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「あなたのために頑張ったんじゃあないです」
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しおりを挟むその華は、清涼な透明感と深い漆黒の艷やかさを併せ持ちながら、何とも言えない色香を放つ。
艷やかさはその黒髪から。
そしてまとうシンプルな形ながらも複雑な刺繍と帯の結びをされたドレス。
そして何よりも彼女を印象付けるのは――その妖艶な流し目。
縁に紫の彩りをつけたその瞳は、そっと伏せられながらもなんて煌めくのだろう。
その漆黒の宝石は妖艶でありながら、気高く美しい。漆黒だからこそ引き込まれるように。
彼女を彩るのはたったの二色。
髪を飾る銀細工と紫水晶。
そして目尻に引かれた紫の色。
ドレスも銀と紫で明らかにシンプルだ。
けれどもそれだけが。
シンプルだからこそ、偽りも誤魔化しもなく。
その漆黒を。
彼女の髪こそが何よりも――黒いのに、鮮やかとしか表せないほどで。
その漆黒の艶めきが彼女をあでやかに煌めかせる。
艷やかな黒髪には繊細な銀細工の髪飾りが揺れる。彼女が動くたびにシャラシャラというそれが奏でる音も、彼女の彩りの一つ。
黒と銀が彩る世界に、紫水晶が輝きを添えて。
ほっそりとした影のようでありながら、微笑めば淑やかな花のような。
そんな不思議な少女――いや、美女。
あどけない少女のような雰囲気でありながら、その細められた瞳のなんて妖艶な。
その夜。皆の注目を集めたのは、一人の令嬢だった――その影さえ麗しい黒い華の。
ジェイラスはその華の名前を聞いて――。
帝国からの貴人を招いての王家の夜会の、一週間前。
ジェイラスは家族と共に呼び出されていた。
それは婿入り先のフランター伯爵家に。
同じ伯爵位を頂いてはいるが、田舎の辺境伯預かりのディーラー伯爵家だ。長く自らの力で王都にて爵位を繋いでいるフランター伯爵家には気後れもする。
宮廷貴族を「領地をもたない」と馬鹿にするものもいるが、それは相手にもよる。
フランター伯爵家はその外交力で国の力となっているのだ。そのような言葉を投げつけたら、周りから石を投げられるのは自分の方となる。
それを理解しているディーラー伯爵は、送られてきた手紙に震えるしかなかった。
「婚約の解消を」
手紙にはそう記されていた。
「何かの間違いでしょう。悪戯か、もしくはフランター家とディーラー家の仲を裂きたい他の家が……」
慌てて王都にきた伯爵は、息子のジェイラスの落ち着いた様子に「そんなこともあるの!?」と驚愕した。都会は怖い。
妻は手紙に驚いて倒れてしまったから、慌てて後を長男に任せて単身駆けつけたのだ。
けれども――。
「ええ、ご子息とは婚約の解消を」
間違いでも悪戯でもなかった。
「な、何故ですか……」
フランター伯爵は息子を気に入ってくださっているとばかり。つい先月までの挨拶のお手紙は親しみばかりだったのに。
愕然とするディーラー親子に、フランター伯爵は自嘲の笑みを浮かべた。
「これは私も人を見る目がなかったと反省していてね」
だからこその、解消。
当の娘からそれで良いと言われたのもある。
「私は君を買っていたのだが、何よりも妻が怒っていてね」
そう、妻には怒られた。
美貌誇るフランター伯爵夫人だ。伯爵がベタ惚れであると皆は思っているが、実は伯爵夫人もベタ惚れの相思相愛の間柄。
その夫に似た愛しい娘を――侮辱された怒りよ。
「妻は破棄にして慰謝料も取るべきと言うのだけれど……娘が、ジェイラスくんの未来を潰すのはとなだめてくれたよ」
「は……?」
夫人が怒っている?
それはいったいと首を傾げたディーラー伯爵は、見せられた報告書に目眩を起こした。
それは息子がフランター伯爵令嬢へと――婚約者へと向けて告げた言葉の数々。
頑張れ――だなんて。
しかも、鏡――!?
なんて上から目線。
しかもお嬢様の顔立ちや黒髪をそんなにも貶していただなんて。
自分の息子が王都に来てから容姿を褒められているのを知っていたが、こんなに天狗になっているとは。
それは田舎にて祖父たちに軟弱だと言われ育った反動と後に判るが――それでも。自分がされて嫌だったことを年下の婚約者にしてよいはずがない。
「兄を見倣え」
――それを。
ディーラー伯爵は息子がわからなくてなんども書類を見返した。
本当に、こんなことを――?
「夫人を……見倣え……?」
目の前にいるフランター伯爵にお嬢様はそっくりなのに。子が親に似るのは当たり前。それが片側にだけにもなりもしよう。
ジェイラスだって金髪碧眼なのは、たまたま自分たちの先祖がそうだっただけ。顔立ちが良いのは偶然の産物だ。
伯爵夫人がここにいない理由も察した。
怒りのあまりに顔すら合わせたくないのだ。自分に賛辞を贈り、愛娘を貶す男が気持ち悪くもあったのだろう。
王都に送り出した息子からの手紙には、婚約者とは――婚約者の家族とは上手くやっているとあった。
フランター伯爵に良くしてもらって尊敬していることや、伯爵夫人の素晴らしさを綴っていた。
自慢の息子だったから、彼からの手紙を信じてしまったのが。
「フランター伯爵ご夫妻は自分を頼りになさっている。不出来なお嬢様の代わりに自分が伯爵家を継ぐことを望まれている」
妻が息子からの手紙に、「これ本当に……大丈夫かしら……」と不安にしているのをもっと取り合えば良かった。
妻が倒れたのも、申し訳なくなった。彼女は息子を育て間違えたことに思い至ってしまったのだ。
ここに来るまで暢気にしていた自分と違って。
「こ、これは……その……」
婚約者との語らいを記録されていたことにジェイラスは驚いて。
伯爵家で会うばかりだったから、いつも侍女が何人も控えていたと思い出す。未成年の男女二人だし、婚約者は伯爵令嬢だから当然の配慮だと思っていた。自分もフランター家に婿入りしたら、このように侍女や執事を侍らすのだと――。
「ですが、リーシャ嬢も母君のようになりたいと思われていたはずです! だから頑張れと応援……」
「だ、だだ、黙れ」
ディーラー伯爵は急いでその口をふさいだ。それで良かった。対面するフランター伯爵の目が薄っすらと開いている。
薄っすらと――刺すように。
「お前はもう、黙りなさい」
父親は理解したかと、フランター伯爵の目線が和らいだ。少しだけ、だが。
「君のそういう前向きな姿勢は、嫌いではなかったよ……」
「は、はい……」
明後日の方向に前向きだとは思わなかったと、さすがに大人なフランター伯爵は飲み込んだが。
彼の自信にあふれて前向きな性格は、時に内に向いがちな娘を良い方向に引っ張ってくれると期待しての婚約だった。それが逆に娘を傷つけてしまった。
幸い、娘には良い友人がいたから――。
「婚約が無かったことにはなったが、君の進路が外交方面であるならば、また部所などで会うこともあるかもしれないね?」
解消としてくれたのは温情だった。
こちらには何も慰謝料もいらないと言われたし、ジェイラスの進路を邪魔する気もないと言われた。
会ったら、挨拶くらいはしよう、と。
もともと、婚約を結んだだけでフランター家からディーラー家に援助などを頂戴していたわけでもなく。そうした擦り寄らない姿勢に、フランター伯爵はディーラー家には悪い感情はなかったのだから。ジェイラスの学費や王都での生活費も、別に婚約者だからとフランター家に頼ったりもなかった。
ちゃんとしている家なんだよな、と……フランター伯爵はだから婚約を結んだ時のことを思い出す。
ただ、息子の人間性の教育だけが致命的だった――自分の見る目がなかった。それだけを反省なさり。
「試験、頑張りなさい」
「はい!」
そこで何故元気に返事ができるのか。父親は息子がわからなくてぎょっと見るしかなかった。
父親は「大丈夫だから」とやけに自信のある息子を信じたりしないで、その時に田舎に連れて帰れば良かったと後悔した。
自分の息子は人間性に致命的と指摘されているのだから。それで婚約を破棄されたのだから。
――そんな人間を、国が雇うわけがない。
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