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第3章 ニュダンガの道
夜明け前
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リヒャンデルが少し戸惑う。
「俺にだけ話した? なぜ?」
「わたしが変わったと、リヒャンデルさまが言うからですよ。変わったとしたら何が原因だろう、そう考えたらこのあたりなのではないかと」
「おまえ……復讐でも考えているのか?」
それには曖昧に笑んだだけで答えないサシーニャだった。
「リオネンデとわたしの命を狙う者がどこかにいると、火事騒ぎでわたしは確信しました――自分とリオネンデを守るため、力が欲しかった。体力も精神力も、もちろん魔力も、それに権力も。だから筆頭魔術師や王家の守り人も引き受けた。まぁ、なるに値する者もなく、わたしがいくらかマシだったから、承諾するよりなかったのですけどね」
最後は苦笑だ。
「命を狙われている二人が、たった五人の従者でベルグくんだりにお出ましか? 危なっかしいなぁ」
去年ベルグに行った時のことをリヒャンデルが皮肉る。
「わたしも同行するのです。五人で充分。もっと多ければ足手纏いになりかねない。リオネンデを護りながらでは、さすがに従者まで護り切れるかどうか……」
「随分な自信だな」
「日々、精進を怠っておりませんから」
「なぁ、サシーニャ、おまえの弱点はなんだ?」
「わたしの弱点? 弱点などないとでも言わせたいのですか?」
冗談と受け取ったサシーニャがクスリと笑う。
「生憎、弱点だらけでどれを言えばいいのやら」
「そんなんじゃ騙されないぞ、サシーニャ」
リヒャンデルも笑うが、こちらは意地悪の影が見えている。僅かに身構えたサシーニャをリヒャンデルがさらに笑う。
「そうだな、例えば魔術師としてはどうだ? さすがに完全無欠とはいかないのだろう?」
「それを聞いてどうしたいのやら……えぇ、魔術師としての弱点、ありますよ。でも言うわけにはいかない。わたしの弱点がどこか、それは魔術師の塔の弱点に繋がる。たとえ軍の幹部のあなたにも言えない」
「リオネンデも知らない?」
「リオネンデは知っています。王たるもの、知っていていただかねば」
「ならばいい――では、個人としてはどうだ? いろいろあると言うが、その最たるものは?」
「それは……」
サシーニャがリヒャンデルを睨みつける。
「心の弱さ……と、言わせたいのでしょう? 自覚していますよ。さっき、わたしの子どもの頃のことを言っていたようだけど、わたしは優しい訳ではない。花を踏みつけて泣いたのだって、花が可哀想だからじゃない。してしまったことが恐ろしくて泣いただけです」
「恐ろしい?」
「芽が潰されれば、育たず花を咲かせることもない。それが恐ろしかったのです。幸いあの芽は持ち直し、蕾を着け、花を咲かせ、実をならせました。植物は強いものが多い」
「ふん、ゴルドントでは随分とご活躍だったようだが?」
「ゴルドンド兵を殺めたことをおっしゃっている? 戦なのです、あちらの兵への情けはこちらの兵を失うことになる」
「ゴルドントの護りが崩れた原因は民衆の蜂起――ゴルドント兵の進軍を阻んだのは自国民が仕掛けた堀、堀の底には杭、落ちた兵たちは串刺し、見るも無残だった」
「掘る時に出た土で埋めさせました」
「やはりおまえの指示か?」
「えぇ、武器を持って戦ったことのない者が訓練を受けた兵に立ち向かうのです。仕掛けを使うのも仕方ない」
「仕掛けもそうだが、埋めたことを俺は言っている」
「そのままにしておいたほうが良かったと? 放置すれば獣が食い荒らすかもしれない、それではいくら敵兵でも哀れかと思いますが」
「蜂起した民を虐殺したのはどう理由を付ける?」
「それは、ニュダンガの間者の仕業です」
「嘘をつけ」
「リオネンデにとってはそれが真実です」
「おまえ、リオネンデを騙しているのか?」
サシーニャが軽く溜息を吐く。
「いいえ、嘘など言っておりません――ニュダンガ王の手の者が『リオネンデ王の命令で暴動の指導者を処刑しろ』と書き換えた伝令をわたしの部下に渡るようにした。わたしの部下はそれに従ったまで」
「どんなカラクリだ?」
「戦時下の熱が冷めれば蜂起した者たちの中には自国を裏切ったこと、同胞を死に追いやったことに心を病む者が出ます。指導者を処分することでその多くが、悪いのは処刑された指導者だと、自分を正当化できます」
「そのためにニュダンガを利用したな?」
「ゴルドントを手に入れた後、リオネンデはその地を治めなくてはならない。それには民の支持が必要。指導者の虐殺を命じたのは実はリオネンデではなくニュダンガ王だった、ゴルドントの民衆の憎しみはリオネンデではなくニュダンガに向かう――えぇ、ニュダンガ王の手の者はあらかじめ忍び込ませたネズミ、わたしの部下です。ネズミに唆されたニュダンガ王が命令を下しました。ただ、このことをリオネンデは知らない」
「本当に?」
「さぁ? あるいは察しているかもしれない。けれど、リオネンデは追及しない賢さを持っています」
この時サシーニャは内心、リヒャンデルにも『追求しない賢さ』を求めている。もっともそれを口にはしない。言えば、打ち明けていない事実に気付かれないとも限らない。気付かれるのを避けるため、追及されたくなかった。
呆れたリヒャンデルが、苦笑する。
「おまえとリオネンデ、絶妙な組み合わせだ――おまえも変わったが、リオネンデも変わった。あんなに温和しかったのが、まるで別人だ。別人と言うより、コイツはリューデントなんじゃないかと思うときがある」
「双子ですから、見た目だけではなく性格だって似ていても不思議ないかと――リオネンデは王を支えるよう育てられました。が、王はどうあるべきかを学ぶリューデントとともに時を過ごしています。リューデントを失い、自分がその役目を担わねばならないと決意した結果でしょう」
話題が移ったことに、サシーニャがホッとしているなどと、リヒャンデルは思いもしないだろう。
「そうだな、覚醒したって感じだな――で、おまえは自分の弱点を心の弱さ、と言った。だから俺はゴルドントの話をした。おまえはどうなんだ? 自分がゴルドントでしたことで苦しんでいるのか?」
すぅっとリヒャンデルからサシーニャが視線を逸らす。
「苦しむ? わたしが? 命じたのはわたしです。わたしが苦しめば命じられて実行した部下の立つ瀬がありません。命を落とした人々が浮かばれません」
「ふむ……だから自分は苦しんでいないと言うか? そう考えているという事は、裏を返せば心を痛めているという事だろう? 本音を明かしたらどうだ?」
「これはまた可怪しなことを」
サシーニャがチラリとリヒャンデルを見る。
「わたしの本心を聞いてどうなると言うのです? 打ち明けたところで何も変わりはしません。奪われた命は戻らず、起きた出来事は事実として残る」
「そりゃそうだが……サシーニャ、俺が一番心配しているのは、おまえには友と言える誰かがいないことだ」
「おやおや、これはまた、随分と話が飛んだ」
呆れるサシーニャ、リヒャンデルが続ける。
「そりゃあ、立場や身分を考えれば、そうそう愚痴や弱音は言えないだろうと思う。でも、そんなことを言える相手は必要だぞ。そうやって吐き出すのは無駄な事じゃない」
「うん? 何を言い出すかと思えば……友人を作る代わりにそんな相手を妻にしろとでも? リオネンデに頼まれた?」
「あ、その手もあるか。友人じゃなくて妻でもいい。が、リオネンデに頼まれたわけじゃない。なんだか……なんだかおまえは会うたびに追い詰められてるような気がした。だからだ。おまえを心配している。それだけだ」
「わたしを心配していると言うのなら……」
ゆっくりとリヒャンデルに視線を向け、今度はその顔を見詰めたサシーニャだ。
「愚痴も泣きごとも言うな、と仰ってください」
「サシーニャ……」
「わたしの弱点は心の弱さ、一度でも泣き言を言い出せば、心を曝け出せば、そのまま崩れてしまう。それが自分で判っているのです」
「しかし――」
「わたしは昔と変わらず泣き虫のまま。強い自分を保つため、片意地を張っているのです。必死なのですよ――これ以上、この話をしてもそれこそ無駄でしょう」
リヒャンデルもサシーニャを見詰める。言い足りない、だが言える言葉がない。何を言ってもサシーニャが言うとおり、無駄だ。
「そうだな、おまえは昔と変わらないな、意地っ張りで、甘えることを知らない。差し延べられた手を見ようともしない。損な性格だ」
そして立ち上がる。この虚しい気持ちを妻なら判ってくれると思った。早く帰って聞いて貰おう……でも、起こしたら叱られるだろうか?
「サシーニャ」
「まだ何か?」
リヒャンデルが帰る気になったと見て取ったサシーニャは、もう扉に向かっている。
「リオネンデにも甘えられないのか?」
この問いには少し考えてからサシーニャが答える。
「リオネンデはわたしを我儘で扱いにくいと感じていると思います。ちょっとしたことで拗ねたり反抗したりしますから」
「どうせ他愛もないことで、だろう?」
「そうですね、他愛ない。自分でも子どもじみていると思います」
「そうか。それでも全くないよりはマシか」
リヒャンデルが溜息交じりに苦笑する。
「サシーニャ。頑張らなくっていい、って言ってくれる相手が見つかるといいな」
「……意味が判りません」
「いつか判るよ――あぁ、そうだ、肝心なことを言い忘れていた」
「肝心なこと?」
「わざわざおまえに会いに来た理由だよ――命を掛けて任務にあたるのは兵だけではない。魔術師には感謝している。そう言いに来たんだった」
「魔術師の働きを活かすのは軍。感謝しているのはこちらも同じです」
「俺は単純だからな、その言葉、文面通りに受け取るぞ」
「そうなさってください。わたしも珍しく皮肉を込めておりません」
サシーニャの笑顔にリヒャンデルも笑顔を返した――
リヒャンデルを魔術師の塔の出入り口まで送った後、居室に帰るか執務室に戻るかサシーニャは迷っている。執務室では水害の一覧を作る作業が待っているが、それを済ませばもう休む時間が残らない。迷いながら居室を選び、途中にあるジャルスジャズナの部屋の前を通り過ぎるとき、ふと思い出す。
大声で泣けば少しは気が晴れる。シクシク泣いてたって内に籠っていくだけだ――
リヒャンデルはきっとジャジャと同じことを言いたかったんだろう、と扉を眺めてつい立ち止まったサシーニャに、部屋の中から問いかける声がした。
「サシーニャか?」
勿論ジャルスジャズナの声だ。
「失礼しました。リヒャンデルが来ていたので、塔の出入り口まで送った帰りなのです。起こしてしまいましたか?」
「いいや、ちょうど起きたところだ。気配が扉の前で止まったから声を掛けた。何か話があるのか?」
「いいえ……ジャルスジャズナさまもリヒャンデルさまとはご懇意の間柄だったと思い出したので」
咄嗟に言い訳を口にしたサシーニャだ。
「俺にだけ話した? なぜ?」
「わたしが変わったと、リヒャンデルさまが言うからですよ。変わったとしたら何が原因だろう、そう考えたらこのあたりなのではないかと」
「おまえ……復讐でも考えているのか?」
それには曖昧に笑んだだけで答えないサシーニャだった。
「リオネンデとわたしの命を狙う者がどこかにいると、火事騒ぎでわたしは確信しました――自分とリオネンデを守るため、力が欲しかった。体力も精神力も、もちろん魔力も、それに権力も。だから筆頭魔術師や王家の守り人も引き受けた。まぁ、なるに値する者もなく、わたしがいくらかマシだったから、承諾するよりなかったのですけどね」
最後は苦笑だ。
「命を狙われている二人が、たった五人の従者でベルグくんだりにお出ましか? 危なっかしいなぁ」
去年ベルグに行った時のことをリヒャンデルが皮肉る。
「わたしも同行するのです。五人で充分。もっと多ければ足手纏いになりかねない。リオネンデを護りながらでは、さすがに従者まで護り切れるかどうか……」
「随分な自信だな」
「日々、精進を怠っておりませんから」
「なぁ、サシーニャ、おまえの弱点はなんだ?」
「わたしの弱点? 弱点などないとでも言わせたいのですか?」
冗談と受け取ったサシーニャがクスリと笑う。
「生憎、弱点だらけでどれを言えばいいのやら」
「そんなんじゃ騙されないぞ、サシーニャ」
リヒャンデルも笑うが、こちらは意地悪の影が見えている。僅かに身構えたサシーニャをリヒャンデルがさらに笑う。
「そうだな、例えば魔術師としてはどうだ? さすがに完全無欠とはいかないのだろう?」
「それを聞いてどうしたいのやら……えぇ、魔術師としての弱点、ありますよ。でも言うわけにはいかない。わたしの弱点がどこか、それは魔術師の塔の弱点に繋がる。たとえ軍の幹部のあなたにも言えない」
「リオネンデも知らない?」
「リオネンデは知っています。王たるもの、知っていていただかねば」
「ならばいい――では、個人としてはどうだ? いろいろあると言うが、その最たるものは?」
「それは……」
サシーニャがリヒャンデルを睨みつける。
「心の弱さ……と、言わせたいのでしょう? 自覚していますよ。さっき、わたしの子どもの頃のことを言っていたようだけど、わたしは優しい訳ではない。花を踏みつけて泣いたのだって、花が可哀想だからじゃない。してしまったことが恐ろしくて泣いただけです」
「恐ろしい?」
「芽が潰されれば、育たず花を咲かせることもない。それが恐ろしかったのです。幸いあの芽は持ち直し、蕾を着け、花を咲かせ、実をならせました。植物は強いものが多い」
「ふん、ゴルドントでは随分とご活躍だったようだが?」
「ゴルドンド兵を殺めたことをおっしゃっている? 戦なのです、あちらの兵への情けはこちらの兵を失うことになる」
「ゴルドントの護りが崩れた原因は民衆の蜂起――ゴルドント兵の進軍を阻んだのは自国民が仕掛けた堀、堀の底には杭、落ちた兵たちは串刺し、見るも無残だった」
「掘る時に出た土で埋めさせました」
「やはりおまえの指示か?」
「えぇ、武器を持って戦ったことのない者が訓練を受けた兵に立ち向かうのです。仕掛けを使うのも仕方ない」
「仕掛けもそうだが、埋めたことを俺は言っている」
「そのままにしておいたほうが良かったと? 放置すれば獣が食い荒らすかもしれない、それではいくら敵兵でも哀れかと思いますが」
「蜂起した民を虐殺したのはどう理由を付ける?」
「それは、ニュダンガの間者の仕業です」
「嘘をつけ」
「リオネンデにとってはそれが真実です」
「おまえ、リオネンデを騙しているのか?」
サシーニャが軽く溜息を吐く。
「いいえ、嘘など言っておりません――ニュダンガ王の手の者が『リオネンデ王の命令で暴動の指導者を処刑しろ』と書き換えた伝令をわたしの部下に渡るようにした。わたしの部下はそれに従ったまで」
「どんなカラクリだ?」
「戦時下の熱が冷めれば蜂起した者たちの中には自国を裏切ったこと、同胞を死に追いやったことに心を病む者が出ます。指導者を処分することでその多くが、悪いのは処刑された指導者だと、自分を正当化できます」
「そのためにニュダンガを利用したな?」
「ゴルドントを手に入れた後、リオネンデはその地を治めなくてはならない。それには民の支持が必要。指導者の虐殺を命じたのは実はリオネンデではなくニュダンガ王だった、ゴルドントの民衆の憎しみはリオネンデではなくニュダンガに向かう――えぇ、ニュダンガ王の手の者はあらかじめ忍び込ませたネズミ、わたしの部下です。ネズミに唆されたニュダンガ王が命令を下しました。ただ、このことをリオネンデは知らない」
「本当に?」
「さぁ? あるいは察しているかもしれない。けれど、リオネンデは追及しない賢さを持っています」
この時サシーニャは内心、リヒャンデルにも『追求しない賢さ』を求めている。もっともそれを口にはしない。言えば、打ち明けていない事実に気付かれないとも限らない。気付かれるのを避けるため、追及されたくなかった。
呆れたリヒャンデルが、苦笑する。
「おまえとリオネンデ、絶妙な組み合わせだ――おまえも変わったが、リオネンデも変わった。あんなに温和しかったのが、まるで別人だ。別人と言うより、コイツはリューデントなんじゃないかと思うときがある」
「双子ですから、見た目だけではなく性格だって似ていても不思議ないかと――リオネンデは王を支えるよう育てられました。が、王はどうあるべきかを学ぶリューデントとともに時を過ごしています。リューデントを失い、自分がその役目を担わねばならないと決意した結果でしょう」
話題が移ったことに、サシーニャがホッとしているなどと、リヒャンデルは思いもしないだろう。
「そうだな、覚醒したって感じだな――で、おまえは自分の弱点を心の弱さ、と言った。だから俺はゴルドントの話をした。おまえはどうなんだ? 自分がゴルドントでしたことで苦しんでいるのか?」
すぅっとリヒャンデルからサシーニャが視線を逸らす。
「苦しむ? わたしが? 命じたのはわたしです。わたしが苦しめば命じられて実行した部下の立つ瀬がありません。命を落とした人々が浮かばれません」
「ふむ……だから自分は苦しんでいないと言うか? そう考えているという事は、裏を返せば心を痛めているという事だろう? 本音を明かしたらどうだ?」
「これはまた可怪しなことを」
サシーニャがチラリとリヒャンデルを見る。
「わたしの本心を聞いてどうなると言うのです? 打ち明けたところで何も変わりはしません。奪われた命は戻らず、起きた出来事は事実として残る」
「そりゃそうだが……サシーニャ、俺が一番心配しているのは、おまえには友と言える誰かがいないことだ」
「おやおや、これはまた、随分と話が飛んだ」
呆れるサシーニャ、リヒャンデルが続ける。
「そりゃあ、立場や身分を考えれば、そうそう愚痴や弱音は言えないだろうと思う。でも、そんなことを言える相手は必要だぞ。そうやって吐き出すのは無駄な事じゃない」
「うん? 何を言い出すかと思えば……友人を作る代わりにそんな相手を妻にしろとでも? リオネンデに頼まれた?」
「あ、その手もあるか。友人じゃなくて妻でもいい。が、リオネンデに頼まれたわけじゃない。なんだか……なんだかおまえは会うたびに追い詰められてるような気がした。だからだ。おまえを心配している。それだけだ」
「わたしを心配していると言うのなら……」
ゆっくりとリヒャンデルに視線を向け、今度はその顔を見詰めたサシーニャだ。
「愚痴も泣きごとも言うな、と仰ってください」
「サシーニャ……」
「わたしの弱点は心の弱さ、一度でも泣き言を言い出せば、心を曝け出せば、そのまま崩れてしまう。それが自分で判っているのです」
「しかし――」
「わたしは昔と変わらず泣き虫のまま。強い自分を保つため、片意地を張っているのです。必死なのですよ――これ以上、この話をしてもそれこそ無駄でしょう」
リヒャンデルもサシーニャを見詰める。言い足りない、だが言える言葉がない。何を言ってもサシーニャが言うとおり、無駄だ。
「そうだな、おまえは昔と変わらないな、意地っ張りで、甘えることを知らない。差し延べられた手を見ようともしない。損な性格だ」
そして立ち上がる。この虚しい気持ちを妻なら判ってくれると思った。早く帰って聞いて貰おう……でも、起こしたら叱られるだろうか?
「サシーニャ」
「まだ何か?」
リヒャンデルが帰る気になったと見て取ったサシーニャは、もう扉に向かっている。
「リオネンデにも甘えられないのか?」
この問いには少し考えてからサシーニャが答える。
「リオネンデはわたしを我儘で扱いにくいと感じていると思います。ちょっとしたことで拗ねたり反抗したりしますから」
「どうせ他愛もないことで、だろう?」
「そうですね、他愛ない。自分でも子どもじみていると思います」
「そうか。それでも全くないよりはマシか」
リヒャンデルが溜息交じりに苦笑する。
「サシーニャ。頑張らなくっていい、って言ってくれる相手が見つかるといいな」
「……意味が判りません」
「いつか判るよ――あぁ、そうだ、肝心なことを言い忘れていた」
「肝心なこと?」
「わざわざおまえに会いに来た理由だよ――命を掛けて任務にあたるのは兵だけではない。魔術師には感謝している。そう言いに来たんだった」
「魔術師の働きを活かすのは軍。感謝しているのはこちらも同じです」
「俺は単純だからな、その言葉、文面通りに受け取るぞ」
「そうなさってください。わたしも珍しく皮肉を込めておりません」
サシーニャの笑顔にリヒャンデルも笑顔を返した――
リヒャンデルを魔術師の塔の出入り口まで送った後、居室に帰るか執務室に戻るかサシーニャは迷っている。執務室では水害の一覧を作る作業が待っているが、それを済ませばもう休む時間が残らない。迷いながら居室を選び、途中にあるジャルスジャズナの部屋の前を通り過ぎるとき、ふと思い出す。
大声で泣けば少しは気が晴れる。シクシク泣いてたって内に籠っていくだけだ――
リヒャンデルはきっとジャジャと同じことを言いたかったんだろう、と扉を眺めてつい立ち止まったサシーニャに、部屋の中から問いかける声がした。
「サシーニャか?」
勿論ジャルスジャズナの声だ。
「失礼しました。リヒャンデルが来ていたので、塔の出入り口まで送った帰りなのです。起こしてしまいましたか?」
「いいや、ちょうど起きたところだ。気配が扉の前で止まったから声を掛けた。何か話があるのか?」
「いいえ……ジャルスジャズナさまもリヒャンデルさまとはご懇意の間柄だったと思い出したので」
咄嗟に言い訳を口にしたサシーニャだ。
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