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5.地獄に咲く薔薇
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「錦弥、出ろ」
酒臭い牢役人が錦弥を呼んだ。
昨夜の狂宴が夢だったかのような良いお天気の日だった。精液でドロドロに汚れた身体は、男の子分が持ってきてくれたお湯と手ぬぐいできれいに拭いた。
「あぁ、いい天気だ……」
少し気だるさを感じながらも錦弥は言う。今までになく清々しい気持ちだった。
上半身を縄で縛られ、馬に乗せられる。
馬の前には罪状を書いた捨札やのぼりを持った男達が先導し、後ろから奉行所の同心(役人)達が検視役として付いてきた。
牢を出ると外には人だかりができていた。実直な侍を誑かした稀代の悪陰間、錦弥を一目見ようと大勢が狂乱している。
罵倒するもの、石を投げるもの様々だ。額に礫があたり、血が流れた。
そんな観衆を気にするでもなく、錦弥は顔を上げる。思っていたよりも落ち着いていた。
ふと一行の足を止める男が現れた。
「あんた……」
同心達も戸惑って男を止める。だが、男は意に返さなかった。
「おめぇら、俺が誰だかわかってんだろ?」
「ですが……」
「安心しろ、処刑まで止める気はねぇからよ」
錦弥に近づく。手には赤い、見たことのない花が描かれた着物。
「ほらよ。 お前の死装束だ。 これが洋薔薇なんだとよ」
「へぇ、これが。 はは、確かに俺にふさわしい美しい花だな」
男は錦弥の縄を切ると、着ていた着物を脱がし、その艶やかな着物を羽織らせた。
「すげぇな、こっちも花びらを散らしたみてぇだ。 あの男の執着だな」
錦弥の身体に残るたくさんの痕を見て、男がひゅぅと口笛を拭いた。わざと見えるように胸元をはだけさせながら着流しのように着る。
「代金のかわりだよ」
男の首筋に吸い付き、赤い痕をつける。
男は首を傾げて吸いやすいようにしながら、錦弥の額の血を拭いて髪の毛を整え、傷を隠してくれた。
「こりゃ、あいつに恨まれるな」
首筋の痕を触りながら男は笑った。
「伝説の陰間、錦弥の最後の男、だな」
「はは。 光栄だけど、それはあいつに譲るよ」
男が同じ馬に乗った。良い家柄の者らしいのに、大丈夫なのだろうか?心配になって聞いてみるが、男は特に気にする様子もなかった。
「ほら、微笑んでやれよ。 男も女も狂わせる稀代の悪陰間、錦弥様のお通りだ」
「ふっ、何いってんだ……」
馬上から通りに集まる人々を見て男が笑った。まるで普通に散歩をしているかのような楽しい心持ちになり、自然と笑顔がこぼれる。
観衆は言葉を失い、持っていた礫を下に落として、2人の姿に見とれた。
通りの途中に公政と婚約者の女がいた。真っ青な顔でおどおどと立ちすくみ、視線を合わせない公政と、錦弥をにらみつける婚約者。
「あ、おい」
男が止めるのも聞かず、馬を降りて女に近づく。
引き廻しの刑は『死出の旅』ということで、罪人の求めに応じて多少の希望が通った。槍を持った男を背後に従えながら近づくと、狼狽する公政。
公政を一瞥し、震えながら睨みつける婚約者の赤い紅を指で拭った。染まった指を自分の唇に塗る。ますます錦弥の艶やかさが増した。
「罪をかぶってあげる代金だ……」
女は「ひっ」と声にならぬ声で怯えた。
赤い唇をみて男が笑った。
「男はこういうところが気が利かなくていけねぇな」
「あんたは十分良い男だよ」
馬を降りて、2人は歩いて行く。後ろについてくる同心達もほとほと困った様子だった。
男が何者なのか少し気にはなったが、もはやどうでもいいこと。それより男が用意してくれたこの舞台を楽しもう。
「それにしてもあんな男のどこが良かったんだか」
「……そうだな……あの男は……俺に夢を見させたんだ……地獄にどっぷりと浸かってる俺に、夢のような世界の話……あいつの日常をな……」
「残酷だな……でも、この事件はお前が犯人じゃないんだろ?」
「違うさ。 でも相手は武士だ。 俺の声なんて誰にも届かない。 ……それに昨日も言っただろ? 『生きていて何になる?』って。 もう十分だ。 あんたには感謝しているけど、今更そんな話はしたくない。 あとは……」
通りの観客を見る。銀次は来てくれるだろうか?まだ姿が見えない。
「まさに『この世は生き地獄』だな……でも、俺はもう少しこの地獄で足掻くぜ?」
男の呆れ口調に、思わず笑いが溢れる。
「ふん、せいぜい長生きでもしな。 まぁ、あんたなら地獄の番人も従わせちまいそうだな」
「『閻魔様もびっくり!』ってな。 はは」
二人は周りの視線など気にもせず、軽口を叩きながら街を歩く。すっかり様相の変わってしまった刑罰に人々がざわつき、「何事か」と更に見物人が増えてきた頃、牢屋敷まで戻って来た。
そこには煙管を持った銀次がいた。
「ほら、あっちに良い男が待ってるぜ?」
男はぽんと錦弥の背中を押した。
涙を堪えながら、震える手で煙管を持っている銀次。
「銀次、最後まで迷惑をかけるね……」
「き、錦弥さん……俺……」
「泣くなよ。 笑って見送ってくれ……」
そっと口づけをして、煙管を受け取る。
受け取った瞬間、銀次は激しく嗚咽した。
その煙管を口にすれば、今まで口にしたことのない甘い味がした。その煙を肺いっぱいに吸い込んで吐き出す。
紫煙が青空へと登っていった。
「ごちそうさま……」
煙管を銀次に返し、牢屋敷の門へと一歩一歩向かっていく。
この見世物のために集まった観衆達。
門へ入る手前、堀にかかる橋の真ん中で錦弥は振り返り、観衆を見渡して微笑んだ。
―――― ごふっ
口からこぼれる鮮血。
煙管に仕込まれた毒が効いてきた。喉が、肺が、焼けるように熱い。思わず胸を抑える。
飛び出してこようとする銀次を押さえる男とその子分。
その近くには同じ様に、婚約者とその従者に押さえられている公政がいた。その公政の手には、かつて錦弥が巻いてあげた手ぬぐいが。
「ははっ……!!」
乾いた笑いが漏れる。
人生とはなんと、滑稽なのだろう。
自分の罪は、この愚かな男を愛したことだけ。
もうこれ以上お前たちの好きなようにはさせない。
自分を陥れた者たちよ。自分を虐げてきた者たちよ。自分を無価値な存在として扱った者たちよ。
この死を脳裏に焼き付け、この世で苦しめ。
そして自分を愛してくれた人たち……。
銀次が錦弥に手を伸ばし泣き崩れていた。男も子分も泣きながら銀次を押さえている。
―――― 最後に素敵な思い出をありがとう……。
錦弥の瞳からほろりと一筋の涙がこぼれた。
思わぬ事態に同心達が慌てた。槍と刺股が錦弥の身体に突き刺さる。図らずもそれが倒れ込もうとする錦弥の身体を支えた。羽織っていた着物がまるで踊っているかのように風になびいた。
御様御用(死刑執行人)が門まで駆けつけ、錦弥の首を切りつけた。辺りに血飛沫が飛び散る。湧き上がる観衆の悲鳴。
飛び散る血は、まるで洋薔薇の花びらが散ったかのようだった。
自らから吹き出す血を見ながら、錦弥は思った。
――― これが薔薇の花。なんと美しい……。
≪地獄に咲く薔薇 完≫
酒臭い牢役人が錦弥を呼んだ。
昨夜の狂宴が夢だったかのような良いお天気の日だった。精液でドロドロに汚れた身体は、男の子分が持ってきてくれたお湯と手ぬぐいできれいに拭いた。
「あぁ、いい天気だ……」
少し気だるさを感じながらも錦弥は言う。今までになく清々しい気持ちだった。
上半身を縄で縛られ、馬に乗せられる。
馬の前には罪状を書いた捨札やのぼりを持った男達が先導し、後ろから奉行所の同心(役人)達が検視役として付いてきた。
牢を出ると外には人だかりができていた。実直な侍を誑かした稀代の悪陰間、錦弥を一目見ようと大勢が狂乱している。
罵倒するもの、石を投げるもの様々だ。額に礫があたり、血が流れた。
そんな観衆を気にするでもなく、錦弥は顔を上げる。思っていたよりも落ち着いていた。
ふと一行の足を止める男が現れた。
「あんた……」
同心達も戸惑って男を止める。だが、男は意に返さなかった。
「おめぇら、俺が誰だかわかってんだろ?」
「ですが……」
「安心しろ、処刑まで止める気はねぇからよ」
錦弥に近づく。手には赤い、見たことのない花が描かれた着物。
「ほらよ。 お前の死装束だ。 これが洋薔薇なんだとよ」
「へぇ、これが。 はは、確かに俺にふさわしい美しい花だな」
男は錦弥の縄を切ると、着ていた着物を脱がし、その艶やかな着物を羽織らせた。
「すげぇな、こっちも花びらを散らしたみてぇだ。 あの男の執着だな」
錦弥の身体に残るたくさんの痕を見て、男がひゅぅと口笛を拭いた。わざと見えるように胸元をはだけさせながら着流しのように着る。
「代金のかわりだよ」
男の首筋に吸い付き、赤い痕をつける。
男は首を傾げて吸いやすいようにしながら、錦弥の額の血を拭いて髪の毛を整え、傷を隠してくれた。
「こりゃ、あいつに恨まれるな」
首筋の痕を触りながら男は笑った。
「伝説の陰間、錦弥の最後の男、だな」
「はは。 光栄だけど、それはあいつに譲るよ」
男が同じ馬に乗った。良い家柄の者らしいのに、大丈夫なのだろうか?心配になって聞いてみるが、男は特に気にする様子もなかった。
「ほら、微笑んでやれよ。 男も女も狂わせる稀代の悪陰間、錦弥様のお通りだ」
「ふっ、何いってんだ……」
馬上から通りに集まる人々を見て男が笑った。まるで普通に散歩をしているかのような楽しい心持ちになり、自然と笑顔がこぼれる。
観衆は言葉を失い、持っていた礫を下に落として、2人の姿に見とれた。
通りの途中に公政と婚約者の女がいた。真っ青な顔でおどおどと立ちすくみ、視線を合わせない公政と、錦弥をにらみつける婚約者。
「あ、おい」
男が止めるのも聞かず、馬を降りて女に近づく。
引き廻しの刑は『死出の旅』ということで、罪人の求めに応じて多少の希望が通った。槍を持った男を背後に従えながら近づくと、狼狽する公政。
公政を一瞥し、震えながら睨みつける婚約者の赤い紅を指で拭った。染まった指を自分の唇に塗る。ますます錦弥の艶やかさが増した。
「罪をかぶってあげる代金だ……」
女は「ひっ」と声にならぬ声で怯えた。
赤い唇をみて男が笑った。
「男はこういうところが気が利かなくていけねぇな」
「あんたは十分良い男だよ」
馬を降りて、2人は歩いて行く。後ろについてくる同心達もほとほと困った様子だった。
男が何者なのか少し気にはなったが、もはやどうでもいいこと。それより男が用意してくれたこの舞台を楽しもう。
「それにしてもあんな男のどこが良かったんだか」
「……そうだな……あの男は……俺に夢を見させたんだ……地獄にどっぷりと浸かってる俺に、夢のような世界の話……あいつの日常をな……」
「残酷だな……でも、この事件はお前が犯人じゃないんだろ?」
「違うさ。 でも相手は武士だ。 俺の声なんて誰にも届かない。 ……それに昨日も言っただろ? 『生きていて何になる?』って。 もう十分だ。 あんたには感謝しているけど、今更そんな話はしたくない。 あとは……」
通りの観客を見る。銀次は来てくれるだろうか?まだ姿が見えない。
「まさに『この世は生き地獄』だな……でも、俺はもう少しこの地獄で足掻くぜ?」
男の呆れ口調に、思わず笑いが溢れる。
「ふん、せいぜい長生きでもしな。 まぁ、あんたなら地獄の番人も従わせちまいそうだな」
「『閻魔様もびっくり!』ってな。 はは」
二人は周りの視線など気にもせず、軽口を叩きながら街を歩く。すっかり様相の変わってしまった刑罰に人々がざわつき、「何事か」と更に見物人が増えてきた頃、牢屋敷まで戻って来た。
そこには煙管を持った銀次がいた。
「ほら、あっちに良い男が待ってるぜ?」
男はぽんと錦弥の背中を押した。
涙を堪えながら、震える手で煙管を持っている銀次。
「銀次、最後まで迷惑をかけるね……」
「き、錦弥さん……俺……」
「泣くなよ。 笑って見送ってくれ……」
そっと口づけをして、煙管を受け取る。
受け取った瞬間、銀次は激しく嗚咽した。
その煙管を口にすれば、今まで口にしたことのない甘い味がした。その煙を肺いっぱいに吸い込んで吐き出す。
紫煙が青空へと登っていった。
「ごちそうさま……」
煙管を銀次に返し、牢屋敷の門へと一歩一歩向かっていく。
この見世物のために集まった観衆達。
門へ入る手前、堀にかかる橋の真ん中で錦弥は振り返り、観衆を見渡して微笑んだ。
―――― ごふっ
口からこぼれる鮮血。
煙管に仕込まれた毒が効いてきた。喉が、肺が、焼けるように熱い。思わず胸を抑える。
飛び出してこようとする銀次を押さえる男とその子分。
その近くには同じ様に、婚約者とその従者に押さえられている公政がいた。その公政の手には、かつて錦弥が巻いてあげた手ぬぐいが。
「ははっ……!!」
乾いた笑いが漏れる。
人生とはなんと、滑稽なのだろう。
自分の罪は、この愚かな男を愛したことだけ。
もうこれ以上お前たちの好きなようにはさせない。
自分を陥れた者たちよ。自分を虐げてきた者たちよ。自分を無価値な存在として扱った者たちよ。
この死を脳裏に焼き付け、この世で苦しめ。
そして自分を愛してくれた人たち……。
銀次が錦弥に手を伸ばし泣き崩れていた。男も子分も泣きながら銀次を押さえている。
―――― 最後に素敵な思い出をありがとう……。
錦弥の瞳からほろりと一筋の涙がこぼれた。
思わぬ事態に同心達が慌てた。槍と刺股が錦弥の身体に突き刺さる。図らずもそれが倒れ込もうとする錦弥の身体を支えた。羽織っていた着物がまるで踊っているかのように風になびいた。
御様御用(死刑執行人)が門まで駆けつけ、錦弥の首を切りつけた。辺りに血飛沫が飛び散る。湧き上がる観衆の悲鳴。
飛び散る血は、まるで洋薔薇の花びらが散ったかのようだった。
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