バベルの塔の上で

三石成

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第一章 邂逅

一 ちから

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 足元まである窓から外を眺めると、日本のものとは段違いに青い空が見える。

 ここは、シドニーのシティセンターに聳えるオフィスビルの、最上階にあたる二十階である。眼下には整備された街並みが広がっており、ビル群の合間に目をやると、遠いながらも海面の煌めきを捉えことができた。

 実際、電車やバスに乗れば、有名なオペラハウスやハーバーブリッジを臨む港へはすぐに行ける距離だ。シドニーはオーストラリアでもっとも発展している都市だが、シドニーらしい都市部のエリアはこじんまりとまとまっている。

 私は生粋の日本人で生まれも育ちも日本だが、三年前からワーキングホリデーという制度を利用して、身一つでオーストラリアへ働きに来ていた。

「やあ、大和やまと

 呼びかけられて、見るともなしにぼうっと眺めていた景色から声のした方へと視線を向ける。そこには、オーダーメイドのスーツに身を包んだ長身の男性が立っていた。

 彼は、今日の仕事相手の一人である。栗色の髪に、洗練された短い髭を顎全体に蓄えている、コーカソイドのオーストラリア人だ。名前はスティーヴン。

 私の身長は百七十三センチと、日本の成人男性としてはごく一般的な身長だが、彼と比べると二十センチ近く低い。

「どうしたんだ? 心ここにあらずって感じじゃないか」

 スティーヴンの口から出てくるのは流暢な日本語だが、実際の彼は英語を話しているはずだ。ただ、私の耳にはこう言っているように聞こえる。これは比喩などではなく、文字どおりの意味である。

「すみません、もうすぐビザが切れるもので。このシドニーの景色もそろそろ見納めかと思うと、なんだか寂しさを覚えてしまって」

 彼の目を見ながら、私も日本語で返す。オーストラリア訛りの英語しか話せないと公言しているスティーヴンは、その私の言葉のすべてを理解する。

「なに? ビザが切れるって、大和はもうすぐ日本に帰ってしまうのか? それは困った。こんなに多くの言語を操れる優秀な通訳は、そうそう見つからないというのに」

 スティーヴンは大袈裟なほどに目を見開いて驚いたあと、私の肩に手を乗せた。

「もし大和が良ければ、うちの会社で君を雇わせてくれないか。そうしたら就業ビザを発行できるよ」

「そう仰っていただけると嬉しいです。ぜひ検討させてください」

 私の返事を聞いて、スティーヴンは満足そうに笑って頷く。

「もちろんだとも。社交辞令ではなくて本気で言っているから、ぜひ前向きに考えてくれたら嬉しいな。では、行こうか」

 スティーヴンはそこで話を切り上げると、目の前のモダンなドアを押し開けた。

 高級感が漂う会議室には、二人の男女が待っていた。二人の肌は黒いが、顔立ちは西洋的であり、ネグロイドとコーカソイドの両者の特徴を持っている。事前に聞いていた話によると、彼らはエチオピア人だということだ。

 お互いに顔をあわせて笑顔を交わすと、それぞれに握手をしていく。

「はじめまして、お目にかかれて光栄です。僕はスティーヴンです」

「はじめまして、お目にかかれて光栄です。彼はスティーヴン、私は通訳の大和と申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします」

 スティーヴンの言葉をなぞるように私が復唱すると、エチオピア人の二人ともが驚いたように目を丸くして私を見た。女性が口を開く。

「まぁ、あなたとっても綺麗なアムハラ語を話すのね、驚いたわ。中国人かしら。エチオピアにいたことがあるの?」

「いえ、私は日本人です。残念ながらエチオピアには行ったことがないのですが、さまざまな言語を習得するのが趣味でして。趣味が高じて、こうして通訳の仕事をしております。お褒めいただきありがとうございます」

 私はまた日本語で返した。さまざまな言語を習得するのが趣味というのは嘘だ。

「現地に行ったことがないのにそんなに流暢なアムハラ語を話せるなんて、すごいわ。多くの日本人が、頭が良くて勤勉だという話は本当だったのね」

 感心しきりといった様子の女性の言葉に笑っていると、席に座ったスティーヴンが問いかけてくる。

「大和。彼女はいま、なんて言ったんだ?」

「失礼いたしました。私の話すアムハラ語が綺麗だと、褒めてくださいました」

 この場で話されている全員の言葉を理解できているのは私だけだ。女性からスティーヴンに視線を移して説明すると、彼は実に満足そうに頷いた。

 私の耳には、全員が私の母国語である日本語を話しているように聞こえる。だが、それは私がそう知覚しているというだけの話であって、事実とは違う。

 スティーヴンは華やかな笑顔を浮かべ、女性へと話しかける。

「そうでしょう。彼は、僕が神から授かった最強の通訳なんですよ」

「私は、神から授かった最強の通訳なんですよ、と、スティーヴンは言ってくれています」

 他者が自分を褒める言葉を復唱するのは気恥ずかしいものだが、私が話さねば、スティーヴンの言葉は彼女たちには伝わらない。女性は楽しそうに笑った。

「本当に最強の通訳ね。私はアレム。彼はハイレよ。今日はアムハラ語で話せるから、楽にお話しできるわね。嬉しいわ」

「彼女はアレムさん。彼はハイレさんです。今日はアムハラ語で話せるから、楽にお話ができると喜んでくださっています」

 アレムと名乗った女性の言葉を、今度はスティーヴンに向けて私が復唱する。

「ええ、ぜひ気楽になんでも話してください。良い会議にしましょう。よろしくお願いします。アレムさん、ハイレさん」

 頷いたスティーヴンの言葉によって会話が仕切られ、そこから本格的な会議が始まる。

 この場で話されている言語は、常識的に考えれば英語とアムハラ語だ。通訳である私は、その二言語を巧みに操り翻訳をする必要がある。

 しかし、私はアムハラ語という言語があることをこの仕事が来るまで聞いたこともなかったし、エチオピアがどこにある国なのかも知らない。次々に発言する三人の言葉を、聞こえたままに復唱していく。ただの単純作業だ。私には会議で使われる専門用語の半分も理解できないが、耳に聞こえたまま言葉を復唱するだけなので、困ることはない。

 私の耳には、この地球上のあらゆる言葉が、私の母国語である日本語に聞こえる。また聞くだけではなく、話しかける相手に最も理解しやすい言語で話すこともできる。理由や原理はまったくもってわからないが、これは私が幼い頃より持っていた特殊能力だった。


 この尋常ならざる能力の存在に気がついたのは、私が五歳のときのことだ。

 テレビのニュース番組で、アメリカで起こった悲惨な銃乱射事件についての報道があった。その中で、事件の被害者遺族へインタビューをしているシーンがあった。私には彼らの言葉が日本語として聞こえていたため、内容をすべて理解することができた。

「この人かわいそうだね。子供が死んじゃったんだ」

 隣で共にテレビを見ていた祖母にそう感想を述べると、祖母はひどく驚いた。画面下に字幕は出ていたが、まだ小学校に上がる前であった当時の私に、漢字の混じった字幕が読めるはずがなかったからだ。

「大和、英語がわかるのかね?」

 祖母の質問に、私は素直に日本語として聞こえたことを伝えた。

 このことをきっかけにして、祖父母は私にさまざまな言語の映画を見せてくれたが、私にはそのすべてが日本語として聞こえていた。こうして私は、自分の持つ特殊能力の一端を理解する。

 このときから能力について他言しないようにと言い含められたため、すでに鬼籍に入っている祖父母以外に、私の能力について知っている者はいない。現在通訳として仕事に活用していても、周囲の者には『人並みはずれて多数の言語を習得している有能な人材』として理解されている。

 日本の山間にある小さな村に、祖父母と共に住んでいた幼少期の私にとっては、どんな言語でも理解することができるという能力は、たいした意味はなかった。そもそも辺りで使われているのは日本語だけであり、能力が発揮される機会すら存在しなかったからだ。

 能力について違和感を覚えはじめたのは、村から東京に引っ越し、中学校に上がって英語の授業がはじまってからだった。

 私の能力は、聞くことと話すことのみに限定されており、他言語で書かれた文章はいっさい読めない。英語の音を聞こうにも、すべてが日本語に聞こえてしまう私には英文をどう読むものなのかが理解できず、筆記は他の教科よりも圧倒的に低い点数を取った。それに比べ、ネイティヴスピーカーを取り入れた授業は楽だった。ただ日本語で聞こえる言葉に、日本語で返事をするだけで済むからだ。

 しかし周囲からしてみれば、筆記もろくにできない生徒が、ネイティヴと同じように突然英語を流暢に話しはじめるのは、奇妙な状態だった。当然、好奇の眼差しを向けられる。いろいろと質問されることに煩わしさを覚え、私はどの授業でも口を噤むことにした。

 結果的に英語関連の成績は地に落ちたが、卒業はできた。中学高校の友人で、現在まで交流のある者はいないが、もし彼らにいま私が通訳として働いていることを話したら、きっとひどく驚かれるだろう。


 つつがなく商談が成立したところで会議が終わり、出会ったときと同様に互いに握手をする。

「今日はありがとう。あなたは素晴らしい通訳ね。本当に良い仕事だったわ」

「お褒めいただき恐縮です」

 アレムに再度褒められ、私は僅かに視線を落とした。自分のしたことについて喜んでもらえるのは純粋に嬉しいものだが、私としては何一つ高度なことをしていないのだ。賞賛を受け取ることにはどこか後ろめたさが付き纏う。

「複数の言語を話せる人って『話す言語によって性格が変わる』って、よく言うじゃない? あなたは日本語を話しているとき、英語を話しているとき、アムハラ語を話しているときで、自分の性格が変わることを感じるときはあるかしら?」

 アレムに問いかけられ、一瞬戸惑う。なにせ、私自身には複数の言語を話している自覚がないからである。

 しかし、多言語を話す者と会話をしていると、話す言語によって彼らの性格が変化していると感じることはたびたびあった。性格が変わるというよりも、人格からして切り替わっているのではないかと感じるほどだ。私の耳にはすべてが日本語に聞こえるため、よりいっそう変化を感じやすいのだと思う。

 そして不思議なことに、自己認識としては一貫して日本語でしか話していない私自身も、他人から同じように指摘されたことがある。

「私自身の認識としてはあまり変化を感じることはないのですが、他の方からそのように指摘されたことはあります。英語を話しているより、日本語を話しているときの方が硬い印象がして近寄り難い、と」

 自分の話した言葉が他の言語でどのように聞こえているか、私には知る術がない。そのため、文化の違いなどによって致命的な誤解が生じないように、極力正しい日本語で丁寧に話すことを常日頃から心がけていた。自分のことを『私』と呼称するのもその一環である。そのあたりの正しすぎる言葉遣いが、日本語で話しているときは近寄り難いと判断される要因であろうという予測はできる。

「面白いわね。アムハラ語を話しているあなたは、とても紳士的で素敵な感じよ」

 アレムは魅力たっぷりに笑った。彼女は社交辞令とも本気ともとれる言葉を続ける。

「ぜひまたお会いしましょうね、大和。今度エチオピアを案内したいわ」

「はい。またよろしくお願いいたします」

 私としては精一杯の愛想笑いを浮かべたが、おそらく彼女から見れば『お堅い日本人の曖昧な笑顔』にしかなっていなかっただろう。

 改めて別れの挨拶をすると、アレムとハイレを残し部屋を後にする。ビルの下ではスティーヴンとも別れ、私は一人、最寄り駅へ向かった。まだ昼の三時だが、今日の仕事はこれで終わりだ。

 私はいま、通訳の斡旋をするエージェントに登録をして、そこから依頼のあった案件ごとに指示を受ける形で働いている。決まった勤務時間はない。私が扱える言語は多岐に渡り、また特殊だ。通訳一件の仕事に対し、予定を詰め込まなくとも余裕を持って生活できるほどの報酬が支払われていた。

 外にいても特にすることもないので、駅の地下にある、韓国人が経営している持ち帰り専門の寿司屋で巻き寿司のパックを買って帰ることにする。

 乗り慣れた電車で降り立ったのは、ハーバーブリッジを超えた先にある、都心部から少し離れた地域だ。庭木の美しい道を少し行けば、閑静な住宅街に、日本にあれば間違いなく豪邸と呼ばれるような大きさの一軒家がある。

 ここが私の住んでいる家だが、一軒丸ごと自分のものというわけではなく、一軒家の一部屋を借り受ける形のシェアハウスに住んでいるのである。十分な報酬をもらっているとは言え、シドニーの家賃は高い。

 玄関から大理石張りの廊下を通り、並んでいるドアの中の一部屋へと入る。部屋の中にはシングルベッドとデスク、椅子というごくシンプルな構成の家具が置かれている。家はシェアしているが、部屋は私一人で使っている一人部屋だ。

 荷物を置き、ネクタイを緩めながら、デスクの上に置いているラップトップパソコンを開いた。デスクトップ画面は無地のグレー一色で、置いてあるフォルダは『私用』と『仕事用』の二つだけになるように常日頃から整理している。

 部屋着に着替えてデスク前の椅子に腰掛け、ラップトップをいじりながら巻き寿司のパックを開くと、パックの中に直接、小袋に入った醤油を垂らす。アボカド、サーモンとクリームチーズが巻かれた寿司を割り箸で持ち上げ、口に咥えたところで、俺の視線が画面上の一点で止まる。

 オーストラリアに来てからほとんど使っていなかった、日本での私用のメールアドレス宛に、一通のメールが届いていた。

 アイコンをクリックしてメールクライアントを開く。表示された件名は『杉原真澄すぎはらますみだ。藁にも縋る思いでメールする』である。

 杉原真澄という名前には、覚えがある。中性的な響きのある名前だが、本人は勇ましい性格をした男性である。私が十一歳まで祖父母と住んでいた村で、一番仲の良かった友人だ。逆に、彼以外の村の人間をほとんど記憶していない。

 私は四歳で祖父母の元に預けられて以降ずっとそこで暮らしていて、真澄には村についたその日に出会った。しかし村を離れて以降は疎遠になってしまって、連絡を取ったのは二、三回ほど。しかも、すべてがメールでの近況報告のようなものだった。

 タッチパッドの上に指を滑らせ、メールを開いたところで、外からザァッと雨の降り出す音が聞こえた。先ほどまで快晴だったのだが、この国は風が強く、いつでもひどく天気が変わりやすい。

 画面上に表示されたメールの文面を読み始める。

『久しぶり。色々話したいことはあるんだが、単刀直入に要件だけを書く。

 俺はばあちゃんと一緒にまだ古鳥ことりに住んでるんだが、二日前、うちの庭に言葉のまったく通じない、俺らと同年代くらいの奇妙な男が迷い込んだんだ。俺も英語なら多少は理解できるが、そいつが話してる言葉が英語じゃないことは断言できる。倉田くらた先生によると、音の響き的にはどっかの少数民族の言葉なんじゃねぇかって話だ。

 身元のわかる身分証の類も持ってないし、駐在さんに相談してもどうしようもねぇってことで、いまはうちにそいつを置いてる。ただ、言葉が通じないからいろいろ問題があって、心底困っててな。大和が通訳の仕事をしてるって言ってたことを思い出して、こうしてメールをしてる。どうか俺たちを助けて欲しい』

 メールの末尾は、電話番号で締め括られていた。

 古鳥というのは、私が住んでいた穂地ほち村に隣接していた地区の名前だ。穂地村は、私が村を離れてから二年後にダムの底に沈んだので、穂地村に住んでいた人間は、ほとんどが古鳥に移住している。

 幼かったからか、私はあまり穂地村での日々のことを憶えていない。古鳥にはいっそうなんの思い入れもなく、このまま海外に拠点を置き続けるのならば、真澄とはさらに疎遠になっていくのかもしれない。しかし、助けを求める旧い友人を無視する気にはなれない。携帯電話を取り出すと、メールに記載のあった番号に国際電話識別番号をつけて電話をかける。

『はい、杉原です』

 と応答があったのは、三コール目が鳴り終わる前だった。別れたのが声変わりの前だったのだから当然のことなのだが、応答した声は記憶にある真澄の声よりも随分と低く、違和感を覚える。

「久しぶり、真澄。大和だ。メール読んだよ」

 私が名乗ると、携帯電話の向こうでハッと息を呑む音がした。

『大和ぉ! 久しぶり。電話くれて本当によかったぜ。メール届いたんだな。前回連絡したのが随分前のことだったからさ、お前のメルアドがまだ生きてるかどうか、正直賭けだったんだ』

 勢い込んで話される言葉は、興奮からか早口になっている。

 穂地村から引っ越して以来、私は一度もあの土地に戻っていない。引っ越しをした翌年に真澄から手紙が来て、これから穂地村がダムに沈むのだという知らされた。そこに記載されていたメールアドレスに返信をして、連絡先だけは辛うじて交換していた、という不義理な有様だった。限りなく薄い関わりだ。

「メールアドレスって、案外使い続けているものだな」

 真澄のハイテンションを軽く流して、私は本題に入る。

「それで、言葉の通じない人が、いま家にいるという話だったな」

『そうなんだよ! 見た目からして日本人じゃないんだよな。身長すげぇでかくて、百九十センチくらいあるんじゃねぇかな。話してるのが何語なのかすらもわからなくてさ』

「どこからやってきたのか、わからないのか?」

『話が通じないから、聞けねぇんだよ。でもどっかに帰ろうとかはしないんだよな。最初はどっか警戒しながらも普通の態度だったのに、だんだん不機嫌になってきて、昨日からはずっと部屋に引きこもってるし、顔も怖いし髪も白いし。ばあちゃんもすっかり怖がっちゃってて』

「髪が、白い? 脱色しているのか?」

 メールには、私たちと同年代くらいの男性と書いてあった。老化による白髪であるということはないだろう。

『なんも通じないから、そんなのわかんねぇって』

「それはそうか。すまない」

『トイレの場所と使い方だって、腕掴んで無理やりトイレまで連れて行って、身振り手振りで十分かけて教えたくらいなんだぜ。そのほかにも色々問題があってさ、ばあちゃんなんかストレスで夜眠れなくなったとか言って』

 真澄が愚痴をこぼす声からは、心底困りきっている様子が窺えた。

『大和にあいつの言葉がわかるかどうかもわかんねぇんだけど、頼れる知り合いが大和以外に思いつかなくて。あいつと会話ができないか、会ってたしかめてくれねぇか。少なくとも、どこのなんていう言葉を話しているのかだけでも知りたいんだ。大和の知り合いでその言葉を話せる奴がいたら、紹介してもらいたくて』

 大学を卒業して就職したときに、通訳の仕事をはじめたという話を真澄にメールでした覚えがある。だからこそこの話がやってきたのだろうが、彼は、私がいま日本を離れていることを知らない。いや、知っていたとしても、彼の困窮した状況では、同じく連絡をしてきただろうか。

「頼むよ、俺たちを助けてくれ」

 メールにも書かれていた言葉を、再度口頭でも聞く。私は一瞬黙ったが、断り文句を探しているわけではなかった。ただ覚悟を決めるように、息を短く吸う。

「わかった」

 承認の意を伝えると、携帯電話の向こうで、真澄が歓喜の声を上げるのが聞こえた。ふと、無意識のうちに表情が緩む。


 中学、高校、大学と、『英語』という外国語の教科に苦い思い出がある私が通訳の仕事をはじめることになったのは、完全に偶然の産物だった。

 私は三流大学の経済学部に入学した。勉学や研究へ熱心に励んだわけではなく、進級と卒業に足りる最低限の単位を取得するだけの大学生活を送った私は、そのままごく自然な流れで就職活動をすることになる。これといって特別できることもなく、私は『普通のサラリーマン』になるべく務める会社を探していた。普通に生活ができる給与が支払われるのならばどこでもよかった。

 だが、そのどこでも良いという態度がいけなかったのか、無愛想に見える容姿と硬すぎる雰囲気のせいか、私の就職活動は難航する。周囲の友人たちが次々に内定を決めていく中、どこからも採用の連絡が来ぬまま、私は僅か三ヶ月後に卒業を迎えようとしていた。

 そんな中、たまたま参加したグローバル企業の面接に、フランス出身の面接官がいた。彼は簡単な日本語ならば理解することができたのだが、私は、彼に向かってフランス語で話していたらしい。その話したフランス語がネイティブのように綺麗だということでいろいろと尋ねられ、能力のことを隠すためにさらにいろいろと嘘を重ねた結果、通訳として採用されたのだった。

 そうして晴れて社会人となってからも、私はどうも自分が間違った場所にいるように思えて、馴染むことができなかった。紆余曲折あって会社を辞め、今ではこうして日本を離れているが、それにしても私の生活は、全面的に自分の特殊能力に頼っている自覚がある。

 本来の通訳というのは、大変な仕事だ。まず、言語の習得は生半可なものではない。それに加え、専門用語の含まれる多種多様な会議の通訳をスムーズに行うためには、ただ『言葉を理解できる』、『言葉を話せる』というだけではなく、さまざまな学習や準備と訓練が必要なのである。

 しかし私は、他の通訳者が日頃からしている努力を、なにひとつとしてしていない。そして、努力もせずに得た能力の対価をもらうことには、後ろめたさがつきまとう。

 私はいつも、なにか重大な不正をして生きているような感覚を持っていた。

 今回の真澄からの依頼は、そんな中に降って湧いた使命のようだった。困っている真澄とその祖母を助けることが、なんらかのあがないになるような気がして。
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