蜘蛛の巣

猫丸

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5.

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 目を覚ますと病院のベッドに寝ていた。
 腕に点滴の針が刺さっている。

「気づいたか?」
 
 ベッドの脇に井雲がいて、伊吹の様子に気づくとホッとした様子で微笑んだ。

「どうして…僕…ここは…」
「あぁ、点滴刺さってるから身体は動かすな。自宅で倒れていたから救急車呼んだ。その…極度のストレスと栄養失調らしい…」
「はぁ…」

 まだ頭が朦朧としていた。
 僕はどれだけこうしていたんだろう。

「俺のせいだな……その……この間は申し訳なかった。まさか、田中くんが知らないとは思わなかったんだ」

「………いえ、アルファの方には隠したい気持ちなんてわからないでしょうから」

 倒れる前の出来事を段々思い出してきた。
 謝られたところで、発した言葉は覆らない。
 知られたのが田中だからまだ良かったと思うべきか。
 この間は突然明らかにされてしまったバース性に、取り繕っていた仮面が剥がれてしまった。
 あんなに動揺したのは初めてだったかもしれない。

 田中は仕事の付き合いとはいえ、伊吹を気にかけてくれる唯一の存在であり、年の離れた大切な友人でもあった。
 田中といると世の中にうまくなじめている気がしてほっとするのだ。
 だからこそ知られたくなかった。

「あの…もう、大丈夫なんで一人にしてくれませんか?」

 少しずつ頭が働き始めた感覚があるが、さっき見た夢のせいもあってか、人がいると落ち着かない。
 身体の中の黒い闇がじわじわと広がり、自分を覆い尽くしそうな感覚。
 恐怖で叫びだしてしまいそうな感覚。
 そんな姿を人に見られたくなかった。

 闇に支配されそうな不安を必死にこらえて、別のことを考える。
 田中から来ていた着信を放置していた記憶がある。
 まだ仕事を回してもらえるだろうか。

 ぼんやり天井を見つめながらそんなことを考えていたが、ますます不安になり、鼻の奥がツンと痛くなってきて、目をつむった。

 相変わらず井雲は動かない。

「一人で帰れるから大丈夫ですよ?」

 なかなか、帰る気配のない井雲にしびれを切らして少し強い口調になった。

「あ、あぁ、そうだな。だが、すまん。ちょっと救急車呼ぶときに、世木くんの家のドアを壊してしまったんだ。一応、今、応急措置で締めては来てるけど。その…必要なものを持ってくるから、しばらくうちに来てくれないか?」

「……だったら、ホテル泊まるから大丈夫です…」

「いつ直るかわからないし……それに、医者からも体調管理を言われていて…俺のせいでもあるし…」

 井雲は体調管理と言葉を濁したが、本当は医者から精神的に不安定になっているから、しばらくは目を離すなと言われていた。

 そんなことを知らない伊吹は、すべてを持っているアルファの割に腰の低い人だ、と思った。
 もう僕のことなんか放っといてくれて構わないのに。
 そして、「アルファだから」「オメガだから」と区別しているのは自分も一緒か、と気づき自嘲気味に笑った。

 断る伊吹に、井雲はしつこく食い下がった。
 ベータに擬態して生きてきた仮面にヒビが入り、伊吹の心は自分が思う以上に弱っていたのかもしれない。
 それともこれがオメガはアルファに逆らえないと言われる所以なのか。
 通常であれば、突っぱねていたであろう提案だったが、断ること自体段々面倒になってきた。

「…わかりました」

 しばらくのやり取りの後、そう伊吹が返事すると、井雲の顔がほっとしたように笑顔になった。

――――この人はこの人なりにこの間の件を反省しているんだろうな。

 井雲が満足するまで、贖罪に付き合ってあげよう。

 井雲が伊吹の荷物を取りに一旦出ていった。
 必要な物を聞かれ、わずかな着替えと仕事のためのノートパソコン、伊吹の全財産である通帳だけお願いした。
 充電が切れていたはずのスマホは枕元にあった。
 井雲のものだろうか。伊吹のものとは異なる純正のケーブルで満タンに充電されていた。

 田中には連絡しなくては。
 これからも仕事を回してくれるかは分からないが、田中は巻き込まれただけだし、突然連絡が取れなくなったことを謝らなくてはいけない。

 携帯を再起動させると、田中と登録のない番号からたくさんの着信があった。
 登録のないものは、きっと井雲だろう。
 携帯の充電がなくなったであろうあたりの日付から3通のメールが届いていた。
 メールは伊吹の体調を気遣う田中からのものだった。
 田中にコールをすると、直ぐにつながった。

「世木くん、大丈夫か?」
「田中さん…ごめんなさい…その…ご心配おかけしてすみません…」

 小さい頃から誰かに心配してもらった経験のない伊吹は、何を言っていいのかわからず、でも田中の気遣い溢れるメールを思い出し少し目が潤んだ。

「副社長から聞いてる。倒れたんだろ?しばらくゆっくり休んで体力つけろ」
「すみません、もう大丈夫なんで、もし…まだ使ってもらえるなら、仕事回してもらえませんか?」
「お前、無理すんな!」

 電話の向こうで田中が少しきつい口調で言い、はぁーっと深いため息をついた。
 突き放された気がして、血の気が引く。

「いえ、あの、ホントいきなり連絡取れなくなって、本当にご迷惑をおかけしたと思うんですけど…これからはこんなことないように気をつけますので…」

 しどろもどろになった。
 田中には自分がオメガだとバレた。
 今までのように気軽に話すこともできなくなって、言葉尻が濁った。
 今までどうやって話していたんだろう。
 ベータになりきった自分はどんな風に振る舞っていただろう。

「馬鹿、そういうことじゃねぇよ。今後も仕事は回すけど、まずは体調戻せってことだよ。元気になったら、今回心配させた分もガンガン仕事回すから、覚悟しとけよ」
「田中さん……ありがとう…ございます…」

 田中の気遣いに再び涙が出た。
 きっと電話の向こうの田中にも、伊吹が泣いていたのがわかっただろう。
 最後は田中の声も少し涙声になっていた。
 身体の中にあった黒いもやが少し小さくなった気がした。

 電話を切ると、伊吹の荷物を持った井雲が現れた。
 話が終わるのを待っていたのだろう。

「いこうか?」

 退院の手続きをして、井雲の車に乗り込む。
 田中と話したことによって少し心が軽くなっていた。

 しばらく走ると井雲のマンションに付いた。
 ホテルのコンシェルジュのような管理人がいる高級マンションで、井雲がエントランスの自動ドアを入るとすぐににこやかに挨拶をしてきた。
 その管理人に「しばらく一緒に住むから」と伊吹を紹介すると、そのマンションの最上階の自分の部屋へと招いた。


 ◆


 それより少し前の話。
 伊吹が病院で治療をうけている間に、荷物を取りに行った井雲は、伊吹の部屋に入って戸惑った。
 最低限の物しかない生活感のない部屋。
 キッチンにはカップラーメンやレトルト食品しかなかった。
 頼まれたものをバッグに詰めたら、伊吹が住んでいた痕跡がなくなる。
 この部屋には伊吹の孤独が詰まっている気がして、元気になっても戻したくないな、と思った。

 頼まれた通帳を引き出しから出す。
 通帳と一緒に色あせた写真が1枚入っていた。
 男に寄り添い幸せそうに笑う、伊吹に似た顔。
 同じ引き出しの中に、伏せらせた遺影が入っていた。
 伊吹の過ごしてきた日々を思って、胸が締め付けられた。
 
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