北溟のアナバシス

三笠 陣

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第三章 日ソ開戦編

56 カムチャッカ沖の閃光

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 十一日二二〇〇時。
 ようやく日の暮れたカムチャッカ沖を、帝国海軍第一艦隊は航行していた。西の空には、まだかすかに夕暮れの明るさが残っていた。
 その残照を背にして、彼女たちは砲撃目標であるアバチャ湾に接近しつつあった。
 第一艦隊は、部隊を三つに分けていた。
 湾内から迎撃に出てくるであろうソ連水雷戦隊や魚雷艇を排除するための掃討隊、艦砲射撃を行う砲撃隊、そして砲撃隊を護衛する直衛隊の三つである。
 掃討隊は第三水雷戦隊旗艦川内および第十九駆逐隊(磯波、浦波、敷波、綾波)、第二十駆逐隊(天霧、夕霧、朝霧、狭霧)の九隻、砲撃隊は第一戦隊(大和、武蔵、信濃)および第三航空戦隊(瑞鳳、祥鳳)の五隻、そして直衛隊は第九戦隊(大井、北上、)および第十一駆逐隊(吹雪、白雪、初雪、叢雲)、第十八駆逐隊(霞、霰、陽炎、不知火)の十隻からなっている。
 瑞鳳、祥鳳は万が一にもソ連艦隊との戦闘に巻き込まれないために一個駆逐隊を付けて後方に下げることも検討されたが、それでは大和以下を守る直衛隊の戦力が不足することが懸念されたため、第一戦隊に後続することとなった。
 近海にソ連潜水艦や魚雷艇が潜んでいないとも限らないからである。

「四五二空の夜間偵察機より入電。電探にて、アバチャ湾口に敵艦隊と思しき反応を確認したとのことです」

 二三〇〇時過ぎ、戦艦大和の戦闘情報室にそのような報告が届けられた。
 水上偵察機部隊である第四五二航空隊の装備する零式水上偵察機の中には、機上電探である「H6電探」を装備している機体もある。それらの機体が、基地のある幌筵島より夜間偵察に出ていたのである。

「ただちに掃討隊に伝達せよ」

 角田の命を受けて、通信手が無線電話機を取り上げ三水戦旗艦川内へと通報する。もちろん、川内の側でも零式水偵からの電文は傍受しているかもしれないが、念には念を入れるべきであった。
 そうして艦隊は、徐々にアバチャ湾に近付きつつあった。





「電探に感あり。真方位三三〇度、距離二万六〇〇〇、速力十八ノット、数十ないし十二。駆逐艦と思われます」

 一方、大和に先行する軽巡川内は自らの搭載する二号二型電波探信儀によっても、アバチャ湾口のソ連艦隊を捉えつつあった。
 二二号電探は帝国海軍の開発した対水上捜索電探であり、昭和十九年の時点では対空見張り用の一号三型電探と共に、ほとんどの主要艦艇に搭載されている電探であった。
 二二号電探の探知距離は、最大で大型艦を四万メートル、小型艦を二万九〇〇〇メートルで捕捉出来るというものであった。帝国海軍が初期に開発した電探ではAスコープを用いていたものの、この二二号電探ではより実用的なPPIスコープによって探知結果が表示される。
 現在、掃討隊はアバチャ湾口にほぼ真南側から接近しつつあった。
 アバチャ湾はその湾口を南東に向けて開いている湾であり、ペトロパブロフスク・カムチャッキーの市街地は湾の北側に、ソ連海軍基地は湾内の南西側に存在している。
 また、市街地の北西には飛行場が存在していることが確認されていたが、海岸線から四十キロ以上内陸にあり、射程四万二〇〇〇メートルを誇る大和型の四十六センチ砲を以てしても砲撃が不可能な地点にあった。
 現在、掃討隊はアバチャ湾の南二十キロほどの地点にあるホウオロトニー岬の沖を通過しようとしているところであった。
 真方位三三〇度(北上する川内から見て北東方向)ということは、ソ連艦隊はアバチャ湾口を守るように展開しているということだろう。
 この周辺の海域や海岸の地形は、北洋漁業などを通じて日本側も十分な情報を得ていた。アバチャ湾に至る南側の海岸線は複雑である一方、北側の海岸線は長い砂浜が続いている。つまり、南側はソ連海軍が魚雷艇などを潜ませるのに最適な地形をしていたのである。
 掃討隊は左舷方向からの魚雷艇の不意の出現に備えつつ、二十六ノットで北上を続けていた。

「現在、距離二万。敵艦隊、方位、速度変わらず」

 電探員の淡々とした報告が川内艦橋に届けられる。
 掃討隊は川内を先頭に、単縦陣でソ連艦隊との距離を詰めつつあった。





 一方のソ連艦隊側では、彼我の距離が二万メートルを切ろうとしているにもかかわらず日本艦隊を探知出来ていなかった。
 これは旗艦キーロフを初めとしてソ連艦艇にレーダーが一切搭載されていなかったからである。さらに言えば、夜戦の訓練なども十分に行った経験がなかった。
 夜戦における技量を猛訓練によって高めようとしていた日本海軍は、ある意味で特異な存在であったのだ。
 彼らが認識している敵は、上空で発動機の音を響かせている日本軍偵察機程度であった。

「まったく、しつこいヤポンスキーどもだ」

 警備艦キーロフの艦橋で、ポノマリョフ大佐は忌々しげに呟く。
 敵機が先ほどから延々と自分たちの頭上を旋回し続けているということは、こちらを捕捉しているということだろう。だが、だからといって対空砲火を撃ち上げれば、こちらの位置を完全に暴露することになってしまう。
 どうにもならなかった。
 現在、ソ連艦隊は旗艦である警備艦キーロフを先頭に、ジェルジンスキー、ウラガーン級哨戒艦スミヤッチ、グローザ、そしてウラガーン級よりもさらに小型の哨戒艇六隻、掃海艇四隻で単縦陣を組んでいた。
 機雷敷設艦オホーツクを除き、日本艦隊との砲雷戦が行える艦艇を湾内からかき集めた形である。ただし、元々は沿岸警備のための部隊であったこともあり、本格的な艦隊戦に備えた訓練などは行っていない。
 艦隊陣形の中で最も単純な単縦陣ですら、各艦艇の速力の調整や練度不足などの問題で陣形を維持するだけで苦労する有り様であった。
 ポノマリョフ大佐は、この戦力で日本艦隊に戦闘を挑むのがどれほど無謀なものであるのかを理解していた。
 そのため、自らの率いる艦隊のさらに後方に、十数隻の魚雷艇を潜ませていた。
 日本艦隊がキーロフ以下の艦艇との戦闘に気を取られている隙に、魚雷艇を突撃させるつもりだったのである。
 ソ連海軍の主力魚雷艇であるG5級は、最大速力五十六ノット、二十一インチ魚雷二本を搭載する高速艇であった。
 本来であれば魚雷艇は湾口南側の海岸線の影に潜ませ、不意を突いて日本艦隊を襲撃させるべきだったのであるが、各艦艇の連携に問題があると見做されたため、あくまでもキーロフ以下の艦艇に後続させざるを得なかったのである。
 これまで沿岸警備を担当する程度であったペトロパブロフスク・カムチャッキーの海軍部隊には、緻密な迎撃作戦を実行出来るだけの練度が備わっていなかったのだ。
 嫌な緊張感に汗ばみつつ、ポノマリョフ大佐は日本艦隊の出現に備え続けていた。その日本艦隊が、夜の闇の向こうから迫りつつあることを知らずに。





 そして二三二五時過ぎ。

「面舵一杯! 敵艦隊の頭を抑える!」

 敵艦隊との距離が一万メートルとなった瞬間、第三水雷戦隊司令官・伊集院松治少将は叫んだ。

「宜候! おもーかーじ、一杯!」

 すでに電探だけでなく、見張り員も距離一万二〇〇〇メートルを切ったあたりでソ連艦隊を視認していた。
 この日は、空に下弦の月が上っていた。鍛えられた夜間見張り員にとってみれば、十分な光源だったのだ。
 舵輪が回され、五五〇〇トン型軽巡の艦首が右へと振られ始める。
 磯波以下、八隻の特型駆逐艦が一糸乱れぬ動きでそれに続いていく。夜間における帝国海軍の艦隊運動の技量が、余すところなく発揮されつつあった。
 右舷に転舵した掃討隊は、ちょうど敵艦隊に対し丁字を描くような形になる。
 電探や見張り員からは、敵艦隊の変化を報せる声は届かない。どうやら、ソ連艦隊は未だこちらを探知出来ていないのか、視認出来ていないのだろう。
 これまで米艦隊を撃滅することを目指して厳しい訓練を重ねてきた将兵にとっては、ソ連艦隊の沈黙はむしろ怪訝さすら覚えるものであった。
 だがもちろん、伊集院はソ連艦隊に手心を加えるつもりはなかった。

「左砲雷戦用意! 距離八〇(八〇〇〇メートル)にて撃ち方始め!」

 敵艦隊を左舷側に捉えたことで、伊集院は全艦に対して命令を下した。
 川内も七門の五〇口径三年式十四センチ砲の内、片舷に指向出来る六門を左舷へと向ける。この砲の最大射程は一万九一〇〇メートル、砲口初速秒速八五〇メートル、人力装填のため日本人の体格に合わせてこの口径となっていた。
 一方、後続する磯波以下特型駆逐艦に搭載された五〇口径三年式十二・七センチ砲は最大射程一万八四四五メートル、砲口初速九一〇メートル。射撃速度は毎分十発と、列強海軍の駆逐艦の主砲に比して装填速度は多少劣るものの、射撃精度において勝ると言われる。

「目標、敵一番艦! 撃ち方始め!」

「てっー!」

 そして距離八〇〇〇を切った瞬間、それらの砲が一斉に火を噴いたのである。
 川内では艦長・荘司喜一郎大佐の号令一下、六門の十四センチ砲が射撃を開始する。北太平洋の宵闇を裂くような閃光が、カムチャッカ沖に煌めいた。
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