北溟のアナバシス

三笠 陣

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第四章 赤軍侵攻編

61 北満の長十サンチ

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 一九四四年八月九日のソ連侵攻以来、日本軍は満洲各地で防衛戦を繰り広げていた。
 東朝鮮沖海戦でソ連軍の朝鮮半島侵攻を食い止めた日本ではあったが、満洲方面では依然として一五〇万を超えるソ連軍の攻勢を受け続けていたのである。
 ソ連軍は東部国境では牡丹江や佳木斯ジャムス、西部国境では索倫ソロンを目指して進撃を続けており、北部国境でも北部正面の街・黒河や北西部の街・海拉爾ハイラルを攻略すべく大兵力を投入していたのだ。
 東部国境では満ソ国境地帯にある虎頭や綏芬河での一進一退の攻防が続けられており、ソ連軍の目論見であるドイツ軍の西方電撃戦に倣った迅速な進撃は成功していなかった。興凱湖を渡り日本軍の側背を突こうとしたソ連軍部隊も、航空攻撃によって湖を渡る艀ごと撃沈されるなどして大きな損害をこうむっている。
 ただし、これは東部国境地帯に存在する地形的障害に助けられていた部分も大きい。
 東部国境とは反対に地形的な障害に乏しい西部国境方面では、第五戦車軍、第三十九軍、第五十三軍といったソ連軍の大部隊に対し、日本側の第二十三師団などはじりじりと後退することを余儀なくされていたのである。
 海軍の第二十八航空戦隊が奉天から白城子に進出して、陸海軍航空部隊協同での地上攻撃を連日、実施していたものの、ソ連軍の勢いは衰えなかった。
 さらに西部国境方面で日本軍を窮地に陥れていたのは、中国の内蒙古地方を突破して満洲国に迫ろうとしているソ連軍部隊が存在することであった。
 察哈爾チャハル省や熱河省を縦断するソ連軍部隊に航空攻撃を仕掛けようとすれば、必然的に中国の領空を侵犯することになる。また、誤爆により中国人に被害が出ることになれば、アメリカの対日姿勢がより強硬化する可能性もあった。
 こうした政治的な事情が絡んでいたため、中国領である内蒙古を進撃するソ連軍に対し、日本側は十分な攻撃を加えることが出来なかったのである。
 このため、西部国境では中国と国境を接する部分も含めて、長大な防衛線を抱える結果となってしまったのだった。この方面を担当する第三方面軍(司令官:牛島満中将)では、急遽、内蒙古方面の防衛体制を構築する必要に迫られていた。
 これまで中国との国境地帯には、中国共産党系の匪賊の来襲に備えた満洲国軍が多く展開していたのであるが、当然、これらの兵力だけで南満洲を防衛することは不可能であった。
 満州国軍は対ソ戦に備える関東軍に代わって満州国内の治安維持や国境警備に任じられており、その総兵力は一九四四年時点において十五万人を数えている。ノモンハン事件以降、満洲国軍でも軍の機械化や外征を意識した支援部隊の充実が行われており、実際に熱河省方面からの侵入を繰り返す中国共産党系匪賊の討伐作戦では大きな戦果を挙げていた。
 ただし、機械化が行われている満洲国軍ではあったが、その装備は日本軍から払い下げられた九七式中戦車や八九式中戦車であったりと、匪賊討伐には十分な装備ではあるもののソ連軍の機甲師団に対抗するには心許ない戦車が機甲戦力の中心であった。
 それでも、十五万という兵力はソ連軍の侵攻に対して防戦を続ける関東軍にとって、必要とされる兵力であった。
 こうして満洲国軍もまた、対ソ戦へと動員されていくこととなったのである。

https://kakuyomu.jp/users/MikasaJin/news/16818093087802185974

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 一方、関東軍、そして満洲国軍でもない地上部隊もまた、侵攻するソ連軍を相手に防戦を繰り広げていた。
 それが、海軍の哈爾浜特別陸戦隊である。
 もともとは北満油田に設置された第一〇一燃料廠(現在の工廠長は黒原退蔵機関少将)の守備を担うために創設された常設の陸戦隊であり、平時においては油田施設やパイプラインを狙う満州国内の抗日匪賊を討伐するなどの任務に就いていた。
 哈爾浜特別陸戦隊は大河内伝七中将を司令官として、二個旅団を基幹に砲兵部隊や工兵部隊、通信部隊、輜重部隊などを持つ帝国海軍で最も充実した陸戦部隊であった。
 兵力は約一五〇〇〇であり、これは陸軍の三単位師団(三個連隊基幹の師団)の戦時編制に相当する兵数である。
 彼らもまた、侵攻するソ連軍から北満油田を守るべく、北部国境地帯で戦闘を繰り広げていたのである。
 その戦場の一つが、松花江左岸の街・鶴崗かくこうであった。





 一九四四年八月十四日、松花江左岸の大地には濛々たる黒煙に覆われていた。
 早朝より始まったソ連軍の砲撃が、鶴崗の大地を襲っていたのである。地上に存在するありとあらゆるものを吹き飛ばそうとするかのような猛烈な砲撃は、一時間半にわたって続けられた。
 土が舞い上げられ、樹木は薙ぎ倒され、周囲の様相は完全に一変していた。秋には実りをもたらしてくれただろう大地は、砲弾によって鋤き返されて無残な姿を晒している。

『北東方向にソ連戦車部隊を確認。ただちに増援を求む』

 無線機からその通信が入るや否や、動き出した部隊がある。伊東徳夫海軍大尉率いる、海軍戦車部隊であった。
 ソ連軍砲兵による砲撃を避けるため、これまで前線陣地から下がった地点で擬装を施して待機していたのである。

「敵は鳳翔方面より来襲の模様。今より前進し、これを撃滅せんとす」

 伊東大尉は隊内無線機でそう指示を下すと、自らの乗る三式砲戦車の操縦手に対しても前進を命じた。
 履帯が満洲の地面を叩き、発動機の轟音が大地にこだまする。
 三式砲戦車は、現在の帝国陸軍が主力とする三式中戦車チヌとはまったく別の戦闘車両であった。
 三式中戦車が陸軍に優先的に配備されることとなった海軍が、ソ連軍最新鋭戦車T34に独力で対抗出来る戦闘車両を保有しようとして完成させたのが、この三式砲戦車であった。
 とはいえ、海軍が独自開発したものではない。
 既存の一式中戦車チヘの車台に海軍の開発した新型高角砲である九八式六十五口径十センチ高角砲(いわゆる長十センチ高角砲)を搭載した車両が、三式砲戦車なのである。
 ただし、五十七ミリ砲搭載の一式中戦車に六十五口径十センチ砲を砲塔形式で搭載するのは流石に不可能なため、代わりに固定式の戦闘室を設けた、いわば対戦車自走砲とでもいうべき存在であった。
 また、一式中戦車の車台の前面装甲は五十五ミリであったが、長十センチ砲を搭載した戦闘室は上部開放型で防楯程度の防御力しか存在しない(いわゆるオープントップ型)。
 しかしそれでも、三式中戦車の数が揃わない海軍陸戦隊にあっては貴重な戦力であった(なお、陸軍では一式中戦車の車台に六十五口径七十五ミリ砲を搭載した二式砲戦車を開発していた)。
 伊東大尉の乗る三式砲戦車は、車台に対していささか不釣り合いにも見える長大な砲身を振りかざしながら、前進していく。

「鶴崗を突破されれば、ソ連軍は佳木斯を通って哈爾浜へと進撃出来る。ここが踏ん張りどころだ。各員のいっそうの奮戦を期待する」

 隊内無線でそう訓示を出し、伊東大尉は麾下の三式砲戦車をあらかじめ定めていた丘の斜面に展開させる。
 敵側から見て反対側の斜面に三式砲戦車を停止させ、砲口と戦闘室の一部だけが丘の頂上から出るような形である。

「……」

 伊東大尉は、双眼鏡で丘の向こう側の様子を見る。
 砲弾で鋤き返された大地の上を、ソ連軍のT34が進んでいた。その車体には、歩兵が跨乗している。開戦以来の戦訓特報から、ソ連軍は兵員輸送車両が不足しているらしいことが判明していた。
 そのために、あのように戦車に歩兵をしがみつかせる形で前進させているのだろう。
 伊東大尉の口元に、にやりとした笑みが浮かぶ。敵戦車と歩兵を一挙に葬ることが出来る、好機だと考えたのだ。

「全車、砲戦用意! 距離二〇〇〇にて、各個の判断で射撃を開始せよ!」

 彼は再び無線機に指示を下した。装填手が、対戦車戦闘のために開発された徹甲弾を装填する。

「……」

 伊東はなおも双眼鏡を使い、敵との距離を測り続ける。
 艦載砲として射程一万八七〇〇メートルを誇る長十センチ砲にとって、二〇〇〇メートルは至近距離であるとすら言えた。
 ソ連の戦車は、歩兵を跨乗させたまま鶴崗郊外の陣地へと突進してくる。

「撃ち方始め!」

「てっー!」

 そして、敵戦車との距離が二〇〇〇メートルを切った瞬間、伊東大尉は車長としての命令を下した。
 刹那、六・五メートルの長砲身砲が轟然と吠えた。
 砲口から炎が迸り、尾栓から薬莢が吐き出される。
 伊東車の左右からも、砲声が鳴り響く。
 北満の大地に、長十センチ砲の砲口が殷々として響き始めたのであった。
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