【改訂版】ピンク頭の彼女の言う事には、この世は乙女ゲームの中らしい。

歌川ピロシキ

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閑話1

テルマエ・イリュリア(コニー視点)其の三

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 広々とした大浴場カルダリウムはむっとする蒸気が充満していて、あたりが白くかすんで見えるほどだ。

 床には火傷しないように木製のすのこが敷かれている。これらは砂漠王国オスロエネを経てはるか東方から伝わって来た文化だ。
 熱い蒸気が充満した部屋で過ごすことで身体が芯から温まり、毛穴が開いて大量に汗が出る。それを湯で洗い流してから微温室テピダリウムに戻り、冷浴槽フリギダリウムでクールダウンしてから浴室を後にする。

「うわぁ、あったかいというより暑いくらいだね」

 歓声をあげるヴォーレの顔に笑みが戻って来た。

「ああ、蒸気を浴びるだけでも温まるが、湯に入るか?」

「もちろん!! ,せっかく来たんだから全部楽しまなくちゃ。えっと……一番温度が低いのは……」

「こっちだな」

 広い浴室内の入り口から入って正面に大きな浴槽が二つ、右の壁沿いに一つ。正面の一番大きな浴槽の湯がぬるめで、そのすぐ右がやや熱め、右の壁沿いの浴槽はかなり熱い湯がたたえられている。
 互いに軽くかけ湯をしてから、まずぬるめの浴槽に入った。

「あ~気持ちいい!やっぱり大きなお風呂に手足伸ばして入るのはいいね」

「ああ、さすがに家の風呂ではこうはいかんからな」

 湯に入って「う~ん」と伸びをしたヴォーレは晴れ晴れとした声をあげた。
 俺も彼に倣って手足を伸ばすと日頃の業務の疲れが溶けて行くようだ。
 社交シーズンが終わったばかりの今は観光客の数も少なく、浴室内に他の客はほとんどいない。

「空いてて良かった。来月くらいになると休日は混んじゃって大変だからね」

「確かに。ゆっくりくつろぐどころの騒ぎではなくなるからな」

 首を左右に伸ばしたり、肩を回したりして寛ぐ彼は実に気持ちよさそうだ。先ほどの表情のこわばりは綺麗に消え失せ、楽し気に瞳を煌めかせている。

「ふぅ、だいぶあったまってきたから熱いのにも入ってみようかな?」

「よし移動するか」

 隣の浴槽の湯はやや熱めで入った瞬間は思わず身を縮めてしまったが、慣れてくると熱さがかえって心地よい。

「はぁ~、ほんっと気持ちいい。なんか色んなものが溶けてく感じがするね」

 目を細めて嬉しそうにしている友の姿に、ついこちらの頬も緩んでしまう。
 我が身を顧みず無茶をしがちな彼ではあるが、自分の笑顔がどれほど周囲の心を温めているか自覚しているのだろうか。
 
「ああ、来てよかったな」

 彼の無防備に寛ぎきった表情を見ると心からそう思う。
 この顔が見られるならまた休みを合わせて誘ってみよう。

「そろそろ泳がないか?のぼせてきそうだ」

「いいね。それじゃあがろう」

 さすがにのぼせてきそうになったので冷浴場に行かないかと水を向ける。

 大浴場カルダリウムの入り口脇の壁際に、丸い小さな浴槽があり、こちらは水が張ってある。

 この大浴場カルダリウムから出る時は、この水を軽くかぶってから微温室テピダリウムに行くのが通例だ。

「いきなり全身にかけないように気を付けてね。心臓に負担がかかるから」

 ヴォーレに注意されて軽く頭だけ水をかけることにする。
 彼もざぶりと水を浴びると、濡れた髪をまたくるくるとねじりあげ、今度はスティック状のかんざしで団子状にひとまとめにした。

 二人とものぼせかかった頭がすっきりしたところで微温室テピダリウムに戻ると、程よく温められた空気が心地よい。
 急な温度と湿度の差に曇ってしまった眼鏡を拭いている間に、ヴォーレは待ちきれないといった様子で足早に冷浴槽フリギダリウムへと向かう。

「コニー。気持ち良いよ、早くおいで!」

 いそいそと冷浴槽フリギダリウムに入ったヴォーレが子供のように歓声を上げた。よほど楽しいのか、星をまき散らすかのようなキラキラした笑顔で平泳ぎを楽しんでいる。

 俺も浴槽にもうけられた石段を下りると、熱い湯に慣れた身体にはぬるめの温水がひんやりと感じられた。

「ああ、これはいいな」

 俺も15メートルほどの浴槽を平泳ぎでヴォーレを追う。
 すぐに反対側に辿り着いてしまう浴槽では本格的な水泳を楽しむにはいささか物足りないが、火照った身体をさましながら水と戯れるにはちょうど良い。
 他の客が入っていないのを良い事に何往復か泳いだ。

「ね、競争する?」

「それは遠慮する。絶対に勝てる自信がない。むしろ負ける自信しかないぞ」

「もぅ、張り合いがないなぁ」

 無茶な申し出を即座に断ると、むぅ、と頬を膨らませながら水をかけてくる。周囲に人がいなくて良かった。
 いや、無邪気に見えて人一倍気を使うたちの彼のことだから、他に人がいないのを確認した上で迷惑にならない範囲でふざけているのだろうが。
 証拠に冷水槍の周囲には全く水が跳ねていない。

「こらこら、ふざけるな。眼鏡にかかるだろうが」

「うふふ、ごめんごめん」

 二人でしばし戯れていると、いつの間にか微温室でマッサージを受けている人々の視線が集まって来た。少々はしゃぎすぎたようだ。

「そろそろあがるか」

「うん、僕おなかすいた」

 連れ立って冷浴槽フリギダリウムからあがり、係員から預けておいた着替えやタオルなどの手荷物を受け取った。
 しっかりと髪と身体を拭くと、手早く衣服を身につける。
 今日は二人とも黒いパンツにゆったりとした刺しゅう入りのスモックタイプのシャツを合わせ、退魔模様を織り出した飾り帯を締めている。

「今日はフスタネーラじゃないんだな」

 フスタネーラはシュチパリア南部の男性の伝統的な民族衣装で、膝下丈の真っ白なプリーツスカートだ。ヴォーレはプライベートな時は好んで身につけている。

「うん、家を出ちゃったから前のは着られなくなっちゃって。授爵したらそれに合わせてまた作るけど」

 なるほど。
 フスタネーラは家の爵位や本人の地位によってひだの数や幅が決まっている。実家の姓を名乗っていた頃のものは、表向きとはいえ平民となった今の立場では身につけられないのだろう。
 よく似合うだけに少し残念だ。

『君たち、良かったらこれから私と食事にでもどうだい?うまいものをご馳走するよ』

 身支度を整えて微温室を出ようとすると、恰幅の良い中年の男性に声をかけられた。テュレリア語を使っているので、海外からの観光客だろう。
 ヴォーレが困ったように小首を傾げるとしっかりと編まれた三つ編みがゆらりと揺れた。

『もしかして言葉がわからないのか?せっかくおごってやろうというのに』

 どうやら我々の困惑を言葉が通じないからだと思われたらしい。
 せっかくの外国からの旅行客をもてなしたい気持ちもあるが、今日はゆっくりと楽しみたい。それに中年男のヴォーレを見る目がなんとはなしに嫌な感じがする。
 返答に困っていると、ヴォーレが困惑を露わにした微笑を浮かべ、シュチパリア語で答えた。

「ごめんなさい、何をおっしゃってるかわからなくて。お困りでしたら職員をお呼びしましょうか?」

「イラナイ。ホカニタノム」

 それで言葉が通じないと思ってくれたらしい。中年男は片言のシュチパリア語でそう言うと、残念そうに引き下がった。

 思わぬ足止めを食ったが浴室を後にすると、ヴォーレが思い出したようにくすくす笑い出した。

「さっきのおじさん、旅先のアバンチュールでも楽しむつもりだったのかな?コニーは可愛いから気をつけないと」

「……お前、鏡を見てからものを言え」

 ただでさえ平素から「少女のように愛らしい」と言われている彼だ。
 今日は丹念に手入れしたばかりの肌も髪も艶やかで、無防備に笑顔を振りまいている姿はさぞや人目を惹くことだろう。

「二十歳近い大の男が可愛いって言われても嬉しくないよ」

「その言葉そっくりそのまま返す」

 桜桃のような唇を少し尖らせ、拗ねたように言う戯言をそのまま突き返してやった。
 他愛のない話をしてじゃれあいながら中庭アトリウムに出ると、鮮やかな花々を鑑賞できる場所にレストランがある。

「何にする?」

「そうだな……ちょうど果物の美味い季節だから、新鮮なものを少しいただきたいな」

「僕は……どうしよう。ハラパッシュ羊のモツ炒めにしようかな……」

「俺はヤプラク肉ちまきタベコシ羊とヨーグルトのドリアにするか」

 あれこれ悩んだ末に注文して芳しい香りを振りまく花々をしばし眺める。
 南国の花はいずれも色鮮やかで、見ているだけで心が浮き立つようだ。
 料理ができたらしい。炭酸水と一緒に運ばれてきた料理の数々にヴォーレがはしゃいだ声をあげる。

「わぁ、おっきな鱒だ。美味しそう」

「ほら、フリクレープが冷めないうちに食べるぞ」

 ヨーグルト入りの薄焼きクレープを何重にも重ねたフリにザジキと呼ばれる水切りヨーグルトと野菜で作ったディップソースをかけて食べる。
 ヴォーレはイェミスタパプリカのピラフ詰めにかぶりついている。

「このパプリカ、肉厚ですごくジューシー。今が一番おいしい時期だね」

 美味そうにもぐもぐと咀嚼する姿は実に幸せそうだ。
 鱒とトマトのグリルにキョフテ肉団子タヴ・ゼウ羊モツのトマト煮……
 見ているだけで腹が膨れそうな量なのに、綺麗にナイフとフォークを使いながらあっという間に全て平らげてしまった。
 あの細い身体のどこに入っているのか全くの謎だ。

 俺はというとファルジェサ夏野菜の冷製グリルヤプラク肉ちまきで腹八分目。
 そこに食後のドリンクとデザートが運ばれてきた。

「お前、またバクラヴァ頼んだのか?あれだけ食べたのによく入るな」

 大皿にヴォーレの好物の蜂蜜漬けクルミのパイがどん、と鎮座している。それも特大サイズだ。

「うん、甘いものは別腹って言うでしょ?コニーの果物も美味しそう」

「ああ、好きなものを食べていいぞ。それにしても大きいな」

 俺の果物の盛り合わせからブドウをいくつかつまんだヴォーレは次にほくほくしながら大皿一杯のパイを切り分けて食べている。
 あれだけ食べて太らないのだから不思議なものだ。

 ほどなくしてテーブルの上の菓子と果物もきれいさっぱり姿を消すと、キンキンに冷えたタラトール胡瓜のヨーグルトドリンクで喉を潤した。
 ヨーグルトの酸味と胡瓜のシャキシャキした食感が口の中をさっぱりさせてくれて気分が良い。

「ふぅ、お腹いっぱい。コニーは?」

「お前よくあれだけ入るな。見ているだけで腹が膨れた気がする」

「普通の人と運動量が違うからね。でもちょっと食べすぎちゃった。図書館行く前に少しお散歩しない?」

「それもいいな」

 いささか食べ過ぎてしまったので、図書館と美術室を回る前に中庭アトリウムを散策することにした。
 たまにはこうしてのんびり過ごすのも良いものだ。
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