残虐王は 死神さえも 凌辱す

寄賀あける

文字の大きさ
124 / 404
第3章 ニュダンガの道

白は あざやかに

しおりを挟む
 サシーニャが正式な魔術師になる少し前、ジャルスジャズナの相手はリヒャンデルだった。

 ジャルスジャズナからは聞いたことがないが、彼女にフラれたリヒャンデルがどうにか渡りをつけてくれと七つも年下のサシーニャに頼み込んできた。サシーニャはまだ見習、同じ魔術師と言ってもジャルスジャズナとは接点がない。無理だから、と断るしかなかった。

 それから大して経たないうち、リヒャンデルはジャルスジャズナの名を一切口にしなくなり、マルグリテと結婚した。サシーニャは呆気にとられたものだ。

「あぁ、昔の男だ……しつこいから嫌気がさして別れたいって言ったのに別れてくれなくて大変だった。友達を紹介したら、あっさり乗り換えた。よかったよ」
扉の向こうでジャルスジャズナが笑う。

 自分が寝ていた男を友人に紹介するジャルスジャズナの無神経さに、呆れていいのか感心するべきなのか迷うサシーニャだ。リヒャンデルにしても、なんと変わり身の早いことか。もっとも、マルグリテと結婚してからと言うもの、リヒャンデルの遊びも収まったと聞いている。きっとこれでよかったのだろう。

「マルグリテさまは二人目をご懐妊だとか」
「そりゃあ、めでたい。マルグリテは幸せだってことだね。リヒャンデルはどうでもいいけど、マルグリテは気になってたんだ――でもさ、サシーニャ、こんな時刻にそんなことを言いにリヒャンデルは来たわけではないだろう? もう夜明けが近いぞ」

王廟おうびょうに祈りをささげに行かれる時刻ですね……お支度したくもおありでしょうし、廊下と部屋の中での立ち話、他の者にも迷惑かと。わたしはこれで」
「そうか、まただな」

 ジャルスジャズナに引き留められなかったことにホッとしながら、サシーニャは自分の居室に向かっている。

 行方知れずのジャルスジャズナの所在を探っていたころ、見つかったら話を聞いて欲しいと思っていた自分を思いだしていた。それなのに、ジャルスジャズナがこうして戻っても、心を打ち明けられない自分がいる。なぜなのか、自分でも判らない。

 己でさえ判らない心の内をどうやって他人に語ろうか? 教えて欲しい。だがきっと、誰も答えを知らないだろう。そう思うサシーニャだった。

 寝台に横たわり、うつらうつらするうちに夢を見た。一覧を手がけている夢だ。すぐに覚醒し、苦笑する。まるきり寝た気がしないうえ、寝る前より疲れを感じる。たっぷり仕事をし終えたみたいだ。窓を見ると、朝陽が差し込んでいる。諦めて寝台から抜け出し、寝室から居室に移った。

 杯に水を取り、飲み干した後、水差しに残った水を花鉢に差していく。出窓の枠に置いたプリムジュを見て、昨日リオネンデから受け取った手紙を思い出した。

 触れれば読み取れるその手紙を、サシーニャはまだ読み切っていない。最初の数行でめてしまった。

『わたしがプリムジュなら、あなたは白いバラ。茂みに隠れて、花開くのを待っている白いバラの蕾のよう――』

 動揺を隠すため読むのをやめた。誰にも知られては行けない。特に、リオネンデには。そしてルリシアレヤには知られたくない。

 なぜ? なぜ知られたくない? なぜ動揺した?

 愛されること、愛することしかこの人は知らない。そして愛されることになんの疑問も持っていない。愛されていると信じ、無意識のうちに愛している。

 それがまぶしくうらやましい。自分にはないものだ。それが動揺の原因、でも、なぜだ? なぜそれに動揺する?

 もう一度プリムジュの鉢を見て、執務室へと向かった。プリムジュの鉢には陽が燦々さんさんと降りそそぎ、瑞々みずみずしく葉が輝いていた。太陽の恩恵あいを享受していた――

 ベルグの水害が、例年よりも小規模で終わっていることはマジェルダーナ始め、大臣たちを満足させた。大金を使った甲斐があったと納得している。

「しかし、氾濫はんらんを完全に防いだわけではありません。浸水した箇所も広く、多大な損害が出ています」
水を差すのはサシーニャだ。
「本年度はさらに増額し、氾濫による浸水を抑える工夫を施せればと考えています」

「浸水したのは沿岸の地区だけなのだろう? それに堤防は無傷で残っていると言うではないか。工事の必要もないのではないか?」
ケーネハスルの発言だ。

「お言葉ですがケーネハスルさま。ベルグの住民の大半が沿岸地域に住んでいます。今回、人的被害はないものの、家屋、家財道具などが浸水で――」
「そんな庶民のことを言っていたらきりがありませんよ、サシーニャさま」

 発言を途中で遮られたサシーニャがムッとする。遮ったのはケーネハスル、黙ったままのリオネンデがケーネハスルをジロリと睨みつける。

「筆頭魔術師さまがご発言中です、お控えください、ケーネハスルさま」
たしなめたのはマジェルダーナ、ムッとするのはケーネハスルの番だ。クッシャラデンジは少しばかり笑ったようだが澄ましたままでいる。

「庶民こそが我がグランデジアを支える原動力とお考え下さい、ケーネハスルさま」
そう言ってサシーニャが議事を進めた――

 夕刻、王の執務室での打ち合わせで、
「ケーネハスルを三の大臣としたのは悪手だったな」
とリオネンデがぼやいた。溜息を吐くのはサシーニャだ。

「言いたい放題で議場を荒らしてくれますね――前夜に配布する申し送り状を読んでいないのでしょうか?」
「今日に限って言えば、ベルグの件は間に合わなかったのだろう?」

 前夜に配布する申し送り状――そこには明日の閣議での議題とともに王の意向が記されている。よほどのことがない限り、それに従うのがグランデジア閣議での暗黙の了解になっていた。

「ベルグのことだけではなかったじゃないですか。グリニデ街道の件だって、ベルグ軍を全部行かせるのはどうのこうの」
「まぁ、マジェルダーナが『王に逆らうな』と一喝してくれた。お陰で計画通りに進められる」

「確かに、たかが盗賊狩りにベルグ全軍を動かすのは大袈裟、ケーネハスルが言うのももっとも、だけど、閣議には閣議の進め方がある」
「まぁ、そう怒るな。だからと言ってアイツを罷免ひめんするわけにもいかないのだから」

「怒っているんじゃない、困っているんだ」
「突っかかるなぁ。昨夜ロクに寝ていないだろう?」
ムッとしたサシーニャがツンとソッポを向いた。

「リヒャンデルさまが訪ねて来て、お帰りは明け方間近でした」
「ほう、リヒャンデルのヤツ、おまえを気にしているとは思ったが、まったく、アイツは直情型と言うか、思い立ったらすぐ実行だからなぁ」
呆れたリオネンデがつい笑う。

「笑い事じゃありませんよ。お陰でロクに眠る時間がなかった」
「で、リヒャンデルは何しに?」
「それがさっぱり……魔術師には感謝していると言いに来たと言っていましたがね」
「それだけで夜明け前まで? 随分と長い謝礼だか謝罪だかだな」
「そんな事よりも……ベルグの部下に命じた例の件、完了したと先ほど伝令がありました」
「ふむ。終わったか……」

 リオネンデが笑いを引っ込め真面目な顔でサシーニャに向き合う。
「リヒャンデルに知られる恐れはないな?」
「もちろんです、ワダの屋敷に運び込ませました」
「それで、巧く行きそうか?」
「先ほど閣議でもお聞きになったでしょう? 堤防の損傷はなし、と」
「あとは伐採と埋め立てか……」
「そちらの方も調査済みです。上級魔術師一名と一等魔術師三名をベルグに行かせました。当日にはさらに増員します」

「それで間に合うか?」
「上級魔術師には是が非でも成功させるよう命じています。ワダに助力を頼んでもいいと言ってあります――必ず王の期待に応えてくれると信じております」
「おまえが信じているのなら、俺も信じよう――あとはニュダンガを首尾よく落とせるか、だな」
「リヒャンデルさまとわたしが行くのです。ご安心ください」
ふむ、と頷き、頼もしげにサシーニャを見るリオネンデだ。

 そう言えば、とリオネンデが話題を変える。
「ニュダンガに連れて行く魔術師とはチュジャンエラだな?」
「お察しの通り――リヒャンデルさまには経験のためと申しましたが、ニュダンガ王宮制圧の手助けをさせようと思っています」

「手助けとは軍の? おまえの?」
「わたしの、です――チュジャンエラの人心困惑術はわたし以上、それを使わない手はありません。ニュダンガ国王の尋問もさせようと思っています」

「人心困惑術? 具体的にどう作用する魔法だ?」
「チュジャンエラの場合、多種多様な白昼夢を見させることが可能です。意識に働きかけ、自国王が討ち死に・逃亡などと思い込ませようと考えています」

「その場合、決死の覚悟で抵抗する者も出るのではないか?」
「その場合は仕方ありません、ニュダンガ兵には死んで貰いましょう」

「あの坊主、リヒャンデルが心配していたが、死体にじけないか?」
「それは……」
サシーニャが苦笑する。

「殺傷術を実演させたことがあります。ウサギに始まり、キツネ、イノシシ……最後にはクマ。どれも一撃、しかも容赦なく首をはねねる。『人で試せないのが残念』と笑えるようなヤツです。心配無用かと」
「おい……」

 リオネンデの顔色が変わる。
「そんなヤツをそばに置いて大丈夫なのか? ジャッシフの心配なんか、心配の内にも入らないな」
横でジャッシフが
「あんな可愛げな様子で、そんなことを?」
と、やはり蒼褪める。

「敵にしたくない相手なのは確かです。だが心配は不要、チュジャンエラも王と魔術師の塔に忠誠を誓った一人、裏切ることはありません」
そう言い切るサシーニャにリオネンデもジャッシフも黙るしかない――

 夕刻の打ち合わせが終わり、魔術師の塔に戻ったサシーニャが執務室の隠し戸棚を開ける。昨夜、受け取ったルリシアレヤの手紙は二通目と一緒にそこに仕舞った。

 少し迷ってから、昨夜の手紙に手を伸ばす。触れれば二通目の手紙とはまた違う痛み、それを確認するように感じてから手に取り、執務机に向かった。

 手紙を机に置くとしばらく眺めてから、引き出しのナイフを取り出し開封する。魔法ではなく、自分の目で読もうと思った。

(ルリシアレヤさま……わたしはあなたが思ってくれるような人間ではありません)

 開く寸前の白バラの蕾、そんなに清らかであれたなら――

(わたしは……復讐に囚われ、相手を殺めることしか)
手紙を読み進めるサシーニャの視界が揺れる。
(相手を殺めることしか考えていない……のです。あなたに好かれる価値などないのです)

 読み終えた手紙を封筒に収め、溜息を吐くサシーニャだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ダンジョンでオーブを拾って『』を手に入れた。代償は体で払います

とみっしぇる
ファンタジー
スキルなし、魔力なし、1000人に1人の劣等人。 食っていくのがギリギリの冒険者ユリナは同じ境遇の友達3人と、先輩冒険者ジュリアから率のいい仕事に誘われる。それが罠と気づいたときには、絶対絶命のピンチに陥っていた。 もうあとがない。そのとき起死回生のスキルオーブを手に入れたはずなのにオーブは無反応。『』の中には何が入るのだ。 ギリギリの状況でユリアは瀕死の仲間のために叫ぶ。 ユリナはスキルを手に入れ、ささやかな幸せを手に入れられるのだろうか。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

悪役令嬢に転生したので、ゲームを無視して自由に生きる。私にしか使えない植物を操る魔法で、食べ物の心配は無いのでスローライフを満喫します。

向原 行人
ファンタジー
死にかけた拍子に前世の記憶が蘇り……どハマりしていた恋愛ゲーム『ときめきメイト』の世界に居ると気付く。 それだけならまだしも、私の名前がルーシーって、思いっきり悪役令嬢じゃない! しかもルーシーは魔法学園卒業後に、誰とも結ばれる事なく、辺境に飛ばされて孤独な上に苦労する事が分かっている。 ……あ、だったら、辺境に飛ばされた後、苦労せずに生きていけるスキルを学園に居る内に習得しておけば良いじゃない。 魔法学園で起こる恋愛イベントを全て無視して、生きていく為のスキルを習得して……と思ったら、いきなりゲームに無かった魔法が使えるようになってしまった。 木から木へと瞬間移動出来るようになったので、学園に通いながら、辺境に飛ばされた後のスローライフの練習をしていたんだけど……自由なスローライフが楽し過ぎるっ! ※第○話:主人公視点  挿話○:タイトルに書かれたキャラの視点  となります。

処刑された王女、時間を巻き戻して復讐を誓う

yukataka
ファンタジー
断頭台で首を刎ねられた王女セリーヌは、女神の加護により処刑の一年前へと時間を巻き戻された。信じていた者たちに裏切られ、民衆に石を投げられた記憶を胸に、彼女は証拠を集め、法を武器に、陰謀の網を逆手に取る。復讐か、赦しか——その選択が、リオネール王国の未来を決める。 これは、王弟の陰謀で処刑された王女が、一年前へと時間を巻き戻され、証拠と同盟と知略で玉座と尊厳を奪還する復讐と再生の物語です。彼女は二度と誰も失わないために、正義を手続きとして示し、赦すか裁くかの決断を自らの手で下します。舞台は剣と魔法の王国リオネール。法と証拠、裁判と契約が逆転の核となり、感情と理性の葛藤を経て、王女は新たな国の夜明けへと歩を進めます。

転生ヒロインは不倫が嫌いなので地道な道を選らぶ

karon
ファンタジー
デビュタントドレスを見た瞬間アメリアはかつて好きだった乙女ゲーム「薔薇の言の葉」の世界に転生したことを悟った。 しかし、攻略対象に張り付いた自分より身分の高い悪役令嬢と戦う危険性を考え、攻略対象完全無視でモブとくっつくことを決心、しかし、アメリアの思惑は思わぬ方向に横滑りし。

【完結】男爵令嬢は冒険者生活を満喫する

影清
ファンタジー
英雄の両親を持つ男爵令嬢のサラは、十歳の頃から冒険者として活動している。優秀な両親、優秀な兄に恥じない娘であろうと努力するサラの前に、たくさんのメイドや護衛に囲まれた侯爵令嬢が現れた。「卒業イベントまでに、立派な冒険者になっておきたいの」。一人でも生きていけるようにだとか、追放なんてごめんだわなど、意味の分からぬことを言う令嬢と関わりたくないサラだが、同じ学園に入学することになって――。 ※残酷な描写は予告なく出てきます。 ※小説家になろう、アルファポリス、カクヨムに掲載中です。 ※106話完結。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

処理中です...