吸血鬼は愛を語る

はつしお衣善

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また別の吸血鬼

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 三月も中旬に差しかかった。冬の厳しい寒さもようやく和らいだかと思えば、寒冷前線が勢力を増し、再び真冬のような気温に下がった。桜の開花は当分、先の話になりそうだ。ラルゴの街はさみしそうに木枯らしが吹いている。
ノエルは相変わらず夜空の散歩を楽しみ、私は街の散策と読書に耽った。時には私も彼女と夜空を飛んだ。殺人欲はあれ以来、影を潜めている。時間は緩やかに流れ、変わらぬ日常を繰り返す。それが心の平穏となる私にとっては、いまの生活は充分に満足できるものだった。だが、吸血鬼に成り立てのノエルには、その日常が少し物足りない様子だった。
「毎日毎日、同じことの繰り返しで、なんだか退屈ですね」
「これが吸血鬼の日常だ。それに、人間とどこが違う」
「ああ、そう言えば人間のころもそうでしたね」
 ノエルは不本意ながらも納得したようだった。
「ヴィーには、将来の夢とかないんですか? 人間には、大なり小なりそういうものがありますけど」
 夢、か。考えたこともなかった。だが、それは人間だから持てるものだろう。未熟に生まれ、時間を重ねて成長し、大成する。だからこそ夢が持てるのだ。一方で、私たち吸血鬼は成長できない。完結した能力では、可能性が現段階を超えて広がることはない。夢というのは、未知なる力に期待する可能性なのだ。
「夢とは少し違うかもしれないが、望みならある」
「それはなんですか? あたしにできることなら、お手伝いします」
 私はノエルの質問をはぐらかし、煙に巻いた。口にするのは憚られる。私はいまのままを生き、ノエルとともに不老不死の道を歩みたいと願っていた。
 ――しかし、吸血鬼に変化は起きないが、周囲の環境は常に変わり続けているものだ。
その日もいつもと変わらぬ一日の始まりであったが、ノエルと夜空の遊泳を終えて住処に戻ると、すぐに異変に気がついた。私とノエルの棺の蓋が開けられ、床に落ちていたのだ。たしかに起きてから閉めたはずだ。日課をふたりとも忘れるはずがない。
「誰かきたんでしょうか?」
 それ以外、考えられない。問題は誰がきたか、である。人間ならば対処は簡単だ。魔眼の力でここには二度と来ないように恐ろしい幻覚を見せればいい。だがほかの突発種の場合は少々ややこしくなるかもしれない。そして一番の問題はエクソシストだ。もし彼らに見つかっているとすれば、事態は最悪の結果を招く。
「どうしましょうか……」
 私が険しい表情をしていると、ノエルが不安げに覗き込みながらたずねた。
「エクソシストはこっちの力を念入りに計って襲撃する。それも長期的な調査だ。突発種は成長しないから、調査過程での力の変動はない。時間的猶予は無限にあると言っていい。正確に相手の力を計り、それを上回る装備を調達して万全な状況で浄化に挑むんだ。エクソシストの姿を見たら、例外なく逃げなければならない理由はここにある。やつらが力を計り間違えない限り、確定した敗北があるからな。――以上のことを踏まえると、このやり口はあまりに杜撰だな。エクソシストなら、こんなにわかりやすい痕跡は残さないだろう。もし、準備段階で気取られるようなヘマをすれば、眷属を増やすなり、囮を使って逃亡するなりの対策を打たれるからな」
 そこまで説明すると、ノエルは安堵のため息をついた。
「だが、油断は禁物だ。万が一ということもある。それに闖入者が突発種であれば、それはそれで厄介だ。殺されることは当然ないが、それ以上のむごい仕打ちを受ける可能性もある」
 するとノエルは再び身を固くした。彼女ほどの魔性ならば、不意を突かれたところで後れを取ることはそうそうないが、用心に越したことはない。私はノエルに充分に注意するよう促し、手分けして病院内を調べることにした。
 私が一階を調べていると、上階から何かを破壊するような大きな物音がした。ノエルには二階の調査を頼んでいた。そこよりさらに上の階――最上階か。私は急いで最上階の六階を目指した。二階というアドバンテージに加え、ノエルの身体能力だ。彼女に追いつけるはずもない。だが、私は変身能力で瞬時に霧となり窓から外に出て、六階の窓の隙間から建物内に侵入した。
 その暗い廊下には五人の人間がいた。一人ひとり、手には懐中電灯を持っている。そのうちのひとりは、鈍器を持っていた。どうやらさきほどの物音は、鍵のかかった扉を無理やり開けた音らしい。人間たちを挟んだ向こう側には、ちょうどノエルが階段から上がってきたところだった。人間たちは突然現れた私たちに驚き、息を呑んでいる。
「何やってんのよ、あんたたち!」
 ノエルは自身のテリトリーを侵され、怒りをあらわにした。彼女は走り出し、とめる間もなく人間たちの目の前まで近づくと、ひとりの人間の胸ぐらをつかんだ。彼らは例によって、ノエルの魔性に当てられ、恐怖におののいた。それも以前、実験的に行った時と違い、彼女は明らかな敵意を向けている。その魔性は人間たちにとっては強力な呪いとなるだろう。
 人間たちがショック死する前に、私はノエルの身体を抱きかかえて彼らから引き離した。
「まったく、暴走するなといつも言っているだろう」と私は叱った。
「ご、ごめんなさい」とノエルは謝る。
 ノエルをその場にとどまるように命令し、私は人間たちの容態を診にいった。全員気絶しているが、命に別状はなさそうだ。だが、心的外傷の具合はわからない。
「さて、どうしたものかな」
 私はひとりごちた。気絶した彼らを適当な場所に放置すればいいので後処理は簡単なのだが、問題はほかにある。私が思案していると、ノエルが「どうですか」と、廊下の端で呼びかけた。すでに意識がないので、もう魔性の影響は受けないだろう。私は彼女をこちらへ呼び戻した。
「こいつらを見てみろ。何か共通点はないか?」
「えっと、特にないように思います。男女で、身なりも違えば年齢層も違いますね。こっちは学生みたいだし、こっちは課長さんって感じ」
「そう、共通点がないのがおかしいんだ。共通の人間関係であれば、話の流れで肝試しをすることになり、たまたまここが選ばれただけだろうが、こいつらは明らかに違う。元からこの病院が目的で集まった連中だ。共通点があるとしたら、この病院だろう」
「どういうことでしょう」
「おそらく、こいつらはインターネットの掲示板で集まったんだろう」
 社会的関係性のない人間たちが同じ趣味嗜好を共有し、手軽に情報交換ができる、便利な文明の利器だ。それはインターネット内にとどまらず、実際に会って意見交換をすることもある。それを『オフ会』というらしい。知識としては知っていたが、顔も知らない人間と集まろうなどと、そう頻繁にあることではないと油断していた。
「ネット……そっか。ちょっと待っててください」
 と言って、ノエルは下の階へ降りた。少し待っていると、彼女は携帯電話を片手に戻ってきた。それから彼女は、手のひらに収まりそうなほど小さく、薄い携帯電話を操作し始めた。インターネットはPCだけでなく、携帯電話からも接続ができる。むしろ、いまとなっては携帯電話から接続するほうが主流かもしれない。
「そいつはまだ使えるのか?」
「ええ。ヴィーが発電機を設置してくれたおかげで充電もできるし、料金もお母さんの講座から自動引き落としされますからね。……ありました。これです」
 ノエルは私に液晶画面を見せた。しかし、日本語で書かれているようだが、私には何がどう書いてあるのか理解できずにいた。いわゆるネット用語というのも多用されているようだが、それだけでなく地名やハンドルネームも多分に記載されているので、私には一層に理解しがたく見える。なんとなく、私はナポリの空港の電光掲示板を思い出した。
「簡単に説明すると」私がしかめっ面をしていると、ノエルが助け船を出した。「どうやらこの病院がオカルトスポットとして、地元で有名になってきたみたいなんです。廃墟なのに物音がしたとか、明かりがついたとか。……空に浮かび上がる幽霊の目撃情報もあるみたいですね。これ、あたしかも。すみません」
「私の可能性も充分にある。気にするな」
 この手の噂は尾ひれがついたものが多いのだが、中には真実もあるだろう。
「あと……何より不可思議なのが、病室に棺がある、という書き込みもありますね。いったいいつの間に来たんでしょう」
「夜中は留守にしているからな。その時だろう」
 有名になってしまったことも問題だが、それ以上に『棺』というワードは致命的だ。普通の人間なら病院から死を連想し、それから棺を連想できるのでそこまで違和感はないかもしれない。誰かのいたずらと思うのが関の山で、吸血鬼の存在は浮かばないだろう。しかし、エクソシストは別だ。やつらならすぐに棺と吸血鬼を結びつける。
 決断するならいますぐだ。少しの迷いが死につながる。ここの暮らしは悪くなかったが、背に腹はかえられない。逡巡など皆無だ。即座にここを離れよう。
「ノエル、身支度を整えるんだ。すぐに新居を探す旅に出るぞ」
「――わかりました」
 ノエルは私の様子を察し、迅速に準備を始めた。とは言え、手荷物は少ないほうがいいので、準備することはあまりない。必要ないものや、発電機のような大きなものは置いていくことにした。
 私たちは必要なものをそれぞれの棺に入れ、屋上に上がった。空を見上げると、星がきれいに瞬いている。急な出立だが、旅立ちにはいい日だ。
「担いだままでは、まだうまく飛べないだろう。ノエルの棺は私が持つ」
「ありがとうございます。でもふたつは抱えにくいんじゃないですか?」
 私は手品師のように手のひらから無数のコウモリを出し、それらでふたつの棺を持ち上げさせ宙に浮かせた。
「これでいいだろう」
「相変わらずお見事です」
 私たちは羽ばたき、ゆっくりと屋上から空に飛んだ。私はすでに遠くの大地を見据えていたが、ノエルはずっと街を見下ろしていた。ラルゴの街は、まだところどころに明かりがついている。ここは彼女にとって生まれ育ち、そして生まれ変わった土地だ。ちょっと立ち寄った程度の私とは違い、思い入れもあるのだろう。
「行こうか、ノエル」
 このままではずっとこの場から離れられそうにないと思い、私はノエルの手を引いた。握った彼女の手に、初めは力が入っていなかったが、やがて私の手を握り返した。
「はい。行きましょう」
 ノエルの目じりには光るものがあった。私はそれを見て見ぬふりをして、飛行速度を上げた。次はもっと住み心地のいいところを探してやらないとな、と私は思った。上空は身も凍るほど寒い。私はノエルに自分の上着を羽織ってやった。
「ありがとうございます」
 そう感謝するノエルは、悲しみを見せないよう健気に笑っていた。初めての旅に不安もあるのだろう。私は足並みを揃え、ゆっくりと羽ばたいた。
 ――それを地上から監視する目に、私は最後まで気づかなかった。

   ◆

 私とノエルは北上を続けた。なかなか住み心地のよさそうな住処は見つからない。気づけば二週間も時がすぎていた。私たちは空き家や山小屋、時には洞窟で寝泊まりする日々をすごしていた。私は慣れたものだが、ノエルは精神的に参っているようだった。口数は少なくなり、その少ない会話も無理をしているのが伝わった。それでも、わずか数か月で退去せねばならないような中途半端な住処は選べない。旅はまだ続く見通しだ。
 四月に入った。まだ夜は冷える時期である。ここらの桜は、まだ当分開花しそうにもない。そんな中、私たちはようやく条件に合いそうな建物を見つけた。人里からは充分に離れている。山の中腹にある廃レジャー施設だ。
 かつては賑わい、人々の声が絶えなかったのだろうが、いまとなっては植物に浸食され、閑散としている。廃墟マニアというのはどの国にもいるものだが、この廃レジャー施設へつながる道路は土砂崩れによって塞がれている。徒歩でたどりつくのは困難だろう。それに加えて、その道路もこの施設へ来るだけのために作られたもののようなので、復旧する見込みも当分なさそうだ。
 私たちは地上へ降り、敷地内を散策することにした。コミカルなタッチのキャラクターの看板が私たちを迎えた。どうやらモデルはウサギのようだが、至るところが錆びており、おどろおどろしい化け物のようだった。ほかの遊具――コーヒーカップやメリーゴーラウンド、ジェットコースタの線路にも蔦や蔓のような植物が絡みついている。閉園して随分と時がすぎているようだ。
 濁りきったプールを横目に、私たちは移動した。小規模な広場の向こうには、宿泊施設が併設してあった。寝泊まりするならここ以外ないだろう。アーチの門をくぐり、中へ入る。月光が窓から差し込み、室内をぼう、と浮かび上がらせていた。ロビーにはものひとつ落ちていない。意外と中はきれいなものだな、と私は思った。一つひとつ、客室を覗いてみる。そこは寝具がほこりをかぶり、天井が落ちている部屋もあった。
「妙だな……」
 部屋を見て回るうちに、私は違和感を覚えた。なぜロビーと違って客室はこんなにも荒れ果てているのか。……いや、逆だ。数十年と放置された施設だ。荒れていないほうがおかしい。ロビーがきれいすぎるのだ。
 ここに誰かがいるのか。共有スペースであるロビーや廊下は掃除され、使われていない部屋はそのままにしている、と考えれば筋は通る。だとすればこの施設には何者かが住んでいることになる。
「これは……。なんという偶然だ」
 次の部屋を開けた時、私たちは決定的なものを見つけた。
「ヴィー、あれはなんですか?」
 この場所にはあまりに不釣り合いなものがふたつ並んでいた。黒く縦長い、人が入るのに充分な箱。その箱には、十字架の装飾が施されている。――洋式の棺だった。
「どうやら同族の住処だったようだな。見つかる前に、すぐにここを離れるぞ」
 吸血鬼は招かれない限り、人の家には入れないのだが、それが人外ならば話は別だ。生活感があって建物に入れた段階で、薄々そうではないかと思っていたが、悪い予感が的中してしまった。私たちは急いで宿泊施設を出た。時刻は午前二時をすぎている。明け方まで家主が戻らなければいいのだが……。
 遊具エリアについたところで、私は足をとめた。異質な魔性が、明らかな敵意をむき出しにして私たちに向けられている。どうやら遅かったらしい。
「あんたたち、ここで何してるのよ」
 声は上から聞こえた。見上げると、ジェットコースターの最上部の線路に若い女が立っていた。人間の年齢にして、二十歳前後か。日本人ではない、西洋の吸血鬼然とした美貌だ。透き通るような白い肌に、血のように真っ赤なドレスを身にまとっている。女は黄金の髪を翻して地上に降り立った。大きな瞳の目力は強く、私たちを鋭く見据えている。いまにも飛びかかってきそうな気迫だ。
「すまない、先客がいるとは思わなかったんだ。私たちは何も奪うつもりはない。見逃してはくれないか?」
 吸血鬼は自尊心が高く、縄張り意識が強い。迷い子だろうと、吸血鬼にとっては侵入者であり、敵だ。衝突は必至だが、私は一縷の望みをかけて和平交渉をした。
「見逃す? 馬鹿言わないでちょうだい。それじゃあ、こっちの気がおさまらないわ」
「吸血鬼同士の争いは無駄だ。わかるだろう?」
「人間みたいなことを言うのね。見苦しいわ」
「仲間意識で言ったわけではない。不死身同士の殺し合いに意味はないだろう」
「意味ならあるじゃない。私はあなたたちを痛めつけて満足だし、あなたたちは敗北感に顔が歪むでしょう?」
 交渉の余地はなさそうだ。しかし、それほどねじ曲がった性癖の持ち主でもないらしい。少々、喧嘩っ早いが、勝者と敗者を明確にし、勝利の美酒に酔いたいだけだ。敗北以上を相手には強いず、それ以上は何も奪わない。それとなく負けてやれば、私たちを解放してくれるだろう。
「……参ったな。私たちに戦う意志はないのだが」
 私は心の内を気取られないように演技した。二、三発ほど殴られて相手の気が済むのなら安いものである。あくまでこちらは狩られる側なのだ。
「そうかしら。そっちのかわいいお嬢さんは戦う気、満々みたいだけど?」
 後ろを振り返ると、ノエルが目尻を上げて女を睨みつけていた。
 ――ああ、参ったな。これは本心だった。こっちも同じ手合いだ。売られた喧嘩は全力で買うつもりなのだろう。
「気に食わないわね、その目。悔しがる目に変えてあげる」
「ヴィー、下がってください! こんなやつ、あたしがやっつけてやります」
 最近の女は血の気が多いな、と私は思った。
「テキトーにやっていいぞ。どうせ、意味などないからな」
 火蓋は切って落とされたようだし、私は気長に観戦と洒落込もう。私が後ろに下がり、近くにあったベンチに腰かけると、女が高々と哄笑した。
「何よ、それ。タイマン勝負? スポーツのつもりかしら。それとも日本流の武士道精神? まったく、舐められたものね」
 言い終わるとともに、女は駆けだした。初速からすでに最高速付近まで上がっている。悪くない疾走だ。人間の身体と意識では決して不可能な走りである。化け物の意識がしっかり定着している証拠だ。吸血鬼年齢で二百歳といったところか。
 ノエルは女の突進に反応できず、まともに全身で受け、吹き飛ばされた。遊具のコーヒーカップを破壊しながら突き進み、鉄柵にぶつかってようやくその勢いはとまった。しかしノエルはすぐに起き上って、女を見据えた。
「驚いた。あんた、どんな身体してんのよ。……ていうか、あれ? 何、その魔性」
 女はいまごろになって、ノエルの異常な魔性に気がついたようだ。
「あちゃー、ちゃんと見てなかった。敗北感を味わうのはこっちかもしれないわね」
 ノエルは頭に血が上り、脇目も振らずに女に向かって駆け出した。しかし、気持ちばかりが急いており、足がもつれている。初速はあまりに遅い。彼女は吸血鬼になってまだ四ヶ月に満たない。さらに言えば普段の生活から、全力を出すこともなかったので、膨大な力が空回りしているようだ。
 意趣返しとばかりに女に突進しようとしたが、狙いはそれてジェットコースターの料金所にぶつかった。
「あら。お嬢ちゃん、ひょっとして生まれたて? ふぅん、これなら私にも勝算があるわね。主の目の前で、みすぼらしく土を舐めるといいわ」
 安い挑発だが、精神的に幼いノエルには効果覿面だ。ノエルは女を罵りながら走り、接近した。がむしゃらに蹴りや殴打を試みるが、女は一定の距離を開けながら攻撃をやりすごし、ノエルがバランスを崩した瞬間を的確に狙って反撃した。
 女の魔性も高い部類だ。その反撃の一つひとつが鉄骨を歪め、地面をえぐる威力がある。だが、ノエルの魔性は破格のものだ。私がいままで出会った中でも群を抜いている。魔王の適性を持つ彼女にとって、その殺人的な攻撃でも苦にはならないだろう。
「こんなの、百発食らっても膝は折れないわよ」
 ノエルが不敵に笑う。ダメージは与えられているが、ノエルの驚異的な自然治癒が上回っており蓄積はしない。それに気づいた女は苦虫を噛み潰したような顔をした。女にとってはノエルが失血状態になるまでの持久戦になるだろう。女の血液量がどれほどかはわからないが、ノエルのそれも多いわけではない。燃費が悪いから、先に消耗するのはノエルだと私は推察した。だが、ノエルにとってはたった一撃あてるだけで雌雄は決する。この勝負はどちらが勝っても不思議ではない。
「この馬鹿力。さっさとくたばりなさいよ」
 女は回避に徹すれば負けることはないのだが、反撃の手を休めなかった。戦うと宣言した以上、逃げることは自尊心が許さない。それに加え、ノエルが戦いの中で自身の力に慣れることを恐れているのだ。反撃をし続けることでノエルの自然治癒を促し、血の消費を多くすることで、早期的な決着を狙っている。言動ほど頭が悪いようではなかった。ちゃんと考えて戦っているようだ。
 一方で、ノエルは己の戦い方をすでに弁えていた。攻撃の一つひとつに渾身を込め、一発でもあたると戦闘不能に陥る攻撃を繰り返していた。女の恐怖と焦りを増長させ、ミスを犯すように仕向けている。ただひとつ問題なのは、ノエルは決定的に吸血鬼としての経験が浅いことだ。彼女は自身の血液量を正確に把握できず、力の配分を間違えているように見えた。このままでは女の狙い通り、早々に失血状態になってしまうだろう。
 女はジェットコースターの線路に上り、ノエルを誘い出した。その動きは慣れたもので、バランス感覚はいいようだ。ノエルはむきになって彼女を追う。足場の悪いところで戦うなど無謀だと思ったが、ノエルは線路を蹴り上げて切断し、端を持ち上げて地面から引き抜こうとした。
 鉄の線路がぎしぎしと悲鳴を上げる。女は堪らず地面に降り、ノエルを睨み上げた。ノエルはノエルで、得意げに女を睥睨している。
 まるで遊園地のイベントを見ているようだ。
 戦いはどちらも一進一退。どちらに軍配が上がるかわからないが、勝負は一瞬でつくだろう。ノエルは女に向かって飛びかかり、戦闘を再開した。
 それにしてもどちらも超人的だ。ノエルは言わずもがなだが、女も戦い慣れしており、魔性もたいしたものだ。やはり、吸血鬼は陰性の突発種だから、女も濃い魔性を有している。それは間違いない。だが――。
「やはりくだらんな。最近の吸血鬼はどいつもこいつもこうなのか?」
 私は物陰に潜むもうひとりに声をかけた。その何者かは姿を現さず、息を殺している。
「たしかに超人的に映るかもしれないな。だが人を超えると書きながら、これでは人間の枠から何も逸脱していない。ああやって殴り合っている限りな。化け物は化け物なりの、悪魔的な戦い方があるんだ」
 私はしつこく物陰の人物に語りかけた。
「それ、俺に話してるのか? よくわかったな」
 観念したのか、物陰からひとりの男が出てきた。これまた日本人ではない。鼻が高く、金髪で長身の男だった。それでいて精悍な面立ちであり、どことなくきざったらしい。
「私は鼻が利くんだ。君にはすぐに気づいたよ。それに、客室に棺はふたつあった。もうひとりの存在に注意するのは道理だろう」
「ふーん。やるね、お前さん。それで? 超人がどうのって言ってたけど、けっきょく何が言いたいんだ?」
 飄々と男は語りかけた。私のような魔性では舐められても当然か。
「あの女をとめるんだ。この戦いに意味はない。……なぜ自立した吸血鬼同士が一緒にいるのか知らないが、発言権ぐらいはあるんだろう?」
「おや、俺が眷属じゃないってこともばれてるんだ。リリアンの服は首元が隠れてないから自立してるってわかるだろうけど、どうして俺も自立してるってわかったんだ」
 女――リリアンというのか――には一目見て首元に吸血痕がないことは確認した。男は黒いタートルネックの服を着ているので、首元は隠れている。
「君はついさっき帰宅したばかりだろう。初めから作戦として潜伏していたのならわかるが、彼女の様子や君の行動からそうでないことは明白だ。――君は初め、不用心に空を飛んでこの施設まで帰ってきたが、途中で異変に気づき、地上に隠れて私に近づいた。もし君が彼女の眷属で主が戦闘中だと気づけば、普通は頭に血が上って、ああなる」
 と言って、私はノエルを顎で指した。
「すごいな、あんた。でもなんだい、その落ち着きようは。あんたはあの子の主なんだろう? それでいてそこまで頭がキレるなら、俺がしようとしてることもわかってんだよな」
「わかるさ。君の浅はかな考えなんてな。だが、無意味だからやめておけ」
 どうせ私を人質にでもして、ノエルの動きをとめるつもりなのだろう。
「蚊も殺せないような魔性なのに、口だけは達者なんだな」
 余計なお世話だと思ったが、彼からすればその通りなので何も言い返せない。彼の魔性もまた、平均より高いものだった。
「カーティス! やっと帰ってきたのね。ちょっと手を貸してくれない?」
 リリアンが私たちに気づいたようだ。この男はカーティスというのか。
「そこの男、ヴィーに何をするつもり? 離れなさい!」
 ノエルもこっちに気がついた。その表情には怒りと恐れが滲み出ている。私のことは気にしなくてもいいのだが、眷属からすれば身も凍るような状況なのだろう。
「見ての通りだよ、お嬢さん。主の生首姿を見たくなかったら、大人しく投降するんだ」
「何言ってんのよ、カーティス。私はこいつを負かさないと気がすまないんだから」
 三者三様、私を蚊帳の外に置いて好き勝手言っていた。
「ふざけないで。あんたたち、ふたりまとめてあたしが相手してやるって言ってんの」
 ノエルは明らかに狼狽していた。私が窮地に立たされていると思い、冷静さを失っている。これではノエルの挑発も滑稽だ。相手を出し抜くつもりなら、話術と演技を駆使しなければならないのだが、彼女には交渉術の才能はないようだ。
「おいおい。俺は善意で言ってるんだぜ。いくらお嬢さんの魔性が破格でも、ふたり相手だと失血はまぬがれないだろう? ――あんたからも命令してくれ。いまなら手持ちの血液すべてで手を打ってやる」
 カーティスは得意げに話した。彼にも和平交渉は無理のようだ。
「それはできない相談だ。それより、君たちこそいまなら見逃してやるぞ」
 私は平然と言ってのけた。
「あんた、無謀だな。駆け引きしているつもりなのか知らんが、俺はその手には乗らないぜ。覚悟しな」
 高速の手刀が私の首を狙う。
「――やめて!」
 ノエルの悲痛な叫び声が響く。――しかし、カーティスの手刀は私の首をすり抜け、空を切っただけだった。彼は何が起こったのか理解できず、私を見つめていた。
「――不思議に思うか、子どもたちよ。これだから最近の若者は……とは言いたくないが、知らぬのならば教えてやろう、悪魔的な戦い方というものをな」
 私はベンチから立ち上がり、身体を赤い気体――二酸化窒素に変身させ、悪魔のような巨大な目玉に形をとどめて宙に浮いた。
 私の身体は――細胞からそれを構成する原子に至るまで――すべてヴィンセントという意識を持った集合体だ。私がこの目で見て、触れて、実感したものならばなんにでも変身できる。そして私の周囲には常に、目に見えない極小の私の目があり、鼻があり、耳がある。それらすべては自律機能を有している。私本体が気づかずとも、私に害を与える可能性のあるものが近づけば、それらがセンサーのように働き、私に知らせてくれるのだ。
「これは君たちにも、そしてすべての吸血鬼に備わっている能力――変身能力だよ」
 私はいつもより深く、響くような音声で話した。
「蹴ったり殴ったりなど、そんな何百万年も昔から人類がやっている戦い方では、私には触れることもできないぞ」
「し、しかし――」カーティスも得意げな笑顔も、さすがにうろたえてしまって見る影もなかった。「攻撃はたしかにできそうにもないが、その姿ではあんたも戦えないだろう」
「そうでもないさ。このまま毒ガスに変身して君たちを苦しめてもいいし、それにこんなこともできる」
 私は本来の自分の姿に戻り、カーティスに襲いかかった。彼はわずかに反応が遅れたものの、私の上段蹴りを片手で難なく受けとめる――その寸前に、受けとめられる私の足首に、鋭利な刃物を生やした。刃はカーティスの手のひらを貫通し、血が零れ落ちた。
「くっそ、小賢しい真似を!」
「休んでいる暇はない。こんなこともできるぞ」
 私は乱雑な殴打をしようと、手を振り上げた。カーティスは危機を察し、飛び退いた。
 間合いが開いて、あたるはずもない拳を私は突き出した。――が、攻撃はここからだ。私は腕を対戦車ライフルに変身させ、躊躇なく発砲する。特大の弾丸はカーティスの腹部を貫き、風穴を開けた。舞い上がった硝煙と彼方へ飛んだ弾丸は、瞬く間に私の身体へ戻ってきた。私の銃器に弾切れはない。
「カーティス、しっかりして!」
 無残にうずくまるカーティスにリリアンが駆け寄った。
「本物の化け物だな、あんた……」カーティスは苦しそうに息を漏らした。「だが、タネがわかれば、それ相応の動きをすればいい。手持ちのカードを見せすぎたな」
「それはどうかな。私の切り札は回避不能だ」
「切り札?」
「そうさ。人類が武器を新開発するとともに、私の武器の貯蓄も増えるからな」私は腕を元の形に戻した。「見てみるか? 人類最大の業とも言える、神の御業だ」
 私は手のひらから球状の黒い物体を出現させた。物体は見る見るうちに大きくなる。当然、質量保存の法則は超えられないので、私の身体は表面だけで中身が空っぽの状態だ。
「核兵器の説明はいらないな。私の体重は約七〇キロだが、余分な装置を排除し、効率よく核分裂できるような構造になっているから、威力はなかなかなものだぞ」
 アメリカとソ連の冷戦時代から近年にかけて、私は何度も核の実験に立ち合い、時にはこの身をもって威力を実感した。イタリアの農園から実験場へ向かう時、ディランにいつも「研究熱心だな」と揶揄されたものだ。
「この距離なら、君たちは消し炭だ。散り散りになった身体を集める修練は積んだか? 二百年程度では無理かもしれないな。それとも変身能力なんて、空が飛べれば充分と思っていたか? 散り散りになっての失血状態では、復活は絶望的だ。誰かが意志を持って細切れの肉体を集めて再生しない限り、永久にこの世界を漂うことになる。死なないというのも、考えものだな。生まれ変わることもできないのだから。だが、辛くはないさ。意識の残滓はあるが、思考はできない。感情もなく、この世を観測するカメラになるだけだ」
 カーティスとリリアンはともに青ざめていた。
「……だが、それではお前たちも」
「私たちの心配はいらない」私は言下に否定した。「この核を浴びても、一日あれば私は再生できる。日光を浴びるのは辛いがな。――ノエル、少しきついが、一週間ほど待ってくれ。それだけの時間があれば、君の肉体を集めて再生できると思う」
「あ……えっと、はい」
 ノエルも呆然としている。
「問題があるとすれば、せっかく見つけた隠れ家を破壊することと、日本を大騒ぎにさせることだな。だが、私はこれでも吸血鬼の端くれだ。奪われるばかりでは性に合わない。さて、どうする?」
 ふたりは縮み上がり、震えていた。まさに怪異を目の当たりにした人間のようだ。
「わ、わかった。降伏する」カーティスは白旗を上げた。
「いや、気が変わった。これは折檻だ。さようなら、子どもたちよ」
 言い終わるとともに、球体は炸裂した。私以外の三人がすくみ上がる。
 しかし、乾いた音とともに飛散したのは、なんの変哲もないただの水だった。三人はだらしなく口を開けている。
「核兵器など、そう気軽に変身するものか。誤爆しては目も当てられないだろう」私は不敵に笑った。「わかったか、ノエル。これが交渉する時の駆け引きだ」
 ノエルは安心したのか、力が抜けてその場にへたり込んだ。ほかのふたりも、力なくうなだれている。
「あんた、どんな生き方をすればそうなるんだよ」
「知っての通り、私の魔性は弱いからな。主の助けにはなれないが、せめて足を引っ張らないよう、変身能力を追究したまでだ。それに、私の時代では二百年も生きていれば、霧ぐらいに変身できる吸血鬼はざらにいたよ」
 魔性の弱い吸血鬼は、変身能力を極めなければ長生きできない。逆を言えば、強力な魔性の持ち主は、その力に傾倒して変身能力をないがしろにしてしまう傾向にある。だが、最近の吸血鬼は弱い魔性の持ち主でも、碌に変身できないものが多い。おそらく、突発種の減少――すなわち、幻想への乖離、あるいは科学の発展による現実主義の増加によって、人類全体に奇跡の否定という固定観念ができてしまったのだろう。変身能力で肝要なのは、幻想の投影なのだ。
 別段、私が吸血鬼の未来について思う必要はないのだが、同族としてか、やはり悲嘆の念を抱いてしまう。
「あんた、何年生きてるんだ?」
「千年は越えている」
「……なるほど、千年物か。そいつはすげぇや」カーティスは横手を打った。「数々の無礼を許してくれ。負けた俺が言うのも差し出がましいが、ここで一緒に暮らすってことで手を打たないか?」
「カーティス! 勝手なこと言わないで。私はいやよ」
 リリアンが即座に異議を唱えた。
「いいだろ。おもしろいじゃないか。変身能力を極めた千年物と、片や破格の魔性で魔王の素質を持つ眷属だぜ? きっと、おもしろい話が聞ける」
 カーティスは意味ありげに微笑み、リリアンを諭した。彼女もまた、彼の含意に気づき、憤慨しながらもどうにか納得しているようだった。自立した吸血鬼同士が一緒にいるのだ、何か事情があるのだろう。
「ノエルはどう思う」
 私はノエルに判断を委ねた。本音を言うと、一ヵ所に多くの吸血鬼が集まるのは好ましくない。だが、ノエルは慣れない長旅で辟易としているのも事実だろう。長居はしないにしても、ここで休養を取るのも悪くはない。
「あたしは……」少し思案してから、ノエルは重い口を開いた。「ここにいたいと思います。もちろん、ヴィーがよければ、ですけど」
 意外な返答だった。私ならば、殺し合った関係でもすぐに割り切れるが、たかだか十五年しか生きていない少女が、あれほどいがみ合った相手と同居を望んだのだ。その顔からは、何かしらの決心が垣間見える。ノエルはノエルなりに思うところがあるのだろう。
「決まりだな」カーティスはリリアンに支えられながら立ち、私たちの元へ歩み寄った。「何かと問題は出てくるかもしれないが、仲よくやろう」
 リリアンは私たちを睨み、カーティスは右手を差し出して握手を求めた。私はそれに応え、いやに人間臭い吸血鬼だな、と思った。

   ◆

 その後、私たちはこのレジャー施設内でのそれぞれの領域を決め、あまりお互いのプライバシーを侵害しないように注意し合うことにした(リリアンの強い要望――というより、脅迫に近いものがあった)。特に私は極小の目に変身できるので、口酸っぱく念を押された。
私とノエルが寝泊まりする場所は宿泊施設の別館だ。本館はカーティスとリリアンの生活区域となる。私たちはまず、荒れ果てた別館をきれいに掃除し、住みやすい環境に整えることにした。
 掃除そのものはその日のうちに終わり、なんとか生活できる部屋にはなった。電気は通っていないが、雨風がしのげる建物であれば寝食するには問題ない。
 数日がすぎ、意外なことに彼らは私たちに干渉してこなかった。レジャー施設内の共有区域ですれ違うことはあっても、軽く挨拶をする程度のもので、互いに距離を開けていた。私としてはなんの不都合もないが、ノエルとしてはどうだろうか。彼女はあの日以来、何か思いつめた表情をしている。私が話しかけると笑顔になるが、会話が終わって顔をそむける瞬間、ふっと顔が暗くなるのを幾度となく見た。私が理由をたずねると、
「すみません、ヴィー。先日の戦いの話なんですが、あたしはヴィーが弱く、守らなければならない人だと思って戦ってしまいました。でも、蓋を開いてみれば守られていたのはあたしで、ヴィーは誰よりも強かった。その強さは、あたしとしてはうれしいし、誇り高いことです。だけど、あたしは自分が許せない。魔性の強さに浮かれて、まるで自分が見えていなかった。もう二度と、あなたの足手まといになりたくないんです」
 人間は生まれたばかりでは走ることはできない。吸血鬼も同じだ。そんなこと気にしなくてもいいのだが、ノエルは鬼気迫る思いで語った。
「そうか。それで、これからどうしたいんだ?」
「あの女――リリアンに教えを乞おうと思います。気に食わないけど、ヴィーのためになるのなら、あたしのプライドなんて安いものです」
「なんだ。てっきり私に頼むのかと思ったのだがな」
「いくらなんでも、ヴィーの戦い方は無理ですよ。段階を踏まないと。いきなり悪魔的な戦いはできません。まずは人間の枠内で最強になってみせます」
 得心のいく理由だった。たしかに、私が変身能力を応用して戦えるようになったのは、吸血鬼になって随分と経ってからだ。それまで逃げ方ばかり考えていたので、人の形での戦い方はてんでわからない。私よりもあのふたりのほうが適任だろう。
「なるほど。それで、私にはあのふたりに交渉してほしいんだな」
「……そうです。あたしひとりだと、またバカやっちゃいそうですから。お手数ですが、お願いできますか?」
 私は迷うことなく了承し、ノエルを連れて本館を目指した。今夜はどちらも出かけていないはずだ。私の複数の目が本館を見張っているので間違いない。リリアンには悪いが、他人を信用するほど私はお人好しではない。本館のロビーへ上がり、ふたりの名前を呼ぶ。すると、すぐにふたりはロビーにやってきた。
「いずれこっちからたずねようと思っていたんだがな。まさかそっちからきてくれるとは、うれしいね」
 カーティスは私たちを歓迎した。一方、リリアンは相変わらず警戒した目つきだ。
「ふん。どうせ私の信頼を得るために、いままで大人しくしていたんだろう」
「おや、やっぱりばれてたか」カーティスは肩をすくめておどけた。
「そんな小賢しいやつに話すことはないんだがな、状況が変わった。この子に戦い方を教えてやってくれ」
「いいぜ。リリアン、頼んだ」カーティスは即答した。
「い・や・よ」リリアンは一文字ずつ切って返事をした。
「じゃあ俺が教えてやる。リリアンはヴィンセントから話を聞き出してくれ」
「もっといやよ。なんでカーティスがあんな小娘と」
「おいおい。わがまま言うなよ」
 カーティスとリリアンは口喧嘩を始めた。リリアンは私と話すことではなく、ノエルとカーティスが組むことをいやがっていた。その様子を見て、私は確信を得た。
「なるほど。ふたりは男女の関係というわけか」
 そういうことなら、少しは信用してもいいだろう。
「……あんたには隠し事できそうにもないな」
「なぁに、吸血鬼がともにいる理由なんて、あとはエクソシスト対策か突発種同士の領地争いゆえの共闘しかない」
 リリアンはカーティスとノエルがふたりきりになるのに嫉妬したのだろう。
「私から聞き出したいという情報も察しがつく。子孫を作りたいのだろう?」
「そういうことだ。知ってることを教えてくれたら、ノエルちゃんを鍛えてやるぜ」
「いいだろう。それで、ふたりはセックスをしているか?」
 私以外の三人が、時がとまったかのように固まってしまった。
「どうなんだ。セックスはしているんだろう? それでも、リリアンに子は宿らなかったはずだ。違うか?」
「ちょ、ちょっと。あんた、何言いだしてんのよ!」
 リリアンが顔を赤くして怒り出した。別に恥ずかしがることでもあるまい。意外とこの女はうぶなのか。ノエルがそわそわし始めたのは想定内だった。
「その通りだ」カーティスは真顔でそう言った。「何度も何度も、毎日のようにしてるが、一向に妊娠する気配がない」
 リリアンが「カーティス!」と、たしなめた。私はそれを無視して話を続けた。
「当然だ。吸血鬼に生殖機能はない。戯れに生殖行為はできるがな。吸血鬼になってからは精子の核は消失し、排卵もなくなる。――リリアン、ノエル。君たちの生理はとっくにとまってしまっただろう?」
「あの、あたしは……えっと」ノエルは口ごもった。
「なんなのよ、あんたたち。これだから男ってやつは」リリアンは唇を震わせて怒鳴った。「行きましょ、ノエル。広場で戦い方を教えてあげる。このアホふたりの話なんて聞いてたら、ダメな大人になるわ」
 そう言うと、ノエルの手を引っ張って去ってしまった。口は悪いし態度も悪いが、案外面倒見がよく、いいやつなのかもしれない。それとも子を欲する母性本能が、この会話がノエルに悪影響を与えるのではないかと心配させるのだろうか。……なんにせよ、このやりとりでふたりの間にある種の仲間意識が芽生えたはずだ。仲を深めるには共通の敵を作ることが手っ取り早い。これが端緒となれば、ノエルの修練も円滑に運ぶだろう。
「思惑通りじゃないか」と、カーティスは言った。
「なんの話だ?」
「リリアンにノエルちゃんを連れて行かせるために、あんなこと言ったんだろ」
「さぁ、それはどうかな」見透かされるのは癪なので、私はとぼけることにした。
「なんだよ、こっちだって合わせてやったんだから、少しは感謝してくれよな」
 カーティスは笑顔で私の肩を小突いた。この男も、基本的に悪いやつではなさそうだ。というより、ふたりともやはり人間臭い。リリアンは険のある印象たが、実際は面倒見がよく、他人を思いやれる性格だ。カーティスはお調子者だが、親しみやすく、それでいて細かいことを気にしない大きな器がある。――ノエルのことはリリアンに任せて大丈夫だろう。
「それで、聞きたいことはなんだ。不妊治療なんてできないぞ。……まさか、精巣と卵巣に変身して移植してくれ、とは言わないだろうな」
「そんなこと思いつきもしなかったよ」カーティスは大声で笑った。「それに、それじゃあ俺たちの子じゃない」
「勿体ぶるな。早く話せ」
 するとカーティスは、慎重に口を開いた。私の表情の変化を、見逃さないようにしているようだ。
「――なぁ、ヴィンセント。吸血王って知ってるか?」

   ◇ Side Noel

 私はリリアンに手を引かれ、本館を出た。彼女はさっきまで怒っていたけれど、いまは複雑そうな顔をしていた。
「ちょっと、リリアン。そんなに強く引っ張らないでよ」
「ああ、ごめん」彼女は手を離した。「まったく、あんたの主はどういう神経してるのよ。うちのも人のこと言えないけど」
「主のことを悪く言わないで。彼は長く生きてるから、人より少し感覚が違うだけよ」
 時々、主は無情に映ってしまうが、本当は心優しい人なのだ。人嫌いなのに、人を殺すのはもっといや。あれだけの力を持っているのに、眷属を増やして幅を利かせるような権力欲もない、無欲の人だ。聖人君子というのがいるとしたら、ああいう人なのだろう。
「ふうん、でしょうね。千年ですもの。もう人間じゃないわ」
「それ、悪口?」
「何言ってんのよ。私たち、吸血鬼でしょ? 人間じゃないわ」
「そういうことじゃなくて、心の話じゃなかったの?」
「あら、そうだったわね」
と言って、リリアンは笑った。すてきな大人でとてもきれいな顔。そんな美人が無邪気に笑うと、同じ女としては悔しいぐらいかわいいのだった。……私はもう、大人にはなれない。吸血鬼になったから、ではない。自殺を試みた時点で、憧れていた将来はなくなってしまったのだ。だけど、私は新たな希望を見出した。それができたのは、主が私を吸血鬼にしてくれたおかげだ。
「で、どうしてまた、戦い方なんて知りたいの? てっきり、私は嫌われてるもんだと思ってたけど」
「そりゃ嫌いよ。なんか高飛車だし、鼻につくわ。でも、リリアンの強さは認めてる。魔性においてはあたしのほうが圧倒的に強いのに、対等以上に戦ってた。たぶん、あのまま続けてたら、先に倒れたのはあたしでしょうね」
「なんだ。十五歳って言ってたから世間知らずの子娘かと思ってたけど、なかなか殊勝な態度じゃない」
 リリアンは私の頭を撫でた。私は彼女の腕を振り払った。子どもだけど、子ども扱いされるのは嫌いだ。
「なるほどね。私に師事する理由はわかったわ。それで、どうして強くなりたいの?」
「どうしてって、決まってるじゃない。主の力になるためよ」
「主のため、ね。それはわかってるわ。私が聞きたいのは、どうしてヴィンセントなの?」
「そんなの少し考えればわかるでしょ。主はあたしにいろんなことを教え、いろんなことを与えてくれてるの。それに、彼はあたしの命の恩人よ。恩返ししたいと思うのは当然でしょ?」
「ふぅん、そうよね。そりゃそうか」
リリアンはつぶやいた。私を見る目は、どこか同情しているように見える。まだ子ども扱いしているのだろうか。
「まぁ、ノエルがそれで満足なら、戦い方を教えてあげてもいいわ。でもこれだけは憶えておいて。人の心は一定のものではないの。常に、何かしら変化し続けるものなのよ」
 そう一方的に言うと、リリアンは広場へ歩き出した。そんなことはわかっている。私はいつだって、主のために走り続けなければならない。とまっている暇などないのだ。
――主、どうか待っててください。必ず、あなたのために強くなります。
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