからさまなのは苦手なんだがな。どっちかって言うと少し余韻のある終わりかたの方が好きだ」

「…………どうして、雨、降らせたんですか?」と私は枕に顔を突っ込んだまま言う。

「カミジョウさんが降らせたんでしょ? 神様みたいに」
「そりゃ晴れた日ばかりが人生じゃないからさ。第一、リアリティにかける」
「歌の歌詞みたいなこと言っちゃって…… 」

 黒猫のカミジョウがフンフンと鼻を鳴らす音が聞こえた。

「気にすんなよ。よくあることなんだ。皆そうなのさ、ラストシーンに近付くと今度は終わらせたくなくなってくる。そりゃそうだよな、苦労を乗り越えてようやく幸せになろうって時に『はい、おしまい』ってんじゃ気分だって滅入る」

「…………」

「勇気には二種類ある。始めるのも勇気。けれど終わらせることだってひとつの勇気なんだぜ」

 ▼ ▲ ▼ ▲ ▼ ▲

 夜になって雨足が強くなり、私はその音で目が覚めた。いつの間にか眠ってしまったらしい。喉が渇いていたので階下に降りると私は冷蔵庫から麦茶を取り出して飲んだ。

 携帯を見るが着信は一件もなかった。男の子は気になる女の子とデートした後、メールなりラインなりをくれるというのを聞いたことがあるけど……。胸が少しチクリとなった。やはり、嫌われてしまったのだろうか。

 ――あたりまえだ。嫌われて当然のことをしておきながら何を言ってるんだ、私は。

 携帯の時計は[11:54]と表示されていた。残された6分という『午後』を冷たい水で顔を洗って費やし、鏡を見上げる。ひどい顔だ。髪の毛はボサボサで目の下にはくまができていた。

(だったら、この時代にはこういう都市伝説があるらしいぞ。深夜の十二時ちょうどに『合わせ鏡』をすると鏡に自分の死に顔が映るってな──)

 私はふと、以前カミジョウが言っていた言葉を思い出した。

 ――『死に顔』か。

 時間も丁度いいし、どうせ死んだような顔をしているんだ、試してみるのもいいかもしれない。

 そう考え私は手鏡を握ると後ろを向き、冗談半分で “合わせ鏡” を試みた。そういえば、やはり『はてしない物語』のエンデの作品に『鏡の中の鏡』という本があったな、なんてことをふと思い出す。

 鏡の中の手鏡に手鏡を握った私の姿が映り、そこに映った私が握る手鏡の中にまた私が映る。さて、果たして何番目の私が 『死に顔』 をしているのかと目をこらすが、皆、同じだ。いや、むしろ皆、雁首がんくびを並べたように死んだような顔をしているじゃないか。私は苦笑した。

 ――何をやってるんだ、いったい。私は……。

 なんだか馬鹿馬鹿しくしくなってやめようとしたその時、手鏡の隅に一瞬何か異質なものが映ったような気がした。

 ゾクリとして、私は浴室に備え付けられた鏡の方を振り返る。だが、そこに映っているのは何の変哲もない――いわゆる今の私と全く同じ何かに驚愕している自分の顔だけだ。

 その瞬間、私はあの時を思い出した。

 初めて上条と会ったあの日。お洒落をして街へ繰り出そうと勢い勇んで姿見の前で一人、ファッション・ショーをしていたあの時のことを。誰もいない部屋、誰にも覗かれているはずがないのに、鏡の隅に誰か見知らぬ人影が映ったような気がしたあの時のことを――

 私は手鏡を恐る恐る、そしてゆっくりと顔の位置まで上げ、もう一度“合わせ鏡”を試みた。
 思わず口が半開きになった。

「あ…………」

 私はその思いもよらぬ光景におののいたが目はらさなかった。いや、らせなかった。そこには、見知らぬ女性の上半身が映っていた。

 見る限り二十代後半くらいで、私よりも随分年上の女性のようだった。髪の毛はアッシュ・イエローというのだろうか、首を動かす度にその濃度が違って見える。細身で雪のように白い肌だった。ナチュラルなメイクでほどこされてはいるが頭の中でその顔を素顔にしてみても清廉せいれんな顔立ちが浮かんでくる。

 美しい人だった。いや、そんなこと以上に――『どうして、この人はこんなに哀しげな表情をしているのだろう』というのが第一印象だった。

 私は体が震えるのを感じていた。もちろん恐ろしさもある。けれどそれ以上に……懐かしいのだ。

 そう、私は直感的に感じている。――この女の人こそが私の「本体」なのだ、と。

 少し酔っているのだろうか、鏡の中の女性は頭をふらつかせるとそのうつろな目をぐっと閉じた。目尻から溢れる涙がほんのりと赤みのさした頬をつたって流星のような弧を描く。やや充血した目をもう一度開いた時、彼女のその薄い桜色の唇が軽く開いた。それはまるで彼女もこちらの存在に気付いたというような、そんな顔だった。

 目が合った瞬間が十秒にも二十秒にも感じた。手鏡がすり落ちて床に転がった後も私の頭の中にはその女の人の残像が焼き付いて離れなかった。まだ誰かに見つめられている――そんな気分だった。

 ▼ ▲ ▼ ▲ ▼ ▲

 どうやって井戸部くんと顔を合わせたらいいのだろうと心の整理もつかぬ間に朝はやってきた。雨はまだ降り続いている。

 制服に着替え、玄関で靴を履く。赤い傘を手にした時、まるで私を見送るかのように黒猫のカミジョウが階段を降りてきた。

「教えられない規則じゃなかったんですか?」
「?」
「見ちゃいました、私……昨日の夜。合わせ鏡で」
「そうか……」
「とても綺麗な人で安心しました。少なくとも二日酔いのおっさんじゃなくてよかったです」

 カミジョウは玄関マットにしゃがみ込み、後ろ足で耳を掻いた。

「言っとくが教えたわけじゃないぞ。キミが勝手に、偶然、たまたま見てしまっただけだからな」
「あの女の人は――」
「ん?」
「いや、つまり私の本体さんは、本当に目覚めたいって思ってるんでしょうか?」
「……どうしてそう思う?」
「だって、とても悲しそうな顔をしてたから……」
「さあな、ただ」

 カミジョウはその黒猫独特の黄色の虹彩を光らせじっとこちらを見つめてきた。

「生きてりゃいつかは目覚めなけりゃならない。そこに本人の意志なんて存在しない。眠って目覚めないのは死人だけだ。そして目覚めてしまう以上、嫌でも生かされるんだよ、何かにね。明日も、明後日も」

 そう言ったカミジョウの瞳はまるで私の背後にいる誰かに語りかけているようでもあった。

 ▼ ▲ ▼ ▲ ▼ ▲

「おはよう」

 傘を差したままうつむき加減で歩いていた私は交差点の脇に井戸部くんが立っていることに気付かなかった。

「い、井戸部くん……おはよう」
んでるよ、もう」
「え?」
「雨」と、井戸部くんは上を指差して笑った。
「あ、あれ……?」

 私は空を仰いだ。うっすらと虹が見えたような気がした。

「なんか――待ち伏せてたみたいでごめん」
「ううん、でもびっくりしちゃった」
「ほら、前にここでぶつかりそうになったじゃん。だから、ここで待ってれば会えるかなぁって思って」

 私は結局たたみそこねた赤い傘を肩の上でもてあそぶようにくるくるっと回した。なんとなく井戸部くんを直視するのが恥ずかしかったので顔を隠しながら話すのにもちょうどよかった。

「そういえば……今日は自転車じゃないんだね」
うち出る時、本降りだったしね」

 そんな他愛もない話をしながら信号待ちをしている間、井戸部くんはそわそわして落ち着きがない様子だった。と、思うや、「昨日は本当にごめんっ!」と、おもむろに頭を下げた。

「へ ……? ちょっ……」

「俺、なんて言うか、麗美ちゃんの気持ちとか何も考えてなくて、その――」
「ちょ、ちょっと、やめてよ。恥ずかしいよ」
「ホントは昨日の夜のうち、メールなり電話なりしたかったんだけど、なんか怖くてさ」

 まさか学校につく前に井戸部くんに会うなどとは思ってなかったのでこっちも心の準備ができていなかった。それでも――嫌われたわけではなかったのだなと、どこか少しホッとしている自分がいたりする。そうか、井戸部くんも私と同じ気持ちだったのだ。

「あれは……だから井戸部くんのせいじゃないんだってば」
「いや、でも――」
「ホントなんだってば。私も……怖かったの。ほら白雪姫とかシンデレラとか、みんな幸せになったところで終わっちゃうでしょ? なんか私の物語もこのまま終わっちゃうんじゃないかーーみたいな」

 信号が青に変わる。

 なんだか自分が凄く恥ずかしいことを言ってることに気付いた私は、急に照れ臭くなってそそくさと横断歩道を渡った。それでも――なんとなくだが本当の気持ちは伝えられているような気がした。

「あ……青だよ」

 昨夜から降り続いていた雨はあがった。

 そう、どんなに昨日がつらくとも、朝になれば目覚め、また今日を“生かされる”。だとすれば昨日よりも今日を、もっとより良い一日にしていくべきだ。

 私は昨夜、鏡の中に見た女性のことを思い出していた。彼女の頬をつたう一筋の涙をーー思い返していた。私は心の中でそっと彼女に問いかける。

 あなたは、もしも目覚めることができたら、強く生きていくことができますか?

 その哀しげな顔を少しでも笑顔にできるように明日も明後日も頑張って生きていくことができると、私に約束してくれますか?

 もし、約束してくれるのならば私はこの奥田麗美おくだれみという人生をあなたにお返しします。けれど――

 もしそれができないというのであれば――

 どうか、あなたの人生を

 そう考えた時だった。

「ねえ、井戸部く――」 

 振り返ろうとした時、交差点を猛スピードで曲がってきた大型のバンが私の視界に入った。雨上がりの路面をスリップし、ブレーキ音が辺りに響き渡る。

 世界が一瞬、静止した。

(君が咄嗟にとった行動、もしくは意識せずにとった行動に対しては〈REM〉がついていけずに対応が遅れるんだ。ほんの一瞬だがね――)

 そう、その一瞬のうちに私の目に映ったもの、それは井戸部くんが私の身体を庇うように、私を歩道へと押し出すように、こちらに大きく手を伸ばしてジャンプしている光景だった。

 ――嘘……でしょ? なにこれ……なに、これ!

 あまりに突然のことに状況が把握できない。今の私の頭は〈 REM 〉以上にバグを起こしかけていた。

 ――駄目……井戸部くん! 来ちゃ駄目っ! 来ないで!

 再び世界が動き出す。

 赤い傘が宙に舞い、虹と重なった。ドスンと鈍い音が響いた気がしたけれど私はその後のことをあまり覚えていない。
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