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01. 王子の野心
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創造と破壊の女神、エピカメッサの耳飾りが海に落ち、土地ができたと言い伝えられている広大な大陸。その中北部には、数多くのおとぎ話の舞台となった、フルール王国という国がある。
夏至祭まで、あとひと月に迫った、満月の夜だった。第二王子ジュリアンは、仕事を失敗した暗殺者を拘束し、激しい責め苦を与えていた。
「ジュリアン殿下、信じて下さい!」
「黙れ! その場逃れの嘘で、俺を騙せると思うなよ、馬鹿者が」
手足に枷をかけられた暗殺者は、降り注ぐ殴打に成す術もない。廃墟を装った隠れ家には、悲鳴と哀願が轟いている。
「本当です、殿下。エピカ神に誓って、わたしは、かのご令嬢の喉を掻き切ったのです!」
「また、それか……」
ジュリアンは顔をしかめた。両親と兄夫婦の目を盗み、暗殺者を雇うのは、今回で三人目になる。役立たずのホラ吹きばかりで、標的を仕損じてきた。
あまりに不自然な失敗が続くため、討ち損じた原因について、口を割らせようとしていたのだ。
「どいつもこいつも、どうして依頼をしくじるんだ。ろくな護衛のいない、たかが貴族娘だぞ!」
ジュリアンが刺客を送った相手は、エルヴィユ伯爵令嬢リナリア。彼女は王家が定めた、ジュリアンの婚約者である。
この世界には、祝福と呼ばれる神秘の力を宿した、神子が誕生する。十四年前、エルヴィユ伯爵家に女の子が生まれた。リナリアと名付けられた彼女は、エピカ神の祝福を受けた希少な神子だと、教会の判定式で明らかになった。
貴族たちから、リナリアを第二王子の婚約者に推す声があり、神子の後ろ楯として教会も賛同した。国内勢力の結束を望む、王太后の意向も無視できなかった。最終的に国王が承認し、ジュリアンとリナリアの縁談がまとまったのである。
この婚約は、ジュリアンを大いに落胆させた。彼の祖母や母、兄嫁は皆、他国の王女。彼自身も、他国から王族の姫を娶ると信じていた。何故、自分ばかりが割りを食い、伯爵令嬢ごときを妻にせねばならぬのか。ジュリアンは当初から、この縁組みが不服だった。
仕方なく縁談を受け入れたのは、国と家族のためである。神子であれば、父や兄の治世に役立つかと、我慢していた。
しかし、ジュリアンのささやかな期待は、裏切られることになった。
「リナリアは名ばかりの神子だ。非力な令嬢と変わらん。簡単に殺せるはずだろうが」
リナリアは未だ、神子の力に目覚めていない。通常なら、十代になる前に力を発現するものだ。
再判定を二度も行ったが、神子で間違いないという。能力が開花しない理由や、祝福の種類は、明らかになっていない。下手をすると、一生、覚醒しない可能性まであるらしい。
本人の努力とは無関係だ。祝福を授けるのも、能力が開花するのも、神の御心次第である。
どんな状態であれ、神子は神子だ。本物である以上、国王の承認や、貴族たちの推挙は取り消せない。教会もまた、リナリアの後ろ楯を辞められずにいた。
誰もが、リナリアから距離を置いている。婚約者のジュリアンに押し付けて、冷ややかに静観するばかりだ。
「夏至祭の宴を終えたら、じき婚儀だ。時間がないのに、どうして失敗する!」
結局、暗殺者は支離滅裂な言い訳をするばかりで、ろくな情報は得られなかった。ジュリアンは、能無しの処分を部下に任せると、隠れ家を後にした。
月明かりに舌打ちする。忍んで行動する彼にとっては、忌々しい月だった。苛立ちがおさまらず、街まで戻ると、気晴らしに愛人の元へ向かった。
難しい顔で、酒杯を重ねるジュリアンに、愛人のクレオメがしなだれかかる。逢い引き場所は、王都にある彼女の屋敷だ。
「おいたわしいわ、ジュリアン殿下。疲れたお顔をされていらっしゃいます」
「そうか?」
「私たちの愛を邪魔する嫌な女に、悩まされておいでなのね」
「愛だと?」
愛という不愉快な言葉に、思わず眉をひそめていた。己を正当化するために、その言葉を喚き散らす人間から、酷い目に合わされたことがある。
愛など、ろくでもないものだ。何の役にも立たないばかりか、災いを撒き散らす。
しかし、このわだかまりと、クレオメは関係ない。あくまで、彼の考えである。ジュリアンは慌てて、不快感を誤魔化した。
「ああ……いや、なんでもない」
「私には、ご本心を隠さなくていいんですよ。あんな痩せっぽっちの陰気な小娘が、殿下の妻になるなんて、不釣り合いですものね。出来ることなら、絞め殺してしまいたいわ!」
クレオメは、新興男爵家の娘だ。実は一度、裕福な年寄りと若くして結婚している。結婚から半年たたずに相手が亡くなり、未亡人となってしまった。
まだ二十歳で童顔なため、婚歴があるようには、とても見えない。前夫から莫大な財産を相続し、悠々自適に暮らしていることも、若々しさの秘訣だろう。
容姿こそ愛らしいが、頭の出来はあまり良くない。貴族たちの陰口を鵜呑みにし、会ったことさえないリナリアを敵視している。
婚約者さえいなければ、ジュリアンの妻になれると、期待している節があるのだ。まるで、くだらないおとぎ話のような、戯れ事を夢見ている。
「ずいぶん物騒だな。あまり不用意なことを言うものじゃないぞ。日頃から口を慎んでおかないと、自分の身を危うくしかねない」
「だって……」
唇を尖らせるクレオメの髪を、ひと房すくって微笑みかけた。
「機嫌を直してくれ、可愛い人。隣国で起きた事件の余波で、仕事が大変なんだ。美しい女性に癒して貰えないと、俺は倒れてしまうかもしれない」
「まあ……。事件とは、あの魔女騒動ですか?」
近頃、隣国で大がかりな事件が発生した。邪悪な魔女が、上流階級の子弟たちを、大勢たぶらかしたのである。
心の傷を癒す神子に憑依し、禁忌魔法『魅了』を使って、被害者たちを操ったというのだから、恐ろしい話だ。
捕縛された魔女は死罪。イラの根という、魔女を殺め、魔法効果を消す毒によって処刑された。操られていた被害者たちは、法に背いた者を除き、大半が不問にふされた。
魔女事件を受けて、フルール王国では、リナリアに二度目の神子判定を受けさせた。万一に備えて、イラの根を確保している。
王族として、隣国へ気を配るのは当然だ。だが、ジュリアンは個人的にも、魔女事件に注目している。
彼にとって、この騒動は重要な意味を持っていた。
「確か、隣国の王女様と婚約していた御方も、被害にあったんですってね。そのせいで、婚約が白紙になったとか。魔法が原因なのに、許して差し上げられなかったのかしら」
「一度壊れた信頼関係を、修復するのは難しいのだろう」
破談になった王女は、新しい嫁ぎ先を探している。そう、ジュリアンのような、相応しい相手を。リナリアさえいなければ、隣国の王女へ縁談を打診できるのだ。
諦めかけていた欲に火がついた。抑えがたい野心だ。この事件が、リナリアへ刺客を送る、直接の動機となったのである。
「王女様は十九歳だったかしら。きっと、お相手探しに必死よ。二十代で未婚だと、居心地が悪いですから……」
「ああ、きっと急いでいるだろう」
ジュリアンは表情を引き締めた。彼もまた、暗殺を急がねばならない。
□
前回の暗殺未遂から、数日が過ぎていた。ジュリアンは、予定していた夜会へ、体調不良により欠席すると報せを出した。
外出を控えるふりをして、秘密裏に夜会へ出掛けていく。
主催者の邸宅へ潜伏していると、着飾った貴族たちが続々と集まってきた。やがて、一台の馬車が到着し、召し使いが声を上げる。
「エルヴィユ伯爵御一家、ご到着されました!」
従者の手を借り、伯爵と伯爵夫人が馬車から下りてくる。伯爵夫妻の後に、一人の令嬢が姿をみせた。
ジュリアンの豪奢な金髪に比べ、茶色に近いダークブロンドをしている。流行から外れた、地味なドレス姿。
彼女こそ、エルヴィユ伯爵令嬢リナリアだ。隣国の王女へ求婚するためには、この世から消えて貰いたい、ジュリアンの婚約者である。
「来たな、リナリア」
空室の暗い窓から、リナリアの様子をうかがう。ジュリアンの手には短剣が握られていた。
暗殺者など、あてにならない。こうなったら、自分の手で確実に仕留めてやろうと、彼は腹を括っていた。
夏至祭まで、あとひと月に迫った、満月の夜だった。第二王子ジュリアンは、仕事を失敗した暗殺者を拘束し、激しい責め苦を与えていた。
「ジュリアン殿下、信じて下さい!」
「黙れ! その場逃れの嘘で、俺を騙せると思うなよ、馬鹿者が」
手足に枷をかけられた暗殺者は、降り注ぐ殴打に成す術もない。廃墟を装った隠れ家には、悲鳴と哀願が轟いている。
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この婚約は、ジュリアンを大いに落胆させた。彼の祖母や母、兄嫁は皆、他国の王女。彼自身も、他国から王族の姫を娶ると信じていた。何故、自分ばかりが割りを食い、伯爵令嬢ごときを妻にせねばならぬのか。ジュリアンは当初から、この縁組みが不服だった。
仕方なく縁談を受け入れたのは、国と家族のためである。神子であれば、父や兄の治世に役立つかと、我慢していた。
しかし、ジュリアンのささやかな期待は、裏切られることになった。
「リナリアは名ばかりの神子だ。非力な令嬢と変わらん。簡単に殺せるはずだろうが」
リナリアは未だ、神子の力に目覚めていない。通常なら、十代になる前に力を発現するものだ。
再判定を二度も行ったが、神子で間違いないという。能力が開花しない理由や、祝福の種類は、明らかになっていない。下手をすると、一生、覚醒しない可能性まであるらしい。
本人の努力とは無関係だ。祝福を授けるのも、能力が開花するのも、神の御心次第である。
どんな状態であれ、神子は神子だ。本物である以上、国王の承認や、貴族たちの推挙は取り消せない。教会もまた、リナリアの後ろ楯を辞められずにいた。
誰もが、リナリアから距離を置いている。婚約者のジュリアンに押し付けて、冷ややかに静観するばかりだ。
「夏至祭の宴を終えたら、じき婚儀だ。時間がないのに、どうして失敗する!」
結局、暗殺者は支離滅裂な言い訳をするばかりで、ろくな情報は得られなかった。ジュリアンは、能無しの処分を部下に任せると、隠れ家を後にした。
月明かりに舌打ちする。忍んで行動する彼にとっては、忌々しい月だった。苛立ちがおさまらず、街まで戻ると、気晴らしに愛人の元へ向かった。
難しい顔で、酒杯を重ねるジュリアンに、愛人のクレオメがしなだれかかる。逢い引き場所は、王都にある彼女の屋敷だ。
「おいたわしいわ、ジュリアン殿下。疲れたお顔をされていらっしゃいます」
「そうか?」
「私たちの愛を邪魔する嫌な女に、悩まされておいでなのね」
「愛だと?」
愛という不愉快な言葉に、思わず眉をひそめていた。己を正当化するために、その言葉を喚き散らす人間から、酷い目に合わされたことがある。
愛など、ろくでもないものだ。何の役にも立たないばかりか、災いを撒き散らす。
しかし、このわだかまりと、クレオメは関係ない。あくまで、彼の考えである。ジュリアンは慌てて、不快感を誤魔化した。
「ああ……いや、なんでもない」
「私には、ご本心を隠さなくていいんですよ。あんな痩せっぽっちの陰気な小娘が、殿下の妻になるなんて、不釣り合いですものね。出来ることなら、絞め殺してしまいたいわ!」
クレオメは、新興男爵家の娘だ。実は一度、裕福な年寄りと若くして結婚している。結婚から半年たたずに相手が亡くなり、未亡人となってしまった。
まだ二十歳で童顔なため、婚歴があるようには、とても見えない。前夫から莫大な財産を相続し、悠々自適に暮らしていることも、若々しさの秘訣だろう。
容姿こそ愛らしいが、頭の出来はあまり良くない。貴族たちの陰口を鵜呑みにし、会ったことさえないリナリアを敵視している。
婚約者さえいなければ、ジュリアンの妻になれると、期待している節があるのだ。まるで、くだらないおとぎ話のような、戯れ事を夢見ている。
「ずいぶん物騒だな。あまり不用意なことを言うものじゃないぞ。日頃から口を慎んでおかないと、自分の身を危うくしかねない」
「だって……」
唇を尖らせるクレオメの髪を、ひと房すくって微笑みかけた。
「機嫌を直してくれ、可愛い人。隣国で起きた事件の余波で、仕事が大変なんだ。美しい女性に癒して貰えないと、俺は倒れてしまうかもしれない」
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近頃、隣国で大がかりな事件が発生した。邪悪な魔女が、上流階級の子弟たちを、大勢たぶらかしたのである。
心の傷を癒す神子に憑依し、禁忌魔法『魅了』を使って、被害者たちを操ったというのだから、恐ろしい話だ。
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魔女事件を受けて、フルール王国では、リナリアに二度目の神子判定を受けさせた。万一に備えて、イラの根を確保している。
王族として、隣国へ気を配るのは当然だ。だが、ジュリアンは個人的にも、魔女事件に注目している。
彼にとって、この騒動は重要な意味を持っていた。
「確か、隣国の王女様と婚約していた御方も、被害にあったんですってね。そのせいで、婚約が白紙になったとか。魔法が原因なのに、許して差し上げられなかったのかしら」
「一度壊れた信頼関係を、修復するのは難しいのだろう」
破談になった王女は、新しい嫁ぎ先を探している。そう、ジュリアンのような、相応しい相手を。リナリアさえいなければ、隣国の王女へ縁談を打診できるのだ。
諦めかけていた欲に火がついた。抑えがたい野心だ。この事件が、リナリアへ刺客を送る、直接の動機となったのである。
「王女様は十九歳だったかしら。きっと、お相手探しに必死よ。二十代で未婚だと、居心地が悪いですから……」
「ああ、きっと急いでいるだろう」
ジュリアンは表情を引き締めた。彼もまた、暗殺を急がねばならない。
□
前回の暗殺未遂から、数日が過ぎていた。ジュリアンは、予定していた夜会へ、体調不良により欠席すると報せを出した。
外出を控えるふりをして、秘密裏に夜会へ出掛けていく。
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「エルヴィユ伯爵御一家、ご到着されました!」
従者の手を借り、伯爵と伯爵夫人が馬車から下りてくる。伯爵夫妻の後に、一人の令嬢が姿をみせた。
ジュリアンの豪奢な金髪に比べ、茶色に近いダークブロンドをしている。流行から外れた、地味なドレス姿。
彼女こそ、エルヴィユ伯爵令嬢リナリアだ。隣国の王女へ求婚するためには、この世から消えて貰いたい、ジュリアンの婚約者である。
「来たな、リナリア」
空室の暗い窓から、リナリアの様子をうかがう。ジュリアンの手には短剣が握られていた。
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(小説家になろう様にも投稿しています)
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