バベルの塔の上で

三石成

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第三章 包囲

四 はじまり

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 公民館で開かれるという町内会の会合には、昨日と同様に私と真澄の二人で出かけることになった。五時からはじまる会合に合わせ、余裕をもって午後四時半には家を出た。

 ホゥロは日中眠り続けていた昨日から体調が悪いらしく、今日も私たちが家を出てくるときには寝ていた。いくら日除けの対策をしていたとはいえ、やはり炎天下に連れ出したのが悪かったのかもしれない。

「哲郎さん、本当に自殺したんだと思うか?」

 揺れる軽トラックの助手席に座り、外の風景を眺めていると、真澄が落ち着いた声で尋ねてきた。家で過ごしている時間の大半はそばに妙子さんもいるので、血生臭い話をするときは、自然と二人きりになれる車内を選ぶことになる。

「少なくとも、自殺ではないのではないか、と思うのだ。陰の民に殺された、か……」

 私がそう言って言葉を濁らせると、真澄が続けて問いかけてくる。

「自殺ではないなら、『陰の民に殺された』の一択なんじゃねぇの?」

「いや、哲郎さんが本当に陰の民の主人だったら、死んでいない可能性もあるなと思ったのだ。死の偽装だな。どこか別の場所に隠れたか、実はあの家の二階に潜んでいたのではないかと」

「哲郎さんが怪しいって思ったのは、あくまで俺の直感だぜ?」

「しかし、駐在さんが来るタイミングが良すぎたというか、早すぎた気がしないか? あそこに主人である哲郎さんが潜んでいて、彼を守るために、彼に要請されて、陰の民に乗っ取られていた駐在さんがやって来たのだとするとしっくりくる」

 真澄は小さく唸る。私と同じ予感を覚えていながらも、駐在さんもまた死んでしまったのだという可能性を考えたくないのだ。

「それに、哲郎さんの家の書斎にあった本を読んで、私は、私の能力が発現した原因に心当たりがあったのだ」

「なにが書かれてたんだ?」

 私は自分の唇を舐めて意識的に一呼吸置き、本で読んだ記述と、自分の幼い頃に河川敷であった記憶とを簡潔に話す。

「うーわ……それ、えっぐ……」

 極力生々しい描写を避けたにも関わらず、私が説明を終えると、真澄は沈みきった声を漏らした。相変わらず安全運転でハンドルを握って前を向いているが、どことなく顔色が悪くなっている。

「私も、自分が人を食べたのだとは思いたくはないが」

 私が言いにくそうに呟くと、真澄は慌てて言葉を挟む。

「あー、いや。大和に引いてるわけじゃないから。それは誤解すんなよ。むしろお前は被害者だろ」

「自分で食べたくて食べたわけではないから、そういうことになるかもな」

「うん……あれ? でもそれが陰の民を制御する力を継承したんだってことなんだったら、やっぱりアイツらの正式な主人は、お前なんじゃねぇの?」

 考えこみながら、私は自然と膝の上で両手を組んで、指を絡めるように動かしていた。

「力を継承した者が私だけとは限らない。むしろ、血筋から言えば正式な継承者である哲郎さんも食べていた可能性が高いんじゃないか、と思って。私にあれを食べさせたのが、穂地村を嫌がっていた一郎さんだったとして。穂地村に来たばかりの、西田家になんの関係もない子供に食べさせて終わり、という方が考えにくくないか?」

 私の推測を聞き、真澄がまた唸る。今度の唸り声は、先ほどのものよりもさらに長い。

 一度そこで会話が途切れると、私はまた窓の外へと視線を向けた。今日は空に分厚い雲が出ているので、全体的に景色が曇っていた。このところ、底抜けに明るい夏の晴天が続いていたので、ただの曇り空であるにも関わらず妙に暗く感じた。

 ふと、私の視界に見覚えのある黄色が飛び込んでくる。黄色の地に黒い文字で『立ち入り禁止』の文字がプリントされたテープが、道の脇に建つ家の入り口に張られていた。もちろん西田家ではない、別の民家だ。

「真澄、あの家……」

 規制テープの張られた家のことを問いかけるため、私は運転席の方を見た。その瞬間、運転席側の窓の奥にも、規制テープが張られている家を発見する。

「規制テープが張られてたか?」

 思わず言葉を途切れさせたままにした私の様子に、真澄が問いかけてくる。

「ああ。でも、あそこにもあるな」

 話している間も車は進んでいる。次の通りに差し掛かると、さらにその奥にも規制テープが張られた家が存在していた。

「実は俺もさっき、別の場所で一軒発見してた。こんな近所でなにか事件があって、噂の一つも聞いてねぇこと自体がおかしい」

 真澄の言葉を聞きながら、私は、昨日駐在さんと対面したときにも感じたのと同様の恐怖を覚えていた。


 軽トラックは間も無く公民館に到着する。

 公民館は平屋で、公共施設としては随分とこじんまりしている。しかし最近作られたばかりのようで、外観からしてとても綺麗だ。昔ながらの日本家屋が多い古鳥の中では、コンクリート造のモダンな作りは珍しく感じる。

 車を建物の前の駐車場に停めると、バリアフリーに配慮している入り口のスロープを通って中へと入る。受付のような場所を横目に見ながら、開かれたままのドアを通ってホールへ向かった。

 中にはパイプ椅子が並べられていて、すでに結構な人数が集まっていた。用意してある椅子の数的に、最終的に集まる人数は二百人程度だろうと思われる。古鳥全体をこの一つの会で賄っているので、町内会の会合としてはそこそこの規模がある。町内会に加入している人数が多いというよりも、会合への出席率が都会では考えられないほどに高いのである。

 私と真澄は入り口に近い隅の方の椅子に隣り合って座る。

 ホールの中を眺めると、確実に陰の民になっているとわかっている雄大さんと安倍さんが、最前列の席についている姿が見えた。彼らの席は他の椅子と向かい合う形で置かれている。つまり、私たち参加者の方を眺める形だ。町内会における運営側のポジションにあたるのだろう。

「あれ、真澄くん。今日は妙子さんと一緒じゃないのかい?」

 背後から声をかけられて振り向くと、そこにいたのは倉田先生だった。同じく振り向いた真澄が笑顔を浮かべて答える。

「ばあちゃんはこのところの暑さで体調を崩してしまったんですよ。今日は代わりに、大和を連れてきました」

「そうかい。一昨日なんて本当に参ってしまうくらい暑かったからね。お大事にと伝えておいてくれ。大和くんも今日はよろしくね」

「あ。はい、よろしくお願いします」

 倉田先生は挨拶を返す私に微笑むと、中央の通路を通って前へと向かった。そのまま雄大さんの隣に座る。倉田先生も運営側の人間なのだ。

 入り口からひっきりなしに参加者が入ってくる時間がしばらく続き、不意に入り口が閉ざされた。会合の開始時刻だ。

 マイクの電源が入れられ、倉田先生が話し始める。

「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。古鳥町内会の八月の定例会合をはじめさせていただきます」

 挨拶に呼応するように、パラパラと拍手が起こる。

「えーでは、まず今月の収支についてのご報告からです」

 それからしばらく、淡々とした倉田先生の言葉は続く。私はいままで町内会の会合というものに参加したことがなかったのだが、おそらくいつもの会合と特段変わりない内容だろう。二声が聞こえてくることもなく、会合はつつがなく進んでいった。


 私が異変を捉えたのは、会合が終わりに差し掛かったときだ。

「では、診療所の沢山さわやま先生よりお話があるそうですので、マイクをお渡しします」

 意見出しや質疑応答、決議を取るときなどに他の者にマイクがわたることもあったが、いままで一貫して司会進行を務めていた倉田先生が言うと、前の方の席に座っていた男性が彼の元へと近寄っていく。

 沢山と呼ばれたその男性は、歳の頃は五十代ほど。今日は曇りだとは言え、真夏に長ズボンとワイシャツをカッチリと着込んでいる。彼はマイクを受け取って軽く頭を下げると、話しはじめる。

「ご紹介に預かりました、沢山です。連日猛暑日が続いていますね」

 ——同胞たちよ。我は二日前の夜に、主様の御声をこの耳で直接聞いた。

 沢山先生本来のものであると思われる、凛と響く声に、低く嗄れた声が重なる。二声だ。この会合でなにかがあるだろうとは予想していたものの、久しぶりに聞いたその不気味な声に、私は全身の毛が逆立つのを感じた。

 二日前の夜と言えば、ちょうど真澄が陰の民に襲われかけた夜のことだ。

「皆様には熱中症に気をつけていただきたいのですが、このところ、古鳥内で精神的な不調に悩まされているかたを多く見受けます。どうか一人で悩まないでください」

 ——主様は穂地を滅ぼした者たちへの復讐を望まれている。主様との誓いをまっとうすることが我らが使命。古鳥に住まうすべての者を、根絶やしにするのだ。

 沢山先生のそこまでの言葉を聞いて、周囲の出席者の何人かがそれぞれに囁き合いだした。彼らの会話には『自殺』という単語が含まれている。おそらく、ここに来るまでの間に見た規制テープが張られた家は、すべて自殺ということで処理されているのだろう。

 沢山先生のアナウンスは続く。

「もしなにか相談事がありましたら、お気軽に診療所にお越しください。以上です」

 ——今夜八時に流す町内放送を合図に潜暗夜を決行する。同胞たちよ、奮起せよ。

 決定的な号令を発して言葉は締め括られ、マイクが置かれた。その途端、ホール内に大音量の拍手が巻き起こる。

 健康についての軽いアナウンスをした診療所の先生へ送るには、異常なほどの熱量を持った拍手である。つまり、いま真っ先に拍手をしはじめた者たちは、二声で話された決起の掛け声を聞いて反応していた者たちだ。彼らの人数は、ホールにいる者たちの五分の四以上を占める。

 出席者のごく一部の者たちはギョッとしたように周囲を見回してから、周りの人に合わせるように拍手をする。なにもわかっていない人の方が圧倒的に少ない。

 その事実を認めて私は半ば放心し、深く俯くと両手で頭を抱えた。成り代わられた人の広がり方と、展開が早すぎる。ことはもはや、潜暗夜を止めるという段階にはない。決起の夜は数時間後に迫っているのだ。

「真澄、いくぞ」

 勢いよく顔を上げた私は真澄の腕を掴み中腰になって立ち上がると、極力目立たぬようにホールを出た。

 無言のままに軽トラックに乗り込むと、私の様子を見てなにか事情ああることを察し、わけがわからないままに黙ってついてきてくれた真澄が問いかけてくる。

「どうしたんだよ。この会合で、陰の民の奴らの情報交換があるんじゃなかったのか?」

「もう、終わったのだよ。さきほどの拍手、真澄も違和感を覚えたのではないか」

「ああ……まぁ、妙だなとは思ったよ。あんな熱烈な拍手するようなタイミングではなかったからな。沢山先生って大切な診療所の先生ではあるけど、そんなに人望が厚いってタイプではないし」

 真澄の言葉に私は頷く。

「あのとき沢山先生が二声で言っていたのは、今夜の八時に流れる町内放送を合図に、潜暗夜をはじめるという通達と、仲間たちへの鼓舞だよ。真っ先に拍手を送っていた人たちは、まず間違いなく、神語で話されている言葉の方を聞いていた。つまり、陰の民にすでに乗っ取られた人たちだ」

 私と同じ光景を見ていた真澄には『拍手を送っていた人たち』という人数の多さがすぐに理解できたようだ。先ほど私が感じた衝撃を少し遅れて体感し、目を見開く。

「今夜の八時からだって? あと二時間しか猶予がねぇじゃねぇか」

「ああ。潜暗夜が実際にどのような手段で行われるかはわからないが、ここまできたら作戦を止めることを考えるより、自分たちの身の安全を優先して確保すべきだ。妙子さんとホゥロを連れて、古鳥を出よう。とにかく、今夜は古鳥にいない方がいい」

 私の言葉を聞き、真澄はなにか反論すべく咄嗟に口を開いたが、言葉が見つからなかったようだ。口を一文字に引き結び、覚悟を決めた様子で軽トラックのエンジンをかけた。


 往路よりもずっと早く家に帰り着いた私たちは、説明もそこそこに、すぐさま妙子さんとホゥロを家から連れ出した。現在時刻は午後六時を過ぎたところだが、まだ日は出ている。ホゥロにはまた、農業用の帽子とサングラスを装備してもらって凌いでもらうことにする。

 軽トラックの座席は二人分しかないので、私とホゥロは荷台に乗る。取る物も取り敢えず、身の回りの荷物だけを持って出発した。

「ホゥロ、体調はどうだ」

 古鳥から離れるべく走り出した軽トラックの荷台の上で、隣に座るホゥロに問いかける。彼はキャビンに背を預けつつも、日を避けるために体を前に屈めて小さくなっている。

「体に熱がこもっているようで、少し怠さを感じるだけです。ご心配には及びません」

 話を聞く限り、軽い熱中症と言いたいところだ。しかし、ホゥロの見た目は人間と大差ないとはいえ、生涯を地下で過ごす陰の民の体と、私たちの体を同じようなものとして軽視することはできない。

「心配はするさ。加藤さんの家から帰ってきて以来、ずっとまともに話せていなかったからな。無理をさせてしまった……いまも、させている最中ではあるが」

「いえ、無理などしておりません。我も連れて行ってくださると仰っていただけて、嬉しいです」

「連れて行くに決まっているだろう」

 なにを当然なことを言っているのかと返事をすると、ホゥロは顔をあげて私の方を見た。いまの格好では表情がほとんど隠れてしまっているが、目元の様子で彼が微笑んでいることはわかる。

 会合から急ぎ家に付き古鳥を出ると告げたとき、ホゥロは、

「主様が行かれるのでしたら我も行きます」

 と即答したのだ。もし仲間と離れることを嫌がるようであれば置いていくつもりだったが、本人にその気がないことは態度からして一目瞭然だった。

「しかし、突然の出立でしたが、会合でなにがあったのですか?」

「今夜の八時より町内放送を合図にして潜暗夜をはじめると、通達があったのだ。会合に来ていた人たちは、もうほとんどが成り代わられた後だったよ」

「なるほど。情報の通達ではなく、作戦開始の号令でしたか。想像していたよりも早かったですね」

 相変わらず落ち着いているホゥロの言葉に頷く。

「ここまで来てしまっては、もはや作戦は止められないと判断し、自分たちの身を守るために、とにかく古鳥を離れることにしたのだ……ホゥロは、どう思う」

「なにがですか?」

 改めて問い返されて、自分の中にあった迷いを感じながら私は声を小さくする。

「……他の者に警告をすることもなく、連れてくることもなく、自分たちだけ逃げることについて」

「正しいご判断だと思います」

「本当にそう思うか?」

「はい。警告をするにしても、連れてくるとしても、誰が陰の民になっているかわからない状況で、不用心に声をかけることはできませんでしょう。古鳥の人間のすべてが滅ぼされる夜に、身内だけを連れて外に出るという判断を下されるのは当然のことです」

 ホゥロに出会ってから、彼が私の言動に対して批判的なことを言ったことは一度としてない。ホゥロに肯定されたからといって、その言葉は彼の本心とは違うかもしれない。しかし冷静な声で行動を肯定されると、罪悪感で満ちていた心がどこか救われた気がした。

 そのまましばらくは会話もなく、キャビンに背を凭れさせたまま車の振動に身を任せる。悪路に揺れる軽トラックは、空港から古鳥にやってきたときと同じ道を逆行して走る。田畑の間を抜けていた道が次第に森の中へと入り、背の高い木々が茂ってきたことで、道が翳っていることが多くなった。

 ホゥロに慰められたとはいえ、多くの住民を見捨てたことに対しての後ろ髪はまだ引かれている。しかし、こうして周囲に民家がなくなり、いよいよ古鳥を脱出するのだと思うと、ここ数日ずっと感じていた重圧から解放されるような気もした。

 私がゆっくりと目を閉じた、そのとき。

 軽トラックが道の途中で不意に停まる。このような場所に信号などあるわけもない。

「なんだ? いったいどうし……」

 運転している真澄に問いかけるため、荷台の上で振り向いて進行方向を確認し、返事を聞く前にその理由を理解する。

 道の先にあるトンネルの入り口が完全に崩落していた。
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