3 / 10
3.
しおりを挟む
「よぅ、こっちこっち」
ヒートの時期をなんとかやり過ごし、少し身体も楽になった頃、再び田中から誘いがあった。
何回か田中と来たことのある、安くて美味しいと人気の居酒屋。
「この間は忙しいのに悪かったなぁ」
「はは、田中さん、僕が暇人だって知ってるくせに」
「だなー!!」
わははと笑って、飲み物を注文した。
抑制剤が効かなくなると困るので、普段、酒は飲まないのだが、ヒートの終わった時期だけ少し飲める。
いつもと同じように他愛もない話をしていた。
田中から聞く普通の家庭の話は、自分とは無縁のもので、ただただ楽しい。
靴下を裏返しにしたまま洗濯かごに入れて奥さんに怒られたこと。
少し前まで「パパのお嫁さんになる!」と言っていた娘が保育園で好きな子ができたこと。
週末、田中がネットで調べた料理を作ったらすごく不味くて、結局家族で外食したこと。
田中は「俺、家で一番立場弱い~」なんて愚痴っているが、笑いながら話すその表情に幸せが溢れ出ている。
伊吹は、そんな話を聞きながら、普通の家庭を疑似体験していく。
自分とは無縁の平和な日常を過ごしている田中が眩しかった。
「そういえば、お前外山に絡まれたんだって?」
唐突に話が変わった。
「トヤマ…さん?誰ですか?」
「あれ?この間の歓迎会の時、なんかなかった?あの後、副社長がすごいそいつに怒ってて」
「へぇー、でも、すみません。ちょっとわからないです。あの時は色んな人と話したから」
本当は帰りがけに声をかけてきた若い男だとわかっていたが、知らないふりをした。
アルファとオメガは対に見られる。
オメガだとバレるのは嫌だった。
田中もそれ以上突っ込むことなく、また別の雑談へと変わっていく。
何かあったことは気づいていても、本人が話したくなさそうだったら、それ以上は聞かない。
田中のそういう性格が、伊吹には居心地が良かった。
「あれ?あー、まじか。世木くん、すまん。あれ、副社長だ…」
しばらく他愛もないことを話しながら、唐揚げを食べていると、突然、田中が入口から入ってきた人物を見て、謝ってきた。
あの人もこんな庶民的な店来るんだ、そう思って田中がみた視線の先を見ると井雲が一人でいた。
入ってきて少しキョロキョロした後、こちらに気づくと満面の笑みで寄ってきた。
「ごめん。さっきお前と電話してたら、どこに行くのか聞かれたんだよね。まさか来るとは…」
井雲が席に来る前に、こっそり耳打ちしてきた。
「こんばんは。この間世木くんとあまりゆっくり話せなかったから、今日こそぜひと思って。お邪魔だったかな?」
「……いえ…」
正直言って邪魔なのだが、田中の立場もあるし、面と向かってそうとは言いづらい。
伊吹達の戸惑いをよそに井雲は笑顔で伊吹の隣に座った。
「君たちよく来るの?」
「よくってほどではないですけど…まぁ時々打ち合わせの後とかに…なあ」
明らかに会話が止まってしまったのに、井雲は意に介さない。
「ねぇ、世木くん、連絡先教えてよ」
「えっと…田中さんが知ってますけど」
「うーん、じゃなくて。世木くんに興味があるから、直接教えて欲しいって意味なんだけどな」
キラキラの笑顔で言う。
女性だったら一発で落ちるんだろうな。
突然男を口説き始めた会社の上役に、田中は笑ってその場を取り繕った。
「あはは、副社長って男もいけるクチですか?でも、世木くんノーマルですよー、残念でしたね~………って、え?本気ですか?…あれ?でも副社長、アルファじゃ…え?あ、そういこと?…え、あれ?お前、そうなの?…あ、だから外山…」
最初、ふざけてるのかと思って笑った田中が、井雲の表情をみて、途中から会話のトーンを変えた。
『井雲と外山がアルファ』という情報から、即座に『オメガ』というキーワードにたどり着く。
血の気が引いた。
「アンタ…最悪だ……」
腹の底から唸るような声が出た。
「え、ちょっ……」
立ち上がり立ち去ろうとする伊吹の腕を井雲がつかむ。
「さわるなっ!!!!」
井雲の手を振りほどき、田中の制止を振り切って、店から飛び出した。
そこからどう帰ったのか覚えていない。
気がつけば真っ暗な部屋の中でうずくまって号泣していた。
普段だったら聞き流せていたかもしれない会話。
でも、ヒートの苦しさと、先日の井雲と外山の会話から、自分がオメガだと思い知らされて、深い自己嫌悪と絶望感に苛まれた。
*
「あー、まずったなぁ。そういうことかー」
田中は頭抱え、井雲は突然怒り出した伊吹に戸惑っていた。
追いかけたが、突き放され、途方に暮れた。
他の客が「何事か」とニヤニヤ噂しながらこちらの様子を伺っていたので、店を変えることにした。
夜だというのに、深夜までやっているチェーン店のカフェは混んでいた。
「えっと、田中くんは知らなかったのか?長く担当していれば、ヒートとかで締切遅れたりとか、仕事受けられない時期とかあっただろう?てっきり知っているものかと…」
「……いえ、あいつは今まで締切に遅れたことはありませんでした。…そっか、そういうことかー。あの、副社長、興味本位とか遊びなんだったらあいつには関わらないであげてくれませんか?その、部下とか関係なく、あいつの友人としてのお願いなんですけど…」
田中は、伊吹の話をした。
といっても、本人が自分のことをほとんど話さないから、田中から見た伊吹の話だったが。
既に家族がいないらしいこと。
人との付き合いには一線引いているが、田中の子供の話や兄弟喧嘩の話、普通の家庭の話をいつも楽しそうに聞いてくれること。
彼女がほしいと言いながら、積極的に探してる感じもなかったので、なんかワケアリなんだとは思っていたという。
「俺にはオメガの匂いとかわからないですけど…でも副社長の言うようにあいつがオメガなんだったら、相当な努力でそれを隠していたんじゃないですかねぇ…。
オメガってヒート来るから、進学・就職ってかなり難しいんでしょ?
採用にも『オメガ枠』って言うのがあるくらいだし。
でもあいつは奨学金で国公立の外大でて、そういった枠を使わずに就職していました。
フリーで働き始めたのは、体調を崩して居づらくなった、なんて笑ってはいましたけど…」
井雲は初手を間違ったことを痛感した。
常に自信に溢れている井雲には珍しい事だった。
その後の伊吹を調査して、更に自分の迂闊さを呪うのだった。
ヒートの時期をなんとかやり過ごし、少し身体も楽になった頃、再び田中から誘いがあった。
何回か田中と来たことのある、安くて美味しいと人気の居酒屋。
「この間は忙しいのに悪かったなぁ」
「はは、田中さん、僕が暇人だって知ってるくせに」
「だなー!!」
わははと笑って、飲み物を注文した。
抑制剤が効かなくなると困るので、普段、酒は飲まないのだが、ヒートの終わった時期だけ少し飲める。
いつもと同じように他愛もない話をしていた。
田中から聞く普通の家庭の話は、自分とは無縁のもので、ただただ楽しい。
靴下を裏返しにしたまま洗濯かごに入れて奥さんに怒られたこと。
少し前まで「パパのお嫁さんになる!」と言っていた娘が保育園で好きな子ができたこと。
週末、田中がネットで調べた料理を作ったらすごく不味くて、結局家族で外食したこと。
田中は「俺、家で一番立場弱い~」なんて愚痴っているが、笑いながら話すその表情に幸せが溢れ出ている。
伊吹は、そんな話を聞きながら、普通の家庭を疑似体験していく。
自分とは無縁の平和な日常を過ごしている田中が眩しかった。
「そういえば、お前外山に絡まれたんだって?」
唐突に話が変わった。
「トヤマ…さん?誰ですか?」
「あれ?この間の歓迎会の時、なんかなかった?あの後、副社長がすごいそいつに怒ってて」
「へぇー、でも、すみません。ちょっとわからないです。あの時は色んな人と話したから」
本当は帰りがけに声をかけてきた若い男だとわかっていたが、知らないふりをした。
アルファとオメガは対に見られる。
オメガだとバレるのは嫌だった。
田中もそれ以上突っ込むことなく、また別の雑談へと変わっていく。
何かあったことは気づいていても、本人が話したくなさそうだったら、それ以上は聞かない。
田中のそういう性格が、伊吹には居心地が良かった。
「あれ?あー、まじか。世木くん、すまん。あれ、副社長だ…」
しばらく他愛もないことを話しながら、唐揚げを食べていると、突然、田中が入口から入ってきた人物を見て、謝ってきた。
あの人もこんな庶民的な店来るんだ、そう思って田中がみた視線の先を見ると井雲が一人でいた。
入ってきて少しキョロキョロした後、こちらに気づくと満面の笑みで寄ってきた。
「ごめん。さっきお前と電話してたら、どこに行くのか聞かれたんだよね。まさか来るとは…」
井雲が席に来る前に、こっそり耳打ちしてきた。
「こんばんは。この間世木くんとあまりゆっくり話せなかったから、今日こそぜひと思って。お邪魔だったかな?」
「……いえ…」
正直言って邪魔なのだが、田中の立場もあるし、面と向かってそうとは言いづらい。
伊吹達の戸惑いをよそに井雲は笑顔で伊吹の隣に座った。
「君たちよく来るの?」
「よくってほどではないですけど…まぁ時々打ち合わせの後とかに…なあ」
明らかに会話が止まってしまったのに、井雲は意に介さない。
「ねぇ、世木くん、連絡先教えてよ」
「えっと…田中さんが知ってますけど」
「うーん、じゃなくて。世木くんに興味があるから、直接教えて欲しいって意味なんだけどな」
キラキラの笑顔で言う。
女性だったら一発で落ちるんだろうな。
突然男を口説き始めた会社の上役に、田中は笑ってその場を取り繕った。
「あはは、副社長って男もいけるクチですか?でも、世木くんノーマルですよー、残念でしたね~………って、え?本気ですか?…あれ?でも副社長、アルファじゃ…え?あ、そういこと?…え、あれ?お前、そうなの?…あ、だから外山…」
最初、ふざけてるのかと思って笑った田中が、井雲の表情をみて、途中から会話のトーンを変えた。
『井雲と外山がアルファ』という情報から、即座に『オメガ』というキーワードにたどり着く。
血の気が引いた。
「アンタ…最悪だ……」
腹の底から唸るような声が出た。
「え、ちょっ……」
立ち上がり立ち去ろうとする伊吹の腕を井雲がつかむ。
「さわるなっ!!!!」
井雲の手を振りほどき、田中の制止を振り切って、店から飛び出した。
そこからどう帰ったのか覚えていない。
気がつけば真っ暗な部屋の中でうずくまって号泣していた。
普段だったら聞き流せていたかもしれない会話。
でも、ヒートの苦しさと、先日の井雲と外山の会話から、自分がオメガだと思い知らされて、深い自己嫌悪と絶望感に苛まれた。
*
「あー、まずったなぁ。そういうことかー」
田中は頭抱え、井雲は突然怒り出した伊吹に戸惑っていた。
追いかけたが、突き放され、途方に暮れた。
他の客が「何事か」とニヤニヤ噂しながらこちらの様子を伺っていたので、店を変えることにした。
夜だというのに、深夜までやっているチェーン店のカフェは混んでいた。
「えっと、田中くんは知らなかったのか?長く担当していれば、ヒートとかで締切遅れたりとか、仕事受けられない時期とかあっただろう?てっきり知っているものかと…」
「……いえ、あいつは今まで締切に遅れたことはありませんでした。…そっか、そういうことかー。あの、副社長、興味本位とか遊びなんだったらあいつには関わらないであげてくれませんか?その、部下とか関係なく、あいつの友人としてのお願いなんですけど…」
田中は、伊吹の話をした。
といっても、本人が自分のことをほとんど話さないから、田中から見た伊吹の話だったが。
既に家族がいないらしいこと。
人との付き合いには一線引いているが、田中の子供の話や兄弟喧嘩の話、普通の家庭の話をいつも楽しそうに聞いてくれること。
彼女がほしいと言いながら、積極的に探してる感じもなかったので、なんかワケアリなんだとは思っていたという。
「俺にはオメガの匂いとかわからないですけど…でも副社長の言うようにあいつがオメガなんだったら、相当な努力でそれを隠していたんじゃないですかねぇ…。
オメガってヒート来るから、進学・就職ってかなり難しいんでしょ?
採用にも『オメガ枠』って言うのがあるくらいだし。
でもあいつは奨学金で国公立の外大でて、そういった枠を使わずに就職していました。
フリーで働き始めたのは、体調を崩して居づらくなった、なんて笑ってはいましたけど…」
井雲は初手を間違ったことを痛感した。
常に自信に溢れている井雲には珍しい事だった。
その後の伊吹を調査して、更に自分の迂闊さを呪うのだった。
57
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
獣人王と番の寵妃
沖田弥子
BL
オメガの天は舞手として、獣人王の後宮に参内する。だがそれは妃になるためではなく、幼い頃に翡翠の欠片を授けてくれた獣人を捜すためだった。宴で粗相をした天を、エドと名乗るアルファの獣人が庇ってくれた。彼に不埒な真似をされて戸惑うが、後日川辺でふたりは再会を果たす。以来、王以外の獣人と会うことは罪と知りながらも逢瀬を重ねる。エドに灯籠流しの夜に会おうと告げられ、それを最後にしようと決めるが、逢引きが告発されてしまう。天は懲罰として刑務庭送りになり――
番解除した僕等の末路【完結済・短編】
藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。
番になって数日後、「番解除」された事を悟った。
「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。
けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
いい加減観念して結婚してください
彩根梨愛
BL
平凡なオメガが成り行きで決まった婚約解消予定のアルファに結婚を迫られる話
元々ショートショートでしたが、続編を書きましたので短編になりました。
2025/05/05時点でBL18位ありがとうございます。
作者自身驚いていますが、お楽しみ頂き光栄です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる