【改訂版】ピンク頭の彼女の言う事には、この世は乙女ゲームの中らしい。

歌川ピロシキ

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閑話1

テルマエ・イリュリア(コニー視点)其の二

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 三人で微温室テピダリウムに入ると、脱衣場でそれぞれ服を脱いで着替えと共に職員に預けた。代わりに手渡された黒い布を腰に巻く。
 小さな手桶に石鹸やタオルなどの入浴道具をひとまとめにして持つと浴槽のある室内に入った。

 部屋は壁や床下を通るパイプでほどよく温められ、中央のある冷浴場《フリギダリウム》にはぬるめの湯が張られ、大浴場やサウナでゆっくり温まった後に火照った身体をクールダウンするために沐浴したり水泳を楽しんだりするようになっている。
 中庭アトリウムで軽く運動した後は、ここでオイルマッサージや脱毛などのサービスを受け、汚れを落としてから隣の大浴場カルダリウムで湯につかるのがマナーだ。

「それじゃ、まずはマッサージだね」

 ヴォーレはすっかりはしゃいでいた。ほどよく温められた床を裸足で歩く足取りも軽く、彼の動きにつれて赤い尻尾がひょこひょこと揺れる。
 こうして楽し気にしている姿は年相応……むしろやや幼くすら見える。日頃それだけ気を張っている証拠だろう。今日はゆっくり羽を伸ばさせてやりたい。

「全体を軽くオイルマッサージしてくれる?それから脱毛もお願い」

 さっそくヴォーレは漆喰で白く塗られた壁の前にならんだ青銅製のベンチにうつ伏せになってマッサージ師に注文している。
 この座面の下をボイラー室から隣の大浴場カルダリウムへと送り込むパイプが通っていて、程よく温められている仕組みだ。
 ヴォーレは全身にオイルを塗られ、気持ちよさそうに目を閉じている。
 いつもきっちり軍服を着ているので目立たないが、薄い皮膚の下に程よく筋肉がついて綺麗に引き締まった身体だ。
 マッサージ師が丁寧に揉み解すにつれ、血行が良くなったのか白い肌がうっすらと桜色に染まっていく。

「俺たちもやるぞ」

 その姿をじっと見つめていたラハムに声をかけると、近くのベンチに横になる。同じようにオイルマッサージと脱毛を頼むとマッサージ師に身をゆだねた。
 さすがにプロのマッサージは心地よく、ついついうたた寝してしまったようだ。

「終わりましたよ」

 と声をかけられ、ぬるめの湯で全身を流してもらった時には全身すっきりと軽くなっていた。もちろんムダ毛も丁寧に処理されてある。

「あ、ちょうどコニーも今終わったんだね。待たせなくて良かった」

 ちょうど自分の施術も終わったらしく、ヴォーレも起き上がって来た。
 よほど気持ち良かったのか、瞳がやや潤んでいて肌も淡く色付いている。
 ヘッドスパも頼んだのだろう。鮮やかな紅の髪が解かれてふんわりと緩やかなウェーブを描いていた。

「髪も洗ったのか?」

「ううん、マッサージだけ。後で座浴盤ヒップバスで流すつもり。こまめに洗ってはいるけど、たまにはしっかりお手入れしなくちゃね」

 嬉しそうに言うヴォーレは既にかなり満足そうだ。

「すまん、待たせたか」

 遅れて施術を終えたラハムと合流すると、壁面に設置された座浴盤ヒップバスと呼ばれるくぼみに腰をかけ、身体を流す。
 くぼみとくぼみの間は精緻な彫刻がほどこされた柱が立っており、頭上を通る梁と配管を支えている。
 その配管に細かな穴があいており、くぼみに腰掛け重量がかかる事で弁が開いて、そこから雨のように細かくお湯が降ってくる仕組みになっているのだ。他の国では「シャワー」と呼ぶこともあるらしい。
 温かなお湯に打たれるとマッサージで浮き上がった汚れがすっきりと流れていき、実に気分が良くなった。

 隣の座浴盤ヒップバスに腰かけたヴォーレは石鹸で髪を洗って流している。丁寧に鮮やかな紅い髪を石鹸で洗い清めると、今度は胸から背中、腹とだんだん下におりていって最後にしなやかに伸びた脚を丁寧に洗った。

「待たせてごめん、ちょっとだけお手入れさせてね」

 身体を洗い終わると立ち上がって空いているベンチに腰掛け、酢とオイルで髪の手入れを始めたヴォーレ。
 しっとりと濡れた髪がうなじの肌にはりついていて、紅と白のコントラストが目に鮮やかだ。

 ふと隣のラハムの気配が妙なのでそちらを見やると、軽く目を瞠ってうっとりとヴォーレの全身に見入っていた。
 何やら腰巻の前が膨らんでいる。嫌なものを見てしまった。
 気付かなければ良かったと心底後悔する。

「おい……何を見ている?」

 思わず低い声を出すと奴も我に返ったようだ。

「あ、ああ。傷一つないな、と思って」

 なんだか頓狂な声で返事をした。

「傷?」

「ああ、ヴォーレの肌。俺なんかは毎日生傷が絶えないんだが……まだ訓練ばかりの俺と違って毎日任務にも出ている筈なのに、目だった傷もなくて本当に綺麗だよな」

 そう言われてみれば、深窓の令嬢のように滑らかできめ細やかな肌だ。
 仕事柄切った張ったは日常茶飯事だろうし、十三の時からずっと実戦に出ているのだ。目立つ傷が全くないのは少々不自然ではなかろうか?

「ああ、これは魔法の腕が鈍らないように時々練習してるから。いつも使わない技術や知識って忘れちゃいがちでしょ?だから時々表皮の細胞を作り直してるんだ」

 どうやらこちらの会話が聞こえていたようだ。軽く苦笑して答えながら、濡れたままの髪をくるくるとねじって巻き上げると、長めのタオルをターバンのように巻き付けて器用にひとまとめにした。

「それは……代償は大丈夫なのか?」

「平気、平気。しっかり食べてぐっすり眠れば一晩もしないで回復する量しか使ってないから」

 にこにこと機嫌よく答える顔にはごまかしたりとぼけたりする気配は見受けられない。本当に「寝れば治る」程度のことなのだろう。

「本当か?」

「うん! だから後で中庭アトリウムでいっぱい美味しいもの食べようね!」

 実に愉し気に元気な声で言われてしまうともう話を蒸し返せる空気でもなく。
 結局それ以上は何も言えないまま隣の大浴場カルダリウムへと移動しかけた時のこと。

「お客様、困ります」

『何を言ってるんだ? 俺たちが外国人だから出て行けとでも?』

「ああもう、何を言ってるんだろう? 大浴場カルダリウムに入る前に身体を流してほしいだけなのに」

 どうやら外国からの観光客が身体を流さないで大浴場カルダリウムに行こうとしているらしい。
 マナーを知らないだけで悪気はないようだが、言葉が通じないようだ。しかも無駄に身体も声も大きいので威圧感がすさまじい。
 職員もシュチパリア語だけでなく、エルダ語やテュレリア語など、いくつかの言語で呼びかけているが、どれも通じていない。
 それはそうだろう。俺の聞き間違いでなければ彼らは……

『こんにちは。イリュリアへようこそ。こちらは初めてですか?』

『なんだお前は?』

 ヴォーレが口にしたのは遠く離れた北の大国ヴァリャーギの言葉だ。近年急速に勢力を伸ばしているが、このシュチパリアとはあまりに距離が離れているため直接的な関係はほとんどない。

『地元の者です。せっかくですからマッサージを受けてすっきりしてから入浴されてはいかがでしょう?』

『マッサージ?また金をとるのか?』

『いいえ、入り口で払った入湯料に含まれているので新たに払う必要はありません。気持ち良いですよ』

 彼がにこにこと人好きのする笑みを浮かべると、ごねていた観光客もすっかりと相好を崩し、熊のようなごつい顔中を口にしてガハハと笑った。
 決して上品とは言えない仕草だが、なぜか不快感はない。

『それはいいな。さっそく頼むとしよう』

 困ったことに、彼はヴォーレがマッサージするものだと思い込んだらしい。彼の手を掴んでベンチへと引っ張って行こうとする。
 ヴォーレは振りほどくわけにもいかず、困った顔でされるがままだ。

『あの……僕がするわけではないのですが……』

「お、お客様!? 一体何がどうなってるんだ??」

 言葉がわからず混乱する職員は全く頼りにならなそうだ。
 それにしても、ここまで言葉の通じない外国人が一人でこんなところに来たとも思えないが……連れは一体何をしているんだろう?

『お待ちください。彼はここの職員ではありません』

『なんだお前は? 』

 見かねて声をかけたのだが、凄まじい気迫でギロリと睨まれた。

『彼の友人です。彼はこの施設の職員ではないので、ご用件はあちらのマッサージ師にお申し付けください。私が通訳します』

 内心冷や汗をかきつつも、何とか社交用の笑顔を浮かべて協力を申し出た。
 残念ながら、俺の虚勢は眼前の熊のような男には全く意味をなさなかったようだが。

『そんな事はどうでもいい 。俺はこいつが気に入った。こいつがいい』

『そんな……困ります……』

 ヴォーレは途方に暮れるあまりもう涙目だ。彼の力なら振りほどこうと思えば振りほどけるだろうに、せっかく外国から来てくれた観光客に嫌な思いをさせたくないのだろう。人が好いにもほどがある。

 熊のような男の視線は彼のうなじから背中、腰にかけて嘗め回すように這っている。どうやら可愛らしいヴォーレに良からぬ気を起こしたようだ。
 ついにそのごつごつした手が細く引き締まった腰に伸びてきたので、さすがにこれは見捨てておけぬと口を開きかけた時だ。

『ああ、こんなところにいらっしゃったんですね。探しましたよレべデフ大尉』

『コットス少尉!!』

 微温室テピダリウムの入り口から聞こえた声に、ヴォーレが喜色もあらわに振り返った。

『コットス少尉、いいところに来た。これからこいつにマッサージしてもらうんだがお前もどうだ?』

『彼はマッサージ師ではありませんよ。本職に頼んだ方がずっと気持ち良いので、私が通訳しますね。そちらの彼は保養客なので放してあげてください』

 コットス少尉と呼ばれた体格の良い人物が精悍な顔に笑みを浮かべて流暢なヴァリャーギ語で言うと、熊のような男……レべデフ大尉は渋々手を放した。
 それにしてもレべデフ白鳥とは……ミドヴェーチのような風貌にはまるで似合わない名だ。名は体を表すと言うのは迷信らしい。

『ちょっとくらい下手でも俺はあっちの方が良いんだが』

『申し訳ありません。彼は部外者なので無理強いもできないのです』

 未練がましくヴォーレの身体を見やる大尉に少尉がにこやかな、しかし有無を言わさぬ笑顔できっぱりと断る。

『その割に顔見知りみたいじゃないか』

『彼は近衛ではありません。警邏に所属する、ただの平民の騎兵です』

 なおも食い下がるレべデフ大尉だったが、コットス少尉のその言葉で諦めがついたらしい。

『仕方ないな。しっかり通訳頼むぞ』

 ニカっと笑うとコットス少尉と連れ立ってマッサージコーナーへと立ち去った。

「何をしている、ラハム准尉。君も来なさい」

「え?自分ですか?自分は今日非番で……」

「やかましい。後で夕飯おごるからおとなしくついてこい」

 どうやら一人で大尉の接待をするのも限界だったらしい。
 せっかくの休みの日につかまったラハムには気の毒だが、これも経験だと思って諦めてもらうしかなさそうだ。
 軽くため息をついたラハムは「それじゃまた」と軽く頭を下げて上官たちのもとへと足早に寄った。

「やれやれ、身体が冷えただろう?早く大浴場カルダリウムに行こう」

 嵐のように彼らが立ち去ったのをまだ呆然と見送っているヴォーレ。
 熊のような大男の嘗め回すような視線がよほど気持ち悪かったのか、少しだけ蒼ざめている。
 もう一度身も心も温めて、ゆっくり疲れを癒してもらいたい。
 俺は軽く彼の手を引くと、大浴場カルダリウムへと足早に入って行った。
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