北溟のアナバシス

三笠 陣

文字の大きさ
69 / 77
第四章 赤軍侵攻編

67 西部国境正面の攻防

しおりを挟む
『偵察小隊が徳伯斯トボス方面察爾森チャルソン街道に向け進軍する大隊規模の敵戦車群を確認。第一中隊および第三中隊はただちに迎撃準備に移れ』

「第一中隊了解。これより迎撃準備に移る」

 通信機から流れてくる声に、三式中戦車チヌに乗る西住小次郎少佐はそう応じた。

「中隊全車に告ぐ。敵戦車群が徳伯斯方面に向けて進軍中。我が中隊はこれより前進し、第三中隊と共同にてこれを撃破する」

 次いで、九六式四号無線機を通じ隊内に通達する。

「第一小隊は楔形陣形にて先行、その他部隊は横隊にて進め」

 そこで西住少佐は一度、息を吸い込んだ。そして、鋭い声でその命令を発する。

「戦車、前進!」

 その瞬間、三式中戦車の発動機が轟然と始動した。六〇〇馬力のロールスロイス・ミーティアが、自重三十七トンの車体を前進させる。
 西住少佐は操車指揮を砲手に任せると、自身はハッチを開いて上半身を乗り出した。
 そこから見えるのは、緑の少ない緩やかな起伏の続く大地であった。
 ここは、白城子と杜魯爾トロルを繋ぐ白杜線の中間に位置する索倫ソロン
 西住は、独立混成第三旅団所属の戦車第十八連隊第一中隊長として、この戦場に立っていた。
 八月九日、満洲国西部国境を突破したソ連軍は、十二日には阿爾山アルシャン五叉溝ごさこうを迂回した一部の部隊がその後方である索倫方面に迫りつつあったのである。
 そして十三日、ソ連軍は索倫南東の街・徳伯斯へとさらなる迂回突破を図っていた。
 三式中戦車が、乾いた大地の上を進んでいく。

「……」

 西住は、その表情をかすかに険しいものとしていた。
 ソ連軍の進撃は、ここ連日の天候にも助けられている部分があったのだ。九日から今に至るまで、この周辺地域は晴天に恵まれていた。時期的には雨季であるから、まさしくソ連軍にとっては僥倖であったろう。
 もちろん、ソ連軍地上部隊に対する航空攻撃も九日以来、連続して行われているものの、侵攻の勢いはほとんど衰えてはいなかった。
 西住の聞くところによると、海軍航空隊も白城子に集結させ西部国境正面を突破したソ連軍に対する陸海軍航空部隊共同での航空総攻撃を敢行する計画があるというが、まだ実施には至っていないという。
 そのため、機動力のある機械化部隊である独混第三旅団が、迂回突破を目指すソ連軍の迎撃に向かうこととなったのである。
 徳伯斯南東十五キロの地点にある帯海営子には、独混第三旅団麾下の独立野砲兵第三大隊の内、すでに一個中隊(機動九〇式野砲四門)が陣地を構築し察爾森街道に睨みを利かせていた。
 察爾森街道は、白杜線を横切って興安総省の省都・王爺廟(興安)へと向かう街道である。
 やがて西住率いる三式中戦車は、背の低い緑が茂る高台へと至った。この高台からは、白杜線に沿うようにして流れる洮爾とうじ川の橋梁が望めた。
 三式中戦車は、ちょうど樹木と高地の斜面によって川側から視認しにくい位置に停車していた。
 帝国陸軍の戦車連隊は四個戦車中隊を基幹としている。そして戦車中隊は、中隊本部三輌および三個小隊(各三輌)の計十二輌からなる。
 西住率いる第一中隊と同じように、第三中隊もまた察爾森街道に架かる橋を望める位置に展開していると、無線を通じて連絡があった。この二つの中隊の内、先任中隊長は西住なので、事実上、二個中隊二十四輌の戦車を指揮することになる。

「……」

 ハッチから上半身を覗かせたまま、西住は街道の西方に双眼鏡を向けた。
 街道の橋は、第十軍主力が後退する事態となった場合に備えてまだ爆破されていない。
 ソ連軍が察爾森街道を東進しようとするならば、確実に洮爾川を渡河することになる。その際、橋を通過しようとすれば必然的に隊列が長く伸びるだろう。
 西住は、そこを狙い撃つつもりであった。

『こちら第一小隊! 二時方向に砂塵を確認! 敵戦車群をと認む!』

「中隊長了解」

 斥候代わりに先行させていた第一小隊が、街道を進むソ連軍戦車部隊を発見したようである。

「第一小隊は後退し中隊主力に合流せよ。各小隊は本車の射撃を合図として射撃を開始せよ」

 無線機を通じて、第一、第三中隊に指示を下す。そして無線機を車内通話用の丙に切り替える。

「本車から橋までの距離はどのくらいだ?」

『およそ一五〇〇といったところですな』

 車内にいる砲手から応答がある。

「よし。では敵の先頭車両が橋を渡り切ろうとする寸前で射撃を開始しろ。いいか? 一発で仕留めろ」

『承知いたしました。確実に仕留めてみせましょう』

「頼む」

 そう言って、西住は一旦、無線を切った。
 三式中戦車の装備する六十五口径七十五ミリ砲ならば、一五〇〇メートルの距離でも垂直装甲で九十五ミリ近い貫通力を発揮出来る。恐らく、命中さえすれば確実に敵戦車を撃破出来るだろう。
 ただ問題は、と西住は思った。
 戦車第十八連隊の装備する戦車の内、第三、第四中隊は三個小隊中、二個小隊が六十口径五十七ミリ砲搭載の一式中戦車であったのだ。つまり、中隊本部および一個中隊の計六輌しか三式中戦車は存在していない。
 西住率いる第一中隊と合せると、三式中戦車の数は十八輌であった。
 これは、三式中戦車の配備が間に合っていないことが原因であった。
 阿爾山方面で防衛戦を続けている第二十三師団直轄戦車隊もまた一式中戦車装備の部隊であり、すでに戦訓特報によって一式中戦車ではソ連軍の新型戦車T-34に対抗出来ないことが明らかとなっていた。
 その部分が、西住にとっては不安要素であった。
 とはいえ、今は十八輌の三式中戦車と六輌の一式中戦車で、来寇するソ連戦車群を迎撃しなくてはならない。
 白杜線の中間にある索倫がソ連軍に奪取されれば、阿爾山・五叉溝に展開する第十軍主力と阿爾山駐屯隊の計六万近い兵力が敵中に孤立、包囲されることになるのだ。
 また、阿爾山や五叉溝、索倫などを含む興安省には、開拓団を始め一万五〇〇〇人近い日本人が存在している。彼らの避難も、まだ間に合っていなかった。
 自分たちは、ここでソ連軍を確実に食い止めなくてはならない。
 西住はその決意と共に、街道の先を睨み続ける。

「―――っ!」

 やがて、風に乗って砲声が聞こえてきた。本隊に合流しようとした第一小隊が敵に発見されたようだった。
 西住は再び無線機を取り上げる。

「第一小隊はそのまま敵を引き付けつつ後退を続けろ。ソ連軍戦車を橋まで誘導せよ」

 第一小隊は洮爾川を渡ってしまったわけではない。あくまで、川の対岸が視認出来るような位置にまで進出しているだけであった。
 だから、川に後退が阻まれるといったようなことは起こらないだろう。
 問題は、敵戦車の砲弾に三式中戦車の装甲が耐えられるかどうかだった。三式中戦車の砲塔前面装甲および車体前面装甲は七十五ミリ。特に車体前面装甲は五十度の傾斜装甲となっているので、実際の厚み以上の防御力を発揮出来るはずであった(砲塔前面装甲も十度の傾斜が付いている)。
 ソ連戦車の放った砲弾が河岸に着弾し、砂埃を立てる。その中を、第一小隊の三式中戦車が後退を続けていた。
 ソ連戦車は走行したまま射撃を続けているらしく、その照準は正確さを欠いていた。そしてそのまま、洮爾川に架かる橋へと差し掛かろうとする。
 ソ連側としては、不意に遭遇した日本戦車が逃げ出したのを追撃している気分なのかもしれない。

「逸るなよ」

『ええ、承知しています』

 西住が車内無線機越しに伝えると、砲手から苦笑したような声が返ってきた。敵の先頭車両が橋を渡りきろうとするまで、射撃は堪えなくてはならない。
 西住の双眼鏡から見える敵の先頭車両が、橋の上を進んでいく。
 満洲国西部国境と省都・興安を繋ぐ察爾森街道は、軍事目的で建設された道路であったこともあり、三十トン以上の戦車が通過しても耐えられるように整備されている。そのため、T-34と言われているらしいソ連軍の新型戦車が橋の上を走行しても、橋が崩落することはなかった(T-34の一九四三年型ならば、重量は三〇・九トン)。
 その新型戦車が、橋のこちら側に到達しようとしている。

『用意―――』

 車内無線機から、砲手の声が届く。

「……」

 西住は、じっと敵戦車の姿を見つめている。

『てっー!』

 砲手の裂帛の叫びと共に、三式中戦車の六十五口径七十五ミリ砲が火を噴いた。
 砲口初速秒速一〇〇〇メートルに達する砲弾は、真っ直ぐに目標へと向けて飛翔していった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

東亜の炎上 1940太平洋戦線

みにみ
歴史・時代
1940年ドイツが快進撃を進める中 日本はドイツと協働し連合国軍に宣戦布告 もしも日本が連合国が最も弱い1940年に参戦していたらのIF架空戦記

対ソ戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
1940年、遂に欧州で第二次世界大戦がはじまります。 前作『対米戦、準備せよ!』で、中国での戦いを避けることができ、米国とも良好な経済関係を築くことに成功した日本にもやがて暗い影が押し寄せてきます。 未来の日本から来たという柳生、結城の2人によって1944年のサイパン戦後から1934年の日本に戻った大本営の特例を受けた柏原少佐は再びこの日本の危機を回避させることができるのでしょうか!? 小説家になろうでは、前作『対米戦、準備せよ!』のタイトルのまま先行配信中です!

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

異聞対ソ世界大戦

みにみ
歴史・時代
ソ連がフランス侵攻中のナチスドイツを背後からの奇襲で滅ぼし、そのままフランスまで蹂躪する。日本は米英と組んで対ソ、対共産戦争へと突入していくことになる

処理中です...