お飾りの私を愛することのなかった貴方と、不器用な貴方を見ることのなかった私

歌川ピロシキ

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本編

P5 ふくらむ妬心

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 次の週のある日。
 旦那様がぐったりしたあの方を抱えるようにしてお戻りになりました。
 そのまま執務室に運んでソファに横たえます。執務室の隣にあの方の私室があるのだから、そちらに運べば良いのに。

「今日も執務がかなり残っている。食事は執務室でとるので先に夕飯を済ませて休んでいなさい」

 今日も旦那様はわたくしと夕飯を共にするおつもりはないようです。
 わたくしは一人寂しく食事を済ませて夫婦の寝室で床につきました。しかしながら、旦那様に顧みられぬ我が身が惨めで、とうてい寝付く事はできそうにありません。そっと寝室を抜け出して執務室の前に参りました。
 まだ旦那様が起きていらっしゃるならば、しばらくお酒でもいただきながらお話ししたいと思ったのでございます。

 執務室に参りますと、まだ灯りはついておりました。それに、ほんの微かですが、人の声がします。
 なんとかして中の様子を見たいと扉に近寄りますと、鍵穴から少しだけ室内を窺えることに気付きました。そっと覗いてみておりますと、旦那様はソファの傍らで横たわるあのお方に何か話しかけているご様子です。

「起き上がれるか?」

「……」

「いい、無理をするな」

 低く柔らかなバリトンで優しく語り掛ける旦那様に、あの方がなんと答えておられるのか、ここからではまったく聞こえませんが、きっと睦言のような会話をしておられるのでしょう。

 旦那様がわたくしにあのように熱の籠った声でお話しになることなどございません 。いつも優し気ではございますが、どこか突き放すような、よそよそしい礼儀正しさに満ちているのが「氷の貴公子」であるエルネスト・タシトゥルヌ様でございます。

 あのように甘やかで愛おし気な声など、わたくしはついぞ聞いたことがございません。旦那様にとっては、わたくしではなくあのお方こそが甘やかな熱を向けるお相手なのでございましょう。

 それに気付いてしまったわたくしは、嫉妬と惨めさで目の前が暗くなる思いがいたしました。

 旦那様は水差しを手に取って水を口に含み、ソファの上にかがみこみます。
そのまましばらくぴちゃりぴちゃりという微かな水音が響き、ややあって身を起こされます。もう一度水を含んでソファの上にかがみこむと、またしばらく水音が響き、静かな室内に少しだけ荒い息遣いが響いたような気がしました。

「……ぅん……ぅぅ……」

  旦那様とは明らかに違う、やや高めのくぐもった声がします。

 これはもしや、旦那様はあの方とずっと口付けていらっしゃるのではないではないでしょうか。いつまでも水音を響かせて、くぐもった息を漏らさずにはいられないような、熱くねっとりとした口付けを。
 わたくしに対しては、いつも儀礼的な口付けを手の甲にされるのがせいぜいだと申しますのに。わたくしはかっと頭の中が熱くなるのを感じ、扉の前から逃げるように立ち去りました。

 これはれっきとした不貞でございます。
 貴族の結婚は家と家の縁をつなぎ、血統を守るためのもの。跡継ぎさえ生まれてしまえば、夫婦ともに愛人をもうけて互いに関わらないお家も多々ございます。
 しかし、愛人の私室をタウンハウス内に置くなど、聞いたことがございません。まして毎日のように執務室に連れ込むなど、貴族の役目というものを何だとお考えなのでしょうか。

 朝になったら旦那様に断固として抗議して、二度とあの方をこの屋敷に立ち入らせないようにしなければ……

 でも、わたくしにはわかっているのです。
 わたくしがいくら抗議したところで、旦那様はあの方の事をあくまで上司と部下であるとおっしゃるだろうという事を。そして、嫉妬で狂いそうなわたくしに、呆れたような、わずらわしそうな眼を向けて、

「少しは私の職務や立場というものを理解してほしいものですね」

と、嘆息しながらおっしゃるのです。

「ディディがわざわざ屋敷まで来て政務を手伝ってくれるからこそ、私は妻の貴女を一人残して王城内の官舎にこもりきりにならずにすむのですよ。感謝こそすれ、あらぬ疑いをかけるなどもってのほかでしょう」

 こう、柔らかでありながら、冷たい拒絶を漂わせた声で、取り付く島もなくおっしゃるに決まっております。

 わたくしは悔しさと惨めさに心で涙を流しながら、必ずわたくしに相応しい旦那様の愛を手に入れて、あの方を見返してやるのだと固く心に誓ったのでございます。 
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