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電車の窓から見上げたときから気になっていたけれど、やっぱり雨が降り出した。ホームに降り立ったときポツリと落ちてきて、あっと言う間に土砂降りに変わった。手間を惜しんで傘を持ってこなかったことを後悔したがあとの祭りだ。こうなったら駅に備え付けの貸し傘を利用しようと出口に急ぐが、あいにく最後の一本は僅かばかり前を歩いていたサラリーマンがさらっていった。
(ツイてない……)
一人愚痴るがどうにかなるものでもない。雨は滝のように降っている。少し小降りになるのを待っていよう――シュウはほかの何人かと同じように、駅の出口に立って空を睨みつけた。
時どき遠くで空が光る。雷は梅雨明け間近を知らせている。
(梅雨が明ければ……)
すぐに夏休みが始まる。二人で海に遊びに行こうと約束した日も近付いている。
【あのね……】
昨夜のメッセージを思い出す。もちろんナツミからだ。
【サッチが話をあわせてくれるって。海、泊りがけでも大丈夫だよ?】
それにシュウはまだ返事をしていない。
海に行こうと誘ったのはシュウのほうだ。だけどそんなつもりはなかった。いつか姉のユリエに揶揄われて『そういうのもアリか?』と、ドギマギした。でも、それをすぐに打ち消した。ナツミがそれを望むはずはない、そう決めてかかった。
なのに、ナツミのほうから『どうしよう?』と投げかけられて、すぐには答えられなかった。期待が不安を伴うということを身にしみて感じていた。
「シュウ!」
呼びかけられて振り向くと、当のナツミが階段を下りてくる。並んで降りてくる男女一人ずつの高校生はナツミの学友なのだろう。女の子が気を利かせたのか、男の腕をとって降りてきた階段を昇っていく。
「じゃあね、ナツミ」
「またね、サッチ」
男は不満そうだが、従わないわけにもいかないのだろう。ひょっとしたら『サッチの彼』なのかもしれない。むっとした顔でシュウを睨みつけ、それでもサッチに腕を引かれて行ってしまった。
(よかったの?)
ノートを引っ張り出してナツミに話し掛ける。
「いいの、いいの。雨宿りがてら、そこのコーヒーショップで時間を潰そうって言ってただけだから……二人とも、この駅じゃないのよ――それより、シュウに会えて嬉しい」
こぼれるような笑顔にドキリとする。昨夜のメッセージと、この前の日曜日に行った映画館での出来事を思い出す。
薄暗い映画館の中、悲しい恋の物語にナツミの頬を涙が伝う。どうしてそうしたのか、ナツミの手を握り締めたシュウ、スクリーンからの光に映し出されるナツミの瞳が静かに閉じられて……
愛しいと思った。好き、だなんて言葉じゃ表せないと思った。このコを守りたい、そう思っていた。
(……ごめん、急いで帰らなきゃ。今夜親父、帰り早いんだ)
急な土砂降りは小降りになるのも早かった。
***
その日、さんざん迷った僕は、キミにこう送ったね。
【親を騙すような付き合いかたはしたくない】
キミからの、そうだね、という返信に少しがっかりしながらも、僕は安堵していた。キミへの責任を少し先延ばしにできたような気分だった。
だけど……いや、だから、か? だから僕は気がついてしまったんだ。
あの映画館で、キミの唇に触れたとき、キミを守りたい、そう思ったことは本当なんだ。柔らかくて溶けてしまいそうな唇に、キミが女性だということを、か弱い女性だということを強く意識した。でも、果たして僕にキミを守ることができるのだろうか?
あの頃、僕たちは高校生だった。生きるということの意味をまだ見出してはいなかった。
それでも何も知らない子どもと言うわけでもなく、自分の将来をどう成立させるのか、どんな生活を築いていくのかを真剣に考えなくてはならない時期でもあった。
僕の将来にキミを重ね合わせて考えれば、それはキミの輝きを分けてもらった明るいものだったろう。反面、キミの将来に僕を重ねて考えたとき、僕はキミの輝きを奪う存在にしかなれなかったんじゃないだろうか?
それに……キミと夜を過ごすことはあの頃の僕にとって、身を焦がすほど強く惹かれることではあったけれど、その強い憧れがどこからくるものなのか、僕には見極めがつかなかった。キミへの欲望の奥底に、愛と言う名の種子があることに自信が持てずにいた。
ナツミ、今なら僕は言える。あのころ僕は、キミを愛し始めていた。
(ツイてない……)
一人愚痴るがどうにかなるものでもない。雨は滝のように降っている。少し小降りになるのを待っていよう――シュウはほかの何人かと同じように、駅の出口に立って空を睨みつけた。
時どき遠くで空が光る。雷は梅雨明け間近を知らせている。
(梅雨が明ければ……)
すぐに夏休みが始まる。二人で海に遊びに行こうと約束した日も近付いている。
【あのね……】
昨夜のメッセージを思い出す。もちろんナツミからだ。
【サッチが話をあわせてくれるって。海、泊りがけでも大丈夫だよ?】
それにシュウはまだ返事をしていない。
海に行こうと誘ったのはシュウのほうだ。だけどそんなつもりはなかった。いつか姉のユリエに揶揄われて『そういうのもアリか?』と、ドギマギした。でも、それをすぐに打ち消した。ナツミがそれを望むはずはない、そう決めてかかった。
なのに、ナツミのほうから『どうしよう?』と投げかけられて、すぐには答えられなかった。期待が不安を伴うということを身にしみて感じていた。
「シュウ!」
呼びかけられて振り向くと、当のナツミが階段を下りてくる。並んで降りてくる男女一人ずつの高校生はナツミの学友なのだろう。女の子が気を利かせたのか、男の腕をとって降りてきた階段を昇っていく。
「じゃあね、ナツミ」
「またね、サッチ」
男は不満そうだが、従わないわけにもいかないのだろう。ひょっとしたら『サッチの彼』なのかもしれない。むっとした顔でシュウを睨みつけ、それでもサッチに腕を引かれて行ってしまった。
(よかったの?)
ノートを引っ張り出してナツミに話し掛ける。
「いいの、いいの。雨宿りがてら、そこのコーヒーショップで時間を潰そうって言ってただけだから……二人とも、この駅じゃないのよ――それより、シュウに会えて嬉しい」
こぼれるような笑顔にドキリとする。昨夜のメッセージと、この前の日曜日に行った映画館での出来事を思い出す。
薄暗い映画館の中、悲しい恋の物語にナツミの頬を涙が伝う。どうしてそうしたのか、ナツミの手を握り締めたシュウ、スクリーンからの光に映し出されるナツミの瞳が静かに閉じられて……
愛しいと思った。好き、だなんて言葉じゃ表せないと思った。このコを守りたい、そう思っていた。
(……ごめん、急いで帰らなきゃ。今夜親父、帰り早いんだ)
急な土砂降りは小降りになるのも早かった。
***
その日、さんざん迷った僕は、キミにこう送ったね。
【親を騙すような付き合いかたはしたくない】
キミからの、そうだね、という返信に少しがっかりしながらも、僕は安堵していた。キミへの責任を少し先延ばしにできたような気分だった。
だけど……いや、だから、か? だから僕は気がついてしまったんだ。
あの映画館で、キミの唇に触れたとき、キミを守りたい、そう思ったことは本当なんだ。柔らかくて溶けてしまいそうな唇に、キミが女性だということを、か弱い女性だということを強く意識した。でも、果たして僕にキミを守ることができるのだろうか?
あの頃、僕たちは高校生だった。生きるということの意味をまだ見出してはいなかった。
それでも何も知らない子どもと言うわけでもなく、自分の将来をどう成立させるのか、どんな生活を築いていくのかを真剣に考えなくてはならない時期でもあった。
僕の将来にキミを重ね合わせて考えれば、それはキミの輝きを分けてもらった明るいものだったろう。反面、キミの将来に僕を重ねて考えたとき、僕はキミの輝きを奪う存在にしかなれなかったんじゃないだろうか?
それに……キミと夜を過ごすことはあの頃の僕にとって、身を焦がすほど強く惹かれることではあったけれど、その強い憧れがどこからくるものなのか、僕には見極めがつかなかった。キミへの欲望の奥底に、愛と言う名の種子があることに自信が持てずにいた。
ナツミ、今なら僕は言える。あのころ僕は、キミを愛し始めていた。
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