蜘蛛の巣

猫丸

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3.

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「よぅ、こっちこっち」
 
 ヒートの時期をなんとかやり過ごし、少し身体も楽になった頃、再び田中から誘いがあった。
 何回か田中と来たことのある、安くて美味しいと人気の居酒屋。

「この間は忙しいのに悪かったなぁ」
「はは、田中さん、僕が暇人だって知ってるくせに」
「だなー!!」

 わははと笑って、飲み物を注文した。
 抑制剤が効かなくなると困るので、普段、酒は飲まないのだが、ヒートの終わった時期だけ少し飲める。

 いつもと同じように他愛もない話をしていた。
 田中から聞く普通の家庭の話は、自分とは無縁のもので、ただただ楽しい。

 靴下を裏返しにしたまま洗濯かごに入れて奥さんに怒られたこと。
 少し前まで「パパのお嫁さんになる!」と言っていた娘が保育園で好きな子ができたこと。
 週末、田中がネットで調べた料理を作ったらすごく不味くて、結局家族で外食したこと。

 田中は「俺、家で一番立場弱い~」なんて愚痴っているが、笑いながら話すその表情に幸せが溢れ出ている。
 伊吹は、そんな話を聞きながら、普通の家庭を疑似体験していく。
 自分とは無縁の平和な日常を過ごしている田中が眩しかった。

「そういえば、お前外山に絡まれたんだって?」
 唐突に話が変わった。
「トヤマ…さん?誰ですか?」
「あれ?この間の歓迎会の時、なんかなかった?あの後、副社長がすごいそいつに怒ってて」
「へぇー、でも、すみません。ちょっとわからないです。あの時は色んな人と話したから」

 本当は帰りがけに声をかけてきた若い男だとわかっていたが、知らないふりをした。
 アルファとオメガはついに見られる。
 オメガだとバレるのは嫌だった。
 
 田中もそれ以上突っ込むことなく、また別の雑談へと変わっていく。
 何かあったことは気づいていても、本人が話したくなさそうだったら、それ以上は聞かない。
 田中のそういう性格が、伊吹には居心地が良かった。



「あれ?あー、まじか。世木くん、すまん。あれ、副社長だ…」

 しばらく他愛もないことを話しながら、唐揚げを食べていると、突然、田中が入口から入ってきた人物を見て、謝ってきた。
 あの人もこんな庶民的な店来るんだ、そう思って田中がみた視線の先を見ると井雲が一人でいた。
 入ってきて少しキョロキョロした後、こちらに気づくと満面の笑みで寄ってきた。

「ごめん。さっきお前と電話してたら、どこに行くのか聞かれたんだよね。まさか来るとは…」
 井雲が席に来る前に、こっそり耳打ちしてきた。

「こんばんは。この間世木くんとあまりゆっくり話せなかったから、今日こそぜひと思って。お邪魔だったかな?」
「……いえ…」

 正直言って邪魔なのだが、田中の立場もあるし、面と向かってそうとは言いづらい。
 伊吹達の戸惑いをよそに井雲は笑顔で伊吹の隣に座った。

「君たちよく来るの?」
「よくってほどではないですけど…まぁ時々打ち合わせの後とかに…なあ」

 明らかに会話が止まってしまったのに、井雲は意に介さない。

「ねぇ、世木くん、連絡先教えてよ」
「えっと…田中さんが知ってますけど」

「うーん、じゃなくて。世木くんに興味があるから、直接教えて欲しいって意味なんだけどな」
 
 キラキラの笑顔で言う。
 女性だったら一発で落ちるんだろうな。

 突然男を口説き始めた会社の上役に、田中は笑ってその場を取り繕った。
 
「あはは、副社長って男もいけるクチですか?でも、世木くんノーマルですよー、残念でしたね~………って、え?本気ですか?…あれ?でも副社長、アルファじゃ…え?あ、そういこと?…え、あれ?お前、そうなの?…あ、だから外山…」

 最初、ふざけてるのかと思って笑った田中が、井雲の表情をみて、途中から会話のトーンを変えた。
 『井雲と外山がアルファ』という情報から、即座に『オメガ』というキーワードにたどり着く。
 血の気が引いた。

「アンタ…最悪だ……」

 腹の底から唸るような声が出た。

「え、ちょっ……」

 立ち上がり立ち去ろうとする伊吹の腕を井雲がつかむ。

「さわるなっ!!!!」

 井雲の手を振りほどき、田中の制止を振り切って、店から飛び出した。

 そこからどう帰ったのか覚えていない。
 気がつけば真っ暗な部屋の中でうずくまって号泣していた。
 普段だったら聞き流せていたかもしれない会話。
 でも、ヒートの苦しさと、先日の井雲と外山の会話から、自分がオメガだと思い知らされて、深い自己嫌悪と絶望感に苛まれた。

 *

「あー、まずったなぁ。そういうことかー」

 田中は頭抱え、井雲は突然怒り出した伊吹に戸惑っていた。
 追いかけたが、突き放され、途方に暮れた。

 他の客が「何事か」とニヤニヤ噂しながらこちらの様子を伺っていたので、店を変えることにした。
 夜だというのに、深夜までやっているチェーン店のカフェは混んでいた。


「えっと、田中くんは知らなかったのか?長く担当していれば、ヒートとかで締切遅れたりとか、仕事受けられない時期とかあっただろう?てっきり知っているものかと…」

「……いえ、あいつは今まで締切に遅れたことはありませんでした。…そっか、そういうことかー。あの、副社長、興味本位とか遊びなんだったらあいつには関わらないであげてくれませんか?その、部下とか関係なく、あいつの友人としてのお願いなんですけど…」


 田中は、伊吹の話をした。
 といっても、本人が自分のことをほとんど話さないから、田中から見た伊吹の話だったが。

 既に家族がいないらしいこと。
 人との付き合いには一線引いているが、田中の子供の話や兄弟喧嘩の話、普通の家庭の話をいつも楽しそうに聞いてくれること。
 彼女がほしいと言いながら、積極的に探してる感じもなかったので、なんかワケアリなんだとは思っていたという。

「俺にはオメガの匂いとかわからないですけど…でも副社長の言うようにあいつがオメガなんだったら、相当な努力でそれを隠していたんじゃないですかねぇ…。
オメガってヒート来るから、進学・就職ってかなり難しいんでしょ?
採用にも『オメガ枠』って言うのがあるくらいだし。
でもあいつは奨学金で国公立の外大でて、そういった枠を使わずに就職していました。
フリーで働き始めたのは、体調を崩して居づらくなった、なんて笑ってはいましたけど…」

 井雲は初手を間違ったことを痛感した。
 常に自信に溢れている井雲には珍しい事だった。
 その後の伊吹を調査して、更に自分の迂闊さを呪うのだった。

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